『祈りの幕が下りる時』
監督 福澤克雄

 思いのほか面白かった。さすがのストーリーテラー東野圭吾だ。思えば、レイクサイドマーダーケース監督:青山真治)に始まって、手紙監督:生野慈朗)、容疑者Xの献身監督:西谷弘)、夜明けの街で監督:若松節朗)、天空の蜂監督:堤幸彦)と、観た映画化作品のほとんどについて映画日誌を綴っている。

 本作は“新参者”シリーズの完結編なのだそうだが、甘く見られるほうが暗い絶望に囚われるよりずっといいとの加賀恭一郎(阿部寛)の台詞がなかなか良かった『麒麟の翼 ~劇場版・新参者~』監督 土井裕泰)を観ているだけで、僕はTVシリーズにも原作にも触れてない。だが、単独作品として観て、十分以上に面白かったように思う。

 愛する息子と別れて生きるしかなかった母(伊藤蘭)と、愛する娘と別れて生きるしかなかった父親(小日向文世)の、苦渋の選択への追い詰められようの不運不幸と共に、その後も含めて、ミステリーという設えならいかにも芝居がかっていることがほとんど気にならなくなるところが、ミソだと思う。そのうえで、ある種ファンタジックなまでに盛られた親子の絆と情のなかに、普遍的な真情が窺えるからこそ、迫ってくるものがあったのだろう。薄情で身勝手な親として対極的に登場していた老母の浅居厚子(キムラ緑子)の元に乗り込み、あんただけは絶対に許さへんと凄んでいた浅居博美を演じた松嶋菜々子の鬼気迫るなか哀切を滲ませた表情が、実に見事だったように思う。

 自身の招いたものとは言えない不幸に見舞われる過酷な人生と、そういったものとは無縁でいられる人生と、世の中、全く不平等にできている。しかし、どんなに不幸な人生にあっても、掛け替えのないものとして心の内に抱くことのできるものを持つ人には、不幸だけには終わらないものが待っているというのもまた、人生の真理なのだろう。

 押谷道子や苗村先生(及川光博)の見舞われた不幸には、自身の招いたものではないとも言えない面が窺えはしたのだが、少なくとも死を負わねばならないほどの責はなかったように思う。さらば相応に、不幸だけに終わってはいないのだろう。子どもを連れて放浪の旅を続ける姿が映し出されていたからか、演奏会と明治座公演の違いはあれど栄えある舞台場面が山場となっていたからか、名作として名高い『砂の器』['74]を忍ばせる風情があったような気がする。

 また、生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言['85]を想起させる“原発ジプシー”が描かれていたことも印象深い。なかなか上質のエンターテイメント作品だった。

 
by ヤマ

'18. 2.22. TOHOシネマズ5



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>