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あたご劇場“森崎東監督の三日間”から 『喜劇・特出しヒモ天国』['75] 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』['85] 『喜劇 女は度胸』['69] | |||||
監督 森崎東
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初日の『喜劇・特出しヒモ天国』は、僕が高校生時分の映画だから、まずもって時代的な風俗的な懐かしさがあった。松竹から東映に出向いて撮った唯一の東映作品らしいが、監督自身の言葉によると、暫くの間、自分の作品群の中でも、エロ系ということで恥じていた映画だったとのことだ。ところが、脚本家の高橋洋などが「若い頃の感動の一作だ」とかえらく褒めてくれるもので、そんなふうに言ってくれる人たちのいる作品なら、監督の僕が恥じてちゃいけないと、以来、考えを改めたのだそうだ。 僕のほうは、同時代では観ていないけれども、今観て、エロ系映画だとは全く感じなかった。喜劇的なところはもちろんあるけれど、喜劇と謳うほどの喜劇だとも思わなかった。それよりは、蔑みの視線に晒されがちな職業に従事している人たちを、美化して持ち上げる視線も、暴き立てて蔑む視線も排除して、ある意味、群像劇とも言える形で捉えた作品だというふうに感じた。 寺の住職(殿山泰司)の脱力説法に聞き入り手を合わせている婦人集団と、寺に隣接したストリップ劇場のステージに立つ踊子の観音様を拝みに集まっている野郎集団とを、交互に映し出して始まるオープニングに端的に表れていた“含みある軽妙さ”に味のある作品だったが、そんななかに聾唖夫婦(下條アトム・森崎由紀)のストリッパーを登場させたりしているところが目を引いた。原作にあったものか脚本段階で加わったものかは知らないけれど、事故死に見舞われる直前のハニー(中島葵)と善さん(藤原釜足)のエピソードとともに、職業としてのストリッパーというものを観る側に強く意識させる仕掛けだったように思う。 警察が立ち入る風俗営業に係る“特出し”取り締まりに巻き込まれ、妙な行き掛かりに流されて、この世界に足を踏み入れることになった松下昭平(山城新伍)がサラリーマンからヒモ稼業になっている姿に、決して羨望を抱かせるような作りにしていないところが硬派で、あくまでもこれもまた一つの人生として捉える視線にブレがないのがいいと思った。 監督への質疑の際に会場から、ローズを演じた芹明香を絶賛する声があがっていた。確かに、演技とは思えない素のような生々しさをパワフルに発揮していたが、僕は、やはり池玲子のほうに惹かれた。四月に観た『黄金の犬』より断然、出番が多くて良かった。 森崎監督は、このとき最後に、僕はもう言うことないから唄を歌いますと言って、劇中で印象深く使われていた『黒の舟歌』ではなく、「♪私が~あなたにほれたのは~ちょうど十九の春でした~いまさら離縁と云うならば~もとの十九にしておくれ~♪」と沖縄俗謡の『十九の春』を歌ったのだが、この唄は、森崎組の宴会で必ず歌われる唄なのだそうだ。 二日目の『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』の上映会は主催者が異なっていたが、この作品を観て、前日のトークで森崎監督が歌っていた『十九の春』が印象深く使われているのに出くわし、この唄を宴会での定番にしているのは、よほど本作が気に入っているからなのだろうと思った。 『喜劇・特出しヒモ天国』では、トンだ目にあった男(川谷拓三)が、刑事をクビになってストリッパーのヒモになっていたが、本作でも野呂先生(平田満)が、トンだ目にあったうえに教師をクビになり、ストリッパーのバーバラ(倍賞美津子)のヒモになっていた。 本作の長い作品タイトルには監督のこだわりがあったようだ。また「アイちゃんですよー、ご飯たべたァ?」という台詞は、アイちゃん(上原由恵)のモデルとなった殺された売春婦の実際の挨拶言葉だったそうで、「あふれる情熱、みなぎる若さ、協同一致団結、ファイト!」という台詞も、実際にちっぽけな田舎のキャバレーに勤めていた女の子が、自分を励ますために考え出した標語なのだそうだ。現実離れしていると感じられがちな具体の随所が実際の出来事に基づくものであるというところがミソなのだろう。 “原発ジプシー”と呼ばれる、原発を転々と渡り歩く労務者は、3Kどころじゃないトンでもない劣悪処遇のなかで搾取に遭っていたようだが、本作の上映会主催者である“渚の映画会”では、「原発の来た町 伊方原発の30年」復刻記念として、小林圭二氏による「原発の危険性と問題点をはじめて知るために」と、斉間淳子氏による「だから私は原発に反対する」を掲載した25頁に渡る手作り小冊子を配布するとともに、原発関連図書の販売などを行なっていた。 それにしても、浜辺で瀕死の宮里(原田芳雄)に弾込めをしてもらった銃をぶっ放していたときのバーバラが、際立って綺麗な顔に映し出されていて、驚いた。炎の照り返しが効いていたのかもしれないが、僕が今までに観た倍賞美津子の顔のなかで最も美しかったように思う。 最終日の『喜劇 女は度胸』は、森崎監督の第1回監督作品となる映画だ。倍賞美津子の第1回主演作品とのクレジットがされていたが、同年の『男はつらいよ』『続 男はつらいよ』の寅さんを髣髴させつつ、僕にとっては寅さん以上に魅力的だった勉吉(渥美清)が目を惹く作品だった。だが、最も印象深かったのは、やはり桃山家の母ちゃんツネを演じた清川虹子だった。 似ても似つかぬ愚兄賢弟のように見えて本当は兄の勉吉よりもずっと愚かな弟の学(河原崎建三)が、観念的な悩みと嘆きの独白のすえ「…どうすればいいんだ…」と洩らしたときに、すかさず「寝ろ」と言った間合いがそれまで押し黙っていたことと相俟って絶妙で、亭主の泰三(花沢徳衛)が「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…」と訴えたことに「あ、そぅ」と昭和天皇の口癖でしれっと返す腰の据わったキャラクターとして脇で効いていたのだが、物語の最後に迎えた正念場では、それまでの寡黙を振り払って、堂々たる大岡裁きで一件を落着させる存在となって現われて見事だった。 全く以って天晴れな“度胸”と言うよりも“度量”の女傑母ちゃんだった。「そうとも、あたしゃぁブタだよ。」「男よりずっと難儀で、涙で御飯を掻き込むのが女の人生だ。でも男だって酒で涙を掻き込んでるんだよ。」饒舌で達者な口の減らない勉吉の口舌にも惚れ惚れしたが、寡黙なツネのは、それ以上だった。しかも、ただ強いだけではない味わいが哀しみを覗かせるコクの利いた器量となって備わっていたから感心してしまう。「あんたの母さんからね、『今晩家出をするようなら学もちっとは見込みがあるから、そんときは一緒に住んでやっとくれ。』って言われたんだよ。」と愛子(倍賞美津子)からの間接話法で聞かせる台詞が泣かせる。女には男は敵わんことがありありと描かれていたように思う。 それにしても、三日間通して三作品を続けて観終えて、改めてプログラムの妙に感心した。最初に決まっていたのは“渚の映画会”が主催する『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』で、高齢の監督に来てもらうことにした際に、前後に二本の上映会を別グループ(円尾敏郎、岡本卓也、岩崎千尋、西川泉、高知あたご劇場)が構えたようだが、教師からストリッパーのヒモ暮らしになる野呂先生が出てくる作品の前に、刑事からストリッパーのヒモ暮らしになる男の出てくる『喜劇・特出しヒモ天国』を置いて、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』では描出がかなり省かれていたストリッパー稼業のありさまを見せつつ、原発ジプシーとともに流れ流れて食い扶持を稼ぐ労働者の部分を補完し、後に据えた『喜劇 女は度胸』という第1回監督作品で森崎監督の人間観や映画作りの原点を示していて、大いに感心した。 ライブコンサートの3枚組レコードを高校時分に買った岡林信康自身の歌声ではない『くそくらえ節』を聴いたのは何年ぶりのことだろう。もしかすると、当時以来のことになるかもしれない。そんな『喜劇 女は度胸』を置いたことで図らずも倍賞美津子の線が際立ち、あまつさえ愛子という名前が『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』のアイコ(上原由恵)の名をも呼び起こし、今回の上映会の主軸とも言うべき作品を引き立てていた気がする。 よほど造詣が深くなくては、こういう細部に目配りの利いたプログラム構成は組めないわけで、さすがと言うほかない。たいしたものだ。 | |||||
by ヤマ '10. 9. 3~5. あたご劇場 | |||||
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