『花と蛇2 パリ・静子』をめぐる往復書簡編集採録
映画通信」:ケイケイさん
ヤマ(管理人)


  2005年5月24日

ヤマ(管理人)
 ケイケイさん、こんばんは。
 掲示板で「この作品で、ヤマさんとお話出来るのを楽しみにしています(笑)。」と振ってくださっていたので、久しぶりにメールしてます(あは)。

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんばんわ。お待ちしてました(笑)。

ヤマ(管理人)
 あは、そりゃよかった〜。『花と蛇2 パリ・静子』観ましたよ。けど、日誌を綴る気もしなくて、ね(苦笑)。あれは「前作も出来が良ければ観ようかと言っていましたが、散々な評判に立ち消え」ともケイケイさんが日記にお書きの1作目とは、比べものにならないトホホの作でしたよ(しょぼん)。

(ケイケイさん)
 そうなんですか。私は一作目は未だ未見。それでは夫婦で観よかな(笑)。

ヤマ(管理人)
 そりゃいいかも(笑)。映画を観ることとともに、旦那さんの反応を見る楽しみがあるモンね〜(笑)。それって向こうにとってもそうだろうし。

(ケイケイさん)
 いや、23年も経ったら、そういう時期は通り越しています(笑)。

ヤマ(管理人)
 確かに(苦笑)。 でも、もし旦那さんがアイズ・ワイド・シャット観てたら、大いに楽しめるとは思うけど、あれを御覧になってるのかな?

(ケイケイさん)
 うちの人はあの手は観ませんね。東映の時代劇や任侠物が大好きだったみたい。若山富三郎のファンだったそうです。今好きなのはセガールですね。映画ファンにはバカにされる人ですが、テレビでちまちまビール飲みながら観るにはいいんですって(笑)。

ヤマ(管理人)
 うん、そんな話、聞いた気がします、そう言えば。


-------失われていた志と気合い-------

ヤマ(管理人)
 で、『花と蛇2 パリ・静子』は、何と言っても、志も気合いもすっかり消え落ちているとこが最も残念でしたよ。キャラクター造形が乱暴なのは、まぁあの手の映画ですから大目に見るとしても(それで言えば、ケイケイさんの映画日記での「辛くもクリア」「これもクリア」のなんと親切なことよ!(笑) )、映像が1作目と比べてずっと粗くなっていて、奥行きや陰影に乏しく平板になっていたのは、がっかり千万。

(ケイケイさん)
 いっしょに観た友人も、「簡単に縛られてアホやん。」と言ってました(笑)。
 普通に観たらそうですよ。

ヤマ(管理人)
 でも、「これもクリア」でお書きのことは、筋が通ってますよ。

(ケイケイさん)
 私が納得した最大の理由は「それは杉本彩だから。」(笑)。Sが似つかわしい彼女には無理っぽい設定ですけど、H大好きそうな彼女なら、好奇心や本心ではイタシタイ気持ちが潜んでいても無理ないと思いました。キャスティングが語ってると思いました。

ヤマ(管理人)
 なるほど(笑)。静子という人はよう知らんからともかく、彩さん、あんたならワカルってことですね(笑)。
 僕が最も残念に思った“志と気合い”というのは、前作には鬼六的似非SMの三大ポイントを図らずも浮き彫りにし、ある種ブーム化したSMを問い直す面を秘めた志が汲み取れたことを指すのですが、今作は、そもそもSM自体に主題的な主体が全く窺えない粗雑さで、あまりのことに少々驚きました。

(ケイケイさん)
 私もSMは味の素くらいだと感じてました。秘めた志が汲み取れるようなら、益々1は観なければ(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも、多分、というか間違いなく、「悶々」は期待できないですからね、お間違えなく(笑)。
 今作には、正直なところ、途中で退屈して欠伸しちゃってたんですよ、僕(苦笑)。前作には、とにもかくにも圧倒されてたんだけどねー。

(ケイケイさん)
 そうなんですかー。私は、劇場でこの手の作品を観るのは初めてなんで、退屈はしませんでしたね。もうええって、とは思いましたが。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、劇場以外では御覧になったことがありましたか(笑)。
 それは、映画系ですか? それともAV系?

(ケイケイさん)
 えーと『愛のコリーダ 2000』

ヤマ(管理人)
 これは、日誌を綴っている作品ですよ、僕。

(ケイケイさん)
 藤竜也はむっちゃくちゃ良かったんですが、肝心の定が理解出来なくて。なんかただの色情狂に見えた。

ヤマ(管理人)
 そうなのかー(笑)。僕は、初見が四半世紀前のパリでの無修正版なんですが、その頃の印象でも色情狂には見えなかったんだけどなぁ。

(ケイケイさん)
 それと本当にやっているのは、やっぱり×ですね。それだけで気が萎えます。女性は多いと思いますよ、そういう人。

ヤマ(管理人)
 そうかもしれませんね。どっちが過半かは調べようもないことですが、少なくとも、どちらか一方に偏ってしまうとは思えず、×の人も、可の人も、○の人も、どれも少なからぬ数でおいでるでしょうが。

(ケイケイさん)
 ポランスキーの『赤い航路』は一般映画ですけど、良かったです。

ヤマ(管理人)
 これも僕、日誌を綴ってますよぉ(嬉)。

(ケイケイさん)
 AVも観たことありますよ(笑)。ずっと昔の若い頃、旦那の友達がいっぱい貸してくれた(笑)。

ヤマ(管理人)
 うちも二十代の頃、友達が貸してくれたのを二、三本観たかなぁ。

(ケイケイさん)
 でも、ストーリーもへったくれもないでしょう? 初めて観た時はショックでしたが、何回か観たら気分悪くなるんですよ。

ヤマ(管理人)
 僕の奥さんは、何回も観ないうちに気分が悪くなったと言ってた(笑)。

(ケイケイさん)
 一度だけ「『エマニエル夫人』みたいなのか、ロマポが観たい」って、ビデオ屋に行ってもらったんです。だって私が借りるのは恥かしいもん(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕は自分がビデオを観ないものだから、頼まれたこともないなぁ。

(ケイケイさん)
 そしたら又しょうもないもん借りてくるんですよ。それに懲りて以来頼んでないので、観ていません。最近は若いカップルが、いっしょにAV借りに行くそうですよ。私はいややわ、そんな真似。ヤマさんはどう思われます?

ヤマ(管理人)
 ビデオ屋には行くことのない僕だけど、僕も嫌ですねぇ、奥さんとAV借りに行くなんてのは(笑)。
 やっぱり劇場で観ることの楽しみは、観客の様子を感じながら観られることなんですよねー。パッション』の拙日誌にも綴ったのですが、あの感想は、部屋で独りで観ていては書けないものだったろうと思います。

(ケイケイさん)
 私もキリスト教には疎いのですが、あれは感動したんです。ヤマさんの日誌も頷きっぱなしでした。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。あの日誌は、かなり好評だったんだよね(嬉)。

(ケイケイさん)
 勤め先の若先生がこれを観た時、話に花が咲いたもんなんですが、「ケイケイさん、DVDで『パッション』買ったんですけど、全然しょうもないんです。ただの拷問映画みたいなんですよ。あの感動は何やったんでしょう?」と言っておられましたが、

ヤマ(管理人)
 なるほどねー、劇場で感動した方でも、家で観るとそうなっちゃうのか〜。
 映画ってホント、水物ですよねー。観る側のポテンシャルとかテンションで左右される度合いのほうが、作品自体の出来不出来よりも、むしろ大きいんですよねー。

(ケイケイさん)
 確かにあの作品は劇場向けですよね。

ヤマ(管理人)
 間違いなくそうですね。
 ところで、ケイケイさんの映画日記では「女の私から観ればエロス、ポルノというより、体力勝負の印象」との『花と蛇2 パリ・静子』ですが、前作でもエロス・官能は排除されてたものの、責めという点では紛れもない迫力があって、今回の作品程度で「体力勝負」と言うのはおこがましいと感じられるほどに、杉本彩の根性と気合いが問われてたんですよぉ。
 石井隆にも杉本彩にも前作のヒットで出た緩みというか、石井隆としては緩み以上に、あれだけ話題と注目を集めても、団鬼六やキューブリックに対して施した意匠について、映画としては殆ど目を向けられないことに萎えたとでもいうか、ちょっと受け手を舐めてしまったとこがあるように思いましたよ(苦笑)。

(ケイケイさん)
 私は、前作は未見なので比較出来ないのですが、確かに気合を入れて作った感じはなかったです。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。

(ケイケイさん)
 セックスシーンやSM場面を延々見せているだけで、ドラマ部分が手抜きだとは思いました。

ヤマ(管理人)
 あの手の映画では、けっこうドラマ部分をはしょっているものなんで、それはそれで慣れっこという感じではあったし、少なくともケイケイさんにあのように「クリア」させるだけの材料自体は出してたわけだから、まぁまだしもなんですが、前作の冒頭での蛇の這う絵姿とか観てると、今作の貧弱なこと、このうえなかったですねー。もう全〜然、気合いや意気込みが感じられない(たは)。

(ケイケイさん)
 私は初めてでしたから、着物姿の縛りにちょっとびっくりしました。その時は期待出来そうだと思ったんですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕は、あれれれ? パリじゃなかったの〜って(笑)。それにビデオからブローアップしたような画質の悪さが気になってねー(とほ)。

(ケイケイさん)
 感想にも書いたけど、ドラマ部分の手抜きは監督の意向というより、ビデオやDVDで売りたい東映の意向かなと思ったんですよ。

ヤマ(管理人)
 2をやろうというのは、確かにそうだったでしょうね。

(ケイケイさん)
 でもって、一流タレントの出ている高級AV扱いみたいな。もしそうなら同情します。

ヤマ(管理人)
 多分にそういうとこ、ありますよねー。ただ、メジャータレントの出演ではないAVなら、もっと劣悪なバッタモン的な手抜き作品であるか、あの程度じゃ生易しいと思われる凄まじいまでの過激さのなかでダイナミックに反応している女性をドキュメンタルに撮ったような作品になるでしょうから、こういう形での中途半端さは、やはりこのフレームでないと出来てこないものだとは思いますね(せやから、なんやって感じやけどね(笑)。)。
 石井隆の志という意味合いで、少し挑発的だなと感じられたのが、静子が夫隆義に電話で言った「先生の美術評論家としての力で池上の作品を芸術にしてちょうだい。権威ある先生がそう言えば、きっとそうなる。日本人なんてそんなものよ。」というような台詞でしたね。

(ケイケイさん)
 思いました!えらい皮肉言ってるなぁって。これは監督が言わせたと思う(笑)。

ヤマ(管理人)
 ですよねー(嬉)。ここだけは僕もニマって感じでしたね。映画でもゲージツ性がどうとかって話、よく出ますから、監督としては、一噛みしときたかったんでしょうねー(笑)。

(ケイケイさん)
 石井監督の映画はそんなに観ていないですけど、『ヌードの夜』が良かったかなぁ。あかんかったのは『死んでもいい』。永瀬正敏と室田日出男で悩むなんて、あんた、アホやろという個人的感想が大ですが(笑)。もちろん室田日出男です!

ヤマ(管理人)
 僕も共に観てますが、僕は『死んでもいい』のほうがよかったよーな記憶がうっすらと(笑)。

(ケイケイさん)
 ヤマさんの推薦作あります?

ヤマ(管理人)
 僕が観ている彼の監督作品で一番よかったのが『死んでもいい』なんで、もはや推薦作はなし、かと(笑)。


-------男根至上主義とは異なるはずのSM趣味-------

ヤマ(管理人)
 それはそうと、ケイケイさんの映画日記を読んで、いつものことながら鋭いなと感心したのが「しかし、この心の底には、男性の“男根至上主義”みたいなのがあるんじゃないでしょうか? おのがイチモツで愛した女を悦ばせられなくば男にあらず、みたいな呪縛が」テーマであって、決してSMがテーマではないと喝破しておいでのところですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 そうじゃないんですか?(笑)。宍戸錠みたいな美老人に「この年じゃ妻を悦ばすのは無理」としょっぱなに言わせたんで、加齢で出来なくなった男性の煩悩と苦悩がテーマだと、ずっと思って観ていました。エンケンは私と同じ年なんですが、今回若く見えました。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。ケイケイさんの御指摘のとおりでして、この映画は鬼六的似非SMでもモノホンSMものでもなく「加齢で出来なくなった男性の煩悩と苦悩がテーマ」の作品で、だからこそ、ケイケイさんが映画日記に「筋としては結構まともで」と書くような作品なのに、なんか異端のSMものであるかのような売りがされてるし、受け止め方がされているみたいだから、それってかなり違うよなーって、思いがあってね(笑)。

(ケイケイさん)
 SM抜きでファックシーン多用して撮ればいいのになぁと思いましたが。でもそれじゃ『花と蛇』ではないんか(笑)。

ヤマ(管理人)
 そのとおり(笑)。でも、今のでも既に『花と蛇』じゃあ、ないんだけど(笑)。

(ケイケイさん)
 老人の性なら谷崎潤一郎の『鍵』とかありますよね。

ヤマ(管理人)
 市川崑(1959) 神代辰巳(1974) 木俣堯喬(1983) ティント・ブラス(1984) と、いくつも映画化されているようですね。

(ケイケイさん)
 友人でヘルパーさんをしている人がいるんですが、家事をしにいくと、いつも80前のおじいちゃんがお尻触るんですって。「お願いやからいっぺんさせてくれ」と毎回言うらしいです(笑)。「出来もせんのに、ええカッコしな。」と友人が言うと、ひょひょひょと喜ぶんだそう(笑)。友人いわく、「本当にしたいのじゃなく、色っぽい会話がしたいねん。男の人はいくつになってもそうや。」とすっごい包容力なんです。これが若い子だと激怒するらしいです。それか変態扱い(笑)。まぁおじいちゃんたちも気後れして、若い子にはあまり言わないらしいですけど。

ヤマ(管理人)
 ええ話やな〜。「本当にしたいのじゃなく、色っぽい会話がしたいねん。男の人はいくつになってもそうや。」っていうのは、ホンマそうやよ〜(感心)。女の人のこういう「すっごい包容力」って菩薩みたいでエェなぁ(笑)。

(ケイケイさん)
 私の仕事先でも、81のおじいちゃんが、来るたびに「今日も綺麗やな。」とか言いながら、毎回口説いてくれる人がいるんですよ(笑)。「いっつもはぐらかして、いつ一晩付き合ってくれるねん。」とかいわはるんですよ。私も友人を見習って楽しくお相手してますが(笑)。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんも菩薩や(喝采)。

(ケイケイさん)
 そういう枯れないおじいちゃんは元気ですよ。出来なくても桃色気分は寿命を長くするわけで(笑)。

ヤマ(管理人)
 ゼッタイそうやと思う。僕も見習いたいけど、面と向こうては、よう言わんやろなー(とほ)。

(ケイケイさん)
 このあたりの男性の性のことも意図的だったかなと。すっごい若い男に演じさせると、元気すぎて(笑)、生殖行為+ただの排泄行為っぽくなるし、エンケンくらいの年齢の方が、性の奥行きを表現出来るので、彼で良かったかなと思います。

ヤマ(管理人)
 SM趣味は男根至上主義とは違うのにという違和感は、最終的に解消されずに終わりましたが、それとは違って、途中で感じた違和感を最後にきちんと解消してくれたものもありました。あの絡みのシーンのせわしい変化の連続技も、マジックミラー越しの見せ物だったわけだから、池上が殊更に鏡に映る自分の目を視ろ!と静子に促したのが、隆義向けの“視線の演出”であり、挑発だったことが後から判りますよね。それを意識してなけりゃ、鏡に映った「目を視ろ!」なんて、交わっている当の相手の女性に言うとは思えませんよー。顔とか、姿とか、様とか、結合部とか、他に言いそうなことはあっても、目とは言わんだろーって思ってましたから、そーかそーかそういうことだったかと僕も「これはクリア」(笑)。

(ケイケイさん)
 「目とは言わんだろー」というのは男の人のご意見ですね。そこまで気がまわりませんでした。

ヤマ(管理人)
 あは、それは、それは(苦笑)。それと、これは映画的制約からもやむなきことで、この手の映画のお約束事というものではあれ、あの鏡の前での白褌赤褌の付け外しは、それを股縄的な嬲りに使う演出を添えなければ、なんか取って付けたようですし、何よりも褌で覆った状態での大股開きを鏡に映したり、覗き込んだりして「丸見えだ」などと言う台詞は、なんかヘンでしたねぇ(笑)。

(ケイケイさん)
 私はちょっと見えたのかと思ってました(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも、ブラックマーケットでは、照明を強く当てて眩しくて見えない形にしてましたね。現場的にはナマ露出だったのかしらとも思えるショットもあって、それには感嘆(笑)。

(ケイケイさん)
 これ、いっしょに観た友人とすっごくびっくりしたんです! 前張りなしですよね? ヘアは写ってたんだから。ということは、杉本彩は丸出しで頑張ったってことですよね。う〜ん、男気がある(笑)。

ヤマ(管理人)
 その気合いがなぜに画面に作品として宿らないのか!(喝)
 こりゃ、やっぱ監督の責任だよねー。前作には、その彩さんの気合いが画面に宿ってたんですよ。
 で、ケイケイさん御指摘の“男根至上主義の呪縛”に話を戻すと、加虐趣味であれ被虐趣味であれ、SMそれ自体を性倒錯として発現させていれば、おっしゃるところの至上主義たる男根は、もはや不要となるはずなんですよね〜。さればこそのSMなんですから。

(ケイケイさん)
 そうなんですよ! だから夫にはSMの趣味なんてなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 ですね。求めていたのは、淫らに乱れる妻の肢体と表情であって、それを引き出せる可能性がSMプレイにあるのなら、「おのがイチモツで愛した女を悦ばせられな」い以上、手段は厭わないという感じで、SM行為自体への執心は、ほぼゼロに近い感じでしたよね。

(ケイケイさん)
 あの春画を信じ込んだ間抜けさも哀れですよ(宍戸錠がカッコ良かったので点が甘い)。

ヤマ(管理人)
 それだけ絵に力があったということなんですよ、やっぱ(笑)。なんせ大家が渾身の想いを込めた畢生の稀覯画なんですから(笑)。たとえ「もし」であっても、あの清楚で美しい妻のこの表情が、生き姿として観られるのならばってなくらいに魅入られたってことでしょ。哀れと言えば哀れかもしれませんが、圧倒的な絵の力の前に、間抜けはチト酷かな〜(笑)。

(ケイケイさん)
 けど、ブラックマーケットのシーンでも、「えらいことになってしもた・・・」みたいな狼狽が、仮面の下にありありでしたもん。

ヤマ(管理人)
 まぁね(笑)。でも一応、映画の筋的には、想像もできなかったはずの妻の“露わにされた本性”得てして人は秘められていた側のものを本性だとか真実だという受け止め方をして得心しがちなものですが、表に出ているものが偽りで裏にあるものが「本性」だと称するのは甚だ不適切だと、何事であれ、僕は思うのですがね(笑)。それにあの展開では、露わにされたのは単に静子の秘所だけであって、別段、何の本性も露わにされたようには見えないのがトホホなんですけど(笑)。→(ケイケイさん)それは思った!ヤマさんが露出狂と仰るのは納得してます。→ヤマ(管理人)静子の露わになった性癖ってそれだけでしたよね(笑)。の凄まじさに圧倒され、たじろぎを見せているということであって、特に事態の展開に周章狼狽しているというのがメインではなかったはずですが、そんなふうにも見えましたか(笑)。なるほどね、でも、そう受け取るほうが却って味も出ますし、その後への繋がりも多少滑らかさが加わりますね(感心)。

(ケイケイさん)
 金髪のかつらに口紅の女装ですよ! もう可哀相で、あの旦那さん。

ヤマ(管理人)
 いろんな性倒錯のアイテムをとにかく画面にちりばめて妖しげにしたいってだけのことでしたでしょうからね、作り手的には、きっと(笑)。


-------『クローサー』への飛び火-------

(ケイケイさん)
 でも男性ってこだわりますよね。今日観た『クローサー』でも、妻の浮気を告白された男が、「俺とどっちが良かったんだ!」と叫んでました(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕はまだ観てませんが、ちょっと興味アリってとこですね、予告観て(笑)。
 それにしても、女性から浮気を告白されたとき、男が「何故」を問うよりも「どっちが」に拘ってしまいがちなさまというのは、女性からすれば、失望いや増すパートナーの無様で滑稽な姿でしょうね。

(ケイケイさん)
 そういう対応を女性にされています。映画はイマイチ。なんか幼稚だったですねぇ、私には。

ヤマ(管理人)
 でも、セックスに話を局限しなければ、「なぜ」以上に「どっちが」に拘りがちなのは、僕はむしろ女性のほうだという印象を持ってますよ。女はすぐにどっちがってことを問題にしたがるものだって思ってます(笑)。(「仕事と私とどっちが?」ってのは実に古典的でもありますが。

(ケイケイさん)
 お姑さんと私、というのも昔々はありましたよね(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうそう!(笑) だから、「どっちの料理が」ってなバラエティのショー番組が人気なんでしょうし、店にしても、タレントにしても、食べ物にしても、「どっちでもいい」とか「どっちもいい」とか言うのをあまりよしとはしないのは、女性的感性だという気がしてなりませぬ。

(ケイケイさん)
 うちの旦那、「どっちでもいい」やわ。男性的ってことでしょうか?(笑)
 そういえば息子たちも何事にも「どっちでもいい」ですねぇ。育て方はOKやったんでしょうか?(笑)

ヤマ(管理人)
 おっとこらしいやないですか! ケイケイさんちの男連。細かいとこや競りようのないとこ競るのは、あきまへんで、やっぱ(笑)。そういう意味での昨今の男の女性化というものには、実に驚くべきものがありますが(笑)。ま、時代そのものが女性的感性に傾き、媚びているとさえ思える状況にありますからね。でも、その一方で、実は女性たちから恐ろしいほどに女性的感性が失せていってますよね。「そんなこと、どっちだっていいじゃない」ってな台詞が、むしろ男よりも女性のものとなってきている感が、近頃はありますよねー。

(ケイケイさん)
 女性たちから恐ろしいほどに女性的感性が失せていってるというのは、上に書いたAVの件もそうですよね。でもたしなみとか慎みって美しくありません? 男を立てるとか、そういう感覚はもう絶滅したんでしょうか? 

ヤマ(管理人)
 うちも、そういう点ではケイケイさん同様レッドデータブック搭載組かも(笑)。

(ケイケイさん)
 「わぁーすごーい、やっぱり男の人は違うわー」っておだてて木に登ってもらったら楽でいいと思うけどなぁ。あっ、すみません(笑)。心は対等でも、表向き上下があるというか、女は負けて勝つのが賢いと思うんですけどね。

ヤマ(管理人)
 よぅやられてますがな(苦笑)。そうそう、クローサー観てきましたよ。ちょうど招待券を二枚貰ったんで、うちの奥さんと観たんだけど、僕にはちょっと不愉快な映画でしたねぇ。まぁ、愚かさを誇張して際立たせてるんでしょうが、それならもそっと戯画化しないと、ねー。
 リアルじゃないくせにヘンに生々しいから、妙に不愉快にさせられるんですよね。でも、欺きと疑いってとこで、ちょっと興味深い指摘というか対照があって、そこんとこは刺激的だったんですけどね。


----SM趣味ではなく、露出趣味と“いいわけ”の映画だった『花と蛇2』----

ヤマ(管理人)
 映画を観ても、若き妻静子に対していたぶりを仕掛ける夫隆義にサディストの様相は皆無で、むしろ御指摘のとおり「とても自虐的です。ほとんど精神的Mの感じ」ですよね(笑)。苦悶し、責めに耐える妻の姿を見て愉悦に浸っている様子はありませんでした。静子にしても、ケイケイさんが「これもクリア」と解している顛末においては、その性的好奇心や欲求が、画壇の長老が見抜いたとおりに反映されていたわけですが、それって別にM性ということではありませんでしたよね。
 ブラックマーケットで夫の仕組んだ嬲り責めに晒されても、ひたすら耐え頑張っている感じで、愉悦に浸るわけでも、とことん恥辱に震えているわけでもなくて実に感興乏しく、とてもM性の目覚めを感じさせるような風情は漂ってませんでした。前作の日誌に綴った鬼六的似非SMの点でも、被虐趣味としてのマゾヒズムの点でも。
 いわゆる性倒錯的趣味として画面に色濃く宿っていたのは、静子の場合、露出趣味でしたね(笑)。ホントにもう裸体を晒すことへの躊躇いの乏しさには感心させられましたよ(笑)。

(ケイケイさん)
 私はSMって全然わからないのですが、これは同感です。何と言うか、もっと恥ずかしがらな、あかんのじゃないかと思っていました(笑)。

ヤマ(管理人)
 鬼六的似非SMの、そこはもう醍醐味ですからね〜(笑)。嫌がるだけじゃダメなんですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 その中にチラッと快感みたいなのが見えるのがいいんでしょう?

ヤマ(管理人)
 チラっとじゃあ、ありませんよ(笑)。凄絶なまでの官能の嵐に翻弄されなければいけませんって。
 しかも、それを気取られ晒してしまうことへの羞恥で、心[誇り]が身体[官能]と闘い続けながら、次第に身体[官能]に負けていく姿に、気品が漂い続けてなければアカンのですわ(そんな無茶なって言わんといてね(笑)。)。

(ケイケイさん)
 ただあのオークションの場面、本物の縄縛師(これで字はいいのだろうか?)の人が出ていたでしょう? 瞬間画面がエロエロになった気がしました。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、そうでしたか。妖しさを体現してましたか(笑)。僕は、もうその頃は随分弛緩しながら観てたようですね(苦笑)。格別それも気取れずにいましたよ(たは)。字については、縄縛師という書き方を僕はあまり見かけたことなく、縄師とか緊縛師とかいう字面のほうが多いような気がしますね。

(ケイケイさん)
 エンケンが縛って言葉でいたぶって調教してても、ちょっと失笑ものだったのが、この人が同じことをしてたら、観ていて緊張しました。やっぱ餅は餅屋(笑)。

ヤマ(管理人)
 何事であれ、そういうもんですよね。まして池上自身は、己が趣味でやってることではなく、パトロンの隆義に命じられてしていたことなんですからね。
 静子の露出趣味に話を戻すと、彼女が屋上で踊り晒す姿には、むしろ誇らしさを感じましたよね〜。ケイケイさんがお書きの「裸・裸・裸!!!」は、おっしゃるように「綺麗なので構いませんが。」(笑)。そして、おっしゃるように、まさしく「実際エレガントな服を身にまとう彼女より、裸姿が一番美しく感じます」ね。
 ところで、そういう静子なればこそ、ケイケイさんが「これもクリア」とお書きの、池上との顛末を迎える前に、夫の隆義から自分の観ているところで自慰姿を晒すことを求められた時点で、おずおずと応じちゃうほうが静子的にはむしろ自然な気がしませんでしたか?(笑) 映画ではその時には、応じなかったわけですが、その時点だって「愛する夫のためなのよ!という“いいわけ”が出来るので、これもクリア」ということにして、秘めていた「心の底の淫乱さ」を開放しちゃうことができるわけでしょ?(笑) 妻としては、どうなんでしょう? 

(ケイケイさん)
 いや〜あれは、淫乱が寝てたのを表現するためなんじゃないですか(笑)?
 後での夫との場面では、自分でしてはったでしょう? 映画的筋として、性的な成長をラストで表現するために、最初は断ったかと。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。ブラックマーケットでの体験が静子にとって性的成長に繋がる感じは、僕にはあまり伝わってきませんでしたが、映画的筋としては、まさにそうでしたよね。であればこそ、性的成長体験を何ら経てない段階での、夫の前では断りつつ池上に対してはあっさり裸体を見せ縛られもするという違いが、自身に対し「“いいわけ”が出来る」か否かだけでは説明がつかないとこだったりします(笑)。

(ケイケイさん)
 最初の出会いで押し倒されたところがポイントだったんじゃないですか? それこそ寝た子を起こされたというか。普通さっさと見切りを付けるはずなのに、明日まで待つっていうでしょう? 今まで性的に不満なのは押し殺してたんじゃないですか? 一瞬で火がつくことはありだと思いますよ。杉本彩だし(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほど。実際に押し倒されるという「行動の持つインパクト」が点火したとな。うーん、「これは女の人のご意見ですね。そこまで気がまわりませんでした」(笑)。
 もし“いいわけ”の成否だけが決め手なら、応える相手が池上である必要はなく、自身の性的好奇心を夫との間で開放してみてもいいのではないかということになるのですが、あれは相手が夫ではなかったからこそという部分があることが前提にある作りだったので、そのへんは、妻としてどうなんでしょうねと御見解をお訊ねしたのでしたが、「押し倒し」がポイントでしたか(あは)。

(ケイケイさん)
 単純に「押し倒し」だけではなく、夫でないというところに、女の性の複雑さを私は感じたのですが。

ヤマ(管理人)
 それにしても、男の視線を感じながら自分でするっていうのは、どういう感じなんでしょうね。それって、やっぱ性的成長だと思われます?(笑)

(ケイケイさん)
 う〜ん、どうなんでしょう?サービス精神?(笑)。

ヤマ(管理人)
 顕在化した露出癖か、でなけりゃ、サービス精神ですよね〜(笑)。いずれにしても、性的成長とは少々違うと僕は思ったのでした。前者なら、成長でなく顕在化に過ぎず、後者なら、成長ではあっても性的とは異なる部分だよね(笑)。

(ケイケイさん)
 それとラストはバイアグラを使って命がけのセックスですよね? 多分妻のマスターベーションだけでは、戦闘状態にはならなかったと推測されます(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうですね。その推測は、きっと正しいだろうと思います(笑)。でも、隆義が静子に自慰姿を見せることを求めたのは、老大家の絵に触発された“妻の官能に陶酔した表情を観てみたかった”という想いに理由があるので、とりあえずそれで自分が臨戦状態になれるか否かはともかく、妻が応えてくれるか否かがさしあたっての問題だったろうと思いますよ。つまり、妻の手淫姿を観ることの目的は自身の勃起にあるのではなく、老大家の絵によって触発された“妻の本性”の確認にあったと思われます。

(ケイケイさん)
 なるほど。そんなことまでは頭がまわりませんでした。

ヤマ(管理人)
 ま、頭をまわすような映画でもありませんし(笑)。同じく“いいわけ”が成立するとしても、秘め抑圧していた欲求を開放するのは、夫に対してよりも、「ヨソの男の前」のほうがしやすいものだとお考えになりますか?

(ケイケイさん)
 静子が夫を愛していたのは本当だし、貞淑な妻と観てもらいたいと思う気持ちが強かったと思います。

ヤマ(管理人)
 ふむ、この場合の貞淑というのは、セックスそのものに対してってことですよね。でも、貞淑というのは貞操すなわち異性関係に対してのものだから、貞淑な妻と観られたいというのとは矛盾しないはずなんですけどね〜(笑)。むしろ、この場合だと夫の求めがあるのだから、献身ですらあるわけで(笑)。

(ケイケイさん)
 そういう意味では「パリ」という外国は、夫の目が遠いので開放感を煽ったかもですね。

ヤマ(管理人)
 「ヨソの男」+「ヨソの土地」効果ですか。つまり日常性からの離脱ってことですね。

(ケイケイさん)
 男性は玄人の女の人には、妻には出来ないことを色々要求するというでしょう?

ヤマ(管理人)
 これもやはり日常性との問題なんですよね。

(ケイケイさん)
 まだまだ自分が性欲があるとは、愛する人には言えない女性も多いと思います。

ヤマ(管理人)
 昨今は随分違っても来ているようですけどね。でも、いまの若い子でも昔気質のも随分いるようで、何事もそうなんですが、二極分化が激しくなってきてますよね。

(ケイケイさん)
 私はいまどきの若い子みたいに、真昼間から「私はスケベよ!」と叫んでいるのは好きじゃないです。夫の前では昼は貴婦人、夜は娼婦というのが一番かとは思います(笑)。

ヤマ(管理人)
 それは、ホントそうなんですよ。貴婦人&娼婦を実践できてたら、そりゃもう最高の妻と言えますヨ。ケイケイさんは何割方やれてんですかねぇ(笑)。さすがにパーフェクトではあらへんやろからね(笑)。

(ケイケイさん)
 ははは、それは旦那に聞いてもらわんと(笑)。

ヤマ(管理人)
 確かに。自己採点できるものじゃないですわな(失敬)。
 でもまぁ、心掛けてるだけでも立派なもんやわ(ホンマ)。


-------もしかして“妻の鏡”たる映画だったのか?-------

(ケイケイさん)
 でもねぇ、私は、自分にあんなことをした夫を泣いてかばった静子に、ちょっと感動したんです。夫の哀しさを理解したんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 あぁ、ええ鑑賞者やなぁ〜。男の哀しみに及ぶ想像力の豊かさが優しさですね(感心)。

(ケイケイさん)
 これでこそ妻と思いました。私がこの映画をそんなに際物とおもわなかったのは、このシーンのせいですね。

ヤマ(管理人)
 若い女性だと、きっと、取って付けたような或いは御都合主義みたいな印象を持つシーンだったんじゃないのかな〜と思うのですが、大したものですよ、ケイケイさん。男の僕からすると、そう素直に手前味噌にも出来ず、いささか苦笑…みたいな感じのシーンでしたけどね(笑)。

(ケイケイさん)
 やっぱりこれは愛ですよ、愛。最後の結論も『アイズ・ワイド・シャット』と同じ。最初と最後では夫婦の営みがガラっと違うのは、“秘め抑圧していた欲求”は、他人でなく夫婦で解消するということかなと思いました。実際大切なことですよ。

ヤマ(管理人)
 そうですね、実践に相務めたいところですよね。じゃが、解消となると一方性では無論不可能だし、折り合わせていくなかでの現実問題としては結構むずかしいとこあるし、そもそも求めるものが「非日常性のときめき」であれば、いかに奇抜なことを持ち込んだところで、持ち込んだ先が日常世界なれば、“非日常”が追って瞬く間に日常性を帯びてくるとともに、ときめきの輝きを失っていって、新奇性追求の底なし連鎖のなかで、過激化と慣れの蟻地獄に嵌りそうですよね(笑)。
 他方、求めるものが「日常性の慈しみ」であれば、何もこれは秘め抑圧するようなことではなく、いかに奇抜なことであれ、それによって親和性を増すことはあっても、倦みはしないでしょうが、奇抜なことを「日常性の慈しみ」として共有するのは「非日常性のときめき」として取り入れることの何倍もむずかしいことですよね(笑)。
 だいたいが、えてして求めているもの自体が「非日常性のときめき」のほうだったりするだけに余計のこと、むずかしいんだろうなと思ったりしますね。

(ケイケイさん)
 一つだけ謎があるんですが、池上の妹、あれ本当に妹なんやったんでしょうか? そしたら近親相姦ですよね? でも全然筋に絡むわけじゃないし、単に恋人で良かったのではなかろうか?

ヤマ(管理人)
 ごもっとも、ごもっとも(笑)。まぁ、隆義の女装と同様に、性倒錯の見本市的な陳列ってなとこじゃなかったんでしょうかね(笑)。あるいは、ブラックマーケットのなかでの展開までもが全て隆義の仕組んだシナリオで動いていたわけですから、隆義が池上の妹役として配役しただけの女性だったのかも、ですが(笑)。

(ケイケイさん)
 ラストでも「モデルは妹です」って言ってましたね。嘘を通す気なんでしょうか?(笑)。

ヤマ(管理人)
 展覧会場でしたから、嘘をつく必要はないですね、確かに。隆義も既に故人だったし(笑)。まぁ、取材陣の意表は突けるかもしれませんが。

(ケイケイさん)
 ラストシーンで杉本彩が丸裸になるシーンは、正直爆笑もんでした。

ヤマ(管理人)
 僕は、これを観ていたばっかりに数日後に観たシェークスピア劇『冬物語で、エライ目に遭いましたよ(笑)。

(ケイケイさん)
 とこんなところで(^^)。ではでは。

ヤマ(管理人)
 ええ、ええ、どうもありがとうございました。
by ヤマ(編集採録)

'05. 5.23. あたご劇場
      



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