『恋愛適齢期』をめぐって | |
(たまさん) (TAOさん) (タンミノワさん) (グロリアさん) ヤマ(管理人) |
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◎掲示板(No.4315 2004/04/10 19:59)から
(たまさん) こんにちは。今日、『恋愛適齢期』を見てきました。 ヤマ(管理人) ようこそ、たまさん。当地では、今日は割引日ですもんねー。 (たまさん) 主人公と年齢が近いので、期待して見に行きました。なんせ、相手役の役者が二人とも素敵ですもんね。だけど、私にはまったく分からない無縁の世界でした。 ヤマ(管理人) ま、彼らは独身で、金持ちで、創造的分野に職を得て、おまけに才能もあって、言うなれば、社会的成功者で、確かに我々とは無縁の世界の住人ではありますね(苦笑)。けど、全てを備えているようでいて、実は社会的成功でも保証されないままならぬものがあって、そこにおいては、住む世界の違いを超えた普遍性があるという気がしました。 むしろ、作り手は敢えて、他の全てに不足がない人々を主人公に担ぎ出すことで、そのことを浮き彫りにしてたんでしょうね。 (たまさん) 私は「ふうん。世の中にはそういう人もいるんだ。」という感じでした。それよりも予告編で見た、『ゴッド・ディーバ』の方が面白そうでそちらに興味を惹かれました。見に行くぞ〜。 ヤマ(管理人) でも、けっこう口コミでか客足が伸びたみたいで、『恋愛適齢期』は上映期間が当初予定より一週間延びたんだそうですよ。『ゴッド・ディーバ』もご覧になったら、またお立ち寄りください。今日は、どうもありがとうございました。 (TAOさん) ヤマさん、こんにちは。 ヤマ(管理人) ようこそ、TAOさん。 (TAOさん) 『恋愛適齢期』って、とてもいい邦題ですよね。 ヤマ(管理人) 『恋愛小説家』のノリでつけたのかもしれませんが、期せずして当意即妙の趣きありって感じになりましたね。 (TAOさん) 避妊は不要だし、老眼で相手のアラも見えない、というだけでなく(笑)、“性の歓びに留まらない生の悦び”に気づける年齢だという意味で。 ヤマ(管理人) 避妊不要と老眼メリットには、笑えましたよねー、そうくるかって(笑)。 (TAOさん) しかも、ともすれば面はゆくなりがちなテーマをコメディで軽やかに見せてくれるところがよかったなあ。 ヤマ(管理人) ここんとこが巧いですよね。『ハート・オブ・ウーマン』でも感じたのですが、しなやかですね。 (TAOさん) なにはともあれ、ヤマさんらしい鑑賞日記、堪能しました。今後、“男の鈍感さ”については、“メカニズムの違い”と理解を示したいものです(笑)。 ヤマ(管理人) 僕らしいって、言い訳がましいってことですかね(笑)。まぁ、「たいものです」と男側の言い分を立ててくださり、感謝感謝(笑)。 (TAOさん) 『デブラ・ウインガーを探して』のなかで、若くない女優には仕事がない、とぼやいてるハリウッドの女優たちが、私には文字どおり「負け犬の遠吠え」に思えてつらかったのですが、… ヤマ(管理人) 根こそぎ奪われちゃ、それこそたまんないから、せめてもの立つ瀬であり、現にその指摘が決して故なしではない現実があってのことですから、ある意味、個々人に対しては余計に気の毒というか、つらいとこありますよね。若くなくても引く手あまたの女優さんが何人もおいでるんですからね。 (TAOさん) 例外的に魅力的だったのが、フランシス・マクドーマンドやホリー・ハンターでした。あ、フランシス・マクドーマンドも妹役で出てましたね。 ヤマ(管理人) ともに存在感あふれる女優さんですよね。 (TAOさん) 『恋愛適齢期』をコメディとして軽やかに見せてくれたおかげで、中高年女に必要なのは無理な若作りではなく、ユーモアだ!と思ったんですが、… ヤマ(管理人) それとねぇ、やっぱ器量を形作る度量ですよ。むろん女性に限った話じゃないんですが、拙日誌にも綴ったような知性と素直な感情を豊かに育て上げている大人の魅力が、確かなセルフ・コントロールによる節度でもって活発に表現されている姿は、若者にはなかなか真似のできないものですよね。 (TAOさん) この映画のダイアン・キートンを見て、ますますその感を強くしました。 ヤマ(管理人) 決して自罰的でも攻撃的でもなく、器量豊かでした。動じない大きさよりも、こういう豊かさのほうが魅力ですよね。ハリーへの当てこすり方なんて絶品ですよね、ちゃっかり飯の種にまでしちゃって(笑)。 (タンミノワさん) ヤマさん こんにちわ。 ヤマ(管理人) ようこそ、タンタンミノワワさん。 (タンミノワさん) 『恋愛適齢期』拝読。 ヤマ(管理人) ありがとうございます。 (タンミノワさん) この映画、ヤマさんベタ褒めですね〜。 ヤマ(管理人) そうですか(笑)。まぁ、『ミスター・グッドバーを探して』の頃から、ダイアン・キートンに惹かれてましたからね。 (タンミノワさん) 素敵な映画なんでしょうね。先日『殺人の追憶』を見てきまして、素晴らしかったのですが、… ヤマ(管理人) これ、とっても評判がいいみたいですね。こちらではまだ上映予定が見えてきてませんが(とほ)。 (タンミノワさん) 次は『恋愛適齢期』見に行って勢いづいてやろうと思ってます。 ヤマ(管理人) どんなふうに感じられたか、また教えてくださいな。 (タンミノワさん) TAOさま、中高年女の武器はユーモアですか〜。 確かに、自分への客観性をまろやかに表現できないと、中高年の恋愛では痛い女になってしまいそうですね〜。何といいますか、やはり若い頃におざなりなっててもオッケーな事柄は、年とってから真価が問われる感じがします。 ヤマ(管理人) これは何も女性に限った話じゃないですよね〜。誰しも我が身を振り返ると忸怩たるもの抜きにはいられないことですが(苦笑)。 (グロリアさん) ヤマさん、タンミノワさん、こんばんわ。 ヤマ(管理人) ようこそ、グロリアさん。 (グロリアさん) 『恋愛適齢期』、わたしも観たいなぁ、まだ早すぎるとはいえ、ミドル〜シルバー世代の恋愛に明るいお手本像をみつけたいし(笑)。 ヤマ(管理人) ぜひぜひ。御覧になったら、また感想をお聞かせください。 (タンミノワさん) 見てきましたよ〜『恋愛適齢期』。 中年女性でいっぱいの劇場にて鑑賞してきましたよ。 ヤマ(管理人) おおー、ご覧になってきましたか。そちらでも中年女性でいっぱいだったんですね(笑)。 (タンミノワさん) よかったですねえ。見ている間中、私ずっと微笑みを浮かべてたぐらい、微笑ましい映画というか。 ヤマ(管理人) コメディ仕立てがうまく効いて、こういう味に仕上がってますよねー。 (タンミノワさん) まさに「恋愛することは動揺することなり」って感じで。 ヤマ(管理人) その点、僕は動じないタイプだと見られがちだから、恋愛にも縁がないだろうって?(苦笑) ふむ、数的にはやっぱ少ないかもしれませんねぇ(とほ)。 (タンミノワさん) 恋愛中ってみっともないもんですよねえ。すっかり冷静さを失っちゃって(笑)。 ヤマ(管理人) この辺には、老いも若きも相共通するものがありますね。 でも、その動揺にまんま振り回されてしまう度合いにおいて、やはり年季者と未熟者の違いがあって、単に年齢を重ねているだけではない年季を過ごしていることが窺える彼らは、やっぱり魅力的でしたね。 (タンミノワさん) 思うところは多々ある映画ですけど、ヤマさん同様、これを見て日本の中高年女性は何を思うのだろう、て思いましたね。 ヤマ(管理人) むしろ同性だけに、僕以上に関心おありでしょうね。 -------恋愛適齢期であることの理由------- (タンミノワさん) この映画を見ると、若い頃の、生殖とか、性衝動とかから来る恋愛というモノと、壮年からの年齢というのは、かなり別モノで、どちらかというと純度の高さにおいては、壮年期の方が恋愛に適しているのかな、という気もしました。 ヤマ(管理人) そうでしたか。「かなり別モノ」恋愛とお感じになりましたか。 僕は、逆に初老期の恋愛においてなおセックスの及ぼす力の大きさを、単なる性欲や性衝動の充足とは異なる形でキチンと描いていたところに、非常に好感を抱きましたよ。若いときの恋愛だって、単に性欲や性衝動の充足を求めているわけではありませんが、その充足の与える力と効果は大きいですよね。 (タンミノワさん) 確かにSEXのことをぼやかすのでなく、しっかり描いていた点が画期的ですよね。この映画。 私は、若い頃の恋愛というのは、家族形成だとか生殖だとかいうベクトルがどうしても強く出てしまうので、例えば、相手の経済力だとか、条件とか、本来オスとメスの呼び合いといった意味の恋愛とは違う要素というのがあると思うんです。つまり、結婚というビジネスと深く絡んでいるので、どこからどこまでが純度の高い恋愛かと言われるとようわからんわけで。 ヤマ(管理人) 女性の多くが、それゆえ恋愛と結婚を分けて考えるものだと聞かされてきたのですが(苦笑)、もちろん分けて考えられない人もいて当たり前で、そうすると恋愛そのものが恋愛純度が落ちてこざるを得ないってことなんですね。確かにエリカもジャックもそういう点での自立度なりは、人並み以上のところにありましたよね。 舞台装置的には、他の諸要素全てに不足のない状況にすることで、作品として純粋恋愛への問い掛けをしやすい形にしていたように思いますね。 (タンミノワさん) しかし、中高年とか壮年の恋愛は、今から子孫を残して養っていくとかそういう作業的なことから自由なので、よりオスメスとしてのじゃれあいを楽しむ相手としての意味が濃い、ということで純度が高そうだなあ、って思ったんですよね。 ヤマ(管理人) 高踏遊民って心境でじゃれあえればこそ純度の高い恋愛ができるゆえに、『恋愛適齢期』ってわけですか。なるほど、これは深いな(感心)。 原題の『Something's Gotta Give』にその邦題つけた担当者がそこまで考えていたようには思えないけど、避妊不要、老眼であらが見えないからっていう作中の弁よりも、本質的なところに迫った適齢期解釈かもしれませんね。 そのうえで、老年期だって本質的には“性欲や性衝動の充足の与える力”に大きな違いはないことを、それこそ、おっしゃるように「微笑ましく」捉えていたところがホントに素敵でしたね。 (タンミノワさん) こればっかりは、その年代になってみないとわからないんですけど。 ヤマ(管理人) さすがに僕も、エリカに十年近く及ばないわけですから、ジャックの六十代ってのは、心理的にかなり遠いです。彼が常用していたバイアグラってのも実物を見たことないし(笑)。タンミノワさんは、ジュリアン医師の頃合いだから、なおさら年代的な心境には距離感おありでしょうけどね。 -------今の日本で成立しにくい恋愛適齢期の世界------- (タンミノワさん) あと、日本という文化の中での中高年の恋愛とあちらの違いとかね。日本では、本当に成立しにくい世界だと思いますね。今は。将来はわかりませんけど。 ヤマ(管理人) なぜなんでしょう? タンミノワさんは、これだけアメリカナイズの進んでしまった日本において、日米の何の違いで成立しにくいとお感じなんでしょうねぇ。銃の氾濫の違いとかってことはないですよね、よもや(笑)。 (タンミノワさん) ダイアンがデートできれいなドレスを着てた時に、キアヌがちゃんとエスコートするでしょう? ああいうエスコート文化みたいなのがまずは日本にはない。 (TAOさん) あ、なるほどねえ。 ヤマ(管理人) この際、僕もこれは日本の「文化」のせいってのに便乗、便乗(笑)。 (タンミノワさん) 私の母親くらいの人がキレイなドレスを着てデートに現れたとして、それに対して「キレイだよ」なんて言える初老の素敵な紳士は今の日本にいないし、いても、ものすごい稀少なわけでまずめぐりあえない。恋愛は、もちろん受け皿がないと成立しないので、女性がいくら恋愛能力を進化させることができても、受け皿となる男性が同世代にも上にも下にもいないのが今の中高年女性なんだと思います。 だから、ファンタジーに走って韓国スターを見に、何千人も空港へ押しかける。 ヤマ(管理人) 「ああいう絵に描いたような素敵な恋愛じゃないと私、したくないってゆうか、できないからね」ってのが、タンタンミノワワさんの母親世代の女性たちの真情なんでしょうかね? なんかファンタジーに走る前から、それ自体が浮世離れしてるって気もするんですが(苦笑)。 (タンミノワさん) 何だか私が中高年女性をウォッチしてておぼろげに感じるのは、彼女たちは、自分の今の生身の肉体と心で、恋愛をしたいと思ってるんではなくって、やっぱ擬似恋愛なんですよね。 ヤマ(管理人) 恋に恋する年頃を再び楽しんでいるってことですか。ふーむ、なるほど。失われた若さを取り戻す「形」として、あのころの気分の再燃というわけですか(苦笑)。でも、なんか懲りないっていうか、いつか白馬に乗った王子様がって夢みても現実に満たされることはきっとなかったろうと思うのに、再びそのパターンなんですか。黄金律なんですねぇ(しみじみ)。 (タンミノワさん) 想像の中では、若い頃の自分がいて、だからこそ相手も若い男性で。実際の生身の恋愛って、自分の年老いた肉体が存在するわけだから、難しいんでしょう。だから、ファンタジーの中でしか成立しないっていうか。 ヤマ(管理人) ま、ファンタジーかリアルかってことが重大なわけではないですから、ファンタジーであれ、それで何ら不足なく満たされるどころか、むしろそれこそが求めているものなのであれば、ファンタジーで充分なんでしょうね。 (タンミノワさん) 恋というのはいつだって、何歳だって、自分の体と心を使う力仕事なわけで、この映画のダイアン・キートンはその点、すごいです。きちんと自分の肉体も使ってるとこがすごいなあ、と。 ヤマ(管理人) すごいっていうか、それが得られたからこその溌剌だったんでしょうね。 恋というのは、やっぱりタンミノワさんのおっしゃるもののように僕も思いますから、うえに書いた中高年女性の疑似恋愛のファンタジー志向っていうのが、何処か嘘っぽく欺瞞性に満ちたもののように思えて哀れっぽい感じがしますねぇ。 (タンミノワさん) これも一つの背景としてあると思うのですが、私が恋愛適齢期の世界が今の日本で成立しにくいと思ったのは、率直に「じゃあ自分の母親世代の人が同世代と恋愛できるか?するか?」と想像した時、しにくいんですよね。既婚者であるとかいう枠をとっぱらったとしても。 ヤマ(管理人) 女性をもてなす術を身につけた男がいない分、おしゃれな恋は成立しにくいってことですか。これはそうなんでしょうね。恋愛は成立しうると思うんですが、あんな絵に描いたようなおしゃれな恋愛なんて、世代の老若問わず、誰彼にできるものではなかろうって気もしますけどね(苦笑)。 (タンミノワさん) もちろん、映画は現実よりかなりキレイ目の仕上がりにはなってますから、あそこまでおしゃれさを期待しているわけではないでしょう。 ヤマ(管理人) ですよね。 “おしゃれな恋”を商品とする市場感覚で恋愛に臨んで、さまよっているということですかね。だとすると、あとは割引度の問題で、商談成立となるかならんかってとこですが、蚤の市レベルくらいの値引き交渉が可能なのか、IBMみたいなのかってとこ、前提として双方にある程度の共通認識がないと、値引き交渉自体が、交渉ではなくトラブルなり、喧嘩になっちゃいますよね〜(笑)。 (タンミノワさん) しかし、今はそういう事情かと思いますけど、20年後ぐらい、つまり今激増してる30代シングルのいわゆる「負け犬層」(自分含む)の人たちが、いわゆる恋愛適齢期を迎えた時、どうなってるんだろう、って思うんですよね。私は。 ヤマ(管理人) 今の三十代から下の日本人男性たちは、そのエスコート文化を身につけつつあるとの希望もなくはないってことですか(ふーむ)。まぁ、いわゆるマニュアル世代の走りですから、マナーとしての技術は、ある意味、我々よりも立派に身につけるかもしれませんね。そーか、そういうとこが大事なんだな〜、女の人って(たはは)。僕なんかが御縁薄いのも宜なるかな、宜なるかな(苦笑)。 -------形から入りすぎる日本女性------- (TAOさん) 日本に恋愛適齢期の世界が成立しにくいのは、エスコート文化がないという指摘も含めてですが、日本の女性って形から入りすぎなんじゃないかなあ。 恋愛に対して、かくあるべきロマンティックな幻想をもちすぎ、というか。30代の既婚女性が体形の崩れを嘆くときによく「この身体では不倫もできない」って言うんですよ。30代でそれだから、40代、50代ともなると、たとえエスコートされる機会があっても、着ていくドレスがないとか言いそう(笑)。 (タンミノワさん) 今発売の週刊文春で、作家の桐野夏生と、林真理子が対談してて面白かったんですけど、二人とも、「男性作家が女性を描くと、そこには絶対にきゃしゃな女しか描かれない。骨太で、ごつい女なんか登場しない」って話してました。男性作家はかように女性に幻想を抱きすぎてる、と。 ヤマ(管理人) 幻想を抱いてるってのは多分にあることですが、結構ふくよかさを描いていること多い気もするけどな〜(苦笑)。骨太でごつい感じの『シカゴ』のキャサリン・ゼタ・ジョーンズに痺れたっていう男もたくさんいたように思うし、彼女ら二人のほうが少々過敏になって被害妄想を抱きすぎているって感じしますけどね(笑)。 (タンミノワさん) 二人の女性作家と同じく私も、男性って女性に過剰に幻想を抱いてると思うし、女性もその幻想を当然として歴史的に受け入れてきた。でもって、女性も男性に対してそれをやっている。 ヤマ(管理人) それはそうですね。 (タンミノワさん) お互いに実体ではなく、幻想に恋する、というような。男性の場合は、恋愛に幻想を抱くというより、女性に幻想を抱くんだけど、女性は恋愛そのものに幻想を抱く?感じがします。 ヤマ(管理人) そういう側面があるゆえにこそ、検証意欲というか、実体を確かめてみたくなるとしたもんでしょう? そこが恋の熱情というものなんであって、幻想で完結させちゃあ、対象が異性そのものであろうが、恋愛ってことであろうが、いささか哀れっぽいというか不健全な感じがするんですよね。『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも検証の大事さ訴えてたでしょ(笑)。 (タンミノワさん) って私も頭でっかちな妄想タイプですが(笑)。 (TAOさん) さきほど、恋愛と体形に対する幻想への囚われの話をしましたが、20年後の50代はがんばってダイエットしてるでしょうから、その点は大丈夫。問題は受け皿か。たぶん外国人をターゲットにしてるのでは(笑)。今でも外国語学校の外国人講師はモテるそうですよ。 (タンミノワさん) やはりその市場へいきますか〜。 私の友人で、一度アメリカ人女性とつきあって、エスコート文化を鍛えられた男性がいるんですが、その後は日本人女性に非常にモテるようになったそうです。 ヤマ(管理人) 実証されたリーサル・ウェポンなんですね、エスコート術って(笑)。まぁ、そりゃ、そうなんでしょうね〜。 (タンミノワさん) 本人いわく「自分は隙間産業だ」(笑)だそうですが。 ヤマ(管理人) 身につけることが当たり前になってる時代の前で、個人的には助かったような気も(苦笑)。 (タンミノワさん) 身に付けるって言っても別に外国語を習得するようにするわけではないですから(笑)。意識を変えるだけですよ。女性に花を贈るのを恥じないとか。ってそれが難しいか。 ヤマ(管理人) そうですよ(笑)。それがイチバンむずかしいんですよ。覚えることや技能訓練することは、さほどでもなくとも、意識を変えるのは、変えてくれる何かとの出会いがなければ、なかなか叶わないとしたものですね。 (TAOさん) でも、松田聖子のファンがいまも大勢いることを思えば、日本女性の「恋愛適齢期」はまだまだ伸びるかも(笑)。 ヤマ(管理人) けどなぁ〜、聖子「ちゃん(!)」に品格は感じないよなぁ(苦笑)。 -------足を引っ張る同性の存在------- (TAOさん) 少し別な角度から考えてみたんですが、日本に恋愛適齢期の世界が成立しにくい理由の結論は、足を引っ張る同性が多いから、じゃないか、と(苦笑)。 ヤマ(管理人) なるほど。これって凄くあるような気がしますね。 なんていうのかなぁ、日本って他人目志向や同調志向の強い(かった?)とこだから、「大きなお世話」多かったですよね〜(苦笑)。しかも厚かましくも「小さな親切」の顔して現れるから余計にタチが悪い(笑)。過剰な他人目志向や同調志向であるがゆえに逆に易々と分断されて、いいように使われてしまうんですよね。 こういう姿を見てきた僕らの世代以下がシラケ世代とか言われるものになり、さらに僕らから見て世代的差異を感じる若者に、シラケをも通り越した極私的自己中世代みたいな印象を持たざるを得ない方向に進んできているように感じます。 (TAOさん) ところが、彼らはいじめ世代でもあるがゆえに、横並び志向がとても強いんです。上の世代に眉をひそめられるのは平気なんですが、仲間内において突出することに関しては本能的に忌避するところがありそうですよ。 ヤマ(管理人) 確かに、確かに。オリジナリティ希薄な感じしますよね。やっぱり他人目志向なんだ。疎外不安強いんですね〜。 (TAOさん) これは日本の男性のせい、だけではなくて、同性の間でも、歳をとっても女の部分を捨てない人がめざわりなのか、これみよがしにバッシングの対象にするわけですよ。良妻賢母の枠に自分を押し込んで頑張ってる人ほど、女を捨てない女に対する嫉妬がすごい、と思うな。 (タンミノワさん) それはあるでしょうね。うらやましい、と思う気持ちは憎しみになりますよね。 ヤマ(管理人) 妻ジョブと女ジョブとが相反するものなれば、間違いなくそうなるでしょうね。で、そう思っている人が多いってことなんでしょうね。 (TAOさん) あの黒木瞳にしたって、『略奪愛』の頃は人気がなく、結婚して子供を産み、私生活を安定させて、コミカルなCMにも出て、同性への脅威をなくすことで、奥様雑誌の表紙を飾れるようになったんですからねえ。 ヤマ(管理人) ん? もしかして女と妻とを峻別するものって、収まっているか収まってないかってことだけだったりするの? 彼女のパブイメージには、妻母になる前もなった後も、顕著に女を意識させるイメージが持続しているように思うけど、奥様支持っていうのは、何なんだろうなぁ(笑)??? (TAOさん) うふふ、自分の夫を略奪しない女ってことだと思いますが(笑)。 結婚して子育てをして守りに入ってる女は同志とみなすわけです。 ヤマ(管理人) 女房ヤくほど、亭主はモテずってなものが通り相場だろうと思うんですけど、略奪不安ってそんなに根深いのかしら(苦笑)。 (TAOさん) 妻が“女”を捨てていく日本に比べてアメリカの場合、女としての魅力がなくなれば、離婚されかねないわけだから、… ヤマ(管理人) 要は、日本では、結婚が「永久就職」を保証するビジネスみたいなものだったから、女を腐らせやすかったってことですか?(笑) (TAOさん) アメリカだと、ライバルとして競いこそすれ、ちがう意味で脚を引っぱることは少ないのではないかと思うんですよねえ。 ヤマ(管理人) なるほどねー。妻の座に揺るぎがなければ、浮気にも比較的には寛容な正妻文化っていうの、ありましたからねー。でも、それはそれで、全て妻たる女性を腐らせるのかって言えば、日誌にも綴った『西陣の姉妹』の染香と本妻お豊の妻妾間の分限に則った潔い交誼のありさまに、双方に女の品格が宿っていたように感じましたよ。それぞれ女の品格と妻の品格というのではなく、両者に女の品格というものを感じたような気がします。ま、今の時代に通用するようなことじゃ、無論ないんですけど。 (TAOさん) ええ、それってやっぱり緊張関係であり共犯関係じゃないですか。そうした環境のなかでは、女は腐らないと思いますよ。 ヤマ(管理人) ある種の緊張関係って日常性を共にする相手ほど必要ですよね。防腐剤として(笑)。 むかし何の因果か、三十代半ばで結婚式の来賓祝辞というのを頼まれ(友人の妹で職場がたまたま一時的に同じだったんですが)、『三月のライオン』という映画を引いて、映画日誌にも綴ってある「穏やかに永続する愛情を支えるのが関係性へのテンションの高さだという認識」に感銘を受けたとの話をしたことがあります。 映画では、それは老妻が長年冷蔵庫のなかに忍ばせてある瓶入りの毒薬で象徴されていたんですがね。 (TAOさん) それで言えば、昨年、恐るべき防腐措置を知りました。 中国の雲南地方に実際にあった制度で、妻妾同居ならぬ、通常の夫婦プラス妻の女性のパートナーが同居するというものです。 ヤマ(管理人) これは凄いですね。 実際にあった「事例」というのと「制度」では、ものすごく違いが大きいのですが、本当に「制度化」されてたんでしょうかね。でも、二者関係よりも三者関係のほうが緊張感を持たせやすいってのは、理に適ってますよね。 (TAOさん) 妻は2つの寝室を定期的に行き来することになり、女性二人の間には性的な関係もあるのですが、夫は妻のみとしか関係をもちません。 ヤマ(管理人) このへんが制度的担保に適うことなのかどうか怪しいんですよ(笑)。 個別事例としては、勿論あってもおかしくないことですがね。制度化する以上、妻のバイセク、下女(?)のレズ、夫の婚姻外交渉の禁がルール化されなければならないわけですよね。そんなことが可能なのかしら?(笑) (TAOさん) 私はこの制度をヒントに書かれた『雲南の花嫁』(村田喜代子著)という小説を読んだのですが、夫は女性二人の関係に妄想をかきたてられながら、常に新鮮な気分を味わえ、妻は妻で、単調でハードな労働を女二人でおしゃべりしながら楽しみ、かつ方向性の違う性生活によりリフレッシュされるという… ヤマ(管理人) ある意味、とっても合理的ですよね(笑)。ものすごく危うく厳しいルールのうえに砂上の楼閣のようにして築かれている合理性ですが、そのまま維持できて妄想も新鮮さも楽しみも保たれればって条件つきのものですよね。 (TAOさん) こんな方法もあったのかと目からウロコでした。 ヤマ(管理人) 男女二人の理想的カップルなどというのでさえも、なかなか巡り会えないとされてますが、女男女のかような組み合わせによる理想的トリオがそうそう巡り会えるものでもないように思いますね(笑)。 (TAOさん) 直接的な嫉妬のぶつかり合いを回避しているところが画期的でしょう(笑)? ヤマ(管理人) ミソはバイセク者、同性愛者、異性愛者という三者の幸運な巡り合わせってとこですよね。でも、性的嗜好って制度化に馴染まないと思いません? まぁ、この制度では、男たる夫は最もありふれた異性愛者で足るわけだから、妻や妻の女性パートナーの受容力や感応力が高ければってことになりますが、女性の可塑性というか可能性っていうのは、そこまでも柔軟なんでしょうかね〜?? (TAOさん) ええ、男性と違って、そのへんはかなり柔軟なんじゃないでしょうか(笑)。 ヤマ(管理人) うぉお〜、そーなのかー(笑)、おそるべし! あれってポルノ的ファンタジーによる刷り込みとばかりは言えないことだったんですね! (TAOさん) 少なくとも同性愛に対して、ヘテロの男性が感じるような本能的な恐怖感はもちませんから、そこは大きいと思います。 ヤマ(管理人) なるほど。男性同性愛って言ってもタチもネコも両者ともあるのに、ヘテロ男って決まったようにネコ側を想起して、去勢不安のような恐怖感に見舞われるとしたもんですからね。 (TAOさん) それと中国に限らず、日本でも、男性が嫌いな女性はじつは多いと思うんですよ。 ヤマ(管理人) これはかなりありそな話やなぁ〜(たは)。逆に、だからこそ、その横行や露見を防ぎ、潜在的に抑圧を掛けるよう、過剰なまでに恋愛至上主義的な異性愛謳歌を必要としているのかもしれませんね。本能だ〜、自然な感情だ〜、それに目覚められないのはオカシイってな内なる強迫をされなければ、そうなる女性はもっと多くなるかもしれませんね。 (TAOさん) とくに高齢の既婚者は。 ヤマ(管理人) これはもう文化ってな包括的要素以上に、個別の具体的な懲り懲り体験の集積の結果でしょうから、嫌われる男の側が個別に考え直さないといけませんね(苦笑)。 (TAOさん) そのあたりをそこはかとなく風刺した話のようでもありました。 ヤマ(管理人) それと、特異な条件によって与えられる新鮮さというのは、特異性の更新によってしか保てない傾向にありますから、… (TAOさん) そうなんですよねー。刺激には耐性がつきものですからねえ。永久保証の防腐剤なんてものは、ありえませんよね。 ヤマ(管理人) 一時的には有効でも、自ずと限界が訪れるような気がしなくもありませんね(笑)。なんによらず、保証ってのは、そんなもんですよ(笑)。でも、こと心性においては、結果的に永続し得たものってのは、これまたあることながら、それは保証によって保たれたものではなく、自覚によって保たれたものだろうという気がしますね。 ただ『ハッシュ!』なんかでもそうでしたが、同性愛者が介在することで男女の関係のつまづきがほぐされたり、癒されたりってのは、大いにあり得そうなことですね。世の中の抑圧が小さくなってくるほどに、想像以上の数で同性愛者が存在する現実が垣間見えるようになってきましたが、差別をなくした単なる共生を超えて、それぞれの性向が三者関係の安定化に有効に作用する関係性の構築を果たす可能性が出てきたように思います。そういうものを秘めた稀有な個人的出会いを押し潰すことなく保証する社会になればいいですけどねぇ。でも、それって制度化っていうのとは正反対になるんですけどね(笑)。 (TAOさん) 『雲南の妻』(花嫁ではなく妻でした!)の件、私もあれれと思って調べてみました。 ヤマ(管理人) マイケル・ムーアも勧める(笑)検分検証主義に立って、即座にとは流石です。 (TAOさん) どうも私は著者の筆力に担がれたようです(笑)。 ヤマ(管理人) そうでしたか。でも、それだけ堪能したってことですよね。 イメージ的には雲南っていうのは中国のほうでも風変わりな地方という感じを持っているようなところがある気がするんですけど、そんなイメージを借りてきてのフィクションだったんでしょうかね。雲南なら、あってもおかしくない、みたいな(笑)。 (TAOさん) 小説の中では、女性同士の結婚が今も残る制度というか風習として紹介されるのですが、 ヤマ(管理人) 妻と下女ではなく、女性同士の婚姻ってことでしたか。いや、婚姻というより、要はレズビアンというスタイルがごくごく普通の姿として違和感なく承認されているってことなんでしょうね。そういう程度のことなら、大いにあり得ますよね。日本でもお稚児さんをかかえて衆道の道なんてのが、当たり前に承認されてた時代もあったようですし(笑)。 (TAOさん) 考えてみたら、そんなの風習ではなくフィクションでもいけるわけですもんねえ。どおりで、桃源郷のようにふわふわ気持ちのいい話だなと思いました(苦笑)。 ヤマ(管理人) おそらく雲南イメージ借りる形でフィクショナルに嵩上げして奇習化してるんでしょうね。で、その効果として、この世ならぬ非日常的な恍惚感が得られやすくなるよう設えてあったんでしょう(笑)。 (タンミノワさん) 素晴らしいですねえ。なんて素晴らしいシステム。 ヤマ(管理人) 「単調でハードな労働を女二人でおしゃべりしながら楽しみ、かつ方向性の違う性生活によりリフレッシュされるという…」との妻のポジションで受け取りましたね?(笑) (タンミノワさん) しかも制度ってことは国家がすすめてる・・と思ったら、お話?だったのかな? でも「同性愛者が介在することで男女の関係のつまづきがほぐされたり、癒されたりってのは、大いにあり得そうなことですね。」って発言で思ったのですが、よく映画なんかでも、ヒロインにゲイの友人がいて、彼女が恋愛に行き詰まると頼りになるっていうので表現されてますよね。 ヤマ(管理人) そうですね。あれはゲイだから頼りになるという側面と同時に、彼がゲイだから観る側の同情を誘わないで済み、ヒロインの身勝手さを繕えるという、物語の装置としてはトリプルで有効性が高いからだろうとも思ってるんですよ(笑)。 かつて一般の目がゲイということに冷ややかで侮蔑的だった頃には持ち出せなかった設定が、逆に霊験あらたかな装置に変わるってな時代の変化というのは、興味深いですよね。ヒロインの相談役をゲイにできなかった頃のドラマでは、彼は妙に気の毒な役回りで、恋にのぼせてそのことに頓着しないヒロインがいい気なもんだってな印象をある面、残しがちでしたよね。かつて若かりし頃、ゲイでもないのに、相談役ばかりキャスティングされていた僕としては、そのへんのヒロインの無頓着さには、当時けっこう敏感でしたね(苦笑)。 -------既婚女性に“女”を捨てさせるもう一つの存在------- (TAOさん) それと、日本では結婚して子供を産むと、夫からも「ママ」とか「おかあさん」と呼ばれるし、… ヤマ(管理人) もう、これはなくなってきてるんじゃない?(笑) いくらなんでも。 (TAOさん) と、思うでしょう? でも、まだまだ多いんですよ。私、親子連れを見るたびに気になってウオッチしてますもん。 ヤマ(管理人) じゃあ、そうなんでしょうね。いやはや、何とも。 (TAOさん) 妻は夫から、あんまり女としての部分って求められなくなるでしょう? ヤマ(管理人) そうなのかなぁ。 女性が、自分の女としての部分を求められているってのを、ある種の手応えとして嬉しく受け取るのは、どういうときなんですかね? 無論、単に丁重に扱われるとかチヤホヤされるってことじゃないですよね(笑)。 (TAOさん) ええと、率直に言って、相手の目の輝きで判断します(笑)。男性はそういうの露骨に表情に出しますからね。 ヤマ(管理人) 鼻の下でなくてよかった(笑)。 (タンミノワさん) さすがですねえ、TAO様。その通りって感じ(笑)。「目が死んでる、目が」って瞬間もありますしねえ。 (TAOさん) 「お、今日はいけてるね」なんて言わなくても、目が先に言ってます。わざわざ口に出す必要はないくらい。 ヤマ(管理人) これは、助かりますねー、たとえエスコート文化や能弁を身につけてなくとも伝わる場合があるというのは、ある種の希望として残っててほしいものですからねぇ(笑)。 (TAOさん) たとえお世辞を言っても、「あ、女と思われてないや」というのを、女は敏感に察知してます。逆に言うと、もてる男性って、どんな女性にも心からの賞賛の目を向けられる人でしょうね(笑)。 (タンミノワさん) あ、それは言えてるかも〜。もはや体質かな。 ヤマ(管理人) 確かにモテるって感じは、体質感みたいな印象を残しますね、男性・女性を問わず。 ところで、女の部分っていうことで、妻でも母でもなくてあるものっていうことでは、要は、妻ジョブ母ジョブ以外のジョブを担っているかどうかってことになると思うのですが、さすれば、母はまだしも女ジョブと妻ジョブを峻別するものって、本当のところは何なんでしょう? (TAOさん) 妻役がいやなわけじゃないでしょう。(子供のではなく)夫の「母親」役を求められるのがいやなだけじゃないでしょうか(笑)。 ヤマ(管理人) なるほど。 どっちを向いても母親役しか残ってないのが日常化すると、やっぱイヤでしょうな。たまにだと却って張り切るというか、むしろ甲斐を感じるような傾向が窺えるのは、婚姻関係にあろうがなかろうが、女性の甲斐のなかの大きなものの一つのように思うのですが、婚姻関係にあるとそれが日常化する陥穽に無防備だったりするのかもしれませんね。 んで、いつのまにか、こんなふうになっちゃったな〜って場合が多いんではないでしょうか。どっちかが或いはそれによって双方が気をつけていれば、避けられる事態だとは思うんですけどね(笑)。そのためにも、先ずパートナーを「かあさん」などと呼んじゃいけませんやね。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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