『ハッシュ!』
監督 橋口 亮輔


 大阪の扇町ミュージアムで『二十才の微熱』を観たのは、もう十年近く前になる。その後の『渚のシンドバッド』は、観る機会を得ていないが、今回『ハッシュ!』を観て、ゲイという自らの足場に対して、ある種の揺るぎのなさというものを得ているような気がした。

 直也(高橋和也)と勝裕(田辺誠一)のゲイ・カップルにしても、自殺未遂歴や精神病院への入院歴のある朝子(片岡礼子)にしても、勝裕への想いに入れ込む軽度の身体障害を持つ同僚女性にしても、今の社会ではマイノリティという見方をされる属性を持った人物たちだ。作り手が、彼らにことさら目立った善良さや健気さを負わせることなく、むしろ困りものなり厄介さの部分を顕著に色づけたうえで、肯定感に支えられた眼差しで見つめていることやら、彼らを全てペットショップのトリマーや土木研究所の職員、歯科技工士といった技術系の極普通の職業人としているところ、更には全編にある種の軽やかさとおかしみを漂わせているところに作り手の強い自己主張のようなものを感じた。彼らの職業にしても、パーソナリティにしても、特殊性を排除することに留意したのだと思う。

 そのうえで、彼らが持つ、いわゆるマイノリティとみなされがちな属性によるものではない部分の個性のもたらす長所短所の両面性を生き生きと掬い取って描くことによって、結果的に、彼らの個性の一部を形成するマイノリティとみなされがちな属性についても、同質のものであることを自ずと感じさせる作品になっている。それは、やはり方法論的にも極めて妥当な手法だという気がするし、それが細やかに軽やかに綴られているところに、僕は、作り手の揺るぎのなさのようなものを感じたのだろう。

 ただ、子供を持つことに過剰な期待を託したうえでの可能性というものの危うさやそれを自身の不全感や状況を変えるための手段としているところについては、既に子供を持っている人とそうではない人とで、かなり印象が違ってくるような気がする。それを不謹慎とまでは思わなくとも、子供を持つことで期待どおりの変化が訪れるものでもあるまいにと、ある意味、自身さえも持て余している朝子の姿を見て、心配を抱く子持ちの人は多いと思う。しかし、考えてみれば、万全の態勢と状況のなかでこの世に生を受ける子供の数は、そもそも多くはないような気もする。だから、実際のところは、案ずるより産むがやすしということなのかもしれない。

 また、既に子持ちの自分があまり考えたことのなかったものとして、ゲイを選択した時点で併せて自明のこととして断念を迫られていた“我が子を持つ”ということの彼らにとってのインパクトの強さやそれが彼らにもたらすパラダイムの転換のようなものが感じられ、かなり新鮮な刺激だった。望みながらも未だ子供に恵まれないでいるヘテロのカップルの場合や心の準備が整わない状態で不意に子供ができたりする場合などよりも、もっとドラスティックなものだという気がする。そういう点からは、朝子一人で子供を持つことによって開ける可能性に対しては、かなり懐疑的な部分が残るのだけれども、同性愛者である勝裕なり直也が自分の子供を持つことによって開ける可能性に対しては、かなりの期待と信用がおけるような気がした。だからだと思うが、あれを以て一応ハッピーエンドという形になっていることに対する違和感が僕の内に生じないのだろう。むしろ、子供を持つことに過剰な期待を寄せることの危うさを感じてしまう自分に何処か忸怩たる思いを呼び起こされたりもした。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲がっちゃいました。」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2002hacinemaindex.html#anchor000785
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_06_24.html
推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0206-4hush.html
推薦テクスト:「神宮寺表参道映画館」より
http://www.j-kinema.com/rs200205.htm#ハッシュ!
by ヤマ

'02.10.13. 県立美術館ホール



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