『殺人の追憶』(Memories Of Murder)
監督 ポン・ジュノ


 観終えた後、ある種わだかまる気分を味わいながら、覚えのある観後感のようなものが残った。それが何かを辿っていたら、ふとATG作品だと思い当たった。事件ものの実話に材を得て、社会の矛盾なり生のままならなさのなかに窺える人間の実存を探るような主題意識が、高度経済成長なり何なりの急激な社会の変化に伴う“共同体の崩壊を背景に感じさせる寄る辺なさ”とともに綴られていたような覚えのある作品群の記憶だ。振り返れば、韓国の農村共同体が解体しつつある状況を時代背景として偲ばせていたような気がしないでもないし、そう言えば、あまり必然性もないような形で裸体の女性や性行為が映し出されたりするところにも、どこか奇妙な符合を感じる。そして、あれは、ATG作品が映画にある種の生々しさという肌触りを与える装置でもあったということに、今さらながらに思いが及ぶ。
 しかし、大きな違いは、ドラマの語り口の洗練度だ。生々しさが往々にして土臭さや生臭さに繋がるような形で志向されていたような感のあるATG作品群の記憶と比べると、生々しさが泥臭さのようなものと決別しようとしている意志が確かに窺われたように感じる。最も端的にそれを感じさせてくれたのが、生の肌触りを即興性に求めるようなところがいささかもない演出で、非常によく練られ、計算された映像や展開が準備されていた。洗練されているのに、スマートな印象は決して残さない味わいに個性的なものを感じたりもした。また、さらに大きな違いは、観念性の入念なる排除だったように思う。抽象性・象徴性を促す映像や演出が施されず、徹頭徹尾、映画的な具体性に立脚した画面作りと展開だったような気がする。
 これらの大きな違いは、それがATG映画に通底する特徴的な要素だったように思われるだけに、それをことごとく排除しているにもかかわらず、僕がATG作品群の観後感を想起したのは何故なのだろうという訝しさをもたらしてくれた。おそらくそれは、社会であれ、人間であれ、解体状況を背景に、存在としての個が脅かされているなかでの人間の足掻くようにして生息している生き様を捉えようとする視線というものがこの作品に宿っていると、僕が感じたからなのだろう。主人公たる地元刑事パク・トゥマン(ソン・ガンホ)や都会からの派遣刑事ソ・テユン(キム・サンギョン)のみならず、取り調べで精神を追いつめられた知的障害者のペク・クァンホ(パク・ノシク)や看護婦から売春に身をやつしたソリョン(チョン・ミソン)に向けられた眼差しにそのようなものが窺えたように思う。スタイル以上に主題的なものとして、僕がATG作品群に感じていたものは、まさしくそういう視線だったような覚えがある。
 この作品でも猟奇殺人事件とその顛末のほうは、その元になった事件が未決に終わっているように決着を見ず、犯人像も不明のままに終わる。また、そのことによって登場人物がどうなったかを物語として綴っているわけでもない。状況のなかで足掻き、押し流され変容していく人間像や人間と社会の負の側面を露呈させる状況が、一に懸かって人間を凝視する眼差しで綴られていたように思う。いささかのカタルシスも与えてくれない後味の悪さのなかで、韓国映画にこういう作品が登場するようになったのかと感心しつつ、少なからぬ感慨を覚えた。


推薦テクスト:「This Side of Paradise」より
http://junk247.fc2web.com/cinemas/review/reviews2.html#memoriesofmurder
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2003/tiff2.html
推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2004sacinemaindex.html#anchor001075
by ヤマ

'04. 5.14. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>