『アイ・ウォント・ユー』(I Want You)
監督 マイケル・ウィンターボトム


 『日蔭のふたり』『GO NOW』『バタフライ・キス』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』と続けて観てきて、一見したところ、一作ごとにスタイルの違いを感じさせるところが興味深かったのだが、今回、全ての作品に共通するものとして、傷つき病める魂に惹かれる監督なんだということが鮮明になってきた。どの作品においても、登場する主要な人物が皆、数奇な生に晒され、そのなかで魂を試されているかのようだ。どの作品においても登場人物は、際立った個性の持ち主として、強烈な印象を残している。ある意味で芝居がかった人間ばかりとも言えるわけだが、そこには必ずある種の切実さが伴っているために、きわもの的な人物像にならないところが見事だと思う。そして、見せる力に卓抜していて、この作品でもそれが遺憾なく発揮されている。ことに撮影監督にスラヴォミール・イジャク(『トリコロール/青の愛』『ガタカ』)を得て、眼にも鮮やかな美しい色彩と個性的なアプローチの映像で魅了してくれる。

 しかし、僕が一番興味深かったのは、イギリスから輸入してきて日本ではオシャレな装いが施されていながらも底に猥雑さといかがわしさを感じさせるクラブカルチャーというものが、本家のイギリスではストレートにワーカークラスの猥雑な風俗であることを垣間見て納得したことや出てくる娼婦がみんなボディピアスをしていることだったりする。

 それにしても、父殺しのトラウマからか、性的挑発やペッティングには耽ってもセックスのできなくなったヘレンが、マーティンとだけは身体の記憶が許すとでも言わんばかりに交わることが出来たりすることやおよそ無感動に行き当たりばったりのセックスに耽っているスモーキーの姿など、ホンダ少年の眼を通して描かれる女性たちのイメージは、妙に荒んでいる。男女のひそやかな声を盗聴し、録音して、ヘッドホンで聞き入るホンダ少年もまた健康的なイメージからはほど遠い。彼が母親の自殺以来一言も言葉を発しなくなったという経歴を負っていることも沈欝だ。それなのに、ヘレンにもスモーキーにもホンダにも魂の荒みは感じさせない人物造形を果たしているところがなかなか凄い。傷ついた魂が荒む手前で踏み留まっている危うさと緊張感、哀切、それらがヒリヒリと伝わってくる。もしかしたら、ホンダの母を死なせたのは彼自身なのかもしれないなどと思うことに、ことさら違和感もない怖さがあったにもかかわらず…。

 そんな彼らの傷つき病んだ魂にとって、癒しというものはどのようにして現れるのだろう。姉スモーキーを夜通し心配させたらしいホンダの朝帰り、ヘレンとホンダの廃船での一夜において感じさせた親和性のなかに、多少のヒントを得たようには思うが、いかにも厳しい彼らの生がマーティンの死によってますます厳しさを募らせていったようで、いささかしんどかった。この映画における表層的な視覚イメージに顕著な危なさとは明らかに異なる、内面的なニュアンスでの危なさが常に彼らの傷ついた魂を脅かしていたのだが、不用意に「この映画は危ない映画だ」などと口にすると、誤解を招いてしまうかもしれない。




推薦テクスト:「シネマの孤独」より
http://homepage1.nifty.com/sudara/kansou1.htm#iwantyou

推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/acinemaindex.html#anchor000100

推薦テクスト:「FILM PLANET」より
http://homepage3.nifty.com/filmplanet/recordI.htm#iwantyou
by ヤマ

'99. 5.10. 県民文化ホール・グリーン



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>