『日蔭のふたり』(Jude)
監督 マイケル・ウィンターボトム


 スーとジュードのみならずアラベラも含め、宗教や道徳による抑圧の強い百年前のイギリス社会で、驚くほど現代的な自己実現欲と自我を持った若い男と女の物語である。だが、映画のなかでは当時の社会的気分や空気といったものは、スーの買った裸像の置物が下宿の家主の顰蹙をかうとか、婚姻の手続きを整えない男女関係に対する周囲の白眼視といった点に断片的に窺えるだけで、美術や衣装の充実に比べて十分には掬い取られていなかったような気がする。そのために、三人の若者、特にスーやアラベラの現代的な個性が強調されている割には、時代のなかでの際立ったものとしてあまり浮かび上がっては来ず、スーとジュードの孤立感や疎外感、そしてそれゆえに求心的に絆を深める二人の関係性の有様といったものが、身に迫るというほどに切実なものとはならなかったように思う。
 しかし、スーの不用意な一言により思いも掛けない形で三人の子供たちを失うという展開に至って、この作品は、俄然充実してくる。スーとジュードは、二人がその存在すら知らなかった、アラベラとジュードの間に生まれた子供を突然引き取ることになったのだが、その子が自分たちが足手まといになっていると思い、自ら命を断つばかりか、幼い異母弟妹まで巻き添えにしてしまうのである。いくら何でもと思いながら、小学校の低学年の時分に聞いた話をふっと思い出した。下の子ができて育児に追われる母親がおしめ替えに難儀し、「この子のウンチが出なけりゃいいのに」と不用意にぼやいたのを聞いて、聡明で母親思いの男の子が赤ん坊の肛門に木杭を打ち込んで大変なことになったという話だ。その母親は、もの凄い打ちのめされ方をしたと聞き、子供心にも恐い話だと衝撃を受けた記憶がある。普段すっかり忘れていたそんな話をまざまざと思い出した。自殺した息子は、おそらく二人に引き取られるまで貧しいながらも愛情のある家庭生活の味など知らずに育ったのだろう。強い感謝と恩義と愛情とを抱いていたに違いない。だからこその選択なのである。彼が聡明で健気な子供で、幸せ薄かった生い立ちであることは、異母弟妹の世話をするときの様子に実によく表れていたし、こんな苛烈な展開に説得力を持たせるうえでは、日銭稼ぎの物売りに身をやつし、放浪生活を続けるジュード一家の流浪の旅の途上で、亡夫の遺産により金持ちになった実母アラベラと再会した場面が効いている。
 誰が悪いというわけでもない。まさしく運命の過酷さとしか言い様のない苦難に見舞われ、スーは一変する。ジュードが教会に行くことを揶揄したり、恋愛において男は女の誘いのモーションがないと何もできないと喝破するなど、精神の現代性では彼の一歩先を行っていたスーだったのに、自己責任では負い切れない体験を前に、世間の常識に抗う自分たちの生き方に神が罰を下したのだと言い出す。そして、ジュードと別れ、教会で祈りを捧げるという自罰的な生き方を選ぶ。自らの不用意な一言のせいだとの思いが拭えないからだろうが、その点ではジュードにしても、彼女の一言の不用意さに気づいたにもかかわらず、十分なフォローができずに中途半端に済ませてしまった悔いがあるはずだ。やはりスーの激変は、ジュード以上に時代に抗った現代的な自我を実現しつつあったために、より大きな反動を招いたということなのだろう。
 現代的な自我と自己実現欲という点では、アラベラもまた、ジュード以上のものを持っていたように思う。けれども彼女のそれは、ひたすら現実をたくましく生き抜くことだけに向けられていて、精神や内面的な自己実現にはあまり関心がないように見えたことが、似て非なるものとして、ジュードが違和感を覚えた最大の理由だったという気がする。だからこそ、彼はスーに惹かれたのだ。彼女は、その現代的な自我と自己実現欲を主に精神や内面的ありように対して持っていた。そこのところが一変したのだから、彼にとっても強烈だったに違いない。強さと裏腹のもろさと言うには、あまりにも過酷な体験だとはいえ、元の彼女に戻したいと願うのはよく判る。しかし、そのことに対してあまりにも自分が無力であることも知らされる。
 そんな二人のこれからについて、上映会後の感想会では意見が分かれた。みんな「ちょっともう難しいよね。かと言って、新たな別の人にもなかなか向かえないだろうしね」という感じだったのだけれど、その場に加わっていた唯一人の女性が、私はそうは思わないと言う。女性の精神のたくましさには、やはり男はかなわないなと改めて思った次第だ。


推薦テクスト:「シネマの孤独」より
http://homepage1.nifty.com/sudara/kansou6.htm#hikageno
by ヤマ

'97.12.11. 県民文化ホール・グリーン



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