横浜 山下公園


( シリーズ横浜みなと散策 4)

 山下公園は大正9年(1920)に起こった関東大震災の復興事業として、大正14年(1925)から4年がかりで、横浜市街の崩れた瓦礫を海岸線に埋め立て、その上に土を盛り造成し、昭和5年(1930)に臨海公園として開園したのだそうです。
 園の広さは凡そ7万平方メートル、木や花壇などがある美しい公園です。
 戦後は米軍に接収され、将校の家族用住宅として使われましたが、昭和29年(1954)から段階的に解除され、昭和36年(1961)に再整備が行われ現在の姿になったとのことです。
 山下公園には数多くのモニュメントがあります。代表的なものとしては、アメリカ・サンディエゴ市から贈られた「水の守護神」、童謡の「赤い靴はいていた女の子」、「かもめの水兵さんの歌碑」などです。
 園の西端には在日インド人協会から昭和12年(1937)に寄贈された「インド水塔」があります。
 また、公園横には、かつて昭和初期から中期にかけて北米航路を運航し、太平洋の女王と呼ばれた豪華客船、日本郵船氷川丸が係留されています。
 公園には若者や修学旅行生、家族連れなど多くの人達が訪れています。
 海側のベンチに座り行き交う船、ベイブリッジ、みなとみらい21地区の近代的なビル群など素晴らしい風景を堪能し一望することが出来ます。


山下公園全景(ランドマークタワー展望室から撮影)
写真中央左側の船は氷川丸。
   
 ベンチに座り行き交う船やベイブリッジなどをゆったりと眺めることが出来ます。
 
 公園には緑も多く広場で楽しく過ごすことが出来ます。
  
 野口雨情作詞の童謡「赤い靴」に登場する少女の銅像
膝を抱えて海を見つめる姿は愛らしく可憐です。
  
 水の守護神
噴水の中に立つ像は横浜市の姉妹都市アメリカ・サンディエゴ市から寄贈された。
 
 左の写真は童謡「かもめの水兵さん」の歌碑、右側は日米友好ガールスカウトの像
 
 公園内の花壇
写真中央に見えるタワーは横浜マリンタワー。
 
 氷川丸
 昭和5年(1930)に竣工しシアトル航路を往復する豪華客船として活躍、戦時中は病院船、終戦後は復員・引揚者輸送船、そして昭和28年再びシアトル航路に復帰し、昭和35年(1960)に引退、現在の山下公園桟橋に係留、リニューアルされて一般公開されています。
 夜間には甲板横柵とマストを結ぶロープは沢山の電球によって電飾され、美しく船形を描き出します。

 総トン数12,000トン、全長163メートル、船客定員は1等から3等船客併せて331人とのことです。
  
左写真は一等船客専用の豪華な食堂、右は操舵室から見た前方上甲板です
 チャップリンや秩父宮ご夫妻も泊ったスイートルーム、シングルルーム、8人部屋の三等船室、広々としたサイドデッキや船底部付近の機関室などを見学できます。

 氷川丸の由来は埼玉県大宮市(現さいたま市)の氷川神社に由来するとのこと、操舵室には神棚があり、氷川神社の祭神が祀ってありました。 
   
上部甲板は横浜港内を初めとし、大桟橋、ベイブリッジ、赤レンガ倉庫、みなとみらい21など最高のビューポイントでもあります。


次回は12月中旬「赤レンガ倉庫・象の鼻」を掲載予定です。


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