北鎮鉱山跡 探検: 北の細道 龍昇殿鉱山

竜昇殿鉱山の守り神に到達する





北海道紋別市

ロータリーキルン(Rotary Kiln)は傾斜のついた円筒(レトルト)を回転させ、
供給装置から炉内に粉体原料を投入し、回転撹拌させながら原料に均一に熱を加える加熱炉だ。
投入する目的の材料によって200〜2,500℃の熱量を加え、効率的に連続焼成を行う。

模式図 模式図

ロータリーキルンが駆動装置によって回転すると、投入された粉体材料は傾斜を伝って、
投入口から排出口まで搬送装置を使わずにゆっくりとに移動していく。
その間、回転中に撹拌されバーナーやヒーターで加熱することで、
原料から必要な成分を蒸発させたり、粘土などを硬い材質に変化させる。
また、色調を与えたり、乾燥のために水分を除去したりすることを目的とする。

原料は金属やセラミック、または含水率の高い泥状廃棄物などの乾燥のために用いられ、
現代ではレアメタル、活性炭、セメント工場、リサイクル施設などに普及している。

かつて鉱山でも ロータリーキルン は使用されることがあった。
それは鉱石からの水銀の抽出だ。
25〜50mmに砕いた鉱石をロータリーキルンに投入し、
700℃で焙焼すると原鉱の水銀成分は分解し蒸気となる。
これを集めて冷却すれば、気化温度357℃の水銀が回収できる。


道内の水銀鉱山と言えば イトムカ鉱山 が著名だが生産量で見ると、
他水銀鉱山を凌駕し、当時の竜昇殿(りゅうしょうでん)鉱山との規模は歴然としている。

昭和19年(1944)年度 北海道の水銀鉱山生産量

  鉱山名   生産量(単位kg)
 イトムカ  195,784
 天塩  11,388
 置戸  9,931
 十勝  9,280
 瓜幕  2,941
 八十士  2,379
 西舎  697
 竜昇殿(北鎮)  339
 愛山渓  174
                【通産省官房調査統計部編 本邦鉱業の趨勢より抜粋】

しかし竜昇殿は、やがて昭和44年(1969)にかけて生産量が増加し、
年間粗鉱24,000t、蒸留水銀2,000フラスコ(=69.5t)を記録、
奈良県の大和水銀鉱山と共に、日本における二大水銀鉱山として君臨することとなる。

竜昇殿鉱山は昭和18年(1943)8月上旬、道路開削の際に辰粒砂(いも辰粒)が発見され、
地元有力者により開坑、昭和19年(1944)には野村鉱業株式会社、
翌年には住友金属鉱山株式会社と受け入れ先が変貌、北鎮鉱山と命名して製錬作業も実施されたが、
昭和26年(1951)には操業振るわず休山した。

昭和29年(1954)には再び大牟田鉱業株式会社が買収経営し、竜昇殿鉱山と改名した。
当時は前述のロータリーキルンによる製錬法を導入し、水銀生産の一貫作業を開始した。
その後、一時はイトムカ鉱山 に鉱石を売鉱するに至ったが、
昭和34年(1959)12月に設備不全を問題に休山後、翌年10月に北進鉱業株式会社が買収、
昭和37年(1962)7月1日から事業組織を竜昇殿鉱業所に改め、
月産粗鉱1,100tを直接焙焼し 水銀3,200kgを生産していたが、昭和49年(1974)閉山している。

今回の探索では予想外の鉱山神社、そして火薬庫のような廃祉にも到達する。
かつての繁栄を偲びながら、秋のヤマを歩きたいと思う。  

※資料により『竜昇殿鉱山』と『龍昇殿鉱山』が混在しているが
便宜上『竜昇殿鉱山』で統一した。



トロッコ・坑道・製錬施設・・・




新聞
軌道に乗る龍昇殿水銀鉱業所





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