700℃の必要性
紋別市はアイヌ語「モペツ」=静かな川に由来する。
オホーツク海岸の水産業都市であり、
昭和29年(1954)に近隣の渚滑/上渚滑と紋別町が合併して市制を引いた。
廃道で標高を稼ぎアプローチする。
竜昇殿鉱山地域は北上する2本の川、
すなわち藻別川と渚滑川にはさまれた地帯だ。
笹薮の斜面を進む。
渚滑川流域には比較的急斜面も存在するが、
付近は緩慢な波状地形だ。
鉱山跡付近に到達すると、
平場が残り、すぐに遺構が散らばっている。
鉱区図によると焙焼施設付近だ。
付近には100A程度の太い配管が朽ちている。
水銀鉱の蒸留は、50mm以下に砕いた鉱石を、
700〜800℃で酸化焙焼する方法が用いられる。
「ブロワ」気体の圧力を上げ、速度を増加させて送り出す装置
や古い冷蔵庫が残る。
気化温度357℃の水銀は熱せられて蒸気となり、
ガスという形で鉱石から分離する。
製錬施設の名残かコンクリート製の土台も残る。
分離した炉ガスの水銀はその後、コンデンサーという濃縮装置で冷却すると
液状の水銀となって露出する。
少し移動すると再び平場が現れる。
鉱床図を確認すると、
総合事務所付近となる。
ブロック塀に囲まれた一画で、
「危険物 火気厳禁」の看板がある。
付近には大きな建屋があったようだ。
大きな基礎が残存する。
採掘の現場としては、
『半島現場』、『芋現場』、『豊盛現場』などのユニークな名称があったようだ。
重厚な金庫も残る。
生産規模の拡充は昭和37年→昭和42年で2.5倍に、
水銀生産量は2,850kg/月→7,238kg/月に増加した。
昭和46年(1971)製の変圧器が残渣している。
変圧器(トランス)は電圧を変える機器で、
発電所で作られた送電しやすい高電圧を、使用する機械に合わせて降圧するのが目的だ。
これはマグネットスイッチ(電磁開閉器)だろうか。
内蔵の電磁石を電気によって動作させて、接点を開閉する負荷保護スイッチだ。
最近の機器と比較すると驚くべき大きさだ。
マウスon マグネットスイッチ
付近には軸受のような鋳鋼が散発する。
これはプランマブロックで回転軸をベアリングで受ける回転ユニットだ。
二つ割れに分解でき、ピローに比べて比較的高速で大きな荷重を受ける軸受装置である。
マウスon プランマブロック
事務所跡にはトイレも残る。
昭和42年(1967)当時の人員は78名、
製錬作業は職員5名、鉱員11名の合計16名であったという。
レンガ製の遺構、そして木製の電柱が宿存している。
原鉱は砕いてロータリーキルンに連続供給、
重油バーナーで焙焼後、気化した水銀を含む蒸気を集塵する。
製錬工程の模式図となる。
赤矢印が採掘された原鉱。
緑矢印が水銀が蒸発した後の廃焼滓(ズリ)で坑内の充填に再利用される。
青矢印が気化した水銀で、コンデンサーという冷却装置で凝集、ボンベ詰めして出荷される。
茶矢印はコンデンサ凝結水で排水処理後pH調整、冷却水に再利用等行われている。
当時のヘルメットも残されている。
『劇』のステッカーは毒物劇物取扱責任者の証だろう。
『ケージ』のステッカーは鉱石運搬用のケージの運転資格だろうか。
水槽のような遺構も残る。
水銀の気化温度が357℃にも拘わらず、500℃程度ではなく、
それを大幅に超える700℃以上にまで炉の温度を上げるのには目的がある。
正常な蒸留過程を妨げるのが鉱石中のヒ素であり、
これは凝集設備の中に沈殿、水銀の移動を妨げ『スート』と呼ばれる不純物を含む塵が発生する。
ヒ素の混入を防ぐため、気化温度の遥か高温が要求されたのである。
坑口を目指して山中に分け入る。
鉱床図によると『0m坑』、『北辰坑』、『丹精坑』、『上40m坑』などが存在したようだ。
坑口以外にも留意しながら歩く。
鉱区を進むと木製の遺構がある。
櫓に組まれた木材だ。
周辺は開けて植生がまばらだ。
一部欠損しているが、これは鳥居だ。
鉱床図にも載らない鉱山神社の廃墟だ。
辺りは崇高な雰囲気がある。
鉱山神社の鳥居は凛々しく残る。
鳥居の足には沓石(くついし)という穴の開いた大きな石が埋め込まれており、
その穴に柱を差し込んで建設するため倒れにくいという。
鳥居の上の木、島木は残るが、下の木、貫は残らない。
見上げた時に安定感があるように、
内側に角度をつけて建てられているという。
鳥居の近くには土留めと木材が留まる。
小規模な御社殿でもあったのか、
何か施設があったようだ。
製錬施設の廃祉が残る。
製錬設備はたびたび拡充及び改善された。
その目的は鉱害の発生防止と作業工程の簡略化だ。
ロータリーキルン等の焙焼炉から発生した水銀蒸気を含むガス対策として、
集塵装置を通して回収していたが、
遠心力を利用するサイクロン装置では限界があった。
マウスon サイクロン
そこで電気集塵装置で2μ以下のダスト回収を行った。
電気集塵装置は各種ダストの微粒子に電荷を与え、
集塵極に引き寄せることでダストを捕集する集塵装置だ。
0m坑付近を目指す。
坑道採掘では充填法を採用し、
「加背」(かせ)坑道の横断面。八・九は幅八尺/高さ九尺
は幅3m×高さ2m、
採掘終了と同時に廃焼滓を充填した。
碍子の『碍』は妨げるという意味、『子』は道具の意味。
つまり碍子は妨げる道具ということで、表面色は識別のための釉薬(ゆうやく)によるもので、
これは陶磁器の表面に塗布したガラスの層のこと、白/茶/グレーなどがある。
これはダブルスロー(Double-Throw)とも呼ばれる、双投型開閉器のスイッチ部分。
on回路が2接点ある開閉器。
2種類の電源を必要に応じて切り替えることができる。
マウスon 双投型開閉器
こちらは6600Vと刻印された遮断器のようだ。
電気回路を開閉し電流を遮断する装置で、
特に事故の際などの過大電流を自動的に切断する。
マウスon 遮断器
0m坑付近に到達したが、
坑口は見当たらず、
辛うじての平場が残るだけだ。
北辰坑付近まで登坂する。
当時のドラム缶が残るものの、
坑道跡の痕跡は発見できない。
丹精坑にかけても平場が続くのみだ。
坑道内の運搬は鉱車、一輪車による手押し運搬で、
製錬受入場までも手押し運搬されていた。
付近には鉱車の車軸が転がる。
鉱車は底の形により丸底鉱車と角底鉱車があり、
標準容量は1.0〜2.5m3、台枠と車輪からのみ構成されるものは台車と呼ばれる。
鋳鋼製の車軸が埋もれている。
鉱車は十数台を連結して機関車または巻上げ機で運搬することもあり、
その連結器は重厚に造られ、種々の安全装置が組み込まれる。
付近には赤い小屋がひっそりと藪に埋もれている。
土盛りに囲まれていないことから、
火薬庫ではなく危険庫のようだ。
赤い亜鉛めっき鋼板(=トタン)製の建屋で、
窓もなく施錠はできるものの、
やはり火薬取締法に準じたものではなさそうだ。
付近には同様の小型の建屋もある。
付近は年間降雨量が600〜800mm程度と稀にみる渇水地域で、
用水に事欠くことも多く、コンデンサー排水を中和して再利用した経緯も納得できる。
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