倶知安鉱山跡  探検: 北の細道 倶知安鉱山跡

倶知安鉱山でロータリーキルンを見る




北海道京極町

  ロータリーキルンとは回転炉とも言われ、軽微な勾配を持った横型円筒形の筒(ケーシング)を
傾斜回転させることで、投入された原料をゆっくりとした回転により攪拌・移動しながら
入口端から出口端まで移動させ、加熱乾燥させる装置である。

乾燥目的の場合も在るが、品質向上のため、鉱石とともに石炭を一緒に装入し、
石炭燃焼により過熱脱水(焼成)して焼鉱とすることもできる。
焼成(焙焼)とは鉱石や精錬の中間生成物を溶融しない温度で加熱し化学反応を行わせる工程で
鉄鉱石には脈石(スラグ)が含まれており、
炭剤(石炭)を還元剤として鉄鉱石と共に炉に投入することで品質向上を狙う。



キルンは長さ10m程度〜200m、直径2〜4mの円筒の内側に耐火煉瓦を貼り
原料は傾斜の高い方から連続的に導入され、回転につれて内壁を滑り落ち高温部へ移動する。

微粉炭、重油等の燃料をバーナーで燃焼し、出口方向から吹き付けて原料を順次加熱する。
特徴は連続大量の粉粒体を焼成またはV焼できる点である。
稼働は連続的で運転要員が少なくて済み、品質のコントロールも容易、
炉内の撹拌により、完成品が均質と高炉より小規模ながら多くの利点がある。


脇方鉄山の発見は明治31年に遡り、アイヌから川上に温泉があり、
そこには大蛇の抜け殻があると聞いた一農夫が、そのアイヌと共に、
ワッカタサップ川を遡上、褐色の岩石を持ち帰り鑑定したことから
鉄鉱石であることが発覚し、採鉱に至った。

大正5年には資本による試錐となり、大正9年の胆振線(京極線)開通に伴い、
大戦中の3年間の休山後は昭和44年10月閉山まで50年間の繁栄を極める。


昭和7年12月に鉱石の輸送能力の増大を目指し
竪型乾燥炉8基を建設し、これは昭和8年に更に4基増設されるに至る。
採掘した鉱石には多量の水分を含んでいたため、輸送過程での不都合、冬には凍結により、
受入先の製鉄所での支障もあることから、水分を減らし品位を高める対応のために建設したものであった。

昭和11年の年産は20万tを超え、終戦の昭和20年代までそれは続き、脇方鉄山の黄金期となる。
スチームショベルと呼ばれる蒸気機関ドーザーにより、表土を削り、より効率化が計られた。

その後、昭和15年には出鉱量40万tを超え、鉱山音頭の作成や従業員による各種スポーツが賑わい、
昭和20年の従業員数2,238人に及んだ。

昭和19年には更なる鉄鉱石の輸送力増強と品位の向上を目指し、
竪型乾燥炉より効率の良い「廻転乾燥炉(ロータリーキルン)」が直結索道と共に建設された。

本坑は著名な鉱山であり、www上既出の部分も多いかもしれない。
しかしロータリーキルンの構造や歴史的経緯も確認した上での調査は、
より感慨深いものであった。








回転炉・鉄鉱石・廃線跡・・・


キルン
( ̄u ̄;)キルン



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