住友赤平第二坑 配水池跡 探検: 北の細道 住友赤平第二坑

住友赤平第二坑 配水池跡 十七歳の地図




北海道赤平市

 昭和43年(1968)、17歳のヤマの少年は住友赤平高等鉱業学校に通っていた。
同校は昭和33年4月開校、 将来の住友を担う中堅技術者を育成するための、
当時、赤平市では唯一の私立学校であった。

1年生は週に1日、2.3年生は週に2.3回の炭鉱での採炭作業の実習があった。
実習と言っても、実際に 赤平立坑 からケージで550mの坑道まで下り、
切羽近くで他の鉱員と共に同様の実作業を行う過酷なものであった。

授業の一環として作業時間は約7時間、登録されている指導鉱員の指示で
トロッコに原炭を積載したり、エアー式のコールピックで原炭を採掘する。

コールピックのビット(タガネ先金具)はどんどん摩耗する。
坑内に下る手前の繰込所には専用のコインで購入できる新品のビットの自販機があり、
定期的に学校から支給されるコインで各々生徒がビットを入手する。

繰り込み所ではヘッドランプを充電し、
入坑の際にはバッテリーを背中に背負って装備する。

立坑のケージで坑道に下る際は恐ろしく、黒い粉塵の舞う暗い穴を高速で下り、
壁も近く高校生には恐怖しかなかったという。

坑口脇にも浴場があったが、それは実際の鉱員用で、
生徒たちは作業後、学校に設備された浴場で汗を流した。

作業自体は無給であったが、奨学金の支給があったそうだ。
卒業すると即戦力として採炭の現場に投入され、
地方から赴任した未経験者とは雲泥の差があったという。

赤平の炭鉱については、これまで 第二坑堤炭鉱北菱平岸
排気立坑群大谷炭鉱豊里炭鉱第一立坑 などを紹介してきた。

住友赤平炭鉱は昭和13年(1938)に開発着手、昭和16年(1941)に第二坑が開発、
昭和28年(1953)にはいわゆる赤上合併、つまり上歌志内坑との合併を行った。
昭和38年(1963)に第一立坑完成、昭和45年(1970)からは深部(−550L以下)開発、
中央排気立坑が昭和46年(1971)完成後、平成6年(1994)2月25日をもって55年の歴史に幕を降ろした。


今回は第二坑付近に残る浄水施設、配水池の探索だ。
最盛期には5,000人以上もの従業員が従事していた大きな炭鉱街。
これに必要不可欠な上水道施設を巡る。  



配水池・ボールタップ・地下タンク・・・




配水池
配水池





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