赤平 堤炭鉱跡 探検: 北の細道 堤炭鉱跡

堤炭鉱の9年間の攻防




北海道赤平市

   炭鉱の規模の拡大に伴い、生産現場は次第に深部へと展開され、
坑内通気はたびたび改善を要求される。

地下深く、坑道は上下左右と網の目のように張りめぐらされ、
排気坑口に設置された扇風機によって強制的に吸引し通風する。
坑道は特有の空気抵抗があり、これによって通風量が制約を受ける。
そのため、どれだけの吸引を行えば、どれだけの風量が確保できるか、
坑内各現場ごとにその通風量を計算するのが、通気計算である。

そのためにはまず、坑内各坑道の空気抵抗を計測する必要がある。
坑道の始点終点間の風圧差と、そこを流れる風量を求めるために風速を測定する。
電気と同じく、電圧(V)と電流(I)から抵抗(R)が求められるように、
風圧と風量の1.5乗に空気抵抗は比例する。

当時はアナログに、排気立坑に設置する扇風機の容量を計算上変化させて各坑道の風量を予測し、
それらから逆算して設置すべき扇風機の容量、そして風洞の直径を定めていた。

円形断面の排気立坑は掘削(穿孔・発破・ズリ積み出し・仮枠付け)で一交代約1.2m掘り下げる。
これを三交代で行い、30mほど掘削したら周囲にコンクリートブロックの積上げとなる。
地下水の噴出も多く、その際は専門業者が凝固剤などの薬剤を注入し、
それでも完全な止水がままならず、坑道内では大雨の中での作業となる場合もあった。

それでも貫通予定日近くには、岩盤の向こうのピック(空気工具)音が聞こえ、
予定の20〜30p差で貫通することが多く、これは坑内測量の技術の結晶といえる。


赤平の堤炭鉱は赤平建設工業(株)が経営し、 昭和29年9月に開坑した。
開坑当初は北炭の鉱区を 「租鉱」 契約に基づき、鉱区内の一定区域を掘採し取得する権利を得ること しており、生産効率が高く、
出炭成績も良かったものの、昭和38年8月に閉山している。

住友、赤間、北炭と大手探鉱に囲まれた鉱区。
閉山に至る悲しい過去をも調査しながら、
小さなの炭鉱跡の確かな痕跡を調査したいと思う。




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遺構
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