豊里炭鉱跡 探検: 北の細道 豊里炭鉱

豊里炭鉱で切実な願いを思う




北海道赤平市

 昭和12年(1937)開坑した豊里炭鉱は、
昭和14年(1939)から昭和電工鰍フ炭鉱部門として経営がなされ
優良鉱区がないものの、ドイツの技術を用いた選炭施設などで発展する。

昭和電工鰍ヘ現在、統合し新会社となっているが
機能材料、石油化学に関連した半導体や自動車部品を製造する多角的な会社だ。

商店街や豊里劇場など福利厚生も充実していたが、
合理化の波による長期のストやデモが発生、経営権は昭和26年に別会社に移管する。

昭和30年からは 明治鉱業 の傘下に入り
一時的に安定するが、昭和42年3月には閉山に至る。

閉山の前年、豊里小学校の一児童が当時の佐藤栄作首相に手紙を書いた。

私たちの山をどうかつぶさないで下さいという閉山反対の手紙である。
その想いもやがてエネルギー革命に翻弄されることとなる。


街に近い選炭施設を遡り、山中の輸車路を登る。
閉山への険しい道を思いながら、
かつての炭鉱跡地を歩く。


選炭場・重液サイクロン・輸車路・・・




いすゞTXD50
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