宮尾空知炭礦  探検: 北の細道 石鳳炭礦大谷沢炭礦

大谷炭礦で癈車に会う




北海道赤平市

   歌志内地域に先立ち炭層発見となった赤平地区であるが、
大正時代から開坑していた 赤間、 住友赤平豊里など各炭鉱は、
大手資本系列の炭鉱として大型化し、
特に住友赤平、北炭赤間、雄別茂尻、昭和電工豊里の4炭鉱は、
戦時下の重要物資である石炭生産に繁忙を極める。

そして昭和20年8月の終戦を迎え、各炭鉱は物資不足、労働力不足により、
規模の縮小を余儀なくされたが、昭和24年頃からは国内産業復興の担い手として、
石炭生産増強策が講じられ、大谷沢、平岸、赤間の沢などに、
こぞって鉱業権が取得され、更に多くの炭鉱が開坑することとなる。

以下は当時の赤平の鉱区を模式化したものだ。

赤平の鉱区

それぞれの炭鉱は生産向上に努め、それは赤平の鉱業都市としての最盛期への足掛かりとなり、
市勢、人口とも大いに進展、昭和29年の市制施行を迎える。

大谷沢地区は大正12年6月の大谷炭礦の開坑以来、
宮尾空知炭礦、恵須取炭礦空知礦業所、大谷炭礦、石鳳炭礦大谷沢炭礦と五代の炭鉱が操業した。
石鳳炭礦は戦時下の中小炭鉱整備令により閉山、
当時の従業員は住友赤平炭鉱 など近隣の炭鉱に配置換えされた。

戦後は主に 三井芦別炭鉱 が鉱区を設定して粗鉱炭鉱を稼行させたが、
後に芦別地区の平岸炭鉱が進出するなど、 三井・平岸両系列による炭鉱が主に操業した。


今回は詳細な資料がない中での探索だ。
ひたすら現地を歩き、机上で推論した場所にアプローチを繰り返す。
遺構がどの炭鉱の産物なのかも特定には至らないと思うが、
初冬のヤマを歩いてみよう。




廃車・廃バス・排気立坑・・・



廃バス
廃バス





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