ウォーターハンマーとの攻防


赤平市は石狩川支流の空知川に沿う炭鉱都市だ。
地名の由来はアイヌ語「フゥレービラ」(赤い崖)または「アカピラ」(山稜の崖)に由来する。
明治24年(1891)に熊本・岡山から34名が入植したのが発端とされる。 赤平市街


赤平市が公共上水道の認可を得たのが、
昭和28年(1953)10月30日である。
しかし炭鉱群は大正時代から繁栄していた。 アプローチ


昭和13年(1938)までには茂尻豊里赤間住友の大手四炭鉱が操業し、
各炭鉱では民間による独自専用水道の整備が進んでいた。
飲料水、工業用水の確保が一刻も早く要求されたのだ。 藪


頂を目指すと藪の中に遺構が残っている。

大正7年(1918)開坑の茂尻坑は昭和15年(1940)に炭鉱水道が竣工された。
昭和12年(1937)開坑の豊里鉱においても翌年には揚水場が設備されていた。 遺構


足元には80A程度のフランジ付き配管が埋もれている。

赤間鉱は昭和13年(1938)開坑、翌年には専用水道が敷設、
住友石炭鉱業も大正2年(1913)開業後、歌志内で揚水、
昭和11年(1936)からは空知川百戸から上歌まで送水していた。 配管


2連並ぶコンクリート製の施設に到達だ。
これは浄水場から送水される頂の水タンク施設、配水池の廃墟だ。
下部の街へ重力で浄水を送水するための貯水施設だ。 廃祉


蔦の絡む今は使用されていない施設。
地下にはタンクがあるはずなので足元に要注意だ。
上記のように各炭鉱は独自の浄水道システムを保有していた。 配水池


市の上水道敷設に先駆けて、炭鉱会社所有の浄水道が完備され、
炭鉱閉山と共に街に上水道が寄贈されることが通例であった。
本施設も炭鉱に付随する企業の所有物だったのだ。 貯水槽


遺構内部には小部屋があり取水の弁が設置されていたようだ。
給水装置、つまり山上の水タンクに常時適量の水を確保する施設だ。
不足しないよう、そして溢れないように自動で給水する装置となる。 貯水槽


やはりここは貯水タンクの上部の建屋だ。
足元には深いタンクがあり、
内部にはボールタップの様な止水弁がある。 貯水槽


ボールタップ(複式)装置は水位が下がると浮き玉が沈み、
この弁体が開き給水され、タンクの水位が上がると、
浮き玉が浮き上がり、アームを介して弁を閉じる機構だ。 ボールタップ


このボールタップという給水装置はウォーターハンマー(水撃作用)という現象が起きやすい。
給水時に水面が波打つことでボールタップの浮きが上下に揺れて
弁を開けたり閉めたりする脈動(振動)がおこる場合がある。 ボールタップ


このウォーターハンマー現象の対策として採用されているのが定水位弁という装置だ。
ボールタップは副弁として、水量を絞った定水位弁の主弁をゆっくり作動させることで、
脈動(=チャタリング)を防止するのである。 脈動


小部屋には電灯が残る。
赤平全市が市の管轄の上水道となったのは、
平成6年(1994)の住友赤平坑閉山以降となる。 電灯


草生した遺構が残る。
配水池では浄水場で浄化された水を一旦、山の上のタンクに移送し、
重力をもって街に送水する。 配水池


赤平市に限らず炭鉱街の上水道システムの歩みは、
炭鉱の盛衰に大きく相関を持ち、
一部の施設は利用されることなく今もその姿を遺す。 配水池






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配水池
配水池

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