赤平 北排気立坑 浄水場  探検: 北の細道 赤平 西排気立坑

赤平排気立坑群で風のとおり道をみる




北海道赤平市

   炭鉱の通気設備においては、深部移行に伴い坑内状況が複雑化し、
通気系統の合理化や換気送風機の強力化、自動化が時と共に進められる。

通気の目的は新鮮な空気を坑内に導入し、発生した炭塵やガスを薄めて排出し、
坑内作業の安全と環境の改善を行うことである。

入気の流れが一方向に直列だと、各地区で発生したガスが別鉱区に導かれることがある。
これを防ぐために入気の気流が分流して方々に行き渡る方が良い。

入気坑と排気坑が近いものが『中央式』、離れているものを『対偶式』と呼ぶ。

中央式
中央式通気と対偶式通気

中央式の場合は通気の往復距離が長く通気抵抗が大きくなる。
また建設費は抑えられるものの、漏風(入気側から排気側に空気が漏れること)が多くなる。

対偶式は主要通気坑道の長さが短くてすみ、
車風(排気が入気に再度吸引される)も少ない。


赤平炭鉱 住友時代の変遷について排気立坑との関連を含めてまとめる。

  年号    内容    備考 
 昭和13年(1938)  開発着手  住友鉱業株式会社炭業所(本社)臨時起業部(8月)
 昭和14年(1939)  一坑開坑  当時の東斜抗
 昭和16年(1941)  二坑及び南総排気立坑の着工  昭和18年1月認可(深さ415m)
 昭和18年(1943)  二坑 扇風機設置  180馬力(10月)
 昭和19年(1944)  三坑開坑  40馬力扇風機設置(10月)
 昭和26年(1951)  西排気立坑 完成  400馬力扇風機設置(9月)
 昭和27年(1952)  二坑総排気立坑完成 300馬力ターボ扇風機設置  南排気立坑200馬力モーター運転開始(10月)
 昭和28年(1953)  上歌志内炭鉱との合併  赤上合併(上歌立坑は大正3年完成 248m)
 昭和37年(1962)  通気改革  南総排気立坑⇒プロペラファン
 昭和38年(1963)  第一立坑 完成  (2月)
 昭和39年(1964)  深部開発  六斜坑の開発
 昭和41年(1966)  北排気立坑 完成  (8月)
 昭和45年(1970)  550L以下開発  深部開発
 昭和46年(1971)  中央排気立坑 完成  
 昭和62年(1987)  通気変更  上歌立坑(排気)(H28解体)/第一立坑と斜坑(入気)
 平成6年(1994)  閉山(操業55年間)  2月25日


住友赤平炭鉱の通気を司った、排気立坑は時系列でみると、
上記の地図南端にあるように、まず大正3年完成の上歌排気立坑(紫丸)の運用、
上歌排気立坑 上歌排気立坑
(H28解体) 写真提供は篠崎尊都様

これは当時出炭頭打ちだった上歌志内炭鉱の施設であったものが、
昭和28年のいわゆる 赤上合併 で住友赤平炭鉱の施設となったものだ。

南総排気立坑(青丸) は昭和16年10月に着工し、仕上がり内径6.60mという当時としては大きな内径の立坑で
(奔別6.4m/羽幌6.0m)

南総排気立坑 南総排気立坑

深さも415mとかなり深い上にその位置が非常によく、 赤上合併(昭和28年)後の350L以下の深部開発後も
その効果を十分に発揮することとなった。

今回紹介の西排気立坑は三坑完成後、赤上合併前に完成した立坑で、

西排気立坑 西排気立坑

翌年の昭和27年には 二坑総排気立坑(橙丸) が完成する。

二坑総排気立坑 二坑総排気立坑

その後、第一立坑完成以前の昭和37年には通気改革を行い、
翌年、第一立坑(赤丸) が完成する。

第一立坑 第一立坑

深部開発(-350m〜-550m)の進む昭和41年には今回紹介の北排気立坑(黄丸)が完成、

北排気立坑 北排気立坑

昭和46年には第一立坑傍に中央排気立坑(赤丸)が完成する。

中央排気立坑 中央排気立坑
写真提供はYocchi Oyj Kato様

再び昭和62年から通気変更が行われ、中央排気立坑が閉鎖、
上歌と北排気の南北で排気を行う完全対偶式通気系統となる。

今回は通気関連の排気立坑と周辺の浄水施設の探索だ。
赤平の通気経路の謎を解きながら、
その今昔之感を感じてみたいと思う。




配水池・排気風洞・通気変更・・・



排気立坑
排気立坑





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