十勝鉱山跡 探検: 北の細道 勢多鉱山

十勝水銀鉱山で水銀ホテルと呼ばれた旅籠を探す





北海道上士幌町

 水銀の利用はすでにギリシャ時代(西暦前500年頃)に記録されているが、
日本では1,300年前の飛鳥・奈良・平安時代の三朝文化に遡る。
鏡、刀剣の研磨用材、防腐薬剤、 朱の顔料 などとして利用されてきた 。

しかし平安朝末期から明治時代までは水銀鉱床の開発は急激に衰える。
この原因としては鉱業政策の不備と技術不足による多量の鉱石輸入に他ならない。

明治中期以降からは近代化学の発展とともに、鉱床の開発は盛大となり、
特に昭和12年(1944)の イトムカ鉱山 の発見以降は、
国内の水銀生産は飛躍的に増大、それを刺激として新産地が多数発見され
昭和19年(1944)には本邦史上最高の245tを記録するに至る。


昭和19年(1944)年度 日本の水銀鉱山生産量

  鉱山名   生産量(単位kg)
 イトムカ  195,784
 天塩  11,388
 置戸  9,931
 十勝  9,280
 大和(奈良)  5,227
 神生(奈良)  4,890
 瓜幕  2,941
 八十士  2,379
 西舎  697
 大神  455
 北鎮  339
 愛山渓  174
                【通産省官房調査統計部編 本邦鉱業の趨勢より抜粋】

水銀の用途は化学物質を合成する触媒、農薬、船底塗料、医療品、金製錬用材、
そして雷汞(らいこう)と呼ばれる爆破物の起爆剤など多岐にわたる。


十勝水銀鉱山は昭和11年(1936)発見、翌年企業買収され、
後に大規模に開発された。
第二次大戦後(昭和20年(1945))までは水銀鉱山の露天採掘として繁栄、
その後、昭和27年(1952)〜昭和47年(1972)までは、 「カオリン」耐火粘土の一種で水で練ると変形が固定され、乾燥すると強度が出る 主に陶磁器用の材料または各種塗工紙材料 鉱山として再び採掘が進む。
現在では付近で 「ゼオライト」別名「沸石」と言われる鉱物で、農地の土壌改良に用いられる 作物の栄養素を保持する能力がある の露天採掘が行われている。


今回はひっそりと、しかも色濃く残る製錬所を中心に、
珍しい十勝の鉱山跡を探索してみたいと思う。




製錬所・レトルト・レール・・・




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