スペインの栄枯盛衰
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熱烈なカトリック国家であったスペインは、キリスト教を更に拡大させようと海外進出に乗り出します。 当時、アフリカの奥地には、聖ヨハネが建てたキリスト教国があると信じられていました。 スペインは、そのキリスト教国と同盟して、北アフリカのイスラム勢力を打倒しようと考えたのです。 ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。 【ポルトガル】・・・スペインと同じく、イベリア半島の国です。 (01)15世紀初め・・・アフリカ西海岸の探検に乗り出しました。 (02)1488年・・・パルトロメウ・ディアスが、喜望峰に到達しました。 (03)1498年・・・バスコ・ダ・ガマが、インドのカルカッタに到達しました。 インド航路の開拓。 (04)スペインとの違い・・・目的が、海上ルートを手中に収めることであり、領域の支配ではなかったです。 (※)このことが、繁栄の限界になりました。 【スペインの繁栄】 (05)矛先変更・・・領域支配のターゲットを、アフリカから、アメリカに変更しました。 (06)1521年・・・エルナン・コルテスが、アステカ王国を滅ぼして、メキシコを征服しました。 (07)1533年・・・ゴンサロ・ピサロが、インカ帝国を滅ぼして、ぺルーを征服しました。 (08)スペイン領・・・ブラジルを除く中南米のほとんどの地域が、スペイン領になりました。 (09)銀船隊・・・絶対王政時代の初期、重金主義政策の下、鉱山開発に力を注ぎました。 (10)1571年・・・レパントの戦いで、オスマン帝国を破りました。 【スペインの衰退】 (11)フェリペ2世(高2)・・・カルロス1世の子。 スコットランド女王メアリー1世と結婚しました。 (12)メアリー1世(高2)・・・フェリペ2世と同じく、カトリック教徒でした。 (13)エリザベス1世(高2)・・・イングランド女王。 プロテスタントでした。 (14)2人の共謀・・・フェリペ2世とメアリー1世は、エリザベス女王の廃位を謀りました。 (15)これに対抗・・・イングランドは、スペイン領ネーデルラントのプロテスタントを支援しました。 (16)これに対抗・・・スペインは、イングランドを一掃すべく、無敵艦隊アマルダを派遣しました。 (17)結果・・・スペインがイングランドに敗れ、スペインは衰退していきました。 (疑問)現在は、ともにイギリスに属するイングランドとスコットランドですが、 当時の関係は、どのようなものだったのでしょうか?・・・イギリスの歴史を学びましょう! ●ゲルマン人の大移動・・・何がきっかけだったのでしょうか? ●ノルマン人・・・「ゲルマン人の大移動」の“第2波”です。 ●プランタジネット朝・・・王朝が代わる時って、どんなとき? ●ランカスター家とヨーク家・・・「百年戦争」が終わり、英・仏ともに中央集権が進みました。 ●テューダー朝・・・絶対王政への助走段階です。 ヘンリー8世に注目! ●ステュアート朝・・・絶対王政の最盛期です。 2つの革命を経験することになりました。 ●ハノーバー朝・・・国政に疎い王が続いて、議会が主権を持つようになりました。 → 産業革命へ。 「時間の単位」に戻る |
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