ノルマン人

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「ノルマン人」とは、4〜6世紀の大移動のときに移動していなかったゲルマン人のことです。

漁業や貿易を生業として、造船・航海術に優れていました。

しばしば略奪を行い、「バイキング」として恐れられていたのも、この民族です。



学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。

「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。

自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。

カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。



【ノルマン人の南下】


(01)
第2次民族移動(高2)・・・8〜11世紀、ノルマン人がヨーロッパ各地に進出してきました。



【西フランク王国(現フランス)へ侵入】


(02)
10世紀(高2)・・・西フランク王国の沿岸部からセーヌ川流域に侵入しました。

(03)
ノルマンディー公国・・・西フランク王は、懐柔するため、領土の一部を治めさせ、臣下にしました。



【ペプターキー(現イギリス)へ侵入】


(04)
11世紀・・・ノルマンディー公が、アングロ・サクソン七王国(ペプターキー)に侵入しました。

(05)
そして(高2)・・・1066年に「ノルマン朝」を開きました。

(06)
つまり(高2)・・・フランス王の臣下であるノルマンディー公が、イギリスの王を兼ねたわけです。

(07)
封建社会の始まり・・・ノルマン朝は、反抗した貴族の土地を没収し、中央集権的な封建制度を進めた。



【地中海へ進出】


(11)
地中海へ進出・・・ノルマン人は、南イタリアのビザンツ帝国を退け、シチリア島のイスラム人も駆逐。

(12)
12世紀(高2)・・・両者を併せて、「両シチリア王国」を建てました。



【ノルマン朝】


(13)
ウィリアム1世(在位1066−1087)・・・ノルマンディー公のこと。

(14)
ウィリアム2世(在位1087−1100)・・・ウィリアム1世の男子です。

(15)
ヘンリー1世(在位1100−1135)・・・ウィリアム2世の男子です。



(※)ヘンリー1世には、ウィリアムという男子がいましたが、若くして亡っていました。

   ヘンリー1世が亡くなった後、

   ヘンリーの姉アデルの子であるブロワ家のエティエンヌが、フランスからロンドンに入り、

   諸侯の支持で、イングランド王スティーブンとして即位しました(ブロワ朝)。

   しかし、ヘンリー1世自身は、生前に、自分の娘マチルダを後継者として指名していたので、

   マチルダは、スティーブンの即位を「不当」として、両者の間で内戦となりました。

   スティーブンが、自分の後は、マチルダの子アンリを後継者にすることを約束し、和平が成立。

   スティーブンの死後、アンリが「ヘンリー2世」として即位することで、

   「プランタジネット朝」が始まったのです。 → こちら



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