ゲルマン人の大移動
|
|
「ゲルマン人の大移動」は、大きい流れとして“北から南へ”です。 「ヒトは、アフリカで起源した。」ということなので、大移動(南下)よりも前に、一旦、 南から北へ、ヒトが移動(北上)しているはずなのですが、またまた戻ってきた(南下した)わけですね。 ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。 【大移動前】 (※)事前に、「古代ローマ帝国」について学んでおくと良いです。 → こちら (01)ローマ帝国・・・アルプス山脈以南の地中海世界でした。 (02)アルプス山脈以北・・・新石器時代以来、インド・ヨーロッパ語系のケルト人やゲルマン人がいました。 (03)ケルト人・・・ライン川流域やドナウ川上流域に居ました。 (04)ゲルマン人・・・スカンジナビア半島南部からバルト海沿岸に居ました。 (05)紀元前後・・・ゲルマン人が、ケルト人を圧迫しながら勢力を拡大し、ローマ帝国と接しました。 (06)3世紀・・・ローマ帝国との衝突を繰り返すうちに、平和的に移住するゲルマン人が増えていきました。 (07)ローマ帝国の弱体化・・・政治や経済の中心が中央のイタリアから、周辺の属州へ分散しました。 【大移動開始】 (08)4世紀・・寒冷化による穀物不足で、ゲルマン人の大移動が始まりました。 (09)東ゲルマン民族・・・原住地を確保せず、どんどん移住していきました。 (10)長所・・・移動が速いので、新しい土地に、先に到着できました。 (11)短所・・・新しい土地に支配権を確立できず、短命に終わりました。 (12)西ゲルマン民族・・・原住地を確保しながら、膨張・発展するかたちで移動していきました。 (13)短所・・・支配権を確立するまで、先に進めませんでした。 (14)長所・・・時間をかけてローマ人とも融和し、勢力を拡大できました。 (15)フランク人・・・フランク王国を建てた西ゲルマン民族です。 (16)フランク王国・・・後のドイツ、フランス、イタリアになる地域に建てられた国です。 (17)アングロ・サクソン人・・・ヘプターキーを建てた西ゲルマン民族です。 (18)ヘプターキー・・・後のイギリスになる地域に7つの王国が樹立しました。 (※)この後、ヘプターキーの1つ「エセックス」国に、 ノルマン人が侵入してきます。 【古代ローマ帝国の分裂】 (※)古代ローマ帝国の成り立ちについては、こちら (19)395年(高2)・・・テオドシウス帝が亡くなると、その子ら2人がローマを東西に分割しました。 (20)西ローマ(高2)・・・476年に、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされました。 (21)東ローマ(高2)・・・ビザンツ帝国として1453年まで続き、東ヨーロッパの原型となりました。 「時間の単位」の一覧へ |
|
|