ランカスター家とヨーク家

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家章が、紅いバラであった「ランカスター家」と、白いバラであった「ヨーク家」の争いを

「バラ戦争(1455−1485)」と言います。



【ランカスター朝】


幼くして即位したプランタジネット朝のリチャード2世は、

治世初期は、貴族たちの補佐を受け、成長してからは、専制のため側近を重用しました。

このことが周囲の反感を買います。

エドワード3世の4男ジョン・オブ・ゴーントの長男で、リチャード2世の従弟になる、

後のイングランド(ランカスター朝初代)国王ヘンリー4世ら貴族層のクーデターにより、

リチャード2世は、王位から追放され、幽閉された末に死去しました。



ランカスター朝は、

初代が、ヘンリー4世(在位1399−1413)・・・エドワード3世の孫

2代目が、ヘンリー5世(在位1413−1422)・・・ヘンリー4世の子

3代目が、ヘンリー6世(在位1422−1461、1470−1471)・・・ヘンリー5世の子



ヘンリー6世の時に「バラ戦争」が勃発。

1461年、ヘンリー6世は、ヨーク朝のエドワード4世に王位を奪われ、幽閉されます。

ヨーク朝の内紛により、1470年に復位しますが、

翌1471年、反撃に出たエドワード4世に捕らえられ、殺害されました。

その後、ランカスター家は復活できず、1485年まで、ヨーク朝がイングランドを支配しました。



【ヨーク朝】


エドワード3世の5男で、ヨーク家の始祖エドマンド・オブ・ラングリーには、

2人の男子エドワード・オブ・ノリッジと、リチャード・オブ・コニスバラがいました。

エドワード・オブ・ノリッジが、1402年に父を継ぎましたが、

子がないまま、1415年10月に、アジャンクールの戦いで戦死しました。

リチャード・オブ・コニスバラは、同じ1415年になりますが、

6月のサウサンプトン陰謀事件に関わって、国王ヘンリー5世に対する反逆罪として処刑されていました。



このままヨーク家の血筋は絶えたのか・・・と思いきや、

リチャード・オブ・コニスバラには、既に、男子リチャード・プランタジネットがいました。

このリチャード・プランタジネットが、エドマンド・オブ・ラングリーの後を継ぐことになりました。

リチャード・プランタジネットは、バラ戦争時の1460年に、

ウェイクフィールドの戦いで捕らえられ、処刑されます。

今回ばかりは、ヨーク家の終わりなのでしょうか・・・。



いえいえ、リチャード・プランタジネットには男子エドワードがいました。

エドワードは、1461年に、タウトンの戦いで大勝し、ランカスター軍を壊滅させました。

ヨーク家の内紛により、1470−1471は、ランカスター家のヘンリー6世に復位されますが、

内紛を鎮圧し、ヘンリー6世を殺害し、1483年まで、王位につきました(エドワード4世)。



その後、王位には、エドワード4世の男子エドワード5世が、一旦、就きますが、

エドワード4世の結婚は無効だったことが判明し、エドワード5世の王位は消滅。

エドワード4世の弟であるリチャード3世が就きました。



1485年、ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダーが、

ボズワースの戦いでリチャード3世と決戦!・・・リチャード3世は、味方の裏切りに遭い、戦死しました。

ここで、ヨーク朝は終わり、テューダー朝が始まります。 → こちら



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