ハノーバー朝
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「ステュアート朝」が終わった1714から1901年まで続いた王朝です。 現在のイギリス王室であるウィンザー朝の祖になります。 ![]() 【ジョージ1世】・・・ハノーバー朝初代の王(在位1714−1727) ステュアート朝のチャールズ1世の姉エリザベス・ステュアートに、 ゾフィー・フォン・デア・プファルツという女子がいました。 父親は、ドイツ帝国のフリードリヒ5世です。 このゾフィー・フォン・デア・プファルツと、 ブラウンシュバイク・リューネブルク公子エルンスト・アウグストの間に生まれた男子がジョージ1世です。 したがって、ステュアート家の遠縁になります。 ステュアート朝最後の君主アン女王(1702−1714)は、夫がスウェーデン王子であり、 ハノーバー朝最初の君主ジョージ1世はドイツ出身で英語ができませんでした。 国政に疎い国王が2代(計26年間)続いたため、議会が主導権をもつようになり、 これが産業革命へとつながっていきます。・・・どういうこと? 【ジョージ2世】・・・ジョージ1世の男子(在位1727−1760) 【ジョージ3世】・・・ジョージ2世の孫(在位1760−1820) ジョージ2世の男子フレデリック・ルイスは、父より先に他界していました。 フレデリックの男子がジョージ3世です。 在位中に、グレートブリテンとアイルランドが連合王国となりました。 【ジョージ4世】・・・ジョージ3世の男子(在位1820−1830) 【ウィリアム4世】・・・ジョージ4世の弟(在位1830−1837) ジョージ4世の唯一の子であるシャーロット王女は、既に亡くなっていました。 【ビクトリア】・・・ウィリアム4世の弟エドワードの女子(在位1837−1901) ウィリアム4世の子は2人いましたが、いずれも若くして亡くなっていました。 ビクトリアの在位期間64年は、歴代イギリス王の中で、エリザベス2世に次いで、2番目の長さです。 世界各地を植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、 その治世は「ビクトリア朝」と呼ばれています。 「時間の単位」に戻る |
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