喪春記
             《前 編》


                        
                       

                   
崎靖士 
 

   

 品川駅を過ぎても、夕暮れを迎えた東京は遠くまで靄っていた。普通急行での二十時間を超える旅と硬い座席は、私の足腰に鉛のような疲れを課していた。受験についで二度目の上京だったが、東京は不安に揺れる私を、その柔らかい鈍色の霧の中に、懐深く抱いてくれたのだろうか。しかし、膨らむ希望で不安を打ち消そうとしても、ホームに降り立ったときの喩えようのない足元の覚束なさは、四月とはとても思えぬ寒さのせいだけではなかった。東京駅はラッシュ時で、雑踏を成して蠢く人々には表情がなく、物体を思わせた。私は両手に提げた大きい荷物を恐縮し、山手線へ通ずる地下道の端を選んで歩いた。電車がカーブすると、窓越しから聳え立つビルが急に目前に迫り、私の首を竦ませた。既にネオンの灯った巨大なビルの壁面には『オリンピックまで、あと一八七日』とあった。
 
高田馬場駅改札口で行先を告げて聞いたのだが、駅員は黙ったまま都電の停留所を指さした。都電に乗り早稲田まで行く。電停の前にある煙草屋のおばさんが親切に教えてくれ、だらだらと続く坂を荷物を引き摺りながら、力を振り絞って歩いた。寮の門柱は、薄暗い街頭に微かに照らされているだけだったが、墨の滲んだ表札によって私の目指す所だと知り、やっと安堵した。門を入ると、夜目にも鬱蒼と繁り撓む木々が建物を掩っているのが解った。玄関は立派な造りだが両脇のガラスは割れ、サンダルや靴が散乱していた。
 案内を請うても誰も出て来ない。玄関からまっすぐに廊下が続き、ところどころ球の切れた蛍光灯が力なく光っている。奥の左側の部屋から明るい灯が洩れ、時折、賑やかな声が聞こえた。私は早くも心細くなった。何回目かの私の声で、褞蚫を着た男が顔を出した。幾つもの色を組み合わせた褞蚫は、私を恐懼させた。
「何だ。」
「ことし、入寮する者ですけど。」
「じゃ、勝手に上がれよ。」
 褞蚫姿は二階へ続く階段に消えた。私は運動靴を脱いだ。右側には塗りの剥げた木目の粗い下駄箱が並んでいたが、蓋はほとんど外れている。私は靴をどこに置こうかと随分迷ったが、左手にしたまま廊下を進んだ。明るい部屋は食堂だった。魚を焼く臭いがし、長机と椅子が雑然と並べられ、五、六人が食事中である。奥にはテレビが置かれ、十人位が見入っていた。
「あのう、すみません。」
 食事中の男達は、一斉に私を見た。そして、一人が大仰に笑い出した。それが合図となり、皆んな笑い出した。テレビを見ていたうちの数人も振り返る。私は何を笑われているのか解らぬまま、ただ頭を垂れた。
 黒っぽいセーターに縮んだズボンの長身の男が立ち上がり、皆んなを窘めた。彼は私の肩に手を当て、慰めの言葉を掛けた。そして、寮監室へ連れて行ってくれた。
「靴は玄関へ置いとけよ。なくなりはしないさ。」
 この寮は県人寮である。旧藩主の江戸藩邸の一部を利して、戦後建てられた。寮は二棟からなっている。その離れに、小じんまりした別棟があり、寮監一家が住んでいた。案内する途中、男は「寮監は一徹な人だ。挨拶は、はっきりとした方がいい。」
 と助言したのだが、私は老人が苦手だし、どう挨拶すればいいのか聞きたかったが、喉が渇いて声が出ない。別棟のベルを鳴らすと、小柄な寮監夫人が現れた。寮監は風邪気味で寝ているという。私はほっとした。三ヵ月足らずで退寮するまで、私は寮監に会わなかった。
 私の与えられた部屋は一二九号室で、食堂のはす向いにあった。男は、朝夕食の時間や、入寮手続きをあした自治会総務でやるように、と教えた。私が先に送った荷物について聞くと、暗い裏口に案内した。濃茶やカーキ色の蒲団袋が、堆く積まれてある。
「チッキは、いつ頃送ったのかい?」
「はあ、もう十日にもなります。」
「じゃあ、この中にあるはずだ。探したら部屋に行って、疲れているだろうから早く寝た方がいい。僕は三橋だ。ここの自治会の委員長をしている。二八号室にいるから、何かあったら相談に来たまえ。」
 私は口籠もりながら、何回も三橋さんに頭を下げた。あしたでも礼を言おうと思ったのだが、数日後食堂で彼を見かけたときには、適当な言葉を探し出せず、避けてしまった。そして、その後は三橋さんに近づかず、偶に会っても目を伏せて彼の視線をそらした。
 蒲団袋の山の中から私のひしゃげたものを見つけ出すには小一時間もかかった。一人では、持てそうにもない。そこで、裏口の暗い電球の下に引っ張って行き、堅く荷造りされた紐をほどこうとした。なかなか巧くいかず、左手の人差指のつけ根を切り、血が滲んだ。無意識に口へ運び、傷口を吸う。血と黴た埃の味とが混じっていた。やっと紐が解け、本を出して四、五回に分けて部屋へ運んだ。最後に蒲団袋を担ぐ。食堂はすぐ前にあり、変わらぬ賑やかな声が満ちていた。
 ベニヤを貼りつけた引き戸は、案に相違して軽やかに開いた。暗闇は饐えた臭いを放った。手探りで探したスイッチを押すと裸電球が淋しく室内を照らした。茶色に変色した縁なしの畳が六つ並び、他には何もない。しかし、私は何もないことに安堵さえした。
 寮案内では、全室が二人部屋とあった。これからも誰も来ないことだけを願った。
 蒲団袋をひっくり返してみたが敷布が見つからず、ひんやりした蒲団にくるまって、その夜を明かした。空腹だったが、あの明るい食堂に再び向う勇気はない。
 カーテンのない窓から差す朝日は、私を爽やかに目覚めさせた。百号室以上は全て日当たりが悪く、新入寮生専用となっている。四尺に切った窓からは、遠く続く瓦の波が見えた。東京は晴れており、私の心を和ませた。窓が開かない。よく見ると、窓枠が釘で固定されている。桟は白くて欠けた部分が多い。窓枠にはビール瓶や空缶が雨曝しで積んである。そして、一m先に鉄条網が張られ、その向こうに澱んだどぶがあった。それらは嫌でも目に入るのだが、私は心を塞がせまいとし、澄んだ青い空を見上げた。
 一枚きりの海老茶のセーターを着て、汚れて節くれ立った廊下を出ると、各部屋の前にはスリッパがある。軋む廊下の板目は荒く、スリッパも買わねば、と思った。食堂に入る。朝餉の準備はされていたが、それを除いては寮はまだ眠りにあった。減った腹は痛みをさえ訴える。出発の日、姉に握ってもらったおにぎりを三回に分けて食べたが、昨日の昼からは何にも食べていない。
 厨房の入口とおぼしきガラス戸の横に配膳台があり、アルミ盆が並べてある。そこから腰を屈めて厨房内を見ると、夫婦者らしい初老の男女と、若い二人の娘が忙しく立ち働いていた。食事が出来るかどうか、大声で聞いた。白い上っぱりに坊主頭の男が、私の名を聞いて、
「名簿にないから、現金だね。」
 と言った。私はズボンのポケットより四十五円を払う。大根だけの味噌汁の熱さが身体中を駆け巡った。

 

  
  二

 
 高校二年の頃、既に私は東京の大学へ進む意志を固めていた。商売が巧くいっていない父は、地元の大学以外は駄目だ、と言った。母は私が中学に上がって一年もせぬうちに若くしてこの世を去っていたので、母親代わりとなった姉が、父を説得してくれた。父は「勝手にせい。」とだけ言った。それは許しの言葉には違いなかったが、同時に、四年間の学資と生活の不安が私には課されたのだ。それでも、田舎を離れたかった。理由はただ一つ、過去を断ち切ることである。貧困の中にある親思いの優等生。それが私に対する評価であった。私が社会を、貧困を、家庭すら憎みつつ演技していることには誰も気づいていなかった。だが、私はもう自分を騙せなくなっていた。
「東京は自分を変えてくれる。」
 そう信ずることのみが暗闇の光明であり、自らを鼓舞した。
 合格すると、父は入学の諸費用と片道の旅費だけ工面してくれた。国立大学の極く少額のそれでさえ、父はどこからか借金して来て充てたのである。姉は見送りのとき、ちり紙に包んだ何かを素早く私の学生服に突っ込んだ。列車に乗ってから開くと、皺になった数枚の千円札が忍んでいた。二十四にもなって化粧一つしない姉を思い、込み上げて来るものを抑えた。
 大学と寮の手続きをし、細かい身の回り品を調えると、所持金は幾許もなかった。
 寮生活はどうしても私の肌に合わない。狭い廊下を両手足を振って、江戸期のカブキ者の如く闊歩する三、四回生。それに出会うと直立不動で、「オッス」と挨拶する新入寮生。それらは寮のどこでも、いつでも見られ、私を縮み上がらせた。私は常に廊下に神経を尖らせ、だれも通らぬ気配を見計らってトイレへ外出へと駆けた。食事は誰もいない時刻に手早く済ませる。だが、食事中に先輩が入って来ることも多い。首を竦めて食べていると、咳払いが聞こえる。慌てて立ち上がり、「オッス」と蚊の鳴くような声を出しては、
「声が小さい。」とどやされた。
 また、この寮では明るいうちから、どこかで酒盛りが始まる。 蛮声は一晩中、寮を支配する。時には酔った足が、引戸を蹴った。私は息を殺して通り過ぎるのを待った。これでは神経を痛めるばかりだ。早く学校へ行きたい。大学で学ぶ為に来たんだ。入学式が待ち遠しい。寮では誰が何と言おうと自分だけの城を守ろう。
 待望の入学式となった。前の日は床屋にも行った。大講堂に吸い込まれる新入生の群れが私を威圧し、その多くは背広姿で、頭を綺麗に分けていた。学長の訓示は、二階の奥に座った私の耳までは届かない。居並ぶ教授陣と大講堂にも溢れるほどの学生。私なんぞ、どう考えてもけし粒ほどの価値もない。晴れがましい入学式は、私にそれを知らしめただけであった。
 オリエンテーションの初日、学生課で育英会の奨学金について尋ねた。窓口に座った中年女の事務職員
「六月にならないと、下りません。」
と冷たく言う。私は頭を殴られた気がし、
「それでは困ります。」
と思わず言った。すると彼女は激しい口調で私を罵った。その日は学食で昼食も摂らず、寮に戻った。上京して未だ数日、私は全てに打ち拉がれていた。
そして、学生達の(いや、私だってその一人なのだが、彼等は人種が違うように思えた。)
 希望に満ちた動作や屈託なさが、私を更に惨めにした。学生課ではアルバイトの紹介をするのだが、あの中年女の顔が浮かび、私を窓口に向わせなかった。相談する相手もいない私は、やはり上野さんに頼むほかない、と思った。
 上野さんは高校の先輩であり父同士が友人だったこともあって、この寮に招んでくれたのだ。父は入寮したらすぐ彼を訪ねるように念を押した。私は訪ねまいと思っていたが、たとえ意に反しても、消えかかった光明を引き戻すには、上野さんに縋る以外なかった。入寮後、十日が経っていた。私は寮生の誰とも言葉を交わしていない。二階の南側に面した上野さんの部屋は、寮には珍しくきちんと整理されており、司法試験を目指しているだけに、スチールの本棚に囲まれた雰囲気は私を畏怖させた。自己紹介をすると、上野さんは、
「田舎の父から聞いてるよ。」とだけ言ったが、明らかに不機嫌であり、アルバイト先を頼むのを私はためらった。だが、私は言葉少なく、しかも執拗に頼み込んだ。上野さんは、
「― 君の大学なら、家庭教師の口は、いくらだってあるだろう。」
と、また表情をきつくした。しかし、私は卑屈なほど蹲って、同じ言葉を繰り返して頼んだ。
 それから一週間後、上野さんの部屋に呼ばれ、家庭教師の口をもらった。
「私が世話になってる方の友人宅だから、真面目にやってくれ。」
 それだけ言うと、彼は頑丈な漆塗りの文机に向い目を本に落とした。私は何度も頭を下げた。上野さんは軽蔑と怒りを綯い交ぜにした口吻で、
「そんなに、頭を下げるもんじゃないよ。家庭教師を紹介したくらいで。」
と声を荒げたが、私は尚も頭を下げ続けた。
 次の土曜日、午前中の講義を終えると、上野さんに書いてもらった地図を頼みに、池袋から東上線に乗り、練馬で降りた。地図には東上線の乗り場、バス停やバスの行き先が細かい丁寧な字で書かれている。バスを待つ間、私はかつて意に留めたことのない身形を気にしていた。頭はだいぶ伸びていたが、分けるほどにはなっていない。高校時代に着ていた学生服姿で、変わったのは袖にあった二本の白線をとっただけだ。高校時代は、その二本線が誇らしかったが、外すと、私からは誇りも消えていた。出かける前、行李をかき回したが、これという服はもちろんない。まして、土色に汚れた運動靴は、紐が縒れて細い。これじゃ、田舎丸出しだ。それよりも言葉が不安だった。だが、己を嫌悪するほどまでに頼み込んで得たこの家庭教師は手放せない。何とか気に入られよう。私なりの会話の組み立てもした。
 バスに乗っている間もそんなことばかり考えていて、車掌が停留所を告げると、慌てて手を挙げた。バスが土煙を上げて去った。左側には畑が広がっている。陽炎が立ち、青く盛り上がった野菜だけでなく、路傍の雑草までもが息づく春を迎えていた。学生服では暑いくらいだ。土と草の臭いに私は故郷を想った。目を移すと、道路の右は対照的に、狭い敷地に家々が互いに戦いを挑むように立ち並んでいる。車の一台も通れない路地を五つ、六つ曲ると、地図は私を正確に、梅沢家の門前へ連れて行った。
 大谷石の門柱の表札に、『梅沢茂』とある。門より玄関までは十歩足らずだが、平たい自然石の踏み石が敷かれ、趣味の良い小ざっぱりとした庭には、バラが蕾を持ち爽やかに香った。扉の重々しさに威嚇されつつチャイムを鳴らすと、扉がゆっくり開き、三十半ば過ぎの梅沢夫人が現れ、招じ入れた。用意した挨拶は、私の口から巧く出ない。夫人は丁寧な言葉遣いで応接間に案内した。グレイと茶縦縞が入った布製の応接セットに勧められるままに腰を下ろすと深く沈み、危うく仰向けになろうとした。瀟洒な応接間に不釣合いな野暮で薄汚い学生服を見ている別の私は、それらの動作を憐れんだが、手の出しようがない。私は半ば希望を失った。
 夫人はベージュのスカートに紺のブラウス、髪はセシルカット風で上品な香水が鼻を擽った。よく動く目が印象的である。しかし、私はその目に怯えていた。
「主人は忙しくて、土曜日もおりませんのよ。」
「はあ。」
 私は間抜けな答えをした。夫人は花柄のティーポットから紅茶を注いだ。私の手は小刻みに震え、角砂糖を入れ、音を立てずにこぼさぬように飲むのがやっとで、味わうゆとりはなかった。無器用の上に、緊張は一分毎に増す。ケーキも出されたが、私には、手や口周りを汚さず巧みに食べる自信はなく、夫人の勧めには生返事をした。夫人はいろんなことを聞いた。私の要領を得ぬ答え方にも拘らず、面接は合格となったのであろうか。突然、夫人は二階へ呼びかけた。
「那珂ちゃん。」
 階段から小柄な娘が降りて来た。三編みに編んだ髪と質素な服装が意外である。中学二年生だと聞いていたが、はにかんだほっそりした顔はもっと幼く見えた。夫人は快活に娘を紹介し、娘もはっきりと名のった。
「那珂子です。よろしくお願いします。」
 この子だったら、何とかなるだろう。人に教えた経験はないが、力が沸いて来た。手の震えも止まった。夕食の提供についても、夫人は触れたが、私は黙っていた。
「それでは、お部屋へ戻りましょう。」

と夫人は立ち上がった。後に続き階段へ向うと、那珂子の甲高い声が響いた。
「先生、スリッパ履いていないわ。」
「あら、先生スリッパをどうぞ。」
 夫人は那珂子に目で注意したようだ。私に対して夫人の口吻は決して咎めてはいなかったが、私は言い付けを守らず注意された幼児の如く、狼狽し恥じ入り、玄関に揃えてある毛足の長いスリッパを履いた。
 かなり広い勉強部屋は娘の部屋らしく赤を基調として飾り立てられ、開き窓からは森が見渡せた。勉強机は磨き上げてある。天井に届きそうな本棚が造り付けになっており、全集物や辞書類が、引き出されたこともないかのように、整然と並んでいた。私は、寮にある垢のついた本と、りんご箱を重ねた本棚を思った。
 部屋のドアが開く気配がし、振り向くと、小学三年生くらいの男の子が覗いている。

 利発そうな顔立ちで、口元が強く引き締まっていたが、頬の赤さが愛らしい。
「真一、いらっしゃい。」
少年は夫人の声を待っていたようだ。跳ねて入って来た。那珂子は不満らしく、
「真ちゃんは、お部屋にいなさい。」
と大人っぽく窘めた。夫人はそれに構わないで、
「今度見えた先生よ。真一ご挨拶は。」
少年はペコリと頭を下げる。黒目がちの瞳に、秀でた眉。そして、人なつっこい質らしく元気に言った。
「先生、僕にも解らないとこ教えてね。それにキャッチボールも。」
そのとき、私はこの聡明で愛すべき少年が眩しかった。そしてその眩しさは嫌悪に変わった。
「真一も、那加子のお勉強が終わったら、教えてもらえばいいわ。ねえ先生。」
夫人の言葉に私は吃りつつ答えた。
「ぼ、ぼくは困ります。」
「もちろん、お手当ては増やしますわ。」
自分が惨めになった。そういうつもりじゃない。と言おうとしたが舌がもつれた。
 やはり来るべきではなかった。何故来てしまったのか。と悔いた。
 額から汗が流れ、ポケットをまさぐるが、ハンカチがない。すると、汗は尚も吹き出て来た。
「食事をしていらっしゃい。」
との夫人の勧めを断わり、梅沢家を後にし、バスを待つ間、
「水曜日の六時、土曜日の三時。」
と口の中で繰り返した。
 寮に着くと、私は腐れかかった窓枠に身を倚せて、夕暮れに黒ずむどぶを、ぼんやりと見やった。澱んではいても、どぶもそれなりの流れがある。その流れに一本の箸が漂っていた。箸は流れを行きつ戻りつしたが、先に進めない。私にはそれが己の行きつく先を思い、ためらっているように見えた。瞼が熱くなった。
 戸が荒々しく開き、上野さんがいた。
「帰ったら、報告ぐらいしろよ。」
私はただ、
「すみません。」
とだけ言い、毳立った畳を見続けていた。



  三


 次の水曜日はすぐに来た。朝から気分が優れず、重荷を背負わされた気さえした。三時過ぎに学校を出たが渋谷周辺を当て所なく歩き時間を潰した。このまま帰ろうか、と何度も考えた。だが、上野さんの怒った顔と声が私の足を梅沢家に向けさせた。練馬駅の洗面所で、顔と手を念入りに洗う。学生服の肩に鼻を寄せると、汗が匂った。私は意味もなく学生服のあちこちをはたいた。
 梅沢家に着いたのは六時五分前。窓の灯をちらっと見、背を丸めて玄関に立った。豪華な照明が家中を照らし、いい匂いがする。私は唾を飲み込んだ。学食の定食が嫌いな鯨肉だったので、素うどんを一杯食べただけだ。夫人は今日もにこやかな微笑みを持って、廊下の突き当たりの食堂に案内した。色とりどりの料理が用意され、中央のトレイの果物の瑞々しさと、肉を焼く音が食欲をそそった。
だが、僕は入口で佇んでいた。
「先生、どうぞこちらへ。」
「いや、僕はいいんです。」

私はそれだけ言うのがやっとだった。
「お夕食まだなんでしょう。」
「はあ、でもいいんです。」
「子供達もまだなんですのよ。何もありませんけども。」
その口調は強制するものを帯びてきた。私はまた上野さんの顔を思い出した。そして、つんのめるようにテーブルに着いた。夫人が子供を呼ぶ、「ごはんですよ。」が私の気持ちを更に暗くした。
「主人はいつも遅いんですのよ。近いうちに是非ご一緒にお食事を、と申しておりましたが。」 二人の子供ははしゃぎ、少年は、
「僕は先生の横だ。」
と私の隣に座った。食事が始まり、母子は健啖振りを見せた。私も箸をとったが、およそその場に似合わぬ表情と動作だったであろう。ステーキ皿の厚い肉は狐色で、香しい。しかし、私はそれには手を出さず、小鉢や平皿に盛られた料理をつついては飯を飲み込んだ。「先生、お肉は冷えないうちに。」
夫人の優しい口調も私には苦痛でしかなかった。
「いえ、僕はいいんです。」
 三人の前で、ナイフとフォークを器用に扱うなんて無理だ。これだけは死んでも食うまい、と思った。
 二時間の勉強が済むと、夫人が見送る暇も与えず、梅沢家を後にした。塗り潰された闇を裂いて畑の向こうに幾つかの灯りが揺れた。私はバスを待たず、盲滅法に走った。走れなくなると、咳き込んで道端にしゃがんだ。一台のトラックが走り、前輪が鼻先を掠めた。私はしゃがんだ姿勢のまま、飛び跳ねて除けた。
 来なけりゃ良かったんだ。涙が溢れた。
 四月末まで何とか食いつないだ。家庭教師の報酬は約束より二千円多かった。夫人に礼を言おうとしたが、とうとう言わずじまいだった。まだ教科書は揃わない。しかし六月には奨学金が入る。生活はリズムに乗って来た。もう少し辛抱すれば、と思った。
 寮での生活も平穏だった。私は、他の寮生と顔を合わせぬよう極力努めた。一二九号室は食堂や寮への出入りに必ず通らねばならない。よって、銀座通りと言われていた。だが、二百名を越える寮生と触れ合わぬことは不可能に近い。それでも、必要以外には他人に立ち入らなかった。それが他人をも自分に立ち入らせぬ最良の手段であることを、私は幼い頃から知っていた。
 六月になった。最初の土曜日である。その日は朝から憂鬱な雨が降っていた。幸いにも私の部屋はまだ一人だったので、これといった道具のない部屋でも空間にすら何らかの意味を持たせ、自分なりの城を作れた。が、寮特有の風にはとても馴染めない。昨夜も遅くまで酔って騒ぐ寮生の声と、廊下の足音が眠りを妨げ、目覚めを辛くした。一度は起きて洗面したが、再び床につき微睡んだ。初めて講義を欠席した。昼近くに起きだすと、雨はやはり、休みなく窓を叩きつけている。
 傘を開くと、中骨が二本折れだらしなく垂れているが、雨の備えはこれしかない。一足きりの運動靴は、別に不自由も感じさせなかったが、雨には弱い。二日前に洗濯した生乾きの靴下をポケットに押し込んだ。梅沢家の磨かれた玄関が頭にあった。
 バスは混んでいて、人いきれと湿気が充満し、息苦しかった。揺れる度に運動靴は容赦なく長靴やレインシューズに蹂躙された。バスを降りると、横なぐりの雨が全身を濡らした。折れた傘の内側までも。梅沢家では夫人が恐縮して見せた。
「こんな酷い雨の中を。すみません。」
私は危うく、「お手当てをもらっているんだから、しようがありません。」
と口から出そうになった。そして、何故か無性に腹を立てていた。己にである。しかし、その怒りをぶつける相手は悲しくも那珂子でしかなかった。彼女は聞き分けの良い素直な娘だったが、難しい問題を与えて責めた。遂に泣き出した那珂子を私は許さなかった。その涙は恐ろしく私の心を安らげていた。
 土曜日は勉強が終わる五時過ぎに食事となる。夫人はそれを告げに来て那珂子の様子を案じ、私に疑問の目を投げかけた。那珂子は顔を伏せ、部屋を走り出た。
 「先生、どうかしたんですの。」
「いえ、ちょっと勉強のことで。」
私は自分を充分に恥じた。
 食堂では、梅沢の主人が正面に腰を下ろしていた。鬢の白髪は多かったが、考えていたよりも若く、艶のある和服が似合っている。彼は鷹揚な口調と動きで、私を迎えた。
「お疲れでしょう。まあ、一杯。」
 洋酒の瓶から、琥珀色の液体が快い音でグラスを満たした。夫人はアイスピックで透き通った氷を三、四個入れる。私は、グラスをわし掴みにして一気に呷った。ウィスキーは喉を焼き、激しく噎せた。
「そんなに急いで飲むもんじゃあ、ありませんよ。」
 主人の低い声に、私はやっと乾いた下着は、再び汗で濡れて来た。食事が始まっても、那珂子は現れない。
「どうしたんでしょうね。あの娘は。」
と私を明らかに盗み見た。いつもより、更に早く食事を済ませ、礼を述べ席を立った。玄関に靴がない。私は立ち竦んだ。そして、目だけがうろたえて土間を捜した。
 「ああ、先生。運動靴は濡れてますので、干しときますわ。そこの長靴を履いて入ってください。それから、これは主人が二、三度しか履いていない靴ですけど、きつめなので、先生、よろしかったらお使い下さい。」
 夫人は紙袋を差し出した。黙って受け取った私は、一層強まった雨の中をわざとゆっくり歩いた。傘は用をなさず、雨は頬をすら叩いた。長靴は大きめで変な音がした。寮に帰るまでに紙袋を捨てる場所を捜したが、見つからず、部屋の隅に抛って、身体も拭かずに寝転がった。暫くすると雨は皮肉にも小止みになった。紙袋を開いた。新聞紙とビニールに包まれた黒靴は、しっかりした作りで、踵が少し減っており、靴墨が強く臭った。濡れた靴下のまま足を入れると、ぴったり適った。私は靴を履き、そぼ降る雨を窓越しに眺めた。梅沢の主人と夫人の顔が窓を過ぎる。真一の顔もあった。三人とも笑っている。私はそれらを消すべく目を閉じて歯が折れんばかりに強く、また強く噛みしめた。

 

  四

  夜明け前に熱を出した私は、食事に立つ以外はひたすら蒲団にくるまり、熱の下がるのを待った。早く回復したい気持ちと、せめて水曜日まではこの方がいいという考えが交錯した。気怠い全身に比して頭は冴え、深い眠りにつけなかったが、火曜日の夜は熟睡した。
 昼近くに目覚めると、身体は軽く、空腹を覚えた。動作をのろくしようと思っても、四肢は勝手に動いた。窓に倚りどぶを見ると、あの雨の為にか、澄んだ水が速く流れている。
 どぶはどぶでしかない。いずれまた濁り澱むであろうに。
 例の靴を履き、人目を避けて寮を出た。ズボンも開襟シャツもまだ湿っている。陽は中天にあり、照りつけた。私はやはりハンカチを持っていず、甲で顔を拭った。早稲田の街を歩く。幅広い看板に横なぐりに書いた角ばった太字が目に付く。どれもが『授業料値上げ反対』と読める。だが、その下に書かれた字は読む気になれない。そこここに学生達が集まり、携帯マイクが盛んにアジっていた。私とは関係ないそれらの中を一定の速度で歩いた。戸山町に出て新宿へ行く。六時までは時間がある。私は梅沢家の玄関より少しでも遠ざかろうとし、あてずっぽうではあったが、できるだけ背を向けて歩こうとした。 
 平日の昼とはいえ新宿は人通りが多い。西口に回ると、副都心計画中の為、高い塀が並び、目につくどこもが工事中であった。駅の売店で牛乳とパンを三つ買った。そして、空きっ腹に機械的に流しいれた。ガード下を抜けて歌舞伎町に向かうと、そこは昼間から喧騒と頽廃の中にあった。横文字の若者向けの店が多く、華やいでいた。五月のお手当で寮費を払い、小銭数個しか持たない私は映画館のスチール写真を一枚一枚見て歩いた。高校時代、好きだった女優の写真を追い求めたが、一枚もなく、外人女の裸が脂肪の塊りに見えて、吐き気がした。映画も長いこと見ていない。最後は高校一年の頃だったが、記憶していない。途中で暗闇が恐くなり映画館を掛け出た。その暗闇が永久に続くのではないか、と私は怯えたからだ。
 ゲームセンターの金属音が通りまで響く。派手なシャツを着た長髪の若者達が硬貨を脇に積んで興じている。私はポケットの硬貨に何度か手を触れたが、取り出さなかった。
 けばけばしい盤面を銀球が踊る。私は飽くことなく、いつまでも見ていた。打ち出される球は自由に跳び跳ね、それぞれが意志を持っているかのようだった。操作する十七、八であろう少年は、硬貨の山が消えるまでそのゲーム盤を離れない。私は少年と斗っていた。硬貨がなくなると、少年は私をちらっと見て、舌打ちした。壁の時計は五時にもなっていない。私は焦ってゲームセンター内の獲物を追いかけた。
 それからの一時間は私を虐んだ。垣間見る時計は、ほとんど動きを止めていた。やっと六時になり、私は足枷を解かれて、外に出た。乾いたアスファルト、ネオンの虹だけが映り、靴が黒く光った。
 この靴が悪いのではない。これで良かったのだ。
と私は気を落ち着かせた。
 次の土曜には講義の後、また新宿へ行った。そして、同じように時間を潰し、三時になると、足が軽くなり寮に帰った。生まれて初めて味わう開放感ともいえた。
 夕食を終え、部屋で西鶴ものを読んでいると、引戸が開いた。私の部屋に訪問者などはない。上野さんだろうと直感した。私はそれを待っていたのかも知れない。彼は支離滅裂だったが、口を極めて罵倒した。
「俺の顔に泥を塗ったな。おとしまえはどうつける。」
学生らしからぬ言い方も混じった。私はただ頭を垂れていた。上野さんは最後に、
「寮にもいられなくしてやる。」
と言った。その抑えた口調が、私の耳にいつまでも残った。開けられた戸を、私は夜が更けるまで閉めず、眺めていた。
 だが、あれは上野さんの単なる捨て台詞に過ぎなかったようだ。格別のこともなく数日が経ち六月の半ばには待望の奨学金が下りた。三ヶ月分が纒ったそれは私には大金だったが、指定の書店で最低限の教科書を需め、欲しかった近松の数冊を買うと、半分は消えた。すると、残った金が私を不安にした。奨学金では寮費を払えるだけだ。八月にはどうなるのか。年末には、と近い将来への不安が私の光明を薄らげた。
 学生課の掲示板を見、求人カードを繰ったが、梅沢家の記憶が『家庭教師』の項目から私の目をそらさせ、他には定期的な収入となるものはない。肩を落として高田馬場から帰りの都電に乗ろうとし、定期が切れているのを知った。都電通りを避けて神田川沿いを歩く。川は両岸をコンクリートで囲まれ、底に浅く流れているだけだ。ガードレールに左足を何回かぶつけた。
 これを、一跨ぎすれば、川に落ちて死ぬだろう。生と死とは一歩の違いである。
 その一歩の違いの為にも、あしたから往復とも歩こう、と決めた。
 部屋の前に夥しい荷物が積まれ、戸が開いている。私は恐れ戦いた。がっちりした学生風の男二人と、赤いミニの女が一人出入りしており、部屋には小箪笥や机が並べられている。
「あの、ここは私の部屋ですが。」
一人が胡散臭そうに私を見て、ふんと鼻を鳴らした。水玉のスポーツシャツから剥き出しの両腕は太く、角刈りの精悍な面構えだ。私は気圧されたが、踏み堪えた。
「ここは私の部屋です。」
「ああ、― さんですね。僕は今度入寮して同室になった坂井です。よろしく。」
目は荷物に向けられたままだ。他の二人も私を全く無視しての作業は、部屋をたちまち埋め尽くした。私は廊下で唖然とするのみである。もう一人学生風が言う。
「坂井、それにしても随分チンケな部屋だねえ。」
「しょうがないよ。アパートを出ろ出ろって、親父がうるさいんだ。女が出入りするとでも思ってんのかね。なあ、紀美子。」
坂井は紀美子と呼ばれた女の尻を撫で上げた。女は嬌声を発し、坂井に絡み付く。
「しばらくここで辛抱さ。荷物置場にはもってこいだよ。」
僅かであっても、工夫して配置した私の粗末な道具は、入口近くの隅に押しやられてしまった。私は心の中までも、土足で踏み躙られた気がした。
「私の荷物に触らないで下さい。」
震える声に、三人は私を見つめた。女が坂井の腰の辺りをつつく。そして三人は肩を寄せて話した。笑声が洩れて、坂井が私に振り向いた。
「僕は偶にしかここには帰りません。何でも自由に使って下さい。汚したって構いませんから」
唇の歪みが私の神経を逆撫でした。女の目は笑っている。私は返事をせずに、三橋さんの部屋へ走った。部屋の前には五、六足ものスリッパがあったが、私は自分を怒りで奮い立たせて、戸をノックした。開けると、多くの目が私に注がれた。悪いことには上野さんの目も含まれていた。煙草の煙が充満し、喫えない私の喉にも流れ、咳が出た。真ん中には一升瓶が二本ある。まだ暮れないうちの酒盛りが、酒を苦手とする私を圧した。
「おや、珍客の到来だね。」
三橋さんの目は、もう赤く濁っている。上野さんが、なにか三橋さんに耳打ちした。
「そうか、君は上野さんの後輩かね。ご高名はかねがね聞いていたが。」
哄笑が渦巻く。
「わざわざのお出まし、ご挨拶ですか?」
「銀座通りの住み心地はいかがかな?」
「どぶの臭いに慣れました?」
私は真っ赤になり、一礼して戸を閉めた。また哄笑が湧き、私を追って背に貼り付いた。三人の姿はなく、部屋のほとんどを坂井の家具類が占めていた。そのどれにも触れまいとし、小さな空間に膝を抱えて座った。アルミの灰皿にある五、六本の吸殻の一つから紫色の煙が、天井に一直線の筋を引いていた。

 

   

 翌朝早く、私は雑司ヶ谷の鬼子母神前を通って池袋へ歩いた。繁華街にも裏通りにも不動産看板は結構目に付いたが、遠回りに歩いた。とある淋しい公園横にバラックの不動産屋があり、粗末なトタン屋根が私を近づけた。入り口のガラス戸に、隙間もなくビラが貼ってある。アパートと朱書きされた何枚かを食い入るように見た。
『六畳 台所付き 一万三千円』
『四畳半 台所トイレ共有 七千円』
『六畳 三畳 台所風呂トイレ付 二万円』
何度見ても、私には全くほど遠い。だが、そんな勇気がどこにあったのか、私はガラス戸に手を掛けた。軋みつつ開く。二台の古びた机には何一つなかった。色が黒い壷金眼の男が無表情に見上げた。太ってはいるが、酷く貧相な顔つきだ。
「部屋を探しているんですけど。」
男は無遠慮に、爪先から頭まで睨め上げると、顎を右手でしゃくりながら言った。
「あんた、学生さんかい。」
頷くと、
「予算はどのくらいだね。」
「はあ、安くていいんです。」
「そりゃあ、安けりゃいいに決まってらぁ。」
こんな不動産屋でも私は客だと思えぬらしい。男は書類がごったになった棚から帳面を引張りだし、唾をたっぷりつけた指で手繰っていたが、低く言った。
「3畳だが安いところがあるよ。どうかね、三千円だ。敷金一、礼金一、こいつぁ掘り出し物ですぜ。」
語尾だけが上がる嫌な言い方だったが、内容は私の気を充分惹いた。
「それ、お願いできませんか。」
「前家賃を入れて、九千円だよ。」
男は机の抽き出しを開け、市販の契約書を出すや、たちまちペンを動かし始めた。
「ここに、名前と住所ね。はんこがなけりゃ、拇印でいいよ。」
領収書まで机に取り出され、私はうろたえた。
「あのう、一応見ときたいんですが。」
「もちろん、見せるさ。」
「金は、金はいくらいるんですか。」
「九千円だよ。さっきも言ったろう。」
私は七千円しか持っていない。
「六千円もってるだけです。」
「なんだ、金が足りねえ。それじゃしょうがないな。」
「お願いします。残りはすぐ都合しますから。明日にでも。」
不動産屋はペンで机を叩いた。
「明日来るんだな。こっちはどうだっていいんだぜ。」
「明日まで何とか。」
不動産屋を出た私は寮へ急いだ。別に当てはない。だがじっとしておれなかった。六月中に出ないと、七月分の寮費を払わねばならない。上野さんや坂井、不動産屋の顔が交互に脳裏に浮かんだ。
 手段はある。本を売ろう。
 行李から風呂敷を出して、りんご箱の本を一冊一冊確かめつつ包んだ。本への愛着は無視し、高く売れそうなものを選び、二つの包みを作った。両手に下げると重い。思い直して包みをほどき、西鶴と、買って間もない近松ものだけを除いた。そうすると残りは淋しい本の山となった。また包み直す。今度は未練を残さないよう、力を込めて縦結びにした。
 指が千切れそうだったが、停留所まで一度も下ろさなかった。九段下から神保町に出ると、両側には古本屋が軒を連ねている。駿河台下で降りたが、私はここでも、構えの良い店を本能的に避けた。何回も同じ店の前を通った。古本屋街のはずれに、間口二間ほどの店があった。店頭には古書が積み上げられていて、頭の禿げた親爺が新聞を読んでいる。
「すいません。本を売りたいんですが。」
親爺が頭を上げる。蔓の部分が糸の丸い眼鏡を掛け、両方のこめかみに一センチ角の絆創膏があり、唇が薄かった。この店にしなければよかった、と悔やんだ。
「ここに上げて下さい。」
抑揚のない声である。私は西鶴と近松が入っていない方の包みを広げた。親爺は上の二冊をぱらぱらっと捲っただけで、他の本には目も通さずに言った。
「いくらぐらい、いるんですか。」
「私は、これを売りたいんです。」
「それは解ってます。だからいくらぐらいか、と聞いているんですよ。」
質草となるような代物を持たぬから、質屋に行ったことはなかったが、これではまるで、何かで読んだ質入れのやりとりだ。
「できるだけ高く。」
私の声は細かった。
「こんなもの、いくらにもなりませんね。」
それを聞くまでもなく、もう一つの包みを抱え上げた。親爺は、こちらは丁寧に見た。一枚ずつ捲りさえした。
「全部で一万円ですな。大奮発して。」
その金額は目算の半分でしかない。
「もう少し、高く願えませんか。」
「じゃ、他を当たるんだね。」
親爺は言い終わらぬうちに、新聞の活字を目で追っていた。
 私はお茶の水駅で地下鉄に乗り池袋へ向ったが、その間、ポケットの一万円札を握りしめていた。一万円札を出すと、不動産屋は急に愛想を使い、手続きを済まし、右のドアの部分がひしゃげたライトバンの助手席に私を乗せた。車内には油が強く臭った。繁華街を避けた車は五分も走ると、板橋三丁目に着く。信号機の近くに『中山道 板橋区役所〇・五km』とあった。
 大通りにエンジンをかけっ放しにしたバンを残して、不動産屋は足早に路地に入った。私も慌てて、後を追いかけた。四件目のしもた屋の玄関には、目をしょぼつかせた老婆が現れた。私は促されて、二階へ上がった。二階は四つに分かれており、路地に面した三畳が私の部屋である。思ったよりもさっぱりした畳や押入れ、路地越しの家のベランダにある十数鉢の盆栽が不安を消し去った。不動産屋へ心から感謝さえした。路地はひっそりとしており、午下がりであるのに、暑さも感じられない。
「じゃあ、いいね。」
不動産屋は私をバンに押し込み、手荒く発進させた。池袋駅で別れる。
 世の中、悪い人ばかりじゃない。見かけで判断するものではない。
私は珍しく陽気になっていた。
 荷造りして玄関に置き、退寮手続きをとった。挨拶に行くと上野さんはいず、考えた末、三橋さんの部屋を訪ねた。彼は机に向かった姿勢を変えず、挨拶を背中で受けた。
「上野さんがおられませんので、よろしくおっしゃって下さい。」
三橋さんは答える代わりに冷たく言った。
「再入寮は認めないからね。」
戻るものか。とその背中を睨みつけた。
 電話でタクシーを呼んだが、なかなか来ない。街燈に灯が入る。その間、何名かの寮生が出入りしたが、誰も声を掛けない。私が門柱の陰で顔を俯けていたからではない。『袖すり合うも・・・』と言うが、私の袖は誰ともすりあうことはなかったのだ。これからもそうだろうが。
 蒲団袋を見た運転手は、露骨に嫌な顔をした。恐る恐る、メーターに二百円増すという条件を出すと、運転手は黙ってトランクを開けた。そして、板橋で料金を受け取るまで、一言も発しなかった。
 街路樹の脇に生ゴミを入れるポリバケツが並んでいる。その近くに荷物を寄せて、アパートを捜した。どの路地か解らず手帳で住所を確認した。しかし、住居表示のプレートは見当たらず、通りがかりの人に聞こうとしても、誰も足を止めない。途方に暮れていると、一本の路地から晒を巻いた板前風の青年が出て来た。彼に近寄り、
 「おめえかい。こんなとこに荷物を置く半ちく野郎は。とっとと持ってかねえと、ぶん投げるぞ。」
青年はそう言うや手荒く、ビニール袋をごみバケツに投げ入れた。
 交番をやっと見つけ、地図を見ると、何のことはない、さっきの路地である。そこは昼間の様相と一変していた。一寸の隙間もなくバーや飲み屋が踵を接して並び、私の入るアパートのみがその例外であった。老婆は私の顔を覚えていない。私は名前だけをぶつけるように言って、荷物を担ぎ上げた。部屋は蒲団袋だけで一杯になった。三mとない道路を隔てた向かいでは、酔客の濁声が軍歌をがなっていた。
 そこは猥雑な繁華街のど真ん中であった。オリンピックを控えているので、東京では主に酒類を提供する店の深夜営業は認められなくなったのだが、この界隈では、そんなことは全く無視された。六月である。四時半にはもう空は白んだが、酔った歌声と嬌声は終わりがなかった。神経症の私は眠れぬ夜を送った。窓を開けると熱気が襲う。閉めるとまるで蒸し風呂だ。下ばき一枚で寝る私は三畳を反転し、壁に頭をぶつけて夜を過ごした。だが、不眠症などとは言っておれない。とも角、自分だけの城を得た代償は大きかった。寮と違い、毎日を食べる心配がある。洗濯用のポリ桶、ビニール紐など金額は僅かであっても、確実に負担となった。
 大学はもう夏期休暇だ。学生達は夏をどう過ごすか楽しく語り合い、アルバイトの話すら弾んで聞こえた。私は休暇に入っても、朝早く出掛け学校に通った。構内は広かったが、樹木が少なく、土埃が舞う。図書館に入り、冷房に身体を休める。売ってしまった本を選んでは借りて、同じ個所を何度も読んだ。昼には駅の売店で、三色パンと牛乳の昼食を摂った。
 そうしながらも、私は秋を恐れていた。十月には後期の授業料納入もある。アパート暮らしはあんな三畳でも何かと金がかかる。このままでは駄目だ、と焦った。
 学生課は開いてはいたが、金になる仕事はない。また図書館に戻り、新聞の求人欄を見たが適当なものはなかった。そして、帰りに駅で拾ったスポーツ新聞で土工の仕事を見つけた。
 私は忍耐力には自信がある。工事現場で黙々と働く土工達を見たこともあった。
あれならば、己の力だけでやれる。
公衆電話のダイヤルを回しながら、受話器を握る左手には力がこもっていた。

                    
《後編へ》

 
        
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