喪春記
    《後編








                                               
崎靖士

  

  飯場は中野駅の裏にあった。親方は、一階の奥まった部屋で、丸い緑色の石を紙やすりで、懸命に磨き上げていた。その前には黒光りする長火鉢が据えてある。親方は赤ら顔を石に向けたまま、穏やかな口吻で言った。
「道具は使えるか?」
「初めてです。」
「一日、六百五十円。食事と酒代は、支払いのとき差し引くよ。後は女房に聞きな。」
親方の奥さんを土工達は『ねえさん』と呼んだ。『ねえさん』は、私に食事のことや寝る場所を細かく話してくれた。そして、
「酒はいいけど、バクチはやんねえようにね。」
と親方と同じ訛りで注意した。
 私は既に着替えと洗面道具を用意しており、その夜から飯場の二階を塒とした。二階には外階段から上がる。不恰好に傾いた鉄製の階段を登ると、入口は空けっ放しで泥に塗れた地下足袋が階段にもはみ出していた。土と汗の臭いのする三十畳敷きであった。三灯の裸電球が揺れ、三ヵ所に固まった土工達の影を伸ばしたり縮めたりした。待等は十円バクチに興じていた。花札が打ちつけられる音以外には、呟き一つ聞こえない。
 そこに私を含めて二十二人が寝起きするのだが、二つの固まりに入っていないのは四人だけだった。四人は窓の方に寄せた蒲団に背を凭れていたが、目は何も見ていなかった。
 私は入口に一番近い蒲団に寝た。夜具は垢と油で硬張り、カバーなどもちろん無く、枕元では地下足袋が悪臭を放った。だが、私はアパートの三畳で得られなかった深い眠りに恵まれた。
 翌日は快晴で、朝から陽射しが強い。既に土工達は一人も二階に居ず、私は古いズボンにランニングを着て、初めて履く地下足袋姿となる。外階段の横に剥き出しの水道管と五つの蛇口があり、七、八人がそこで洗面していた。朝の挨拶をしたが、誰も振り向かない。赤銅色の逞しい腕が私を圧した。
 土工には二つのタイプがある。肩が盛り上がった筋肉質か、これ以上痩せようがない痩身かである。共通しているのは動かない眼と、驚くべき腕力と持久力であった。私は彼らの五分の一の仕事も出来ない、と思い知らされるのには、スコップを握ってから五分も要しなかった。飯場に接したマンション工事現場で、六百五十円は私に重くのしかかった。
 名前だけは知っている建設会社の下請けから現場監督が来ていた。親方はその下請けのまた下請けらしい。監督は真夏というのに、乗馬ズボンにゲートルを巻き、鳥打帽。まるでポンチ絵にある戦争成金そのままだ。監督と親方の厳しい指示に土工達は返事一つしなかったが、課せられた仕事は適格に果たし了せた。スコップやつるはし一つ扱うにしても、それなりの技術が要る。私は自分の足先にそれを打ちこまぬようにするのがやっとだった。監督の鋭い目は、すぐ私を見抜き、たちまち標的とされ、叱咤された。
 昼休みには、意識は朦朧とし、仲間がアルミの弁当箱にぎゅうぎゅうに詰めた飯を、水をかけて流し込むのを、汗でぼやけた目で眺めていた。土工達は早めに食事を済ますと、掘り返されてしまい、見渡してもありそうにない日陰を巧みに探しては午睡をとった。私はそういう気力もなく灼熱する太陽を全身に受け、ただ一人座っていた。
 身体中の汗が抜け切り、首筋に白く塩が溜まって仕事は終わった。飯場に辿りついても、食欲は全くない。それどころか、階段に足を乗せた途端、激しい吐き気を催し蹲った。
 だが、何もない胃から出るものはなかった。
 翌日も輪をかけた快晴である。現場は基礎工事であり、深さ二メートルほどの穴が無数に掘られた。監督は私をその穴に突き落とすように入れた。四メートル四方ぐらいの穴にはダンプ一台分もの握り拳大の石があり、それを均す仕事である。監督は私を見下ろして、手洟をかんでいまいましげに、
「てめえみてえな、ぼけなすがいたんじゃ、俺っちがおまんまの食い上げでい。」
 と不思議な言葉で威した。穴の中は蒸して、石は焼け、陽は容赦なく降り注いだ。大粒の汗が額から積んだ石に直接落ちては、広がる暇もなく蒸発した。汗ばんだ手が焼けた石を握ると、じゅんと音がして、くっついた。一つの穴を掘って這い上がると、次の穴が待っていた。果てしない穴は、中も外も地獄であった。土工達は出来るだけ視界を狭くして働いていた。彼等が生きているのは自分一人の世界である。土工達は無愛想だが、律義で人に迷惑をかけない。他人には干渉しない。それが己を守る唯一の道であることを身を持って知っているのだ。
 疲労困憊した私の肉体は、もはや私の精神の統べるところではなかった。現場に入って来た生コン車の傍で、監督が私を呼んだとき、足が動くのさえ不思議であった。生コン車は工事現場に相応しくない鶯色に輝く巨体で辺りを睥睨し、力を誇示するかのように、唸りを上げた。監督は一輪車(ネコという)を渡すと、
「生コンだ。怪我せぬように、ちゃんとやんな。」と笑った。
生コン車はほんの一吐きでネコを満たした。砂利混じりの生コンは、ネコの上でも生きており、私の両腕は把手を支えるのがやっとであった。
 私が芋虫の如く這いずり回った穴には、板が渡された。監督の指示はその板を通って生コンを運べ、というものだ。私は不可能と思いつつ、二、三歩踏み出した。ネコは勝手に滑り、私の方が引っ張られて板に乗った。撓う板に耐え切れぬ両手は把手を離れ、ネコと生コンは派手な音とともに落ちていった。監督が飛んで来て、胸倉を掴み、引き回して二発殴った。私はなされるに委ねた。意識が遠のこうとする。監督は尚も殴ろうとしたが、二人の土工が押しとめたようだ。一人は監督を羽交い絞めにし、一人が頭を下げて、しゃがれた声を出している。それらはとぎれとぎれに私の耳に届いた。
「こいつぁ、学生だ。まだ生コンは扱えねぇ。他の仕事をやらせるから、ここんところは勘弁してくんな。」
 私を助けてくれたのが、安さんとヤマトである。
 顔の腫れと痛みがとれず、口には血の味が残っていたが、私は翌日も現場に出た。安さんとヤマトは私を守るように仕事をした。安さんは五十がらみで、真っ白に近い白髪頭で痩せていたが、節くれだった両手は私の倍もありそうだった。
「私が学生だと、何故解ったんですか。」
「その手を見れば、解るだ。おらにも、おめえぐらいの息子がいるだ。」
安さんは半分白くなった眉を寄せた。
 ヤマトは巨漢である。三人がかりでも動かぬ石も、軽く一人で片付けた。黒い顔に配する太い眉と目、獅子っ鼻の異相だった。年齢も判別出来ない。厚い唇は常に結ばれていた。安さんを父親のように慕い、言うことは何でも聞いた。ヤマトが姓なのか名前なのかは誰も知らない。
 七、八日もすると、私もいっぱしの土工に変身していた。スコップの扱い方、道具の名称も覚え、監督の標的でもなくなった。振り下ろすつるはしの一掻き、スコップの一掬いは、小さくとも、それなりの意味を持っていた。私の汗も、工事を完成させる為の礎の一つであることに歓びを感じた。
 一日の仕事を終えての楽しみは食事と酒である。縁の欠けた長机を三台あわせた食卓の中央には、一斗炊きの大釜と、味噌汁の大鍋が湯気を立て、それぞれがよそって食う。プラスチックの丼につぐ飯は面白いように腹に入る。おかずは大抵、魚の煮付けに塩辛だった。土工達と一緒に食べたいだけ食べる飯は、私の肉体だけでなく精神をも力づけた。
 『ねえさん』の実家が農家で、そこから送られたダンボール十箱の茄子も、一週間足らずで私達の胃袋に納まった。
 夕食時には、皆んなビールか焼酎を飲んだ。日本酒党は一人もいない。成人前だし、滅多に飲んだことのない私だったが、その一杯は間違いなく一日の疲れを癒してくれた。最初は、おっかなびっくりでビールを舐めていたのだが、物足りなくなり焼酎を飲んだ。これが結構いける。安さんは
「さすが、大学は違うわい。焼酎の味もすぐに解るようになるとはな。」
 とからかったりした。私はいつの間にか『大学』と称されていた。やっと彼等の仲間になれたのだが、十円バクチには手を出さなかった。なぜなら彼等と違って、飯場を出る際には幾許かの金を懐にしていなければならなかったからだ。
 土工達のほとんどは出稼ぎだったが、もう数年も郷里の土を踏んでいない者が多い。各々が大事にしている家族の写真や手紙は、古く手垢で汚れていた。飯場暮らしは、家族をも遠のかせる。だが、写真や手紙は大切にしまわれてあり、それを取り出して妻子を思うことだけが、世間との唯一の細い繋がりであった。それもない連中は、休みには競艇か競輪に行き、狂ったように金を使った。全部すってしまうと安心して、翌日からの仕事に励めるようである。
 ある日、ヤマトに一通の手紙が届いた。安さんは、私に読んでやってくれ、と言った。
 固辞すると、
「俺だって読めるけど、ヤマトは大学に読んでもらいたいんだべ。」
と言った。手紙は可愛い便箋に、稚拙だが一画一画、丁寧に大きな字で書かれてあった。私は裸電球の下で読んだ。ヤマトは両手足を持て余すように座っていた。感情を忘れた目は動かず、どこも見ていない。
『とうちゃん、元気かい。あんたが帰って来るのを毎日待っているのに、何の連絡もない。前いた飯場に聞いても、どこに行ったかわかんねえで、ずいぶん探した。やっとそこがわかっただ。子供たちも大きうなった。下の子は来年学校に上がるだが、おらの父ちゃんはいねだか、と聞く。明が、それをおらに聞こえねえように、言い聞かせている。ふびんでならねえ。会うぐらいなら、おらのかせぎでも何とかなるだ。何もいらぬ。帰ってください。』
 私は声が震えないように努めた。安さんは鼻をしゃくり上げた。しかしヤマトの目も表情も変わらなかった。
 翌朝、起きるとヤマトがいない。彼に貸していたタオルと石鹸は私の枕元にきちんと置かれていた。失踪したのだ、と私は直感した。
「安さん、ヤマトさんがいない。」
揺り起こされた安さんは、欠伸を一つすると、面倒臭そうに言った。
「やっぱりいなくなったか。給金ももらわねえで。」
「安さん、親方に、警察へも。」
「大学、ここは飯場だ。娑婆じゃねえんだ。捜したってしょうがねえ。」
 ヤマトはそれきり飯場に帰らなかった。
 八月も末になり、約束の二十五日が経った。私は親方の部屋でビールの馳走に預かり、残業もしたので、食事、酒代を差し引いた一万五千円余りを受け取った。私の顔と腕は親方よりも赤黒く焼けていた。二階では、安さんが繕い物をしていた。
「安さん、お世話になりました。また、お会いしましょう。」
「もう来るんじゃねえだ。大学は土工の仕事もちゃんとやれたんだ。だが、今度来ると、人間を駄目にするだけだ。」彼の眉間には深い皺が刻まれていた。
 飯場を後にした私に残ったのは、一万五千円也と清々しさだった。しかし、疲れを癒してくれた焼酎の味も私をしっかり捉えていた。三畳に帰ったその夜も酔客の声で眠れず、一杯飲み屋の暖簾を潜り、三杯の焼酎を飲んだ。それが私を深い眠りに誘った。朝起きると、三杯の焼酎とおでん数個の影響がいかに大きいかを知り、後悔した。もう飲むまい、と誓い、守った。しかし、床につき眠れないと、焼酎を呷るしか術がなかった。
 九月になり、定期試験が始まった。一夜漬けの勉強に行き詰ると、私の身体は焼酎を欲した。そして、試験が終わる頃には、体調は完全に狂っていた。それが焼酎のためだったのかどうか。胸に圧迫感を伴う、深く不明確な鈍痛が頻繁に襲うようになった。胸が締めつけられ、苦しみに耐えるには、ただ背を丸めて待つしかなかった。十分ほどで痛みは去る。食事をした直後、一口の焼酎やビール、階段を駆け上がった等に訪れる苦しみは、一日に数回では済まなくなった。
 死ねば全てが終わる。死は私には魅力的でさえあった。だが、苦しみは死に直結するものでもない。
 食う為にも、学ぶ為にも、試験休みが来ると、私はまた工事現場のスコップを手にしていた。



  七

  安さんの忠告が耳に残っていたので、飯場暮らしはせず、現場の平和島に電車で通った。
発作さえなければ、ここでも一人前の仕事をした。日払いでもらう金を翌朝の電車賃を残して、すべて飲んだ。そして、胸を締めつけられて苦しんだ。
 六日目の作業中に私は倒れた。最も辛いハンマーでの斫り作業中である。小型のハンマーだったが振り上げると、腋の下が痛んだ。危ないと思いながらも、ハンマーを振った。三振りで意識が薄れた。視界が急に狭まり、これが死なのか、と思った。
 短い人生なら、もっと早く閉じたかった。だが、もう悔いはない。
 私が悔いたのは、病院のベッドに臥せる自分に気づいたときだ。生きているを、自分に恥じた。そして、また眠りに落ちた。
「気がついたの。よく眠っていたわよ」
顔色が黄色く、変に頭でっかちの看護婦が私を覗いていた。意識は、はっきりしている。硬いベッドだったが、掛けられた毛布の柔らかさとシーツの白さが私を不安にした。
「先生にお会いしたいのですが。」
「まだだめよ、起きちゃ。」
「いや、ちょっと。私は」
「どなたかに連絡するんですか。」
 私が黙ると看護婦は毛布の位置を直して、軽く胸元から肩の辺を叩いて、部屋を出た。手足を動かしたが何ともない。ベッドを隔てるカーテンは黄ばみ、途中からだらしなく垂れていた。病室には私一人である。
 私はいつもと違う肌触りに気づいた。ガーゼの寝巻きにメリヤス。私のものではない。不安は不安でなく現実となった。『支払い』の三文字が頭を掠めた。とにかく、病院を出よう、と思った。正確に言えば、逃げよう、である。
 ベッドを降りる。左足が重い。肘窩を見ると、絆創膏が細かく貼ってある。ベッドの脇に点滴の器具が冷たく光っていた。古びたサッシ窓は曇って外が見えない。押すと、甲高い金属音がし、私の身を凍らせた。ここは四階か五階であろうか。見たこともない街のくすんだ屋根があった。朝か夕か、解らない。ベッド下のボール箱に入っていた作業服を身に着けた。靴は見当たらない。扉に耳を寄せたが、廊下は静かで物音一つしない。扉を開ける微かな音も、がらんとした部屋には高く響いた。足を踏み出すと、ピータイルの冷たい感触が足の裏にへばりついた。
 階段の手摺りに縋って下を見ると、階段は地の底までも続いているようで、眩暈がした。滑る手摺りに頼りつつ、静かに、しかし早く降りた。階数の表示はないが、雰囲気で一階だと知った。看護婦が二人、いきなり現れ、私の息を呑ませた。すれ違いざま会釈すると、二人は私を顧みもせず、騒がしく話しながら去った。廊下の奥にガラス戸があり、『面会者入口』の貼り紙が見えた。受付に座った中年女が、何か言おうとしたが、私はそこにあったゴム緒の杉板下駄を突っかけて、表に飛び出した。
 ごった返す街の商店のウインドーには灯が入っており、夕暮れを私に知らせた。買い物客が行き交う通りをゆっくりと歩いた。風は冷たい。季節の変わり目のせいか、人々の服装はとりどりである。商店街を行き着いた先に、大森駅東口があった。初めて見るその駅を、私は懐かしくさえ思った。 
 切符を買おうとしたが、一枚の硬貨もない。確か、少しは小銭があったはずだ。誰かが追っかけて来るような気がしたが、振り返る勇気はなかった。
 駅の横に交番があり、制服の警官が二人、所在なげに表を見ていた。私は背を曲げて、交番に入った。狭い壁の一ケ所が剥げ落ちていた。一坪もない内部の多くを一つの机が占め、アルミのヤカンが置いてある。警官は二人とも、パイプ椅子に腰を下ろしていた。一人は四十過ぎ位で、制帽を膝に置き、髭が濃い。もう一人は青白くほっそりしていて、二十才を出たばかりと見える。制帽を目深に被り、眉もその中に隠していた。
 私はやけ気味に、だが卑屈に腰を折って言葉を選んで申し出た。交番に入るまでは、そんなことは考えていなかったのだが、私の口は詐欺師まがいに、とつとつとしかも能弁に動いた。
「アルバイトの帰りに財布を落としたんです。この近くだと思い、捜したんですけど。
住まいは板橋です。電車賃を貸していただけますか。おっつけ、お返ししますので。」
 若い警官の細い目が私を見つめていた。頬に手をやると、一センチ近くも髭が伸びている。交番を出たくなった。しかし、年輩の警官はロクに訊ねもせず、二百円を差し出した。
「アパートに着いたら、すぐ送ります。」
 彼はそれには返事をせず、ヤカンから直に茶を入れて、勧めてくれた。色が付いているだけの生ぬるい茶は、私の渇ききった喉に充分な潤いを与えた。良心が痛んだ。若い警官は尚も、瞬きもせずに私を見続けた。
 何度も礼を述べて、交番を出た。とっぷりと暮れた空には星一つない。身震いがし、尿意を覚えた。駅の公衆便所は掃除したばかりで、水浸しだった。杉板下駄が水を跳ね、足先を濡らした。作業ズボンの裾も水を吸った。用を済ますと、洗面台の割れた鏡に映る己の姿があった。髪は伸び放題で、頬から顎は薄汚い髭に掩われている逞しい姿であった。水浸しの土間にでも顔を浸せば似つかわしいのだろうが、それのできぬ自分を詛った



  八

 
 三畳に帰って私は、部屋を一歩も出ずに三日三晩を過ごした。学校はもう始まっている。四日目に残った本のうち、目ぼしいものを風呂敷に包み、また駿河台で売り、得た金がなくなるまで飲んだ。飲むものは『かっぱ』のカウンターに限られた。ママの待子は私の顔を見ると、黙って一升瓶からグラスに七分目ほど焼酎を注ぎ、お湯で割った。

「お湯で割らなくていいよ。」
「駄目よ。身体をこわすから。」
私は『身体をこわす』か、と笑いたくなりながらも抗わなかった。私は客がいないのを見計らって、何杯かを呷って帰る。『かっぱ』が賑わしいと、店の前をうろついて、客が引けるのを待った。
 十月は東京のみならず日本中がオリンピック一色となった。見るもの触れるもの全てに、あの厭わしい五輪のマークがあった。それに埋まる新聞を私は忌み嫌い、読まなくなった。開会式より数日、この路地は閑散としていた。私は何もせず寝て毎日を送った。
 読むべき本もない。天井の節やしみを見て、無為な連想をするのみである。かといって、若者らしい欲望もなく、自分を潰すことさえしなかった。
 四年間が過ぎるのを、あんなに望んでいたのに。私にとって、その四年は最早、何の意味もなくなってしまった。生きている証は、ときに襲う胸の苦しみだけであった。
 暗くなっても、街はひっそりしている。『かっぱ』を覗いた。客はなく、待子はカウンターを出て煙草を喫っていた。いつもの和服姿だった。三十を過ぎたばかりだが、着けるものは地味である。頭はざっとひっつめており、化粧は日によって変った。下がり気味の眉に愛嬌があったが、鼻筋の通った横顔はこの界隈に適っていず、それが彼女をしたたかに見せていた。瞳は黒く澄んでいたが、白目が濁り、赤い髪が疎らに額にかかる風情が、待子のこれまでの生き様を顕わにしていた。
 待子は私を右目の端だけで捉えて、
「今日もかい。」
とだけ言った。
「暇みたいですね。」
「とんだお茶っぴきさ。オリンピックなんてばかばかしい。これじゃ顎が干上がるわね。あんたテレビ見ないのかい。」
 伝法な物言いが私には却って快い。
「あんなもの、面白くもないでしょ。それに僕はテレビ持ってないしね。」
待子はエプロンを着けると、焼酎をお湯割りにした。呷ると、胸が絞めつけられた。待子は耐える私を無表情に見ていた。
「ママ、もう一杯。」
二杯目を払う金はなかったが、私はそう言った。
「駄目よ。あんた死ぬ気?」
「金なら、明日奨学金が入る。」
「金のことを言ってんじゃないよ。学生のくせに酒に溺れて。」
待子の顔が歪んだ。私は立ち上がり、一杯分をカウンターに置いた。待子は、
「しようがない人だね。これはサービスだよ。」
とグラスを満たした。二杯目は喉を通った途端、胸を苦しめたが、それに構わず流し込んだ。耐え難い痛みは、私を椅子から崩折れさせた。
「あんたって人は。何が不足で酒ばっかり食らうのさ。」
待子の目は吊り上ったが、私を抱えるように二階の六畳寝かせた。痛みは続き、背だけでなく足も丸めて、嵐が終るのを待った。やっと和らいだ頃、待子が上がって来た。
「すみません。」
私は桃色の縁取りをした毛布に顔を隠した。
「ママ、お店は? 悪いな。」 
「今日は看板さ。貧乏神のご到来じゃあね。」
畳にべったり座った待子の横顔が、急に老けて見えた。
その晩、私は待子を抱いた。初めての女である。
 十月とはいえ、六畳は一階の熱気を伝えてか生暖かく、処狭しと並べられた家具には女の匂いがした。整頓された部屋は待子のささやかな砦であった。手作りと思われる千代紙細工の小箱が、二十数個も鏡台の回りを彩っている。私がそれらを見ていると、待子は、
「あんまり、人の部屋をじろじろ眺めるもんじゃないよ。」
と言ったが、口調とは裏腹に、顔を赧らめた。そして、だるそうに帯を解いた。目をそらしたが、衣擦れの艶めいた音が耳を捉えた。いつもの苦しみとは違う、胸の別の部分が熱くなった。 
「僕、帰ります。」
声が掠れた。待子が笑い出す。
「あんた、女を知らないんだね。」
私の頭は勝手に頷いた。待子は長襦袢一枚になり、蛍光灯のスイッチを押すと、私の横に滑り込んだ。窓からのネオンの点滅に合わせて、私の動悸は激しくなった。
「ほら、脱がなきゃあ。何も出来ないじゃないか。」
待子は、荒っぽく私を剥いだ。
「うじうじしているようでも、裸になりゃ一人前の男なんだね。」
柔らかい掌が、私の全身のそこここを微妙に愛撫した。待子の胸をはだける。撓んだ双丘が弾き出る。それに顔を埋めた。ふくよかな下腹部に私の男性が無闇にあたった。背筋に走る快感には、身を反らして堪えた。
「痛いねえ。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるってもんじゃないよ。」
 待子はそう言いながら、私の身体を仰向けにした。待子は下ばきをはいておらず、二人とも生まれたままの姿になった。私の男性はもどかしく屹立していた。待子の肌に這う私の両手を無視して、下腹部に潜ったその唇が私を含んだ。ぬめった感触は瞬時に私を溶ろけさせ、口の中で果てた。
「ごめん、ママ。」
「聞いたふうなこと、言うんじゃないよ。」
唇の白いぬめりを舌で舐めた待子は、喉をごくんと鳴らした。明け方までに私は三度も果てた。しかし、待子は尚も私をいたぶった。
 待子には二人の娘がいる。甲府に実家があり、待子の母が育てているという。それ以上は知らないし、知る必要もなかった。私は待子に溺れた。その肉体の端々までもが、包み込み夢中にさせた。慣れてくると、私の若い肉体も充分に応え、貪り合った。交わりは、愛おしむのではなく、互いを責め虐んだが、私の胸を絞めつけはしなかった。荒い言葉遣いと冷たさを厭いもせずに、私はその裏に隠れた愛情を読み取り、巧みに愛した。私には待子に愛さるべき何ものもない。あるのは、荒んだ心と、脆くなった肉体だけである。自らを生ける屍と思いつつ、待子を抱き、抱かないときはその肉体を思って生きた。
 餌を待つ哀れな野良犬は、夜中の十二時には六畳にいた。最後の客が帰り火を落とすのは、二時か三時、日によっては五時近くにもなる。商売を終え上がって来る待子は、毎日口も開けぬほど疲れている。動くと、着物からは酒と焼鳥の焦げた臭いが侘しく鼻をつき、野良犬を興奮させた。待子は隅にある流しで手を洗い、化粧を落とす。色白の両頬には、しみが点々とあった。二の腕を顕わにして後髪をいじると、肩までの髪が流れ落ちた。赤茶けた髪は、そうすると豊かだった。
 蒲団に横たわるまで一言も発しない待子に、初めは労りを言葉にしたが、沈黙のみが彼女を安らげていることに気づき、それに習った。待子は何も掛けずに横になると、自分の指で首筋や肩を押えた。
「凝ってるようだね。」
 私の不器用な、指での愛撫もそこから始まる。凝りを揉みほぐした私の手が濃い乳首に移る頃には、おずおずした態度を変え、私も男になった。唇を首筋から肩、そして腋に這わすと軽い腋臭が私をミまらされる。待子の吐く息が生臭くなり、それを知る待子は口づけを拒み、頭を振った。私は舌を捩じ入れて、歯ぐきを探り、舌を求めた。待子が充分に潤っても、私が入るにはまだ許されない。上半身を蹂躙した私の唇が腰から太腿へ移る。蛍光灯の青白い光に、うぶげが金色に光った。二人の子をもうけたので下腹が出ていることを待子は恥かしがり、そこで口を開いた。
「電気消してよ。」
私はそれには答えず、舌と唇を使う。待子は息を荒げて言った。
「あんたも好きだね。」
「ママが皆んな教えたんだよ。」
お互いを吸った後、私が上になって責めると待子は嫌がり、私を組み敷いて愛した。
「あたしはね。あんたを抱いてんじゃない。あたしを犯してんのさ。」
私はそれでもいいと思った。
 終わると、またはじめからの愛撫に戻った。まわり燈籠のように、獣の交わりは続いた。獣と言っても、傷を舐めあい慰められるそれとはほど遠い、互いの傷口をあばき、掻きむしる交わりであった。夜が白んでも待子は、私を肉の襞から離さず、牝の声を高く上げた。慌てて口に毛布の端を押し込むと、唾とともに吐き出した。
「誰に気兼だね。人の目を気にするのは人間だよ。あんた、まだ自分が人間のつもりらしいね。」
苛め尽くし、傷つける行為にも、私の胸は痛まない。人間でなくなったからだ、と思った。



  九

 
 昼過ぎに目を覚ましても、待子は寝穢く眠っている。私を快楽に招ぶ肉体は、まぐろのように無様に転がっていた。これは自分の姿でもあるのだ、とそれを目に刻んだ。身支度をし、茶箪笥の上に必ず置いてある一枚の五百円札を持って、階段を下りる。池袋に出て、三本立の映画を見終わると、パチンコ店に入る。パチンコは十回に一回も勝てない。百円分の玉がなくなると、店内に落ちている玉を拾っては打った。

 暗くなってから飯を食う。一膳めし屋で、陳列ケースにあるものを右端から注文した。嫌いなものであっても良かった。味なんか関係なく、食いさえすればいいのだ。食べても胸が苦しむだけだ。そして、三畳に帰り、夜中を、獣の行為を待った。
 十一月になったが、私の毎日は変わらない。いや、一つだけ変った。あってはいけないそれは、身体が回復して来たことだ。発作が、そう度々は襲わなくなり、日に四度、三度と減って行く。私は焦って、焼酎を飲んで通りを駆けたりもした。だが、それは無駄で、息が切れるだけであった。
 五百円では焼酎の一杯分も残らない。六畳には酒類は大抵は置かれていたが、ないと、私は卓袱台を倒したり足を踏み鳴らしたりした。それでも反応がないと、階段を半分降りて店を覗き見た。待子は何も言わず、グラスを渡す。そういう夜には待子は愛撫を拒み邪険にする。どうせ最後には、と思う若者らしからぬ心も、私には根付いていた。
 その夜も酒が六畳にはなかった。十二時頃である。私は卓袱台を倒した。暫くして店を閉める音がし、待子が現れた。
「早いんだね。今日は。」
「三、四日、留守にするわよ。」
『かっぱ』が店を閉ざす日は年に何日もなかった。『三、四日』が私の耳にこびり付いた。私はどういう演技が一番効果的なのか、瞬時に頭を回転させ、拗ねた表情を作って言った。
「ママ、俺を一人にするのかい。」
間を置かず、待子が怒鳴った。
「あんた、何さまとでも思ってんの。私には子供がいるのよ。どうせ、いつかは裏切るくせに。」
待子は私に背を向けて寝た。伸ばす手にも何ら応じない。私は何回も寝返りを打っては、待子に触れた。
 十時前に目を覚ましたのだが、待子はいなかった。私はうろたえて、階段を駆け下りた。淋しい店内はきちんと片付けられており、棚のグラス類には布巾が掛けてあり、待子の意志を表しているようだ。私は二階に行き、箪笥だけでなく、鏡台の子抽き出しまでも開けて、何かを捜し求めた。その何かが待子の行先であるのか、金であるのかは自分にも解らなかった。諦めたとき、箪笥の上に千円札が二枚あるのを知った。五百円一枚でないことが私を絶望的にした。二千円を掴み、店で焼酎の一生瓶を取り出し、立て続けに呷った。喉は焼けたが胸は痛まず、私は焦燥した。
 三畳に向かう私の目は心と同じく虚ろであったろう。待子との交わりのない日々、それはもう考えられなかった。今、私が生きるのは肉の煉獄でしかない。他に何があるというのか。押入れから、りんご箱と行李を引き出し、万年蒲団にぶちまけた。黴た臭いがし、粗末な品々がこぼれ出た。丈夫なだけが取り得の丼や湯呑、布を繋ぎ合わせた子座蒲団、カバーの擦り切れたカイロ、色褪せたコールテンのコート。東京に持って行くのを嫌がり、姉を困らせたそれらを、私は全く使わなかった。その中にビニール紐を食い込ませて縛られたノートの束があった。九冊あるノートは私の日記帳である。
 紐をほどくと、表紙が取れたものもあった。捲る。日記帳も買えなかった小学四年の正月から、ノートの一ページを四つに区切って記し始めたのだ。過去を辿っても自分を力づけるものなどない。それでも、指はすぐに母の死の一ページを探り当てていた。

   
 三月五日 (水) 曇り

 学校から帰ると、会ったこともない大阪のおじさんや親せきの人達が集まっていた。私が何日前から抱いていた不安が増した。母は昨日よりも、また痩せたみたいだ。夕食後、父が姉と私と親せき皆んなを集めた。
「あとは奇跡を待つほかない。覚悟してくれ。」
 父の大きな目には涙がいっぱい堪っていた。姉は既に泣き疲れたのか、静かに聞いていた。私は暗い道路に出て、石を拾って家の前の沼に投げた。月も星も出てないが、石の落ちた波紋は藍色に光って広がった。涙が出て来た。母は死ぬんだ。

 

 三月六日 (木) 曇時々雨

 父に、「今日は学校を休め。」と言われた。何もすることがないので、本を開いたが落ち着かない。午後、姉の泣く声がした。母の喉に痰が詰まり、一呼吸一呼吸に喘いだ。もう目が見えず意識もないようだが、枯木のようになった右手を僅かに伸ばした。おばさんが、
「― ちゃん。手を握ってあげて。」と言ったので、両手を添えた。冷たくひからびたそれは、母の手とは思えない。夕方、お医者さんが見えると、姉は
「癌を取ってください。取ってください。」とわめいた。

 

 三月七日 (金) 曇

 今日も学校を休む。母は喘いでいた。ときどき喉がひゅーと鳴った。三時頃喘ぎが止まり、姉と小母さんが母を呼んで、激しく体を揺すった。母はまた苦しい呼吸を始めた。母はその瞬間、楽になろうとしたのであろうか。四時過ぎには、母はしきりに口を動かしたがったが言葉にはならない。おばさんが、「あんたのことが気になって名前を呼んでるんだよ。」と言った。私は本当にそうなのかな、と思った。夕食をしていると、
「おかあちゃん、おかあちゃん。」と姉がまた呼んだ。箸を捨てると、皆んなが母に駆け寄った。私は左手に茶碗をつかんだまま、立ち上がれなかった。六時四十八分である。 

 母が死んだのは私が中一のときだった。日記に見る悲しみの少ない少年らしからぬ表現は、それでも、母に繋がる唯一の記録であった。別の一冊を開く。

 

 九月三十日 (日) 晴後曇

 あしたは衣替えだ。箪笥から学生服を出そうとすると、扉の裏に小さい紙が貼ってある。よくは解らないが、差し押えの通知らしく、いかめしい字が並び、うちの乏しい家具が書いてある。強いショックを受けた。新聞にのった一家心中の写真を思い浮かべた。自分の机と本だけは持って行かれないように、どこかしまおうとも思った。遅い夕食のとき、聞こうとしたが、黙々と食べている父の表情は変らない。差し押さえられたら、高校も辞めなきゃならないし、勉強したってしょうがない。今日は早く寝よう。

                      

 十月一日 (火) 雨

 昨夜から降り出した雨が止まらないので、三時限目の体育は、体育館でのバスケットだった。私は差し押さえの紙のことが頭から離れず、風邪だと言って見学した。昼休みになって、クラスの本田の金がなくなっていて、大騒ぎになった。疑いは私にかけられた。職員室に呼ばれたが、担任は私を犯人だと決めてかかっていた。私も、まるで罪を犯した如く全身が震え、青ざめて弁解できなかった。担任に開放され教室に戻ると、五時限目が始まっており、全ての目は私に注がれた。「やったのは私です。」と言おうかと思った。ところが放課後になって本田の勘違いと解り、クラス全員が大笑いした。私はもちろん笑わず、かといって怒りもせずに、笑いの過ぎるのを待った。こんな高校は早く出たい。

 これは高一の秋だ。日記を繙いても、私の生きてきた軌跡には、今の私を鼓舞するものなんかない。どこを捲ってもそうだった。一番下に、真新しいノートがある。
 表紙には、昭和三十九年四月五日〜と書いてある。大学へ入ってからの分、と用意したのだ。私は蒲団に腹這いとなり、一ページ目を四つに分けて書こうとした。

 

     十一月七日  晴れ

 しかし、後は書けない。書きようがなかった。日記も空白だが、この間私には生きた軌跡もなかったのだ。
 私は中山道を歩いた。車のひしめく通りをどこまでも歩いた。
『きょう、中山道をどこまでも歩いた。』
その一行だけでも日記に記したかった。 
 風は冷たいが、急いで歩くと寒さは感じない。やがて、荒川の堤に出た。黄土色のどんよりした川の手前に河川敷のゴルフ場があった。芝生は茶けていたが、堤の雑草は青い。遠くまで青かった。きょうは何曜日なのか。それさえも私には解らない。堤を走って雑草に転がった。鰯雲が遠く流れた。
 東京にも鰯雲はあったのだ。近所の子供達と遊ぶことなどほとんどなかった私は、学校の帰りに、一人で雲仙岳が見える高台で本を読んだ。何回も繰り返し読む本に飽きると、空を見上げた。田舎の抜けるような碧い空にも午後になると、さまざまな雲が表情を作った。逞しい夏の雲は、私をして、また本に目を走らせた。だが、秋には鰯雲が哀しくちぎれて流れた。そのさまを私は好んだ。まだ十九才なんだ。好きな雲だけでも時折は見たい。

 学生服に丹念にブラシをかけた。髭も剃る。髪には油もつけた。教科書の裏表紙には丁寧に名前を書いた。これからは一冊の本も手放すまい。よしんば、食べる為であったとしても。
 学生服で大学の構内を胸を張って歩いた。学生として、いや少なくとも人間として、誇りを持って生きよう。と思った。
 しかし、私の不安はあの路地にあった。そして、現実となった。一週間目に、あの三畳で私を待っていたのは、紋縮緬の派手な着物に身をつつんだ待子であった。 
 身体をぶつける待子を立ったまま受け止めた私の両腕にその肉体は撓い、裸体の隅々まで思い巡る自分に耐えた。待子は唇を求める。抗うと、その舌は執拗に私の頬や顎をさすらって尚も求めた。
「ママ、俺はもう・・・。」
「二人の娘は向こうに引き取ってもらうことになった。私にはあんたしかいない。」
私は壁を背にして、腰から畳にずり落ちた。待子は、私の下半身を素早く裸にした。靴下のみの両足を私は悲しく見ていた。そして、目を閉じて哀願した。
「ママ、俺は生きたいんだ。生きさせてくれ。俺は・・・。」
「ちゃんと、学校に行ったらいい。やりたいことは何でもやっていいよ。だけど、別れるなんて言ったら、あたしは死ぬよ。」
「ママ、俺の話も聞いてくれ。」
 待子は着物の裾を絡げ、私に跨った。そして、ふっくらした白い二本の足を、私の腰にゆるやかに沈めた。肉の記憶を取り戻した私の男性は、待子を駆け巡った。
 営みが終り、始末する待子。私は泣いていた。待子はその涙をどうとったのだろうか。
「欲しい本も買ってあげるし、こんなとこが嫌なら、奇麗な部屋に移るさ。」
と言いつつ、私の涙を唇で啜った。私の声にならぬ叫びは涙に変り、更に溢れ出た。それでも待子は、涙を啜り続けていた。                                  

                                        完
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