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健さんのページコンテンツ(アイコンをクリックしてください)管理人からのご紹介健さん(ケン・タカクラ・ハシモト) キーワード「浪花のケン・タカクラ」「バーナー靴事件」1960年代 大阪市大正区出身、大阪府八尾市在住。 1960年〜70年代初頭 絵画、文学、哲学、蹴玉etcとマルチに才能を発揮、地元幼稚園では絵画作品を幼稚園の同僚に売り捌き日銭を稼ぐ。 幼稚園児にあるまじき目先のきいたその振る舞いから、大正(大阪市大正区)のダヴィンチと称される。 1970年代 現住居の八尾市に転居。 1988年 デザイン学校入学。とんちはかせに出会う。 資金不足と体調不良でたまたま滑舌がイマイチだったというだけで、寡黙な男の代名詞で日本男児の憧れの大スターにあやかり「健さん」とあだ名されるが、自身は実はぜんぜん無口じゃない (ついでに容姿も似ていない)。 1989年 仕事のために日本を離れられないとんちはかせ達を尻目に、デザイン学校主催のヨーロッパ美術館巡り三週間のゴージャスなツアーに 1990年 ニ大傑作の一つ「坊さんの覗き見」発表。 1996年 ニ大傑作の一つ「スーパーマンが股覗きした富士」発表。 1996年〜99年頃 毎週末競馬場に通い詰めるが「楽して儲ける道はない」現実に挫折、その後は不本意ながら仕事に精を出す。 2000年頃 某国に旅行に出かける、土産物店を冷やかした際に何故だろう?バーナーで靴を焼かれる(バーナー靴事件)。 2015年 本家の健さん亡き後、二代目ケン・タカクラを勝手に襲名。 2017年 宵架館大阪支部のエンブレム制作を担当 (宵架館支部ページエンブレムのための試作)、制作に骨身を削って没頭した結果若年性骨粗しょう症などを発症、2週間入院生活を送る。 彼も他のメンバーと同様にギャグ道を追及中、としたいところだが、彼の場合は生き方そのものがギャグ・・である。 なお、写真は昔打った篠塚、否、杵柄で似顔絵で一発当てるべくペンを走らすケン・タカクラ氏、決して某府知事→某市長・・・ではない。 ていうか、ええかげんちっちゃいケータイ画面でこのページを閲覧するのを止めてスマホに変えなさい! ※このページは概ね事実に即していますが、
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