鎌倉 昔工藝


鎌倉つれづれ  山旅つれづれ  温泉愚考



鎌倉を紹介するガイドブックや書籍は多くあります。新刊本もたくさんありますが、市内の古本屋を覗くとその多さが判ります。場所柄、歴史学者の家から出たと思われる研究書などが多くあります。変わったところでは鎌倉市が行った多くの発掘調査結果が有り、図書館で閲覧出来ます。

鎌倉の観光ガイドはガイドブックや他のHPに譲りますが、明治45年に発行されたガイドブック「現在之鎌倉」は約100年前の鎌倉を理解するのに役立ちます。この本は国会図書館のHPで読むことが出来ます。今も営業している商店の名前などが見え、老舗の歴史を感じさせます。

「鎌倉つれづれ」で紹介する内容はあくまでも素人の独り言で、正確さに欠ける点はお許し願います。他のHPからのコピペでなく、50数年の体験と自分の見方をまとめてみました。

大船界隈

松竹撮影所で有名だった大船ですが、口の悪い人は大船など鎌倉では無いなどと言います。しかし大船地区は、古都鎌倉のイメージは有りませんが行政上はれっきとした鎌倉市内です。養殖ガエルの餌として輸入されたアメリカザリガニが全国に広がった発信源として有名です(でも無い?)。

昔、大船駅東口一体に幻の「大船田園都市」構想があったそうです(本で読んだ話)。1970年代まで比較的ゆったりした敷地に瀟洒な住宅が残っていましたが今は面影も有りません。

小生が移り住んだ1967年、大船は住宅地で大きな建物と言えば5階建ての三菱電機の研究所だけで、駅前からよく見えました(今は邪魔されて見えません)。しばらくして西友ストアなどのビルが建ち、その後続々とビルや商業施設が建ち始めました。

町は木造の大船駅で東西に分断され、近くに踏切が無いため通行するには入場券を必要としました。寮が西口の観音山に有り、会社が東口にあったため電車に乗らないのに通勤定期が会社から支給されました(多くの人は大船−藤沢の定期を購入し買い物などに利用していました)。

観音山から見た約50年前の大船(旧大船駅と研究所の建物 後ろは六国見山)


六国見山から見た約50年前の大船(中央に大船観音 背後の山並みは丹沢)


現在は駅ビル(大船ルミネ)最上階のレストランから大船の町の眺望が得られます。

大船で有名?だったのは、当時日本屈指の遊園施設で1964年に開業した横浜ドリームランドでした(横浜市に立地していましたが大船が直近の駅でした)。まだ本家ディズニーランドがカルフォルニア州オレンジ郡アナハイム市にしか無かった時代なので、大いに賑わいましたが、日本のディズニーランド開園のためなのかどうか客足が遠のき2002年に閉鎖されました。1966年に大船−ドリームランド間に開通した、当時としては珍しいモノレールは設計上の欠陥によりわずか1年5ヶ月で運休に追い込まれました。小生は2回貴重な乗車をしましたが、廃線後何十年も高架レールが撤去されず見苦しい状態が続きました。

その後、1970年に大船−江ノ島間に別なモノレールが開通しました。短時間で江ノ島へ行けて便利ですが、残念ながらすこぶる乗り心地が悪いのが特徴です。

ドリームランドモノレール線


松竹大船撮影所も懐かしい思い出となってしまいました。寅さん映画はここのセットで撮影されました。大船の飲み屋で山田(監督)組のメンバーと隣り合わせになることもありました。寅さん映画ではありませんでしたが、経費を安く上げるためか、撮影所近くの裏通りでロケをしているのを何度も見かけました。勤務する会社の玄関を警察署や病院に見立てて何回かロケが行われ、小柳ルミ子が来たときは仕事そっちのけで見学してしまいました。

撮影所は春の桜祭りの時に一般開放され、模擬店が出て賑わいました。有名なバナナの叩き売りの時、渥美清は立っているだけで別な人が口上し違和感を覚えましたが、後から思えば健康上の配慮だったのでしょうね。デビュー直後の松坂慶子も見かけました。道路や近くの食堂で俳優を見かけることも有り、また撮影所の近くに住んでいた俳優もいました。笠智衆の菩提寺は北鎌倉に近い寺です。

大船の顔はやはり大船観音でしょう。東海道線と横須賀線で大船駅を通過するとき小高い山の上によく望めます。全国に大仏・大観音は数多く有りますが、コンクリート製観音像としては大船観音と高崎観音(群馬県)が最も美しいと感じます。青銅仏で美しいのは鎌倉大仏だと思います。地元贔屓の引き倒しではありませんが、多くの木彫仏と青銅仏を修理してきた筆者のあくまでも個人的見解です。

大船観音


大船駅西口は昔も今も東口ほど発展していません。歩いて15分ほどの所に県立フラワーセンター大船植物園があり、市民の憩いの場となっています。ここを経済的な理由だけで閉鎖しようと考えた役人や政治家がいました。現在は存続しています。

大船で忘れていけないのは中通り商店街。小さなお店が建ち並び、いつも活気に溢れ、生活に必要なものが安く買えます。

昔、何年頃かは忘れましたが大船に大水が出たことが二度ありました。水没した駅前通りに消防署のボートが出動しました。その後、西口の柏尾川が改修された後は発生していません(ただし局地的豪雨も有りませんが)。駅前の行きつけの飲み屋で膝上位まで壁にシミが残り、ドブ臭い状態が長く続いたのにはまいりました。

桔梗山界隈

鎌倉・大船・藤沢から、それぞれのバス終点に緑に囲まれた閑静な桔梗山という所があります。梶原という町ですが、有名な銭洗い弁財天や佐助稲荷の裏山に位置します。

ここに建設当時としては大規模だったマンション群があり、鎌倉グリーンハイツと言います。名前倒れのマンションが多い中、ここはグリーンの名がピッタシの立地です。四方を森に囲まれた4万7千m2のゆったりした敷地に5階建て22棟が建っています。

鎌倉グリーンハイツ


当時、低層マンション群はあちこちに建設されましたが平地に多く、このような森の中の建設は珍しいと思います。今日、このような環境に新たにマンションを建てるのは困難でしょう。仕事柄、数億円以上のマンションを見てきましたが、環境面ではグリーンハイツに軍配が上がります。

PC造(プレキャストコンクリート・壁式工法)と言うプレハブ構造のため、マンション特有の柱型や梁型が一切無く、戸建感覚の居住性が得られています。中高層建築は柱と梁で強度を保つため、どうしてもデコボコした内装となってしまいます。最大100m2/戸の広さといい、今日では得がたい建築様式のマンションです。しかし築50年近くと年数を経ているため、驚くほど安い住宅相場となっています。敷地内には桜の木が多く、毎年花見が楽しめます。

すぐ西側は旧野村総研ですが、鎌倉市に移管後何十年も未活用のまま放置されています。

グリーンハイツの航空写真(上:1946年 下:最近)




マンション敷地の脇には北鎌倉から鎌倉大仏に抜けるハイキングコースが通っていて、年間を通し多くのハイカーで賑わっています。

また歩いて10分程度で源氏山公園や葛原岡神社に行けます。ここに鎌倉七口の切り通しの一つ「化粧坂」があります。鎌倉時代の古戦場として多くの武士の血が流れ、また遊女も住んでいたとの説も有り、今では想像も出来ない歴史を負っています。

公園にはよく鎌倉観光テレビ番組で紹介されるブロンズ製の源頼朝像が建っています。大気汚染の影響か、以前に比べ緑青の色合いが汚くなっているのが残念です。初冬などに芝生広場のベンチで日向ぼっこをすると気持ちよく、時々出かけます。

源氏山公園 源頼朝像


葛原岡神社は地元の氏神で、毎年初詣に行きます。20年ほど前まではほんとに地元の人しか行かず静かに初詣ができましたが、最近では施設が立派になり賑わうようになりました(良いのか悪いのか?)。ちなみに大混雑する鶴岡八幡宮に初詣に行く地元民はどのくらい居るのかな?

この地域には鎌倉中央公園もあります。昔々に谷戸(やと)を切り開き田畑が作られていました。戦後に食糧難が解消された後は放置され荒れ果てていましたが、鎌倉市が公園として整備しました。公園と言っても遊具など無く、昔懐かしい田園風景が広がっています。観光客が来ることは無く地元の人の憩いの場となっています。

鎌倉山界隈

古くは名士や有名人の別荘地だった鎌倉山。旧鎌倉の外側で藤沢市側にあります。現在は大別荘だった土地が2〜5分割され、普通の住宅が多く建っています。別荘の面影を残す豪邸は数えるほどしか残っていません。鎌倉山を散歩して気がつくのは外車が多いことです。大げさに言うと3〜4軒に一軒は外車を保有しています(そのほとんどがベンツとBMW)。走っている車にも外車が非常に多い地域です。旧鎌倉の住宅地を歩いてもこんなことは有りません。

全国的な問題になっていますが、ここ鎌倉山も空き家が多くあります。家まで車が入れない地形に多くの家が建っているため、いっそう拍車がかかっています。空き家でも固定資産税が高いのにと、いらぬ心配をしてしまいます。

鎌倉山一帯の航空写真


鎌倉山は高いところでも100m位の標高ですが眺めが良い所です。樹木に遮られない冬など遠くまで良く見えます。

山:富士山・丹沢・箱根・天城山など
海:江ノ島・相模湾・伊豆大島・利島・新島・茅ヶ崎の烏帽子岩など
町:藤沢・平塚・小田原・厚木・伊勢原・熱海など 
鎌倉山1丁目の一部から旧鎌倉の町や三浦半島が見えます。

鎌倉山からの展望(左から相模湾・箱根・富士山・丹沢)


鎌倉山からの夜景(藤沢・厚木方面)


鎌倉山ロータリーのバス停から駐在所方向へ走る市道沿いが鎌倉山の中心地です。道路沿いには多数のソメイヨシノの大木があり、桜の名所で道路は「さくら道」と名付けられています。ただし歩道が無い道路沿いのため、皆車で見物に来ます。

桜は別荘地が開発された昔に植えられた老木で既に寿命を迎えています。近年はテングス病が蔓延し強風が吹くと太い枝がバラバラと折れて落ちてくる危険な状態です。桜は市道でなく個人の庭に生えているので有効な対策が取られていません。市役所が若木に植え替えるお膳立てをしてくれれば良いのですが。

鎌倉山の桜トンネル


鎌倉山は後述する三大緑地ほど大きな森は有りませんが、住宅の庭に樹木が多く(太さが30〜50cm位の大木が生えている家が多くあります)、小鳥や動物が多く見られます。2月末から初夏まで毎日うるさいほど鶯が鳴き、その他の鳥も多く来ます。台湾リスも頻繁に庭に来てギャーギャーうるさい声で鳴きます。

鎌倉山は住宅地なので商店が少なく、コンビニは一軒も有りません。レストランも少ないのですが、有名な「ローストビーフ鎌倉山」本店があります。らい(木偏に雷)亭は広大な庭を持つ蕎麦・会席料理の店です。季節の良い晴れた日に、庭を見ながら食べる蕎麦が美味しいです。入場料500円がかかりますが、食事代に充当されます。一見の価値あり。

らい亭の庭


鎌倉山は小さな喫茶店だけは数多くあります。中でも最近出来た「ル・ミリュウ」の屋上テラスが緑いっぱいで良いところです。

観光地鎌倉

最近の日帰り観光客の多さには驚きます。テレビ番組も鎌倉・江ノ電紹介のなんと多いことか。一昔前の小町通りの賑わいは、観光シーズンの休日の晴天日の日中に限られ、今ほど土産物屋も多く有りませんでした。通りは地元民の生活の場でもありました。

今では本屋・肉屋・床屋など数えるほどしか地元民用の店は残っていません。どこの観光地にもありそうな土産物屋の回転の速さ・多さには驚きます。そのたびにリフォームして大家・店子の収支は合うのだろうか、いらぬ心配をしてしまいます。

商売に関係なく、生活道路として使っている地元民には、異常な観光客の多さは正直迷惑です。観光客が落とす金が、鎌倉市の福祉等に回っているのか皆目見えません。

下は若宮大路にある段葛の昔の写真です。2016年に大幅改修され、歩きやすかった懐かしい泥道は舗装に替わってしまいました。

若宮大路 段葛


次いで人出が多いのは長谷界隈です。歩道から車道にいつも人が溢れています。大仏の光徳院と長谷観音が目玉ですが、すぐ隣の光則寺は静かに花を楽しめます。

長谷から下馬四つ角までが由比ヶ浜通りです。明治時代の地図を見ると鎌倉随一の繁華街を形成していましたが、今は普通の商店街です。

つい数年前まで鎌倉駅西口の御成通りは観光客の通らない道でしたが、最近は洒落た店が増え観光客も多く見かけるようになりました。

東北の大震災後、しばらく鎌倉の観光客は激減しました。特に海外からの旅行者は全く見かけませんでしたが、今では大震災前より多くの観光客が訪れています。

江ノ電は小田急電鉄系列の、知る人ぞ知る有名なローカル電車です。特に江ノ島から稲村ヶ崎にかけて車窓から海の眺めが良く、海をバックに走る姿も絵になります。散歩コースの途中、疲れるとよく乗りますが、海が見える側の席が良いですね。

鶴岡八幡宮の大銀杏が風で倒れましたが、あんな巨木が折れるなんて想像も出来ませんでした。現在、若木がすくすくと育っていますが、大木になるのは数十年先でしょうか?

2015年の八幡宮社殿と小銀杏


1970年頃の八幡宮社殿と大銀杏


江戸時代の鎌倉絵図にも大銀杏が描かれています。まだ神仏分離の前なので八幡宮境内に仁王門や鐘楼が建っています。

今では怒られるでしょうが、源平池(左側の平家池)の出島で、筵を敷き登山用ストーブを焚き、夜桜宴会をしたことが何度かありました。
また、昔は石造りの太鼓橋が自由に通行出来ました。歩いて登るのは難しく、勢い付けて走って登りました。

鎌倉繪圖(江戸時代に何種類も発行された観光地図)


鎌倉彫

鎌倉の伝統工芸品に鎌倉彫があります。桂材に彫刻し漆を塗り重ね独特の色合いに仕上げてあります。出來の差が大きく、ほれぼれするような作品は数万円から数十万円と観光客には手が出ません。安価な品物は他産地から持って来ているとプロの鎌倉彫職人から聞いたことがあります。東京の一流デパートに置いてある鎌倉彫はいかがなものでしょうか。鎌倉人として恥ずかしいかぎりです。

鎌倉彫は単に飾りで無く、実用品としても十分利用出来ます。小生が使っている手鏡は数十年を経て、持ち手が手擦れで良い風合いになってきました(朱漆の下地黒が所々現れて趣が増す)。ただし新品でも研ぎ出しで初めから黒を出しているものが多くあります。

鎌倉彫教室が昔から大きなお稽古産業になっています。ほとんど彫刻が主体ですが、皆楽しんで作っています。残念なことに免許制度が技能とリンクしていません。経験年数が多いと取れることが多く、高額な免許料が発生するという他のお稽古産業と同じ道を歩んでいます。ちなみに小生は3段階目まで免許を取得しました。

木彫より技能的に難しいのが彫刻刀の研ぎです。良く切れる刀で無いと綺麗に仕上がりません。練習すれば少しは上手くなりますが、持って生まれた素質が無いと研ぎは上達しません。今でも自分で刀を研げない教室の生徒が多いのではないかな?

小生作の具利彫香合


神社仏閣・遺跡

鎌倉は同じ古都と言われる京都・奈良に比べ古い建造物が多くありません。空襲は有りませんでしたが、関東大震災他の大地震やそれに伴う津波により、古い建物は倒壊・焼失・流失しました。

神社仏閣の多くは江戸期の比較的新しいもので、それもほとんど関東大震災後に補修されています。鎌倉唯一の国宝建築に指定されている円覚寺舎利殿(天平年間に鎌倉の他の寺から移築された)も関東大震災で大きな被害を受けました。

地元民も観光客同様、神社や寺巡りで休日を楽しんでいます。

古寺の梅一輪


建物ではありませんが土木遺跡として鎌倉時代から残る貴重な物があります。墳墓としての「やぐら」と通行のための「切り通し」です。「やぐら」の詳細説明は他に譲るとして、柔らかい鎌倉石に掘られた横穴の鎌倉時代の鑿跡が今に残り、手で触れることが出来ます。

七口ある「切り通し」の一つ、大仏の切り通しはつい数年前まで訪れる人も無く道標すら有りませんでした。ガイドブックにも載って無く、地元民も知る人は多くありませんでした。今は整備され安心して歩けるようになっています。建設当時の面影を比較的多く残していると言われています。切り通しの道には大石が転がっています。崖崩れした岩で無く敵の侵入を防ぐためわざと通行しづらく設計されたそうです。

釈迦堂の切り通しは市中にあるため、鎌倉の町と外部を結ぶ関所的な七口には含まれません。堂々とした洞門的な切り通しです。だいぶ以前に落石危険防止のため不細工な金網で封鎖されてしまいました。これでは鎌倉の誇る遺産が台無しで、ひどい景観に成り下がり長年放置されています。映画「ツィゴイネルワイゼン」の名シーンが撮影されました。

釈迦堂切り通し

寿福寺の参道


古い建物

鎌倉には個人住宅も古いものは多くありません(小生の言う古い建物とは明治維新以前の建物)。それほど古くありませんが別荘建築の洋館として前田家別荘(現 鎌倉文学館)、古我邸(2015年レストランとしてオープン)、旧華頂宮邸があります。

茅葺き屋根の古民家も少ないですが点在しています。深沢地区に4棟あり3棟は今も住居として使われています。その他にもあると思われますが詳しく調べたことはありません。寺の山門や鐘楼・母屋などに茅葺き屋根は多く残っています。

古民家には囲炉裏がよく似合います。合掌造りの家にあるような、煤けた居間に掘り込まれた本格的囲炉裏は今の住宅には無理ですが、小生宅にも自作の置き囲炉裏があります。材料は江戸末期古民家の床材の松板です。東京木場の古材専門材木店まで買いに行きました。作った当初はよくネット通販で岩魚や猪肉を取り寄せ、囲炉裏パーティーをやりました。以前は東北の山奥から天然岩魚を取り寄せられましたが、今は養殖ものしか手に入りません。岩魚の塩焼きは2時間以上かけてカラカラに焼き上げますが、養殖物は焼く時の臭いが良くありません。

天然猪肉は鉄鍋でじっくり煮込み牡丹鍋にします。鹿肉や熊肉も時々調理します。燃料にはさすが薪は使えないので炭を使いますが、バーベキュー用の安価な炭は臭いので使っていけません。良い堅炭は結構な値段がします。

自作の囲炉裏


暖炉や薪ストーブも魅力的です。暖炉は煙突があっても燃焼排ガスが室内に充満するため多用すると健康に良くありません。アメリカの空調専門誌に、暖炉による室内空気汚染に関する論文が多数掲載されています。

耐熱ガラスで密閉された薪ストーブは比較的衛生的です。鎌倉山の多くの高級住宅には決まったように煙突がそびえていますが、煙をほとんど見かけたことがありません。

鎌倉の海

由緒ある由比ヶ浜海水浴場。なんでも日本で初期に開かれた海水浴場とのこと。倍賞千恵子が歌う「さくら貝の歌」はここを詠んだそうです。残念ながら桜貝を拾ったことはありません。小町通りや江ノ島で売っています。

由比ヶ浜海岸


今は少し綺麗になっていますが、我が家では子供達を海に入れたことがありません。代わりに海岸近くの市営プールに通い、帰りに「力餅屋」の隣でかき氷をよく食べました。

江ノ島海水浴場も超有名です。若い頃よく電気クラゲに刺されました。注、江ノ島の東浜海水浴場の真ん中から西は藤沢市 もちろん島も藤沢市です。

稲村ヶ崎から江ノ島間の七里ヶ浜は遠浅でないため遊泳は禁止です。昔に逗子開成中学のボート事故がありました。「真白き富士の嶺」の歌。

稲村ヶ崎は新田義貞が鎌倉攻めの折、剣を投じて海を渡ったとの伝説があるところです。昔と地形が変わったのか詳しくは専門家で無いため判りませんが、海中をよく観察しても引き潮で渡れるような所はありません。近くにこの辺では珍しい温泉があります。温泉好きの小生ですが、高いので一度しか行ったことがありません。

藤沢市側の砂浜は良く清掃されていますが、鎌倉市の由比ヶ浜や七里ヶ浜はいつ行ってもゴミ・流木・海藻などが漂着しています。海流の影響かもしれませんが、砂浜清掃車を鎌倉側で見た記憶がありません。

海で忘れてはならないのが、鎌倉時代に造られた国内最古の築港遺跡の「和賀江島」です。由比ヶ浜は遠浅で船が接岸出来ないため、石で埋め立てて和賀江島が造られました。満潮時は完全に水没してしまい、今では岸壁の面影は無く歴史が洗い流したようです。

海運が悪く、陸路も切り通しの障害があるのに、よく鎌倉が発展したのが不思議に思われます。荷車が通りづらい切り通しの道を、大量の建築材など物資をどうやって運んだのでしょうか?

鎌倉の海でシラスやタコ、鎌倉海老(伊勢エビ)などが捕れます。数少ない漁師が頑張っていて、遠浅のためボートで沖合に停めた漁船まで往復しています。時々、新鮮なシラスやタコを漁師が経営する小さな売店で朝方買ってきます。生シラスも珍しいのですが、茹でたてのシラスも旨いですよ。

地元スーパには駿河湾産や遠くの産地のシラスしか置いていませんが、地元食堂ですべて消費されるのでしょうか? 「しらす丼」は有名であちこちの食堂やレストランで食べられます。

鎌倉の骨董屋

鎌倉は小さな町の割に骨董屋が多くあります。電話帳(タウンページ)の古物商で検索すると53店がヒットします。骨董屋検索サイトのアンティークドットコムでは31店舗が紹介されています。その内HPを運営している店は4店だけです。鎌倉美術商組合の加入店舗は36店です。ほとんどのお店は個人経営の小さな店です。冷やかしながら店歩きするのも楽しいものですね。

最近ではネット通販やネットオークション、骨董市が盛んで店売りはキツい商売かもしれないと思います。小生はネットオークションを利用したことがありません。一般的な買い物もそうですが、現物をよく見ないと買う気がしないからです。ただし電気製品は大手電器店で下見しネット通販を利用し、銘柄酒も直接ネット通販を利用しています。

ネットオークションは個人出品もあるでしょうが、最近では業者も増えました。骨董品の場合、注意したいのは贋作や傷物が多く混じっていることです。小生の専門分野の品物の場合、HPの写真だけで一目で贋作と判るものが多くあります。皆さんに教えてあげたいけど連絡手段が無いのが残念です。箱書きや鑑定書・登録証などにくれぐれも惑わされないように。

掘り出し物など滅多に無く、おかしな品物を掴む確率の方がズーと高いと思います。返品不可の品物にはご注意を。出品者が品物に自信を持っているなら、返品されてもまた売りに出せるのだから、返品を受け付けるはずです。

鎌倉の自然保護

戦後からバブル期にかけて日本全国で緑の丘陵地を切り開き多くの住宅地の造成が行われてきました。ここ鎌倉でも同じでした。鎌倉市のHPに詳しく載っていますが、鶴岡八幡宮裏山の開発を阻止した「御谷騒動」が「古都保存法」を生み出しました。大佛次郎氏ほか市民・学者・僧侶など幅広い人々の努力の賜でした。

その後も、あちこちで造成が進み、最後に鎌倉に残された三大緑地(広町の森・常磐山・台峯)まで開発の手が伸びてきました。いくつもの自然保護団体が立ち上がり、粘り強い活動を続け、長い年月がかかりましたがいずれも守り抜きました。広町の森はようやく2015年に自然公園としてオープンし、散策コースも整備されました。常磐山と台峯は今も緑豊かな森として残っています。

小生も保護活動に関わりましたが、開発業者・地権者・政治家・役人など、強大な権力と資金を持った相手との交渉の難しさを痛感しました。

建長寺半僧坊からの緑


鎌倉の飲み屋

たくさんは飲み歩いていませんが由緒?ある飲み屋(居酒屋)は鎌倉に多くありません。テレビの酒場放浪記に登場するような、家族経営で何十年も常連が通うような縄暖簾の店がほとんど無いのが寂しいかぎりです。以前には鎌倉・大船に数軒ずつありましたが今は大船に1軒です(知っている範囲で)。安かろう不味かろうで喧しいチェーン店ばかりです。洒落た店がオープンすると、ひょっとしての期待で入ってみますが二度と行きません。それでもお勧めの店が何軒かあります。

鎌倉の焼鳥屋「ひらの」。小さな店なので4時半開店ですが直後に行かないといっぱいで入れません。小生の入店確率は1/3以下。入れないときは他の店に浮気しないで家に帰ります。肉の種類と大きさ、備長炭を使った炭焼き、焼き方、焼き時間、タレと塩の微妙な加減。職人技です。かなりの焼鳥屋を巡ってきましたが、この店はダントツです。肉の脂が炭火で焼かれ、モウモウたる煙で燻される。これも味の決め手と判断しています。初めての客は注文のタイミングが難しいと思います。「何にしますか?」と聞かれるまでじっと待つこと。ここの樽酒がまた旨い。新潟県の「越の誉」。飲み過ぎにご注意を。最近、焼き手の方が変わりました。

酒屋で樽から量り売りしてくれる店は少なく、鎌倉では数軒だけです。それも正月前後の限定販売です。樽酒は樽から出すタイミングが難しく、樽詰めしてから日が浅いと杉の香りが薄く旨くありません。遅いと色が黄色くなり香りが強くなり過ぎ、やはり旨くありません。ちょうど良い時期に瓶に移し換えて冷蔵します。いつもスーパーで買える樽酒とは似て非なる物です。

若い頃、先輩の結婚式で二斗樽を鏡開きし、かなり酒が残った樽を貰って帰り毎日飲みました。だんだんと色が濃くなり、最後には部屋中すさまじい匂いになりました。まだ寮住まいで冷蔵庫が無かった時代の話です。

大船の高級海鮮料理「きじま」は、仲居さんが和服姿で静かな大人の雰囲気の店でしたが閉店してしまいました。今では珍しくありませんが、生け簀から引き上げた透明なイカ刺が食べられました。戸塚などの店は営業しています。

鎌倉には他にも高級料理の店がいくつもありますが、鎌倉駅西口の高級スーパ「紀伊國屋」には、いつ行っても十数万円のワインが何本も置いてあります。庶民には1000円と1万円の差は判るかも知れませんが、1万円と10万円の差は判らないのではないでしょうか。

大船の「鳥恵」もお勧めです。常連でいつも一杯で中々入れません。

鰻屋は老舗の「つるや」をはじめ鎌倉に数軒ありますが、お勧めは小田原市鴨宮の「正直屋」でした。鎌倉でないため詳細は省きますが、顔なじみなのに予約して行ってもきっかり2時間待たされました。客の注文を聞き、笊に入れた生きた鰻を見せてからさばきます。一時間ほど経ってから奥さんが米を研ぎます。残念ながら高齢のため閉店しました。

その他おすすめの店は、いわゆる飲み屋ではありませんが中華料理の「華正楼」や会席料理の「らい亭」などです。値は張りますが、あらたまった時などに利用すると良いですね。家から100mほどの所にある「鎌倉ローストビーフ本店」も有名ですが、残念ながら敷居が高く行ったことがありません。

鎌倉の祭り

鎌倉には多くの祭りやイベントがあります。春の鎌倉祭り、鶴岡八幡宮の流鏑馬・静の舞・ぼんぼり祭り、鎌倉宮の薪能、御霊神社の面掛行列、鎌倉花火大会など。その他、数多くのお寺や神社で色々な行事が開催されています。大船祭りもだんだん規模が大きくなってきました。

隠れた?祭りとして、桜のシーズンに一日だけ構内の桜並木が一般開放される三菱電機大船の桜祭り。樽酒が振る舞われます。

花火大会は、予算難から規模は極小さく短時間で終わってしまいますが、目の前直ぐの海上に扇形に開く水中花火は見物です。流鏑馬は50年間で2回見ました。

夜間に行われ幻想的な鎌倉宮の薪能は何度も行きたいと思っていましたが行っていません。昔は無料で抽選でしたが、倍率が高く簡単には見られませんでした。今は高額な有料となり行く気がしなくなりました。

祭りは見るのも楽しいですが、参加するともっと楽しいものです。神奈川県内では5月3日の小田原北條五代祭りと11月3日の箱根大名行列(箱根湯本)が有名です。どちらも18年間、レギュラーで出演しましたが楽しい思い出です。こちらも鎌倉の話でないため、詳細は省略します。

箱根大名行列 小田原北條鉄砲衆保存会の砲術演舞

左から6人目が小生です。


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