□「平成29(2017)年ブログ」NO.2 平成29年4月1日〜6月30日
≪前のページ≫
<1>
<2>
<3>
<4>
≪次のページ≫
■「プロの消防・救出訓練」
平成29年6月28日
地元の横浜市青葉消防署鴨志田消防出張所と奈良消防出張所が、我が5階建ての居住棟を使って合同消防・救出訓練を実施した。自治会の防災活動要員なので、
...続きを読む
■「未熟さをあからさまにした6月の出来事」
平成29年6月30日
「すぐに検査を受けなさい、余り甘く見ないように」。6月5日、行きつけのクリニックの先生が発した言葉に、得も言われる不安に襲われた。事の起こりは、
...続きを読む
■「お勧めの1冊」
平成29年6月18日
久しぶりに全9巻に亘る長編小説に挑戦し読了した。書名は「満州国演義」(作家:船戸与一、発行所:新潮社)。演義とは辞典で調べると"@物事の道理や意味をわかりやすくくだいて説明すること。
...続きを読む
■「玉ねぎとったぞー」
平成29年6月9日
昨年の11月に丹精込めて育成した玉ねぎの苗を植えてから7か月、こんなに立派に育ってくれるとは。感激のあまり「玉ねぎとったぞー」と大声を上げてしまった。
...続きを読む
■「20周年を迎えた国際児童画展のお手伝い」
平成29年5月30日
横浜青葉国際交流ラウンジで、国際児童画展のボランティアを続けてきているが、1996年に第1回の展覧会を開催してから2015年までに20回の展覧会を実施し、各国から応募されてきた作品が優に4,000点をこえた。
...続きを読む
■「遅らせばせながら」
平成29年5月30日
今年の3,4月はPC、スマホの不調に悩まされ、日常生活をこれらの機器に依存している身にはとても堪えた。何もかもを後ろ倒しにしないと息がつけない有様だったが、5月に入って
...続きを読む
■「4月も続いたIT機器の不調」
平成29年4月30日
PCの不調に悩まされた3月をようやく乗り越えた矢先にスマホが故障してしまった。4月8日から1週間ドック入りを余儀なくされ、修理され戻ってきたスマホのアプリの立ち上げにテンヤワンヤ。
...続きを読む
□ブログのTOPへ戻る
■ 「消防・救出訓練」
平成29年6月28日
「プロの救出訓練」
地元の横浜市青葉消防署鴨志田消防出張所と奈良消防出張所が、我が5階建ての居住棟を使って合同消防・救出訓練を実施した。自治会の防災活動要員なので、本日は見学がてら見学者の誘導関係を手伝った。訓練の度にご指導を頂いているので、署員の活動については理解していたものの、危険極まりない作業にも、冷静さを失わず、果敢に実地訓練に励む姿を目の当たりにして、敬意を表するしかなかった。
「重い消防服を着せられて・・・」
ちなみにこの日、消防服を試着させてもらったが、とても重くて自由な動きはできず、体力をつけ、よほど訓練しないと役に立たないことを実感した。日頃、我々の目の届かないところで、ハードな訓練をされているのであろう。本日の訓練でその成果が垣間見える。そのお蔭で市民は枕を高くして寝ることが出来るのだ。感謝せずにはいられない。
ところで、昨今、各地で大型の地震や風水害が頻発し、悲惨な目に合う被災者が後を絶たなく、年中行事のようになってきている。こうなると、彼らの活動には限界も生じてくるので、我々一人ひとりが、自助努力で対応せざるを得なくなってくるのは当然と言える。何もかも他人任せ(国や地方自治体など)にするのではなく、自らがこの意識を高め、日頃から訓練をしておかなければ、枕を高くはできないということである。
ところが、重い消防服を着せられたとき、自分の安全は自分で守る、というそんな基本的なことさえも人任せにしていないか気になった。重い消防服を着て訓練するわけにはいかないが、意識があっちを向いていたらどんな訓練も役には立たないであろう。大事なことは、防災を自分自身の問題と意識することである。公助に徹したハードな訓練を重ねているプロの意識に触れ、それ以外に妙薬がないことを思い知った。
□元に戻る
■ 「未熟さをあからさまにした6月の出来事」
平成29年6月30日
「勝手に増殖する不安に苛まされ、奈落の底を彷徨う」
「すぐに検査を受けなさい、余り甘く見ないように」。6月5日、行きつけのクリニックの先生が発した言葉に、言いようのない不安に襲われた。事の起こりは、3か月ほど前の寝しなに下血したことに始まる。今まで経験したことのない色合いだったので、当日いささか度を越した飲食が影響したのかもしれないと言い聞かせたが、どう考えてもピンクになるようなもの飲食した覚えがない。不安は募ったが、過去の経験(十二指腸潰瘍疾患や痔疾患)から、下血(の色合い)ではないと自己診断し寝床に入った。
翌朝、何の傷みも苦しさもなく、トイレを済ませたがいつもと同様、何の変化もなく体調は好調。昨晩の不安はいっぺんに吹き飛んだ。やっぱりちょっとだけ度を超えた飲食のせいに違いないとの確信を深めた。ところが、それから2か月ほど経った6月5日の早朝4時ごろに、同じことが起こった。前日に近所の仲間と痛飲したのでまたかと思い不安は抑制されたが、未経験のピンクの色合いが2回も起こった事は、さすがに気になった。
"気になったら早めに白黒の決着を付ける"を辛い手術の経験から学んでいたので、この日、開店と同時に行きつけのクリニックの先生を訪ね診断を仰いだ。勿論、白であることを言ってもらうために。ところが、いきなり「それは下血ですよ!」と、そして、冒頭のご託宣を受けたのだ。嫌な予感を誘う診断に奈落の底を彷徨う羽目に。ひょっとして大腸がんかもしれない、そんな不安が勝手に増殖していった。
翌日、大急ぎで書いていただいた大腸の内視鏡検査の紹介状を持参し、横浜市の某大学病院に駆け込み初期診断と検査の予約を行った。患者数がとても多く、検査結果を聞くまでに約1か月ほどかかることを余儀なくされた。検査は10分程度で終えた。酷かったら10分ぐらいでは済まないはずだと思いながらも、勝手に増殖する不安に苛まされる日が続いた。
29日、いよいよその日が来た。検査の結果は16:30に聞くことになった。ところがその日、病院に行くため利用する電車が線路の安全を確認するために、駅に着いた5分前から運休し回復の見込みが立っていないことに出くわした。何ということか、こんな日に限って・・・。嫌なことが暗示されているような気になり、診断結果を聞くのが疎ましくなってきたが、遅れるわけにもいかず止む無くタクシーを拾った。
この日も患者が多く、1時間半ほど待たされた。疎ましさがピークになろうとした刹那名前を呼ばれた。ドクターが開口1番パソコンの画面(内視鏡で撮った我が大腸が鮮明に映っている)を見せながら、「なぁーんともありません。綺麗なもんですよ、全然問題ありませんので」とのたまわった。膝から崩れ落ちそうになるほどほっとしたが、それでは、どこから出血したのか。それにもすかさず、「出口が細くなってきているので、そこをこすった時に出血したんでしょう。軽い痔ですよ」。
約1か月悶々と悩まされ、この病院では初診時も今日も長い時間を待たされたが、結果は5分間。あっけなく、何とも言いようもないが、本当に5分でよかったと思う。これが10,15,30分となっていたら、悩みは悶々どころでは無くなっていたであろうから。膝が崩れ落ちるほどほっとはしたが、人生も終盤に入りかけ、何が起こっても泰然自若、このようなことで一々悩んでいてはいけない、と云う先輩の言葉が頭をよぎり、今回あからさまになった己の未熟さ、不甲斐なさを悔やむばかりである。
□元に戻る
■ 「お勧めの1冊」
平成29年6月18日
「満州国演義という本」
久しぶりに全9巻に亘る長編小説に挑戦し読了した。書名は「満州国演義」(作家:船戸与一、発行所:新潮社)。演義とは辞典で調べると"@物事の道理や意味をわかりやすくくだいて説明すること。A中国で、歴史上の事実をおもしろく脚色し、俗語をまじえて平易に述べた小説"となっている。
この小説は、満州事変から第二次世界大戦終結までを、架空の人物(4人の兄弟)を設定し、それぞれの視点から満州国の興亡を描き、最後には通化事件での悲劇的なクライマックスが用意されている。まさに、辞典の云うように歴史(歴史上の事件・事実)を分かりやすく説明し、平易に述べた小説になっている。
近現代史を学校で詳しく習わなかったものにとっては、とりわけ、此度の戦争によって国を滅亡に導いていった顛末をその発端から、終焉までに関わってきた者たちのメンタリティや権力・政治力、さらには、マスコミ、文化人たちの思料・行動、そして、当時の国際情勢を知ることが出来たのは大きな収穫だった。
我々が、次世代に何を語り何を残していくのか、それを思索する上でもこの本から学ぶことが多い。是非ご一読をお勧めしたいと思う。この本の各巻は次のようなタイトルになっていますので、ご参考までに付記しておきます。
第1巻 「風の払暁」 そこには欲望のすべてがあった
第2巻 「事変の夜」 陰謀は地を這い、策略が駆け巡る。
第3巻 「群狼の舞」 国家を創り上げるのは、男の最高の浪漫だ。
第4巻 「炎の回廊」 恐怖だけが人心を支配する力となる
第5巻 「灰燼の暦」 日中遂に全面戦争!戦火は上海から古都南京へ。
第6巻 「大地の牙」 泥沼化する「事変」。凱歌は虚空に吸い込まれた。そして
ノモンハンが血に塗れる
第7巻 「雷の波濤」 太平洋戦争開戦。帝国日本、南進す!
第8巻 「南冥の雫」 インパール。緑の地獄。死せる男の名は、浪漫。
第9巻 「残夢の骸」 夢破れて、山河あり。満州国演義、完結。
□元に戻る
■ 「玉ねぎとったぞー」
平成29年6月9日
「自然に任せる主義で育った大玉」
昨年の11月に丹精込めて育成した玉ねぎの苗を植えてから7か月、こんなに立派に育ってくれるとは。感激のあまり「玉ねぎとったぞー」と大声を上げてしまった。苗は友人の"松ちゃん"が畑の脇で種まきから始め、手塩にかけて育成したもので、彼の思いが込められている。
周りでは、マルチで覆われた玉ねぎ畑が主流になっているが、当方は、余計なことをせず徹底して自然に任せる主義を貫き通してきた。正直、苗を植えてから3-4か月は主流の畑の生育に圧倒され、臍を噛む思いだったが、4か月を超えてからは、ほとんど見劣りすることもなく、収穫時にはむしろ当方の方が出来が良くなった。偏に"松ちゃん"の信念と手塩のお蔭である。
今年の収穫は200玉。100玉づつ分け合ったが、夫婦2人では食べきるのは容易ではない。これからしばらくはオニオン攻めの日が続く。豊作の後の悩みもまた格別といったところだが、友は、「来年も自然に任せる主義を通す」と、今年の豊作にすっかり自信を深めてしまった。「オニオン料理のレパートリーを増やさなければ」と、大声の後に口を衝いた。
□元に戻る
■ 「20周年を迎えた国際児童画展のお手伝い」
平成29年5月30日
「20年を迎える国際児童画展を支えてきたお仲間」
横浜青葉国際交流ラウンジで、国際児童画展のボランティアを続けてきているが、1996年に第1回の展覧会を開催してから2015年までに20回の展覧会を実施し、各国から応募されてきた作品が優に4,000点をこえた。そのことを踏まえ、昨年中盤から作品の棚卸整理と保管管理に、週2回程度お手伝いに駆り出されるようになった。
併せて、本会では20年間続けてきたことを記念して、今年中に国際児童画の20年周年記念誌を作ることを決め、編集者を募っていた。どうも小生のお手伝いもその延長線上にあったらしく作品の棚卸整理作業のほか、今年になって、本記念誌の作成にも参加の要請を受け、この3月以降はとても忙しい日々となってきた。
6月に入れば作業は佳境に入り、忙しさは増していくことになるだろうが、折角の機会なので本記念誌作成に関わりをもたせていただくことを通じ、先達が苦労して続けてきたこの事業に思いを馳せ、児童画を通じた新たな国際交流のあり方に向き合っていければと思う。国際交流には程遠いセンスしか持ち合わせてないが、純真な子供たちの4,000点の作品を整理していて、それが透けて見えてくる気もする。このお手伝いを全うできるのは、この感性を信じるしかない。
□元に戻る
■ 「遅らせばせながら」
平成29年5月30日
「鬼押し出しの鬼に煽られて遅らせばせながら5月の報告まで」
今年の3,4月はPC、スマホの不調に悩まされ、日常生活をこれらの機器に依存している身にはとても堪えた。何もかもを後ろ倒しにしないと息がつけない有様だったが、5月に入って一息付けたと思った矢先、帰省やボランティアが重なり今月もテンヤワンヤ。だから、HPの更新は、5月も遅れに遅れてしまったのです、との言い訳が通じるかどうか。移転か居直るかを迫られているどこかの知事の心境が分かる気がするが、早く元に戻さなければと焦りつつ、遅らせばせながら5月の報告まで。
■「時期をずらした今年の軽井沢研修」
平成29年4月29日
毎年、5月の連休前後に実施している月プロの定例軽井沢研修を、今年は1か月ほど時期をずらして(5月29ー30日に)実施した。 現役で幹事を務めてくれているKちゃんが、職場が替わり例年の時期は決算業務で忙殺されることから、時期を延期した訳だが、人混みも避けられた上梅雨入り前の好天にも恵まれ、絶好な行楽日和となった。
今年は、諸事情が重なり2名のメンバーが参加できなかった上、幹事のKちゃんが足を痛め、恒例のテニスが出来なかったことで例外の研修となってしまったが、この研修が初回から毎年思いもかけない事件に見舞われてきたことからは、今年も逃れることが出来なかった。
例外とした今年の研修は、「鬼押出し園」を振り出しに観光地巡りだけに止めようとしていたのに。その思惑の虚をつかれた思いもしないプニングに巻き込まれようとは、不思議な巡り合わせというしかない。果たして、今年の事件とは? お暇な折にお立ち寄りいただければ幸いです。
---※(参考)月プロ恒例研修のあゆみと過去の思いもかけない事件について※-----
実施回 実施時期 実施場所 参加 思い出深い事件
第1回 H20年5月 那須保養所 5名 「かえる事件」
第2回 H21年5月 軽井沢保養所 5名 「巨大犬からかい事件」
第3回 H22年5月 軽井沢保養所 5名 「軽井沢からす騒動事件」
(ご参考)
第4回 H24年5月 軽井沢保養所 6名 「碓氷峠クマ事件」
(ご参考)
第5回 H25年5月 軽井沢保養所 6名 「もうあかん事件」
(ご参考)
第6回 H26年5月 軽井沢保養所 6名 「富岡製紙工場説明員の自己陶酔事件」
第7回 H27年5月 軽井沢保養所 6名 「???????」
------------------------―-------------------------------------------------
「鬼押出し奇岩を前に」
どちらの参道(表か裏か)を廻るのが楽かい?
「奇岩の中に咲くミツバツツジ」
鬼押出し園の裏山道から表参道にかける散策路にこの花が訪問者を待ち受けていた。満開の時期はもう過ぎたようだが、奇岩の中に咲く可憐な佇まいに心が和まされた。
「散策を終えて」
鬼押出し園にある寺々に祈願しながら散策を終える。少々疲れたが月替わりを控えた皐月が、見本のような五月晴れを演出し我々を癒してくれた。
「星野や軽井沢を流れるせせらぎ」
軽井沢星野に作られた別天地のこのリゾートも、この山間(あい)を流れるせせらぎが大きなアクセントになっている気がする。
「星野リゾート軽井沢」
こんなモダーンで緑が多く広々としたテラスの飲食店や雑貨屋さんなどが並んでいようとは。都会の喧騒を忘れ、ゆったりとした気分になるが、惜しむらくは、我々の懐具合に尽きる気がした。
「石の教会・内村鑑三記念堂」
この協会は、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂となっているが、本日は結婚式があり見学はできずお仲間はがっかりしたが、小生は、もう何年前のことか、娘がここで永遠の契りを結んだ際、エスコートしたことを思い出し、感無量の思いがよぎった。
「白糸の滝」
軽井沢町の説明によれば、湯川の源流になっている滝で、湾曲した岩壁に数百条の地下水が白糸のように落ちているのが特徴らしい。今回で3回目となるが、いつ来てもこの滝の前に立つと心が洗われる。滝が日本人の信仰の拠りどころになっているのが分かる気がする。
「思惑の虚をつかれた思いもしなかったハプニング」
例年、軽井沢研修はカラオケで締めることになっているので、夕食もそこそこに保養所のカラオケ室に急いだ。幸い我々が一番乗り、思いのたけをマイクに載せ忘我の境地に入り込んだ時、とても品のいいご夫婦が部屋に入ってこられた。ジョイントすることをお勧めしたが、お聞きしているだけでいいと仰るので、暫し我々だけでマイクを回していたが、歌い終わるごとにお上手ですねと褒めそやされるのである。
どうもおかしい、褒めそやすだけに来られたのではあるまいと、半ば強引にマイクを差し上げお勧めしたところ、控えめながら歌い始められたお二人の歌唱がとんでもなくお上手なのに驚いてしまった。ご主人は80歳と高齢であることを力説されていたが、現役のころ海外勤務をされてきたそうで、正確な発音とリズムに乗った英語で歌う歌はまさに絶品。一方奥様は、越路吹雪が好きだとかで彼女の歌を熱唱するに及んで、こちらが褒めそやす立場になったのは言うまでもない。
こちらが持ち込んだお酒を相伴していただいたせいかどうか、歌合戦が盛り上がりにつれ口も滑らかになり、思いもしなかった親和性豊かな交流を紡ぐこととなった。誠に奇遇と言わなければならないだろう。数時間前までは赤の他人、まして、我々と同じ会社に勤めていたわけではないことを知るにつけ、この偶然の出会いに不思議な巡り合わせを感じてしまう。
こんな出会いがこの軽井沢で研修を始めてからずっと続いている。我々の結束を長く繋ぎとめようとする女神の思し召しに違いない。我々の結束がちょっとやそっとでは崩されないことを今年も思い知った。誠に有難いと言わねばならない。
ちなみに、このご夫婦の娘さんのご主人が、我々と同じ会社に勤めておられるらしく、今回は、若夫婦とお孫さんたち一家でこの保養所に来られたとか。翌朝の食堂で一堂に会した時、その誠に微笑ましい風景がそこにあった。思いもかけない事件は小説よりも奇なりである。
「軽井沢保養所の前で全員集合」
二日目の朝はいつも保養所の前で整列するのが習わし。初回のころと比べると歳を重ねた印が顔や体のあちらこちらに出ている。が、「さぁ今日も元気で遊ぶぞー」この声の響きだけはちっとも変っていない。
「軽井沢銀座をぶらり」
ここに寄らずしてこの研修は収まらない。毎年ここで銀ブラしながら、食事をしたり物を買ったりしながら移りゆく軽井沢を楽しみにしてきた。いうなればこの研修は、我々日本人憧れの里詣でと言えたかもしれない。ところが、ここ数年この地ではやたらと外国語が飛び交うようになり、憧れの里が大きく変容してきている気がしてならない。軽井沢銀座・メッカ巡礼は最早日本人が主体では無くなってきている。
「こんにゃくパーク」
今年の研修旅行の締めくくりは、Sさんが推薦する群馬の富岡製糸場に近いこんにゃくパークに行って、こんにゃく料理満載の無料バイキングで食べ放題に有りつくことだった。腹を満たすことが出来るのかと訝っていたが、なかなかの料理で、とりわけこんにゃくのラーメンは逸品だった。ものは試しにお出かけすることをお勧めしますが、ただほど高い買いものとなることを念のため申し添えしておきます。
□元に戻る
■「横浜ふるさと村で見つけた5月の草花」
平成29年5月30日
テンヤワンヤが続く合間を縫って、リフレッシュを兼ね庭に出たりふるさと村を散策すると、季節の草花が迎えてくれる。最近は注意してそれらの草花を愛でることにしているが、何せ俄か観察者、花の名前など知る由もないので、あの小さくて黄色い花が可憐だったとか、赤い花が情熱的だったとか、スマホに書き込むメモは冗漫すぎて観察記録は少しも役に立たない。
今月も、記事にしようがないほどの冗漫な観察記録にうんざりしたが、草花の写真に、魅入られた心の揺さぶりが投影しているような錯覚を覚えた。自然に向き合うことでしか味わえない錯覚であろう。冗漫な観察記録は、良くなる当てもなく諦めるしかないが、この錯覚への目覚めは易々とあきらめることが出来ない。であれば、これからも自然と向き合っていくしかない。 と、久しぶりに出た我が家の庭で思った。
「雑草の中に咲く可憐な花」
5月30日 雑草の中でひと際可憐に咲く花に心が揺らいだ。この花の名を知りたく調べてみたが未だ分からず、ご存知の方是非お教えいただきたく。
「お隣の庭に咲いた花」
5月21日 草取りのため久しぶりに庭に出たら・・・、
5月21日 草取りのため久しぶりに庭に出たら、お隣の庭に咲くあでやかな花に気付いた。しかも、木漏れ日による絶妙な陰影が作り出す幽玄な佇まいに見惚れてしまい、草取りの手が止まってしまった。こんなお花を丹精されていたことを知っていたら、もっと草取りに精を出していたかもと思いつつ、お花の名前を聞こうとしたが、庭仕事などめったにしたことがないので、気が引けてお聞きしづらいまま今に至っている始末。当面は草取りに精を出すしかないようだ。
「木漏れ日を受けた里山の木々」
5月20日 暮れかかった里山を振り返ったら、
5月20日 暮れかかった里山を振り返ったら、勢いは幾分落ちたがこの時期の夕暮れ時の陽光が、里山の重なりを透過し古びた木々を照らしあげていた。この時期のこの瞬間にだけしか主役になれないこれらの木々が、のびのびと精一杯のパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。
「麦秋の実り」
5月20日 知り合いの農家の田んぼは・・・、
5月20日 知り合いの農家の田んぼは、小麦の穂が黄金色に輝き、はち切れそうに実って、麦秋の時期を迎えていた。実った麦をこんなに近くで見るのは初めて、夏に小金色の染まる田んぼに自然の奥深さを感じた。
「麦秋の畑」
5月20日 麦秋とは、麦の取入れをする季節のことで初夏の頃、
5月20日 麦秋とは、麦の取入れをする季節のことで初夏の頃となる。この田んぼだけで80-100sの収穫になるらしいが、これらの小麦は中力粉なのでほとんど "うどん"の原料となるようだ。一体どれくらいのうどんになるのか、食い意地を張った妄想が膨らんだ。
「今年のツツジ」
5月1日 今年も立夏を告げるこの花を追いかけ・・・、
5月1日 今年も立夏を告げるこの花を追いかけ、昨年とは少し離れた広場でこの花を撮った。この花を追いかけたのは、昨年この花の花言葉が「恋の喜び」と知ったからだが、小生にとって、「恋の喜び」は死語になって久しく、記憶の何処を探っても思い出せない。ならば、"新しい恋でも" と、嵩じ果てた妄想に駆られ、今年もこの花を追いかけたというわけだ。
今年の咲きっぷりも見事だが、花の色が昨年と比べると赤色が薄いピンクに変わってきている。赤い躑躅が「恋の喜び」の象徴なら、ピンクのツツジは「???」、妄想の世界から現実に引き戻され、今年も「恋の喜び」を成就できそうもないことを悟った。なんだか、花のせいにする自分が惨めになってきた。
□元に戻る
■「国連WFP ウオーク・ザ・ワールド 2017」
平成29年5月14日
今年も、横浜みなとみらいで国連WFP主催の「ウオーク・ザ・ワールド 2017」が、リオ五輪競泳銅メダリストの松田丈志さん参加の下開催された。4,400人を超える参加者があり、例年以上に盛り上がったイベントとなった。本日も、終日このイベントのボランティアに参加し、世界の飢餓撲滅のために募金活動を行ったが、参加費からの募金以外にもチャリティー販売で購入いただいたレッドカップの売上金や、直接募金箱に寄せていただいた浄財も多く、ボランティア冥利に尽きた。
自分の行動は、小さな小さな1歩に過ぎないが、こういった活動を報告し知っていただくことで、一人でも多くの方に賛同を頂けたら望外である。是非お目通しいただければと思う。ちなみに今年のイベントの状況は、
こちらを参照してください。
□元に戻る
■ 「4月も続いたIT機器の不調」
平成29年4月30日
「春爛漫というに、IT機器の不調でHPの更新どころではなかった4月」
PCの不調に悩まされた3月をようやく乗り越えた矢先にスマホが故障してしまった。4月8日から1週間ドック入りを余儀なくされ、修理され戻ってきたスマホのアプリの立ち上げにテンヤワンヤ。SMSやLINEの復元が出来なくなってしまい、最初からやり直さなければならなくなったり、利用していたほかのアプリを探し、再生するのに手間がかかったりして、今月も四苦八苦の日が続いた。
IT機器の便利さを享受した生活スタイルに慣れ切ってきただけに、このような状況に陥ると不便この上もない。何とか打破せんと色々と試みるのだが、この歳になってディジタルデバイドの差を縮めようもなく、一向にはかどらない己の無能力さにため息しか出てこない。さらに、知人から小生が使いこなしているPCのアプリの問い合わせの対応に忙殺され、HPの更新どころではない状況がこの月も続いた。
4月も、タイムリーな更新ができなかったが、連休に入って一息ついたので、鮮度ロスは免れないが一挙にまとめて掲載することにした。最近はHPなんぞに手出しなどしなければよかったのにと、愚痴ばかりが口を衝くが、もともとこのHPは愚痴を吐き出すことにあったことを思えば、狙い通りのことが実現しているのかもしれない。つまらん愚痴をお聞かせし恐縮の極みですが、もうちょっとお付き合いいただければ幸いです。
■「メーデー中央大会での国連WFP募金活動」
平成29年4月29日
日本労働組合総連合会主催のメーデー中央大会が、今年も代々木公園で開催され、この会場に場所をお借りして実施された国連WFPの募金活動に参加した。主催者発表で来場者は4万人、上天気に恵まれたこともあり、ブースを訪れてくれた方は昨年よりも多かった。
今日もこの会場で、飢餓に対する質問やWFPの活動について尋ねられることが多かったが、パンフレットやパネルを使い一生懸命お話すると納得していただき、WFPの活動に共鳴して頂いた。そして、その思いを浄財に寄せていただいた時の達成感は例えようもなかった。こんな思いの積み重ねが世界の飢餓撲滅に繋がっていくに違いない。そう信じて、小さな一歩かもしれないが、これからも声をからして話し掛けていかなければと思った。
□元に戻る
■「夜の銀座をぶらり」
平成29年4月27日
会社を定年退社してから、毎月1回お仲間との交流を続けてきている。毎回一献傾けながらの話題は多岐にわたり、元上司のたぎるご高説を切っ掛けに激論もしばしば。今日は銀座の一見会員制らしきこ洒落た厨房酒場(バー)だったため、激論には至らず、和やかなうちに懇談を終えた。
いつもとは違った懇談会だったためか、物足りない気分を抑えられず、もう一軒廻ろうと一丁目から四丁目にかけて夜の銀座をぶらりすることに相成った。銀座にはいつ来ても賑わいと繁栄が垣間見えるが、今回は、この4月20日に開業したばかりのGINZA SIXにその象徴が見えた。それは東京の底力であり日本の底力なのであろう、田舎もんの小生に映る銀座である。
そんな銀座をぶらりしているうちに、物足りない気分も霧消してしまった。そこにまた銀座の魅力を感じてしまう。来月も、銀ブラと洒落込むか。激論よりどれほどましなことかと自分の年を考えながらそう思った。
「中央通り銀座一丁目付近」
22時を過ぎるとさすがに人通りも少なくなってきた
「GINZA SIX」
4月20日に開業したばかりの銀座エリア最大の商業施設。241のブランドが 集結し、世界でここにしかない特別な場と仕掛けを創発しているそうな。
「銀座の恋の招き猫」
銀座4丁目の交差点の傍らに、恋の招き猫が静かに佇んでいる。 その名も「コイコリン 」。撫でる場所であなたの願いが叶えられとのこと。
「悠久の翔(つばさ)」
「銀座七宝ビル」のにある、夢童由里子作のからくりモニュメント「悠久の翔(つばさ)」。コンピュータ―制御によるからくりモニュメントで、5体の人形たちがしなやかな動きでオリジナル音楽と共に、銀座を行き交う人々に語りかけるように演じています。
□元に戻る
■「昔の仲間との語らい」
平成29年4月25日
70年代に結成された会社のお仲間との懇談会が、会社近くの居酒屋で開催され10人近いメンバーが集まった。結成時30人いたメンバーは職場も異なっていたし年齢も異なっていたが、志高く自己研鑽に励み、もって会社に貢献していこうとする、新進気鋭たちであった。
以来45年が過ぎ、全国に散ったものや病気治療に専念するものなどで、一堂に会することは出来なくなってきた。それでも幹事のお蔭でこの会は年1回必ず開催され、毎回10人前後の参加があるほか、出席できない約3分の2のメンバーはメールをよこし交流に参加し続けてきている。
会の定番は、各自の近況の報告から始まるが、最近富に病気自慢の披露が目立つようになった。いかに自分の病気が特異なのかの自慢合戦なのだ。昔から口八丁手八丁の輩なので、この合戦は実に見ものなのである。如何に酷かったか、いかに頑張ったかなど、口の端に上る話は壮絶を極めるのである。
それが、「現役時代寝食を忘れて仕事に没頭し、体にはいいことをしなかったからなぁ」の助け舟に矛を収め、会は盛り上がっていくのだが、この近況報告が伏線になっているのはいうまでもないのだ。新進気鋭だった者たちの話は、この歳になっても前向き、常に自己研鑽の精神を忘れていない。何かをせずにはいられないといった気風が満ちており、必然、体にはいいことをしないことになるかもしれないことをほのめかしている。
メールで寄せられる、仲間の声にもそんな雰囲気が漂っている。働き方改革が今大きな流れになっている。この会にあってぼんくらな小生にしかこの流れはわからないであろう。次回、この仲間にこのことを問いただしたいと思う。恐らく一笑に付されるに違いない。
□元に戻る
■「チューリップ」
平成29年4月17日
昨年も本欄でこのチューリップを紹介したが、今年は約10日遅れで満開となった。そういえば桜も1週間ほど遅れていたようなので、今年は冷春なのかもしれない。遅れて満開となったこの花をみて、今年も掲載しようと思ったのは、この畑の主のこの花にかける思いが垣間見えたからである。
借りた畑のすべてに、この花しか植えないこだわりは、我ら野菜園芸信奉者にはとても及びもつかない。ひょっとして、この花の花言葉である「思い遣り」を追い求めておられるからなのかもしれない。こんな優しい隣人の花を紹介しないわけにはいかないだろう。来年の満開はいつになるか今から楽しみにしている。
チューリップ全般の花言葉の「思い遣り」は、西洋では「perfect lover(理想の恋人)」「fame(名声)」と言われているが、花の色による花言葉も用意されている。ちなみに、赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」、西洋では「declaration of love(愛の告白)」「true love(真実の愛)」「eternal love(永遠の愛)」「romantic love(ロマンチックな愛)」「believe me(私を信じて)」であり、黄色は「望みのない恋」「名声」、西洋では「hopeless love(望みのない恋)」「unrequited love(報われぬ恋)」「brightness(明るさ)」「sunshine(日光)」である。
この畑では、圧倒的に赤い色のチューリップが多い。主さんの本当の思いは「愛の告白」なのだろうか。それであればなおさら、このロマンチストの花を紹介しないわけにはいかなくなってくる。来年も赤い色のチューリップの花が畑を埋めるのだろうか、興味が尽きなくなってきた。
□元に戻る
■「イチゴ狩りにて」
平成29年4月15日
毎年、横浜ふるさと村体験農園部主催の研修視察が実施される。今年は、横浜市泉区「ゆめが丘農園」及び藤沢市亀井野「JAさがみのわいわい市藤澤店」を視察することになった。日頃畑を借りて、農園にいそしむ仲間と一緒に研修視察できるのは農業のやり方にとっても、お仲間との交流にも大変有意義であり喜んで参加した。
JAさがみ直売所わいわい市藤澤店での視察(実際は市場でのショッピング)は、農作物の豊富さと、新鮮さ安さに目を見張り、ついつい余計なものまで購入する参加者が多かった(小生もその一人)。日頃、このようなところには出入りしないので新鮮な経験ができたのは有難かった。
さらに、ゆめが丘農園でイチゴ摘み取りを行った。ずいぶん昔、単身赴任していた山梨のいちご園以来だったが、当時、前日に深酒をさせられ、強烈な二日酔いだったためいちご狩りには、あまりいい思い出ではなかった。ところが、本日このいちご園に入って、豊富な種類のイチゴの美味さに手を休める暇もなく、イチゴ狩りの嫌な思いは払しょくした。
練乳と一緒に味わうイチゴの美味さは格別で大いに堪能した。この後昼食となり、交流につきもののアルコールを少々頂きながら、大いに懇談を深めた次第だが、この順が逆だったら、依然としてイチゴを好きになれたかどうか。主催者殿の配慮に感謝しなければならない。
□元に戻る
■「椿の花に想う」
平成29年4月9日
我が家の玄関口の脇に今年も見事な椿の花が咲いた。草花を愛でるられるような風流人ではない(勿論知識がほとんどない)ので、毎年気にもしなかったのだが、今年の花は、大輪のうえ色鮮やかだったので思わず足を止めてじっくり眺めてしまった。
ものの本によれば、この花は日本や中国を原産としているらしく、万葉の時代から日本人に愛されてきたとのこと。ツバキの由来は、葉が丈夫なことから「強葉木(つばき)」が転じた、つやのある葉から「艶葉木(つやはき)」が転じたなど、諸説あるとのこと。この花が、18世紀にヨーロッパに渡り、19世紀に小デュマの原作小説に基づき書かれたオペラ「椿姫」にも主人公の女性を象徴する花として登場しているとの解説に、この花の持つ強さやあでやかさに興味を持った。
ちなみに、この花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」で、特に、赤い椿は「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」「謙虚な美徳」ということらしい。もっとも似付かわない家の脇に咲いたものだと、気恥ずかしい限りだが、この意味を知ったからには、この花に恥をかけてはならない。充分心してこの花言葉にそぐうような生き方を目指さなければと思った。
□元に戻る
□ブログのTOPへ戻る
□ホームページのトップへ戻る