□「平成29(2017)年ブログ」NO.1 平成29年1月1日〜3月31日  「BGMエンブレム」
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  • ■「不調だった3月の総括」
    平成29年03月31日
    「不調だった3月の総括」
     この3月は、PCの不調に振り回され本欄の掲載を続けるどころではなかったが、記憶に止められたものをいくつか取り出して、3月の総括を試みた。...続きを読む
  • ■ 「PCの不調に惑わされた3月」
    平成29年03月31日
    「PCの調子に狂わされた3月に思ったこと」
     昨年、現在使用しているメールは、機能強化された新しいものができたので、6月までに切り替えをしてほしい旨の通告を受けていたのだが、うっかりにも放っておいたところ、...続きを読む
  • ■「確定申告」
    平成29年2月16日
    「確定申告」
     毎年確定申告は、届出初日の午後一番に所轄の税務署に届けに行っていたが、今年は、午前10時に届けに行った。いつもは、20分程度待てばカウンターに辿りつき申告を終えるので ...続きを読む
  • ■「人事異動」
    平成29年2月6日
    「人事異動」
     毎週月曜日の午前中は、藤が丘の某病院でボランティアをしている。業務終了後オフイスにて業務日誌を書き、担当の方に報告することで業務完了となるのだが、これをもうかれこれ8年間続けてきている。 ...続きを読む
  • ■「節分」
    平成29年2月4日
    「節分」
     2月3日は節分の日である。子供の頃、親と一緒に豆をまきこの日を過ごした。長じて、我が子供が小学生のころは、この風習を守らんと豆まきをしたもんだが、仕事に追われ、...続きを読む
  • ■「Gymを変えて」
    平成29年2月1日
    「最近気づいたこと」
     会社を定年退職するちょっと前からジム通いを始めた。偏に健康を維持する為に、強制的に追い込まなければ、無為に安逸をむさぼってしまう性格を自覚していたからである。...続きを読む
  • ■「梅の花に問われて」
    平成29年1月28日
    「(続々々)異国の人との交流」
     大寒を2日ばかり過ぎた今週の初めは、暦通りの大変寒い日が続いたが、1週間を経た今日は気温も15度を超した。昔の感覚から言えば未だ寒さ厳しい真冬の真っ只中と言ったところだが...続きを読む
  • ■「謙虚に謙虚に共生していくこと」
    平成29年1月24日
    「謙虚に謙虚に共生していくこと」
     昨年から姉の見舞いに毎月1回帰省している。昨年の1月18日、関東地方は豪雪に見舞われ帰省時にとんでもない目に合った。その轍を踏まんと注意を払っていたにもかかわらず、今年もとんでもない目に合ってしまった。...続きを読む
  • ■「ヒヨドリのお告げ」
    平成29年1月20日
    「ヒヨドリのお告げ」
     我が家は、横浜市の端にある「ふるさと村」に隣接しており、里山や田んぼ、畑など豊かな自然に恵まれている。そのお蔭で春夏秋冬に応じた草花や、野鳥、小動物(虫類)に出会うことが普通となった。...続きを読む
  • ■「ラグビートップリーグ会場でのWFP活動」
    平成29年1月16日
    「ラグビートップリーグ会場でのWFP活動」
     国連WFP(ローマ本部)は、2003年よりワールドラグビーとパートナーシップを組んで、2003年開催の第5回ラグビW杯(オーストラリア大会)から、2007年第6回フランス大会、...続きを読む
  • ■「墨田川七福神めぐり」
    平成29年1月6日
    「墨田川七福神めぐり」
      毎年恒例となった「ひまじん」会の七福神巡りを、今年は「墨田川七福神」を巡った。...続きを読む
  • ■「今年の年賀状から」
    平成29年1月2日
    「今年の年賀状から」
     今年、ひと際心を揺さぶる年賀状を頂いた。今から29年前最先端の半導体工場(子会社)が建設され、その会社を立ち上げるために日夜苦楽を共にした仲間からの賀状である。...続きを読む
  • ■「初参り」
    平成29年1月1日
    「収穫の秋」
     毎年、正月元旦に家族と一緒に池上本門寺に出向き、初参りを続けてきている。年を重ね、夢や希望という言葉にリアリティ感が薄れ、メリハリに乏しい平凡な日々に慣れたせいか、...続きを読む

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  • ■ 「不調だった3月の総括」
    平成29年3月31日
  • 「不調だった3月の総括」
     この3月は、PCの不調に振り回され本欄の掲載を続けるどころではなかったが、記憶に止められたものをいくつか取り出して、3月の総括を試みた。

  • ■「帰省の車中で出会った異国の人」            平成29年3月29日
    「帰省の車中で出会った異国の人」
     この日、帰省した帰りの新幹線の中で、名古屋駅から乗り込まれてきた異国の方が、小生の隣の席につかれた。しばらくお互いに無言で本を読んだり、スマホをいじくったりしていたのだが、富士山が見えて来た頃目が合って、一言言葉を発したところこのような関係になってしまった。

     彼は、スペイン人、英語は喋られないようで、隣の席にいた娘さんがトランスレートしてくれた。彼らは家族で一緒に日本に旅行に来たとのことだった(奥さん、娘さん、息子さんの4人)。旦那さんはすごくおとなしい方だったが、奥さんの方は活発な方のように見受けられたが、とても仲良しな家族の印象を受けた。

     スペイン語で唯一知っている「アミーゴ」を連発して、国際交流に努めた次第。最近、何処に行っても多くの外国人に出会う。いい印象をもって帰られるよう願うばかりだが、そのためにも、意思の交流ができる技を身に付けなければと改めて思った。

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    • ■「今年も菜の花が満開に」              平成29年3月25日
      「今年も菜の花が満開に」
       今年も、横浜寺家のふるさと村に菜の花が咲き、既に満開になっていた。菜の花の花言葉が、「快活な愛」「競争」「小さな幸せ」「活発」「元気いっぱい」「豊かさ」だと知った。このところPCの不調で落ち込み加減だったが、明るく、前向きになれる言葉ばかりのこの花に触発され、何とか3月を乗り越えることが出来た。自然を愛でれば、自然は違(たが)わず応えてくれる。これは、真理なのかもしれない。

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      • ■「新宿御苑を訪ねて」                  平成29年3月18日
         関東に住んでから半世紀を超えたが、未だかつて新宿御苑に行ったことがない。一度は行きたいもんだという思いも薄れかけていたところ、お仲間の先輩からお誘いを受けた。当日は、Vリーグ女子バレーの決勝戦に行き応援することになっていたが 試合は午後6時半からなので、その前に身体を動かし応援に万全を期すために、会場近くの新宿御苑を散策することにしたということだった。

         もっとも本音は、当日は試合後に飲食する時間がないことが予想されるので、その前に腹(とりわけアルコール)ごしらえをし、お仲間集合時のアルコール付き絶対条件をクリアしなければならなかったからである。でも、昼日中からのアルコールには少々抵抗感もあるし、この年になると、適度な運動がなければアルコールごしらえがきつくなってきていることもあって、散策することにしたのだ。

         動機は不純なれど、一度は行きたいと思っていたところなので、期待は大きく膨らんだ。大都会の真っ只中にこのような自然の庭が広がっていようとは、行ってみて不純な動機を恥じるばかリであった。今お江戸では、市場移転の問題で大騒ぎをしているが、このような自然の中にいると、遠い世界の出来事のようにしか思えない。ここに、世界に誇れるお江戸の姿・知恵があるのに・・・。「大騒ぎしていることを恥ずかしくありませんか」。春爛漫を控えた新宿御苑の囁きが聞こえた気がした。

        「ハクモクレン」 今が盛りの大木のハクモクレンに、誰もが圧倒されていた
        「ハクモクレン」

        「水温む中の池」 遠くに高層ビル。大都会の真っ只中とは思えない静けさに感動
        「水温む中の池」

        「爛漫に先駆けた桜」 徳川家康の家臣・内藤氏の江戸屋敷の一部とか、ヨウコウ
                   桜がひと際美しく咲き、爛漫の春を待ち受けていた
        「爛漫に先駆けた桜」

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        ■「優勝決定戦に臨む」                  平成29年3月18日
        「Vリーグ女子バレー決勝戦」
         この日の対戦相手は、強敵H製薬。フルセットの末3:2(23-25、25-22、25-19、18-25、15-6)で優勝を勝ち取った。H27年に続く優勝で、両試合とも応援に出かけた者にとっては、この上ないうれしさである。会社を離れてから随分時間が過ぎたが、応援の場で浸る会社一家の雰囲気は格別である。こんなつながりがあることは誠に幸運なことに違いない。

         この日、3セットを終わった時点で勝てると思ったが、豈(あに)はからんや、4セット目を失い試合の流れは混とんとして来た。当方既に、勝利の美酒の杯を前倒しで挙げていたので、何としてでも勝ってもらわなければ収まりが付かない。応援のスイッチを切替、猛烈な声援で5セットに対応した。5セット目を取り優勝できたのは、このお蔭と自負し周りに吹聴したが、優勝の大歓声にかき消されてしまった。

         前倒して誰よりも先に挙げた勝利の美酒は格別だったが、正真正銘の勝利の美酒は、寝る前に一人で噛みしめようと、体育館を後にした。

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        • ■「SDGs」とは                     平成29年3月12日
          「SDGs」とは
           この日、国連WFPのボランティアミーティングで「SDGs」の概要と、国連WFPがコミットする目標の説明を受けた。「SDGs」とは、2015年9月に国連総会で採択された世界を変えるために2030年までに達成すべき17の目標「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals、略称SDGs)」のことであり、地球環境と人々の暮らしを持続的なものとするため、設定された17分野の目標を、すべての国連加盟国が2030年までに取り組むことに合意したのである。

           概要によれば、極度の貧困と飢えをなくす、といった従来の開発目標に加え、ジェンダーの平等や良好な雇用環境づくり、生産と消費の見直し、海や森の資源保護、安全なまちづくりなど、先進国が直面する課題も入り、目標達成のために必要な169のターゲットも定められている。概要の詳細はこちらを参照してください。

           多岐にわたる目標に世界の悩ましい課題が見えてくるが、避けていては負の連鎖を断ち切れないであろう。地球存亡にかかわってくる重大な局面に至る前に、何とか手当をしなければならない。と、思えてくる。もしかしたらすでに手遅れになっているのもあるのかもしれないが、これまでに積み上げてきた人類の英知が、今こそ結集されるべきなのではないか。そして何より大事なことは、多くの人々が関心を持ち、行動に移していくことであろう。説明を聞きながら心底そう思った。

           ちなみに、この採択された開発目標の2番目が「飢餓をゼロ」にすることになっている。これにコミットするのが国連WFPである。だから、ここでのボランティア活動が「SDGs」達成に寄与することになるのである。関心をお持ちの方一緒に1歩を踏みだしてみませんか?

          ※------------(参考)2015年9月の国連総会で採択された17の目標----------※
            1.貧困をなくそう
            2.飢餓をゼロに
            3.すべての人に保健と福祉を
            4.質の高い教育をみんなに 公平で質の高い教育の提供、生涯学習の機会
            5.ジェンダー平等を実現しよう
            6.安全な水とトイレを世界中に
            7.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
            8.働きがいも経済成長も
            9.産業と技術革新の基盤をつくろう
            10.人や国の不平等をなくそう
            11.住み続けられるまちづくりを
            12.つくる責任つかう責任
            13.気候変動に具体的な対策を
            14.海の豊かさを守ろう
            15.陸の豊かさも守ろう
            16.平和と公正をすべての人に
            17.パートナーシップで目標を達成しよう
          ※------------------------------------------------------------------------※

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          • ■「今年の八八会」                    平成29年3月8日
            「今年の八八会」
             今年も、20名の会員が参加して「八八会」が開催された。八八会については、初めて参加した時の記事に詳述してあります。ご参考頂ければ幸いです。

             今年、88歳を迎えられる該当者は無しだったが、既に88歳を超えられた先輩方を囲み、和やかな懇談が続いた。先輩方にお話を伺っているうち、ある大先輩から、ご自分の取り組んでおられるライフワークをお聞きし、感心、敬服してしまった。宗教思想家として研鑽を重ねられ、「テロ・戦争の根本原因の探求」をされているということであった。何冊かご本も出版され、講演に奔走されながら、ライフワークを極められている姿勢に頭が下がった。

             このような偉大な先輩から、貴重なお話を伺えるのもこの会ならではのことであろう。とても真似のできることではなく、足元にも及ばないが、大いに触発されたことをこれからの生きざまに活かしていかなければならない。と、頂いた講演のレジュメを見ながら思った。来年はどんなお話が伺えるか、待ち遠しくとても楽しみである。



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  • ■「PCの不調に惑わされた3月」
    平成29年3月31日
  • 「PCの不調に惑わされた3月」
    「PCの不調に惑わされた3月」
     昨年、現在使用しているメールは、機能強化された新しいものができたので、6月までに切り替えをしてほしい旨の通告を受けていたのだが、うっかりにも放っておいたところ、3月に入って何かのソフトの更新を行った直後、メールがダウンしてしまった。慌てて、通告の内容を読み直し対応を図ったが、一向に良くならず、悪戦苦闘の日が続くこととなった。

     今までは、2つ持っているアカウントを1本化して、1つの画面上で切替しながら使い分け出来たものが、どうしても1本化できないのだ。揚句に、2つの内の最も多くメールのやり取りをしていたアカウントの今までの内容が、全く参照できなくなってしまい、日頃PCに頼り切っていた生活パターンが狂いだしてきた。

     メールへの応答が著しく落ちてしまい、多くの方に迷惑を掛けたに違いない。そんなことへの対応に追われ、3月は本欄への記事掲載も思うようにならず、歯がゆい日を送ることとなってしまった。今は、ずいぶん昔のバージョンと、最新版と言われているバージョンの2本でメール対応を行っているが、新しいバージョンへ2つのアカウントの統合が、未だに出来ず悪戦苦闘が続いている。

     歳を重ねるごとに、IT機器の取り扱いメンテナンスが厳しくなってきた。取説などの言語の意味が掴みづらくなってきている。世の中ではIOTとか言って、IT化の進展は留まるところを知らないが、操作もメンテナンスも今よりもずっとややこしくなってくれば、ディジタル・デイバイドはもっと広がるに違いない。

     なぜもっと簡単で易しく取り扱える道具になっていかないのだろうか、IT化に取り残されつつあることを自覚し始めた老人の愚痴は、深刻になってきている。


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  • ■ 「確定申告」
    平成28年2月16日
  • 「確定申告」
     毎年確定申告は、届出初日の午後一番に所轄の税務署に届けに行っていたが、今年は、午前10時に届けに行った。いつもは、20分程度待てばカウンターに辿りつき申告を終えるので、今年もそんな感覚で行ったところ、その思惑は見事にはずれえらい目に合った。こんなに多くの人が長蛇の列を作り、寒空の中長時間待たされていようとは・・・。

     申告を終えたときには、優に1時間を超えていた。届出初日の午前中に申告を済ませてしまおうと思う人が、こんなに多くいるのは意外であったし、申告書をもらいに来ている人や、書き方の指導を受けている人も多く見受けられ、こんなにごった返している税務署を初めて知った。

     この時期ならではの風景なのであろう。サラリーマン時代は、会社が年末調整を行ってくれたので、このような風景には縁遠く申告の大変さに気付きもしなかった。今年初めて、国家が借金まみれに陥っている中、いの一番に確定申告をして納税手続きをする多くの人がいることを知り、財政再建に一縷の望みがあることを感じた。

     後世につけ回しをしてはいけないと思っていたかどうかは分らないが、寒空の中、長時間じっと耐えながら申告に向かう人々の姿にそれが垣間見えた気がしたからだ。そんな人がいるうちに何とか手を打たないと・・・。
     見るべき人には是非見て頂きたい風景である。


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  • ■ 「人事異動」
    平成29年2月6日
  • 「人事異動」
     毎週月曜日の午前中は、藤が丘の某病院でボランティアをしている。業務終了後オフイスにて業務日誌を書き、担当の方に報告することで業務完了となるのだが、これをもうかれこれ8年間続けてきている。その間、東北地方を襲った大震災直後に勤務場所が変わったきりで、自分自身に関する人事異動は、この1回限りである。ところが、小生を担当するスタッフは、既に4人も変わっている。

     スタッフの異動は、別に驚くことではないが、予期せぬことが起こると大いに驚いてしまう。今日、業務報告をしようとしたら、いつもの担当の方が見当たらない。隣でペアを組んでいるスタッフが、「聞いていませんでしたか」ときた。担当の方が人事異動で新しい勤務場所に赴任したとのことであった。そんな気振りが見えなかったことはもとより、直接話も聞いていなかった。寝耳に水、まさに予期せぬことが起こったので、大いに驚いてしまったのだ。

     現役のころに、サプライズな人事異動に一喜一憂し、驚かされたことをたびたび経験してきたことが思い出され、1週間に1度しか行ってないボランティアなのに、人事異動への関心が薄れていないことを思い知った。組織のどんなところにも人と人の繋がりが絡んでおり、そのつながりが人為的に断裂されるときに、組織の客観性を超えた、人の主観的な感情がむき出しになることが多々あることを経験してきたからに違いない。

     そしてそれが、つながりの濃淡にあるのではないか、寝耳に水、予期せぬことで驚かされるのは、人として信頼できる繋がりであったかどうかに尽きていると思った。いつか、院内で会った際驚いたことを伝えたいと思う。なぜ驚いたかは、当方から、信頼できる繋がりがあったからとは言うつもりはない。そのことは、経験を積めば分かってくることだと思うからである。

     これからは、定期異動のシーズンに入る。一喜一憂があちらこちらで見られることであろうが、自分にとって驚かされる人事異動は、信頼関係が濃密だったことの証である。強いて言えば、自分以外の三者からそう思って頂けるのが理想なのではないか。この日、人事異動の話を聞き、業務報告を書きながらそう思った。


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  • ■ 「節分」
    平成29年2月4日
  • 「節分」
     2月3日は節分の日である。子供の頃、親と一緒に豆をまきこの日を過ごした。長じて、我が子供が小学生のころは、この風習を守らんと豆まきをしたもんだが、仕事に追われ、単身赴任を重ねるようになって、我が家では、この行事を何時のころからかやらなくなってしまった。加えて、昨今温暖化による暖冬が進んできたこともあって、この時期の季節感が麻痺してしまった気がする。

     慙愧に堪えない思いに駆られ、改めて節分の由来を紐解いてみた。歳時記によれば、節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったとのことである。それが、次第に春だけに用いられるようになり、現在では立春の前日の名称になったと。日本では立春は1年のはじまりとして特に尊ばれたからなのではないかということのようだ。

     立春を1年の始まりの新年としていた時代、節分は大晦日に当るので、平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事を行っていたとのこと。これが室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着したようだ。

     ちなみに、なぜ豆をまくのか。これも歳時記に寄せた木ノ下千栄さんの言葉を引用すると「節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。」

     また、「豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。「炒る」は「射る」にも通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を炒ることで、鬼を封じ込めるという意味があります。そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、鬼を退治した、ということになるわけです。」ということのようです。

     この辺りの事情は、幼かったころには聞いておらず、この年になって初めて知った。誠に恥ずかしい限りだが、孫にはさも物知ったかぶりの顔ができた。慙愧に堪えない思いに駆られることはまだまだある。一つひとつ紐解いていくことで、知ったかぶりができる。孫には物知りじじいでいたいと、この日改めて思った。

     それにしても、この満開の梅の花を見てほしい。前回このページで紹介してから幾日も経っていないのにこのような有様。 季節感が麻痺してしまい、「追儺(ついな)」の行事もややこしくなってきていないだろうか。温暖化にストップをかけ、古来から伝わる節分を、と願わずにはいられない。


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  • ■ 「Gymを変えて」
    平成29年2月1日
  • 「Gymを変えて」
    「Gymを変えて」
     会社を定年退職するちょっと前からジム通いを始めた。偏に健康を維持する為に、強制的に追い込まなければ、無為に安逸をむさぼってしまう性格を自覚していたからである。通いはじめてからかれこれ9年、すっかり日常生活の中に定着したことで、怠惰に流れそうな生活に距離を置けるようなったことを何よりも有難く思っていた。

     ところが、昨年9月、慣れ親しんだこのGymから料金改定の通告を受けた。この業界が、壮絶な競争下にあることを知らないわけではなかったが、自分の通っているところにまで及んできたことにその厳しい実態を思い知った。このGymはちょっと遠いところにある。今までは気にしなかった距離だが、年を取ったせいか随分遠く感じられ出向くのが億劫になっていたところに、今回の通告が重なったのだ、とるべき道は明らかであろう。

    とるべき道は限られてくる。  買い手市場真っ只中の有利さを武器に、近間でいいところを捜すことなのだ。今までは、口コミやネットで調べただけで決めてきたのだが、いざ探し始めると目移りしてなかなか決められない。何時できたのか、最寄駅周辺に立ち並ぶGymから、躍起となって顧客を取り込もうとする、過剰な誘引サービスに翻弄されたからである。

     判断基準は、どうしても今通っているGymとの比較になってしまい、「帯に短し、たすきに長し」をどこかで折り合いをつけないと前には進まない。近間であること、料金がリーズナブルであることのほか、老人にどれだけ優しいかを見極め、最終決断に至った。この日(2/1)新たなGymと契約を交わし、心機一転健康保持に勤めることにしたが、老人の利用者があまりにも多く、利用初日から面食らってしまった。

     自分が老境の域にいることを棚に上げて、こんなことを宣うのは誠に気が引けるが、本当に老人だらけ。高齢化社会になっていることをGymで思い知らされようとは。健康産業の隆盛は偏に老人にあるのかもしれない。それにしても、ここのGymの温泉施設は見事としか言いようがない。温泉に入りに来るだけで健康維持ができる、との錯覚を起こさせかねない業者の事業戦略に脱帽するしかない。自分も温泉にのみ惹かれるようになるのも、そんな遠くではなさそうな気がしてきた。契約した早々、業者の術中に嵌ってしまったのかもしれない。


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  • ■ 「梅の花に問われて」
    平成29年1月28日
  • 「咲き急ぐ我が家の梅の花」
    「咲き急ぐ我が家の梅の花」
     大寒を2日ばかり過ぎた今週の初めは、暦通りの大変寒い日が続いたが、1週間を経た今日は気温も15度を超した。昔の感覚から言えば未だ寒さ厳しい真冬の真っ只中と言ったところだが、庭の梅の木を見上げたところいくつか花が開き立春を待たずに春が訪れた。昨今の気候がだいぶ変わってきたことを改めて思い知る。

     ちなみに、気象庁の梅の開花日を調べたところ、横浜では昨年は1月28日に開花、平年より7日早くなっていた。で、今年は1月17日に開花、平年より18日早く、昨年より11日早くなっている。全国的にも、水戸や九州の一部を除きほぼ全域で早まっている。中には50日以上も早まっており、温暖化の傾向が一層進んでいることが窺える。

     梅の花に寄せた名歌が沢山あるが、昔の歌人たちは、これほど時期がずれようとは思いもしなかったに違いない。地球温暖化は文学の世界にも影響し始めている。知らぬ間に、じわっと変えられていることに底知れぬ怖さを感じる。恐らく、我々世代の季節感と孫たちが感じる季節感はだいぶ変わってきているのであろう。手を拱(こまね)いていっていいのか? とピンクの花びらに問われている気がした。


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  • ■ 「謙虚に謙虚に共生していくこと」
    平成29年1月24日
  • 「今庄周辺の山間は降雪に見舞われていた」 平成29年1月24日撮影列車の窓から
    「列車の窓から見た降雪の風景」
     昨年から姉の見舞いに毎月1回帰省している。昨年の1月18日、関東地方は豪雪に見舞われ帰省時にとんでもない目に合った。その轍を踏まんと注意を払っていたにもかかわらず、今年もとんでもない目に合ってしまった。今年は、中国、北陸方面が豪雪に見舞われており、特に1月23日の週はひどくなると予報されていたから、実家に確認したところ、福井市内は降雪がほとんどないとのことだったので、予定通り23日に帰省した。

     ところが、新幹線に乗ってすぐに、名古屋から大阪までの間を降雪のため徐行運転するので、米原には10-15分の遅れが生じる見込みだとの車内放送が流れた。昨年、低気圧のため米原で5時間近くも待たされた思いがよぎり、予報に逆らってはいけないことを改めて思い知らされた。幸い、列車は10分ぐらい遅れただけで、乗り継ぎも支障なく動いたので、予定通り帰省することができ、この日は事なきを得た。確かに、米原辺りの降雪は予報通りだったが、福井はほとんど降雪はなく、TVの天気予報図からは想像できない状況を不思議に思った。

     TV天気予報は、次の日も北陸方面が豪雪に見舞われることを流していたが、ホテルの窓から見る景色は、昨日と変わらず降雪の影響は軽微だと思われた。用件を済ませ福井発12:36の特急に乗り帰途についた。金沢辺りで降雪に見舞われたようで、列車が福井に到着した時は5分程度遅れていた。でも、ここからは雪もたいしたことはなく、この遅れをすぐに取り戻せるだろうと思っていたし、列車も順調すぎるくらい快走したので、安心しきってうとうとした。

     突然の車内放送に起こされた。先を走っているローカルの列車が詰まっているので、速度ダウンして走行する・・・というものだった。窓の外を見ると福井市内とは様変わりの風景が目に入った。豪雪の風景である。今庄を過ぎたころから急に風景が変わった、そして列車は極端にスローダウンした。それから間もなく、米原の駅のどのホームにも列車が止まっており、この列車の入る余地がないので、駅の手前でしばらく停車するとアナウンスされた。10-15分程度の遅れでないことは明らかで、乗り継ぎの新幹線には乗れないことを覚悟しなければならなかった。

     30分遅れてようやく米原に到着したが、乗り換えの新幹線には乗れず、駅員の指導で直後に来た「こだま」に乗った。次の1時間遅れの「ひかり」より約40分程度早い出発なので、新横浜には「ひかり」より早く着くだろうと思い乗ってしまったのだが、もう少し冷静に考えて選択すべきであった。この列車は、「のぞみ」や「ひかり」にとにかくよく抜かれる。結局、当初の予定より1時間半も遅れてしまったが、ゆっくりした分、多く停車する駅々の風景や乗り降りする乗客たちの様など、今まで見過ごしてきた旅情を感じることができた。
  • 「富士のお山は好天に恵まれて」
    「富士のお山は好天に恵まれていた」
     忘れかけていた旅情にふれることができたのは、偏に、降雪によりとんでもない目に合ったお蔭ではあるが、再三再四繰り返すのは何としても避けたい。天気予報を決して侮ってはいけないことを、改めて肝に命じた次第である。それにしても、数時間の乗車で、天候の差(降雪地域と好天の地域)が著しく異なる風景が現出する我が国の地形に感慨を新たにした。

     ちなみに、同じ福井県なのに今回のように嶺南地方と嶺北地方に降雪に著しい差ができたのは、風向きのせいだということが分かった。此の地に生を受け冬のことは知っていた積りだったのだが・・・。知ったかぶりをして、思い込みが嵩じると、とんでもない目に合うことを思い知らされた。謙虚に謙虚に共生していくしかない。


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  • ■ 「ヒヨドリのお告げ」
    平成29年1月20日
  • 「ヒヨドリのお告げ」
     我が家は、横浜市の端にある「ふるさと村」に隣接しており、里山や田んぼ、畑など豊かな自然に恵まれている。そのお蔭で春夏秋冬に応じた草花や、野鳥、小動物(虫類)に出会うことが普通となった。そして、それらとの出会いを通じて、会社勤めのころには味わえなかった季節感が、日常の中にすっかり定着してきた気がする。自然との共生を抜きにしては生きられないことを思えば、何とも贅沢な環境にいることかと、感慨もひとしおである。

     今朝気が付けば、我が家の梅の木にヒヨドリが止まり、春を呼び込もうとしてか一生懸命鳴き声を上げていた。この鳥は「ヒーヨ! ヒーヨ!」などと甲高く鳴くので、「ヒヨドリ」と名付けられたという説があるらしい。正直言ってヒヨドリなのかムクドリなのかの区別はできないが、その鳴き声と、昨年作った巣を調べてみて、「ヒヨドリ」ではないかと思った次第だが、確信したわけではない。と思っていたら、「ヒーヨ! ヒーヨ!」とさらに責っ付いてきた。ヒヨドリなのであろう。
  • 「木瓜の木に作った巣」
     昨年木瓜の木に巣を構えた親鳥なのか、それとも巣の中で育った子どもの鳥なのか、春を呼び込むこの鳥に興味津々。しばらくカメラを向け、季節の移ろいを収めるために無理な姿勢を続けなければならなかった。考えてみれば、この姿勢もこの季節に応じた日常の風景に馴染んでしまったようだ。

     一説(ウィキペディア)によると、「仔飼いにすると非常によく慣れ、飼い主を見分けることから平安時代は貴族の間で盛んに飼われた。古今著聞集などにその記述があり、現在の競走馬のように個体名が付けられたりして愛玩されたようである」とある。ところが、ときに集団で畑に現れキャベツやブロッコリー、イチゴ、ミカンなどの農作物を食い荒らすこともあり、農家には嫌われている害鳥になっていると聞くと、何か複雑な気がしてくる。

     自然と向き合い、贅沢な環境にいるようになったからこそ、想像力がたくましくなってきた。放っておけば、嫌われ者の害鳥にもなるが、うまく飼えば愛玩鳥にもなる譬(たと)えに、今世界で起こっている風潮が重なって見える。今年は春から波乱含みになりそうだが、害鳥に導けば世界は大混乱に陥るに違いない。政界の春の季節感を知り尽くした者たちの知恵が試されている。その知恵を試そうとするお告げか、「ヒーヨ! ヒーヨ!」の鳴き声が一層甲高く響き渡った。


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  • ■ 「ラグビートップリーグ会場でのWFP活動」
    平成29年1月16日
  • 「飢餓撲滅に意気を感じてくれたラガーマンと」
    「飢餓撲滅に意気を感じてくれたラガーマンと」
     国連WFP(ローマ本部)は、2003年よりワールドラグビーとパートナーシップを組んで、2003年開催の第5回ラグビW杯(オーストラリア大会)から、2007年第6回フランス大会、2011年第7回ニュージランド大会、そして2015年第8回イングランド大会まで飢餓の撲滅をめざす「タックルハンガー --飢餓へ立ち向かえ--」のキャンペーンを実施してきたこと。そして、日本ラグビーフットボール協会は、2015年より国連WFP協会と協業し、「学校給食プログラム」への支援をスタートしたことを、国連WFP協会の事務局から聞き知っていた。

     この日、昨年に続き第2回目となるジャパンラグビー トップリーグ リーグ戦会場(秩父宮ラグビー場)でブース出展をさせて頂き、国連WFPの広報、募金活動を実施した。ラグビーの魅力に抗(あらが)えず、今年初めてこの活動に参加したが、頭の芯まで痺れてしまうほどの今冬一番の寒さに閉口したが、ラグビーファンの暖かい支援に支えられ、近年まれに見る成果を上げることができた。

     既に戦績の順位が明らかになったリーグ戦の最終試合であったことと、とんでもない寒い日だったので、どれだけ盛り上がるのかと危惧していたが、駆けつけたラグビーを愛する大勢のファンと、我々と一緒に募金活動に参加してくれた各チームの選手達の、国連WFPの飢餓撲滅に意気を感じてくれた熱い募金の呼びかけに、想定を超えた盛り上がりとなった。
  • 「One for All, All for One」
    「One for All, All for One」
     単に、人が集まった中で、声をかければ募金が集まるというわけではない。集めた方に熱い思いがなければならないのはいうまでないが、集まった方々にもそれに共感し、受け入れ、自ら行動を起こす気質がなければ成果には繋がらない。今般この会場でラグビーの精神が垣間見えた気がした。One for All, All for One であろう。困っているものがいれば皆で助ける。助けられたものは皆のために頑張るに通じる。この気質が好きだから、この気質を愛しているからこその行動なのかもしれない。

     この日、ラグビーを愛する方たちから、途上国の子どもの学校給食1日分を【約3,500人】へ届けることができるほど、熱い手が差し伸べられた。誠に有難く、ボランティア冥利に尽きた思いがした。2019年の第9回W杯は日本で開催される。これからは、我々もスクラムを組んでラグビーを応援し続けなければならない。
     今冬一番寒い日に、One for All, All for One の言葉を改めてかみしめた。


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  • ■ 「墨田川七福神めぐり」
    平成29年1月6日
  • 「仕来たりを変えた参拝客にきっと戸惑って・・・」
    「墨田川七福神めぐり」
     毎年恒例となった「ひまじん」会の七福神巡りを、今年は「墨田川七福神」を巡った。昔の風情を残す隅田川沿いを北から南へ向けて、点在する5寺社と向島百花園で構成される七福神に詣で、今年の家内安全、身体健全、子孫長久を祈願した。

     この街に、東京スカイツリーが運用はじめてから既に4年半が過ぎたこともあって、街並みには人があふれるようになったようだ。近代建築技術の粋を集めたこの塔と、昔の建築文化の粋と風情が薫る寺社や街並みとの調和が定着してきたからなのかもしれない。

     もっとも、このコース最期の三囲神社(蛭子、大黒天)の近くには、浅草寺があり、昔から人出は多かったようだが、近頃のインバウンドによって、外国からみえた訪問者が飛躍的に増えたのも一因かもしれない。だから、各寺社へのお参りに外国の方が多く見受けられたのは、時代の流れであろう。七福神巡りも、普通の寺社参詣も昔とは様変わりになってきているようだ。もう少し立てば、これらの仕来たりなどは、外国の方に抑えられてしまうのではないかと思った。

     ちなみに、仕来たりを変えたのはなにも外国の方々ばかりではない。今回、最初に多聞寺の毘沙門天様をお参りしたら11時を過ぎていた。昼時には何処も食堂が混み合うことが予想されていたので、空いた隙を狙ってネットで調べておいた洋食屋に入り、少々早めの昼食をとることにした。まだ、一か所しかお参りしていないというのに、しかも横メシかい。

     お店に行ってびっくり、30-40席ぐらいありそうなお店だったが超満員。11時をちょっと過ぎたところなのに、しかも昼からワインなどを召し上げっている方も散見。仕来たりが変わってきているのか?。10分ぐらい待たされて、我々がオーダしたのは血も滴り落ちるステーキ。(小生は胃が受け付けずカレーライスをオーダ)

     これから、本格的にお参りするというのに、血も滴り落ちるステーキを取るなんて。昔の方には想像できないことであろう。知らぬ間に我々も仕来たりを変えてきているのではないか、隣の席で、ワインをお飲みになっている二人の女性を横目に見ながらそう思った。

     食後すぐにお参りした百花園の福禄寿は、仕来たりを変えた参拝客にきっと戸惑っておられるのではないか。昔なら、坊守から「この罰当たり目が」とお咎めを受けていたに違いないが、今は、「罰が当たって」から気付くのかもしれない。それでは遅すぎるのに。七福神巡りをしながら、日本の伝統文化、仕来たりについて思いが巡った。


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  • ■ 「今年の年賀状から」
    平成29年1月2日
  • 「ひと際心を揺さぶる年賀状を頂いた」
    「今年の年賀状から」
     今年、ひと際心を揺さぶる年賀状を頂いた。今から29年前最先端の半導体工場(子会社)が建設され、その会社を立ち上げるために日夜苦楽を共にした仲間からの賀状である。彼とは20歳以上も歳が離れていたが、地元出身の彼にとっては、自らの会社を立ち上げていく喜びに勝るものはなかったに違いなく、誰よりもこの会社に愛着を持っていた。

     我々の守備範囲は総務関係の業務であったが、当時の社長は、会社の規定で制定された総務の仕事はもとより、その規定に書かれていない(想定しなかった)業務が発生した場合、まずは一切我々の範疇と言われていたので、立ち上げ時の苦労は並大抵のものではなく、苦難の連続だった。「会社を立ち上げる苦労は経験したものでないと理解できないであろう」。当時、鬼の首を取ったように言いふらしたものだった。

     それから29年、この会社は重なる紆余曲折を経て、いまは外資系の会社に組み入れられ事業展開している。失われた20年に翻弄され産業構造を変えざるを得なくなり、多くの会社がその影響を受けた。この会社もその影響を免れず、ここ10数年荒波を受け続けてきた。会社に残って懸命に下支えしてきた彼らの苦労は、想像に難くない。立ち上げ時の苦労の比ではなかったであろう。

     それは、毎年取り交わす年賀状の短いメッセージの中で容易に推察された。今年、その彼から「外資系になってから3年が経ちましたが、ようやく通常業務における英語には、困らなくなってきました」と伝えてきた。彼が会社に入社した時、まさかこのようなことになろうとは思いもしなかったであろう。こんな苦労をさせられるとは思いもしなかったに違いない。我々(会社も、我が産業界も、国も)は自信満々だったからである。

     彼の短いメッセージに自信が垣間見える。単に言葉だけのことではなかろう。十分に仕事ができるようになった、会社からも信頼されていることが滲み出ている。思いもしなかった構造改革に耐え、ひたすら頑張ってきた苦労が報われ、大きく成長の途に至っていることをとてもうれしく思った。そして、このメッセージに触発され、心が熱くなった。

     我が国のリベンジは、これからが正念場であろう。彼らの苦労に倣いリベンジののろしをあげなければならない。来年彼に出す年賀状に、その証を記すことができるかどうか、今年は、あと残すところ364日。


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  • ■ 「初参り」
    平成29年1月1日
  • 「還暦12歳の初参り」
    「還暦12歳の初参り」
     毎年、正月元旦に家族と一緒に池上本門寺に出向き、初参りを続けてきている。年を重ね、夢や希望という言葉にリアリティ感が薄れ、メリハリに乏しい平凡な日々に慣れたせいか、正月に抱く特別な思いが希薄になってきた。それでも、仏殿にぬかずき、ご先祖様への感謝と一年の感謝を捧げ、新年の無事と平安を祈願すると正月を実感する。

     正月を実感するために初参りに行くわけではないが、初参りに行かなければ、正月を実感できなくなってきたことが何とも侘しい。今年は穏やかな天気に恵まれたこともあって、心平穏に深く祈願することができた。お蔭で、今年の正月は例年にない特別の思いが蘇ったが、還暦12歳になることを自覚させるための、神仏の特別な思し召しだったのかもしれない。

     であれば、還暦12歳を機にぐうたらな、メリハリのない生活を何とかし、夢や希望をもう少しリアリティあるものにしなければならない。正月を初参りすることで実感することではなく、生き方を変え正月を実感出来るようにする。とこの日決意した。

     友人から来た年賀状に「もう一周生きよう」、「100歳まで生きる」といったメッセージがあった。さしずめ、リアリティのある夢はその辺になろう。趣味、ボランティアに、さらに可能であればアルバイトなどの仕事にもう一段と踏み込んでいくことである。そして、少しでも世の中のお役に立つことに積極的に関わっていくことであろう。

     還暦12歳、まだまだ若い。と、思えば、リアリティある夢や希望は広がる。



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