□「平成29(2017)年ブログ」NO.4 平成29年10月1日〜12月31日  「BGMエンブレム」
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  • ■「クリスマスカード」
    平成29年12月25日
    「里親に育てられる燕の子」
     この日(12月25日)、4年前にお仲間の隠居5人で横須賀に出かけた折りに、ひょんな切っ掛けからお付き合いを始めるようになった英国の女性から、クリスマスカードが届いた。...続きを読む
  • ■「別離」
    平成29年12月22日
    「別離」
     12月15日、朝8時ごろ寝床でまどろんでいるところに、実家の兄嫁から電話がかかってきた。朝早くの電話なので一瞬不安がよぎったが、最初の一声に元気なトーンが感じられたのでほっとした。...続きを読む
  • ■「晩秋から初冬の風景」
    平成29年12月11日
    「今年最後の忘年会」
     関東では、今年の10月は24日間雨天となったが、11月に入って一転し晴れた日が21日となり、12月に入ってもこのところ晴れの日が目立って多くなってきた。...続きを読む
  • ■「ちょっと早めのクリスマス」
    平成29年12月9日
    「今年最後の忘年会」
     この日、毎年恒例になっている国連WFP応援団主催(任意のボランティア活動集団)主催の「ちょっと早めのクリスマス2017」が、41名の参加の下パシフィコ横浜国際協力センタ内の会議室で開催された。...続きを読む
  • ■「TVから画像が消えた日」
    平成29年12月1日
    「TVから画像が消えた日」
     11月28日。午前中何ともなかったTVが、午後に点けたところ、画像が表示されず音声のままになってしまった。何故画像が突然、前触れもなく消えてしまったのか、...続きを読む
  • ■「WFP活動−神宮外苑にて−」
    平成29年11月26日
    「WFP活動−神宮外苑にて−」
     今年も、恒例となった「ハウスファミリーウオーク 神宮大会」での国連WFP活動に参加した。毎年3,000名の方が参加されるこのイベント会場の一隅をお借りして、...続きを読む
  • ■「四大学連合文化講演会」
    平成29年11月24日
    「四大学連合文化講演会」
     友人の"松ちゃん″に誘われて、一橋講堂で開催された四大学連合文化講演会にいった。案内によると、東京医科歯科大学・東京外国語大学・東京工業大学・一橋大学は、...続きを読む
  • ■「センター祭り」
    平成29年11月23日
    「センター祭り」
     今年も、横浜青葉区区民交流センターでセンター祭りが開催された。この祭りには、この地域に住まわれている外国の方々の国際色豊かなパフォーマンス(インドネシアの竹楽器演奏やコロンビアのダンス、...続きを読む
  • ■「ノーベル経済学賞受賞学者と「人間だもの」」
    平成29年11月20日
    「ノーベル経済学賞受賞学者と「人間だもの」」
     今年のノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラ―教授が、詩人で書家の「相田みつお」のファンで、行動経済学研究に、彼の「人間だもの」は切り離せないと語るインタビューが、...続きを読む
  • ■「葛飾北斎」
    平成29年11月14日
    「葛飾北斎」
     会社を卒業してから毎月3人つるんで飲む会をかれこれ10年続けてきている。小生から見れば、元上司と元同僚といった関係にある気の置けないお仲間である。 ...続きを読む
  • ■「親子世代・デバイド」
    平成29年11月10日
    「親子世代・デバイド」
     「ディジタル・デバイド」という言葉が使い始められてから久しくなったが、その起源を調べたところ、1996年にアメリカ・テネシー州ノックスビルで行われた演説で当時の ...続きを読む
  • ■「最後の収穫を待つ稲田」
    平成29年11月5日
    「最後の収穫を待つ稲田」
     今年は、11月になっても収穫に至らない田んぼが散見される。毎年見慣れてきた者にとっては少々異常すぎると思い、今日散歩がてらに、知り合いの農家の方に聞いてみた。...続きを読む
  • ■「127年ぶりの雨天が続いた今年の10月」
    平成29年10月31日
    「127年ぶりの雨天が続いた今年の10月」
     関東では、今年の10月は24日間雨天となった。中旬から2週間以上雨天が続いたのは何と127年ぶりだそうだ。それにしてもよく降った。...続きを読む
  • ■「台風の爪痕」
    平成29年10月24日
    「進歩するデジカメの威力」
     23日の未明に超大型の台風21号が、静岡県御前崎市付近に上陸し、関東から 東北の東海上へ抜け各地に甚大な被害をもたらした。この日、帰省を予定していたのだが、...続きを読む
  • ■「ハープとフルートのコンサート」
    平成29年10月21日
    「ハープとフルートのコンサート」
     日本唯一のハープの専門メーカである青山ハープの東京営業所(千駄ヶ谷)で、グランドハープとフルートのコラボレーションを聴くコンサートに行った。...続きを読む
  • ■「巨大サツマイモ」
    平成29年10月11日
    「巨大サツマイモ」
     今年5月にサツマイモの苗を2株植えた。収穫には大体4か月程度かかるので、いつもなら8月末から9月上旬までには収穫を終えている。...続きを読む
  • ■「咲き急ぐコスモスの意味するところ」
    平成29年10月8日
    「咲き急ぐコスモスの意味するところ」
     昨年も急激に秋が訪れたため、ふるさと村の草花や柿など秋の果実が咲き急いでいると本欄で紹介したが、今年のコスモスの満開は、昨年より2週間ほど早く、...続きを読む
  • ■「田んぼでアート」
    平成29年10月8日
    「田んぼでアート」
     このところ毎年この時期に、近間にある横浜美術大学の先生の作品が、刈り取りの終わった田んぼに出現する。今年は加藤良次氏のインスタレーション作品であった。...続きを読む
  • ■「今年の稲刈り」
    平成29年10月2日
    「収穫の秋」
     8月からの長雨で遅れに遅れていた、ここ横浜ふるさと村の稲刈りも本格化し、8割方が収穫を終えたようだ。まだ残っている田を見ると他人事(ひとこと)ながら気になる。...続きを読む

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  • ■ 「クリスマスカード」
    平成29年12月25日
  • 「英国のお仲間から届いたクリスマスカード」
    「クリスマスカード」
     この日(12月25日)、4年前にお仲間の隠居5人で横須賀に出かけた折りに、ひょんな切っ掛けからお付き合いを始めるようになった英国の女性から、クリスマスカードが届いた。彼女とは来日する度に(この4年間に2度来日)横浜や浅草などを案内したりして交流をしてきたことや、帰国後もメール等で交換を続けてきたこともあってか好意に満ちたメッセージが添えられていた。我ら「五隠居」を親しい友人とみなす証だと、お仲間の舞い上がり方も堂に入ってきた。
  • 「訪英を促すクリスマスメッセージ」
    「クリスマスメッセージ」
     そう言えば、彼女の手紙やメールには、いつもロンドンや故郷のジャージーに来てほしいと記され、彼女の好意が示されていたのに、足を悪くしたお仲間がいるので、遠出が難しいとの返信を繰り返し、折角の彼女の好意に添えないままでいることを思い出した。今回のカードにはそのことを慮ったに違いなく、足の調子が悪いのなら自転車とサイクリングツアーを用意するからと言ってきた。

     その気遣は誠にうれしく、感激のあまりジジイの心は熱くたぎった。その熱が覚めないうちに、彼女の好意に応え、我が隠居達も海外に出て見聞を広げ、インターナショナルな隠居活動を楽しめるようにしなければと決意したところだ。幸いにもジャージーに住む彼女の両親も、我が「五隠居さん」の正会員になることを望んでいるらしいので、彼女の両親を「五隠居さん」の正会員に認定して交流を広げられれば、インターナショナルな隠居さん活動に弾みをつけられるかもしれない。

     今年のクリスマスは、迷想(迷走)を一層昂じさせる忙しい1日となった。


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  • ■ 「別離」
    平成29年12月22日
  • 「別離」
     12月15日、朝8時ごろ寝床でまどろんでいるところに、実家の兄嫁から電話がかかってきた。朝早くの電話なので一瞬不安がよぎったが、最初の一声に元気なトーンが感じられたのでほっとした。ところが第二声を聞いて不安が的中したことを思い知った。兄(長兄)が今朝7時6分に87歳の生涯を閉じたのだ。

     今年の6月頃に介護老人保健施設に入居して、一人部屋を占拠し、のうのうと療養を始めたばかり。食も旺盛だったので、こんなに早い別離が訪れるとは思いもしなかった。10月末ごろに肺炎を起こし、病院に移り治療専一となったが、回復しないままあっけないほど早く逝った。高齢者にとって肺炎の怖さを改めて思い知らされた。

     兄とは15歳はなれており、小さいころから親父以上に怖い存在だった。父を41年前に亡くしてからは、怖さを超えた親父の役割りを務めてくれた。年に1-2度ぐらいしか帰省できなかったが、そのたびに墓参りに同道させられ、ご先祖様を供養することで連綿と受け継がれてきた命のつながりを身近に感じとれることを教えられた。まさに親父の役割ではなかったか。

     墓参りを済ませると、いつも決まった蕎麦屋に行って、そばを食いながら近況を話し、そして、親父やお袋を偲んだ。この年の世代は、誰もが戦後の塗炭の苦労を味わされている。兄も例外ではなかった。我ら弟のために頑張ってくれたことに思いをはせると、涙が止めどもなく零れ落ちた。親父より10年近く永らえていたので、覚悟はしていたものの動じる気持ちを抑え難かった。

     蕎麦屋で愚痴を聞いてくれるものを失うことは何とも寂しい限りである。が、兄から受け継いだものを、兄の子供たちや我が子らへしっかりと繋いでいくことが、兄への何よりの供養なのだと思い手を合わせた。

     そして、兄の供養に墓参りに行ったときには、例の蕎麦屋で愚痴を聞く立場になっていられるようにと、別離の気持ちが募る年の瀬に誓った。


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  • ■「晩秋から初冬の風景」
    平成29年12月11日
  • 「横浜寺家町ふるさと村の晩秋の風景」
    「晩秋から初冬の風景」
     関東では、今年の10月は24日間雨天となったが、11月に入って一転し晴れた日が21日となり、12月に入ってもこのところ晴れの日が目立って多くなってきた。こういった天候の変化が体に沁み込んだ季節感を微妙に狂わせてきている気がしてならない。人に晩秋や、初冬の季節感を知らしめる街の中や郊外の道端で見かける自然の佇まいに、それが漂って見える。
  • 「故郷の初冬の風景はすでに雪景色」
    「故郷はすでに雪景色」
     今年は、晩秋も初冬もいつもの年より早めに感じてならないが、一方で、天候の変化とは関係なく人を、初冬、師走の季節感に追い込むクリスマス商戦のようなビジネスの常道に誑かされると、混乱も極まってくる。年末にはどのようになっているのだろうか。明け方の寒さが一段と増した寝床の中でそう思った。
  • 「ビジネス商戦の初冬の風景」
    「今年のクリスマス商戦」
     今年も、外で感じる季節感とは関係なく、「横浜みなとみらいクイーンズスクエア」に、クリスマス商戦によるにぎにぎしい「初冬の風景」が出現した。


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  • ■「ちょっと早めのクリスマス」
    平成29年12月9日
  • 「SDGのデコレーションとチャリティーバザーに飾られた会場」
    「ちょっと早めのクリスマス」
     この日、毎年恒例になっている国連WFP応援団(任意のボランティア活動集団)主催の「ちょっと早めのクリスマス2017」が、41名の参加の下パシフィコ横浜国際協力センタ内の会議室で開催された。団員手作りのクリスマスパーティーだが、普通見かけるパーティーとは少々趣が異なっている。

     今年1年間取り組んできた世界食糧計画支援ボランティア活動に関するねぎらいと、本活動の精神を事例報告などを拝聴して確認し合うこと、さらには、このパーティでチャリティーバザーなどを通じての収益や寄付金を、国連WFP協会に贈呈することなどがこのパーティの趣旨になっている。

     今年のプログラムは、
    1.現地報告会 WFP協会職員によるスーダンとマラウイの視察報告
    2.ペガサス合唱隊による歌唱披露
    3.大正琴 演奏
    4.WFP協会職員によるパフォーマンス
    5.チャリティーバザー 手作りグッズと寄付品チャリティーバザー
    6.寄付金贈呈
     で、構成されており、超真面目な報告で幕開けとなったが、世界の飢餓人口がこの数年減少に向かっていたのが、今年に入ってから増加方向に転じたことを知らされた。食糧支援の継続的な活動の必要性と人類普遍の飢餓救援に関する問題の深さを改めて思い知らされ、応援団のパーティには相応しい幕開けだと思った。

     その後は、一転して、にぎやかなパーティへと展開していった。団員で構成する「ペガサス合唱隊」の歌声は、年々平均年齢を重ねているのも関わらず、透き通り若々しくなっているのに脱帽するするしかなかった。大正琴の合奏も心惹かれ、うっとりさせられた。当日は、乳幼児も沢山参加していたが、この音色に引きつけられていた子供たちを見れば、その腕前が想像できるであろう。

     小生は、この日この後に予定があったので中座したが、この後の「WFP協会職員によるパフォーマンス」もなかなかのものであったらしい。毎年、工夫を凝らしたパフォーマンスを演ずる協会職員の方に頭が下がる。こういった、ボランティアのお仲間と協会職員たちが高度にその活動の目的を理解し、協力して取り組んでいるからこそ、このような暖かい、アットホームなパーティが持てるのであろう。

     その根底に、偏に飢餓撲滅に立ち向かう純粋な気持ちが流れている。その成果がこのパーティに表われている。来年はどのようなパーティになるか、成果をあげてさらに飛躍したパーティを望みたい。大きなことを言っているが、小生はパーティに参加するだけの会員になってしまったので、来年こそはお役に立って、パーティを楽しみたいと思っている。


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  • ■ 「TVから画像が消えた日」
    平成29年12月1日
  • 「TVから画像が消えた日」
    「TVから画像が消えた日」
     11月28日。午前中何ともなかったTVが、午後に点けたところ、画像が表示されず音声のままになってしまった。何故画像が突然、前触れもなく消えてしまったのか、いくら考えてもわからない。取説に従っていろいろ回復を試みたが、回復の兆しが見えず、故障してしまったと判断せざるを得なくなった。もう10年近く使ってきたので止むを得ないと思い、取説に表示されたメーカのお客さま相談室のURLを開いた。

     相談の結果、部品取替えで治るかもしれないが、古い機種なので代替品がない場合があるとの診断が下された。修理で済むのと買替では負担額も大きく異なってくるが、修理の専門家に委ねるしかなく、少し間を置くこととなったが、2日間を置いた12月1日に訪問診断を仰いだ。

     その間、音だけのTVを余儀なくされたが、流れてくる音から、その番組が展開している場面を、一生懸命想像していることに気付いた。場面の構成や配置、背景、さらに、動作や表情、色彩といった視覚で確認していた事象を、想像で補いながらTVを聴いていたということである。静かに真剣に聞いていないと、画像がぼやけ頭の中にイメージできない。

     こういった風景(体験)は、かつてラジオの時代にあった。笛吹童子や赤胴鈴之助の物語がラジオをから流れてくると、懸命に姿、恰好を想像し頭に結んだ画像を追ったものだった。その想像する行為が、文明の利器に取って代わられてしまってしまい、懸命に想像を逞しくする力が減退させられてしまった気がした。

     真っ黒の画面しか表示しなくなった我が家のTVは、文明の利器に頼り切っていると、大事なもの(想像力)を失ってしまうことへの警告だったのかもしれない。その警告への対価は、買い換えるほどではなかった(お蔭さまで代替部品があったので)が、そこそこの修理費を余儀なくされた。これからは時々、TVを音声だけにして、想像力減退に歯止をかけなければと思った。


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  • ■ 「WFP活動−神宮外苑にて−」
    平成29年11月26日
  • 「WFP活動−神宮外苑にて−」
    「WFP活動−神宮外苑にて−」
     今年も、恒例となった「ハウスファミリーウオーク 神宮大会」での国連WFP活動に参加した。毎年3,000名の方が参加されるこのイベント会場の一隅をお借りして、参加者に国連WFPの活動(飢餓撲滅のための食糧支援活動など)をPRさせていただき、ご理解を頂けることを目的にしている。勿論、その延長で暖かいご支援(募金)に繋げていかれることに越したことはないので、ボランティア活動にも熱が入る。

     本日は、6名のボランティアと協会の職員2名で、早朝(7:45)から15時まで声を嗄らし、久方ぶりに汗を流した。昨年までは世界の飢餓の数は少しづつ減少に向かっていた印象だったが、今回確かめたところでは、上昇に転じているらしいことが分かった。飢餓からの解放は、人類悲願の目標である。
  • 「晩秋の銀杏並木」
     こういった取り組みを始めてから久しい時が流れているのに、未だその負の連鎖を切る切っ掛けさえ見当たらない。所詮人類の知恵とはこんなものかとため息しか出なかったが、今回寄せられた浄財がその連鎖を切る一助になることを切に願い、晩秋の銀杏並木を後にした。


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  • ■ 「四大学連合文化講演会」
    平成29年11月24日
  • 「俄か勉強会」
    「俄か勉強会」
     友人の"松ちゃん″に誘われて、一橋講堂で開催された四大学連合文化講演会にいった。この講演会は、東京医科歯科大学・東京外国語大学・東京工業大学・一橋大学が、2001年に四大学連合憲章を結んで進めてきている、世界最先端の学術研究の最前線を分かりやすく解説するものとして開催され、今年は12回目を迎えた。

     このような学術的講演会は絶えて久しかったが、まさか、5時間近く続けざまに4つの講演を拝聴するとは思わず、難行苦行を覚悟した。

     本日の講演は、1.「地震に対し安全・安心な建物構造技術の研究」(東京工業大学 未来産業技術研究所・特任教授 笠井和彦) 2.「Precision Medicineを目指した心血管ゲノム研究」(東京医科歯科大学 難治疾患研究所・教授 古川哲史) 3.「不動産市場と経済・バブル」(一橋大学 経済研究所・教授 植杉威一郎) 4.「現代アフリカの紛争と平和構築」(東京外国語大学 現代アフリカ地域研究センターセンター長 竹内進一)であった。

     共通するテーマは、「安全・安心」。 環境・社会・人間関係における「安全・安心」(安全で安心のできる社会)を探る、学術研究の最前線をやさしく解説する講演であった。普段の生活からは縁遠い学術的研究だったが、現在自分が置かれている環境に立って拝聴すると興味津々で、眠気も寄らず講演にのめり込んだ。

     第1の講演は、管理組合の役員を担っている視点から、地震対策に関する最先端の研究を、我が居住区でどのように応用・適用すれば安心を確保することができるのかと、あれこれ想像を巡らしながら拝聴した50分は、余りにも短かった。

     第2の講演は、悪玉コレステロールを気にしなければならなくなってきたので、この研究の話には身につまされた。生活習慣への介入による心房細動の予防が可能なレベルにあることを聞いて福音と感じたが、オーダメード医療の1日も早い実現を願わずにはいられなかった。

     第3の講演は、小生には、市場を意識するほどの不動産もお金もないし、活用する能力もないので縁遠い話と決め込んでいたが、借金財政と高齢化・人口減少といった状況下にあって、不動産価格変動とマクロ経済との関係や、高齢化や人口減少が不動産市場に及ぼす影響の分析(両命題とも影響の実態には解明されていない部分が多いという分析)に興味を惹かれ、睡魔から見放された。

     第4の講演は、小生がボランティアに従事する国連WFPでの最大の課題は飢餓撲滅にある。飢餓の大半は、紛争を起因として起こっており、とりわけアフリカに集中している。ここでの活動を通じて、その紛争の原因に興味を持っていたが、民族、宗教上の問題が引き金になっているとのステレオタイプでしかなかった。ところが、この本質は、国家を巡る問題にあり、誰が国家権力を握るかをめぐる争にあるとの解説に目から鱗が落ちた。その原因は、ヨーロッパ列強が恣意的に引いた国境線で国家を作ったが、伝統的な政治的単位とは無関係にあるかららしい。国家を作ること自体困難で、そのことが本質的な問題ということのようで、彼らへの支援はこういったことを理解した上で、行われるべきとの話は、WFPボランティアをしている小生の心に深く響いた。

     知的好奇心を揺すられ、5時間近く寝もしないで拝聴できたこの講演の成果を良しとして、青葉台の赤ちょうちんで杯を上げ、二人の俄か勉強会を締めた。次回はどんな講演に好奇心が揺すられるか、俄か勉強の楽しみは癖になりそうだ。  


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  • ■ 「センター祭り」
    平成29年11月23日
  • 「センター祭り」
    「国際色豊かなパフォーマンス」(インドネシアの竹楽器演奏)
     今年も、横浜青葉区区民交流センターでセンター祭りが開催された。この祭りには、この地域に住まわれている外国の方々の国際色豊かなパフォーマンス(インドネシアの竹楽器演奏やコロンビアのダンス、さらには、世界のお茶サービスなど)や、子供向けのイベント(自然に触れるイベントや、今年は将棋コーナや太陽電地応用の遊び、そしてスタンプラリーや缶バッジ作りなど)から、大人向けイベント(お茶席、健康診断関係(血管年齢、骨密度チェック))まで、老若男女、内外国人を問わない楽しい工夫が仕掛けられている。
  • 「センター祭り外のイベント」
    「センター祭り外のイベント」
     午前中は雨に祟られ、外のイベントがいくつか中止になったが、センター内は終日ごった返す賑わいだった。賑わうこの祭りの秘密は、ここに住まう日本人はもとより外国の方々にこの祭りが支持されていることに尽きる。異文化交流と言われてから久しいが、それは、こういった地道な活動を継続的にやっていくことなのであろう。

     毎年その交流の一端を背負ってきた国際児童画展は、活動を一時中断しているが、過去に蓄積した作品の中から、今年この場でパフォーマンスを行う方々の国々から届いていた作品と、熊本の震災復興支援で貸し出した縁で交流が深まり、熊本からお礼を込めて送られてきた児童画30点を会場に展示してこの祭りに華を添えた。
  • 「熊本から送られた
    「熊本から送られた"笑顔”」
     熊本で企画開催された児童画展のテーマは「笑顔」。異文化交流も「笑顔」が共通の手形なのだと思う。そしてその象徴ともいえるこの祭りを支えているボランティア諸兄姉の、自信と誇りを何ともまぶく思った。我が国周辺で国際的緊張が高まっているなか、こういった祭りを通じて、少しでも緩和に繋がるのであればと、会場でサービスを受けたアフリカのお茶を飲みながら慨嘆した。


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  • ■「ノーベル経済学賞受賞学者と「人間だもの」」
    平成29年11月20日
  • 「ノーベル経済学賞受賞学者と」
    「NHKクローズアップ現代から」
     今年のノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラ―教授が、詩人で書家の「相田みつを」のファンで、行動経済学研究に、彼の「人間だもの」は切り離せないと語るインタビューが、この日NHKで放映された。変わった組合せだと 思いながら、この番組を見ているうちにこの学者と相田みつをの「とりこ」となってしまった。

     人間は、経済合理性だけに重点を置いて選択・行動しているわけではなく、「人間だからこその行動」によって合理的に合わないことを選択し行動している。人間の心理が絡む「おかしな行動」に左右されているということが、研究の基礎にあるらしい。そんな話に引きづられ、誰かにもお裾分けしたい気持ちが高ぶった。

     幸い、ネットにこの日のインタビューの記事が掲載されていたので、 まずはその記事をご覧いただくことをお勧めしたいと思う。目から鱗が落ちたら幸いです。

     ノーベル経済学者が触発された相田みつをの詩は、何時読んでも心が救われる。 その代表作品「人間だもの」はこちらに掲載されているので、お暇な折に是非お立ち寄りいただければと思います。


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  • ■ 「葛飾北斎」
    平成29年11月14日
  • 「由緒ある町を訪ねて」
    「由緒ある町を訪ねて」
     会社を卒業してから毎月3人つるんで飲む会をかれこれ10年続けてきている。小生から見れば、元上司と元同僚といった関係にある気の置けないお仲間である。毎月交代で幹事を務め、あまり行ったことのないお店を選び、そこで杯を傾けながら議論にふけることをモットーとしている。元上司の舌鋒に気圧され、反論もたじたじとなるが、杯が進むに連れ熱がこもった議論は、我を忘れさせ終電近くまで続くのが常となっている。

     いつの頃からか、飲んで話すばかりが能ではなかろうと、芸術の世界に目を向けてみようということになった。ガサツな心がどれほど豊かになるかは分からないが、とりあえず、懇談の前に一流の芸術作品に触れることから始めることとし、幹事になったら、飲食の場所はもとより、美術館を捜すのが最も大事なことになった。

     振り返れば、この2年間余りで「東京国立近代美術館MOMAT(誰のために戦うか)」「東京都庭園美術館(アール・デコの邸宅美術館)」「東京都美術館(モネ展)」「森美術館(村上隆の五百羅漢図展)」「東京国立博物館(博物館に初もうで)」「江戸東京博物館(レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の挑戦)」「聖徳記念絵画館鑑賞」「国立西洋美術館(カラヴァッジョ展)」等の美術館を巡り、更に美術館以外では、「東京都庁」「東京スカイツリー」「エビスビール記念館」「渋谷「青の洞窟」」を巡った。

     最近は、少々性急しすぎたことと、展覧会の日程に合せづらくなっていたことで、この5-6か月は中だるみとなっていたが、今月から復活を期そうと幹事の小生にオーダーが降りた。復活の手始めを何処にするかが肝心なポイントだったが、先月から、TVの影響を受けたのかどうか「北斎」を知ろう、という先輩の呟きに合せ東京墨田の「すみだ北斎美術館」を巡ることに決めた。

     折角由緒あるこの地を巡るのであればと、「本所松坂町公園(吉良上野介屋敷跡)」と「野見宿禰神社」を訪ねることも予定に入れた。少々歩くこととなるので、天候頼みの計画になったが、当日は、幹事の思いが無残にも潰え生憎の雨天となった。講談でおなじみのセリフ「時は元禄15年12月14日・・・」のこの日は、雪がちらついていたようだが、新暦で丁度1か月早い今日(11月14日)は小雨がちらつき、討ち入り当日の天候に因縁めく思いがした。
  • 「時は元禄15年12月14日」
    「時は元禄15年12月14日」
     今から314年前に起こった事件は、一大センセーショナルなものになったが、その痕跡は、歌舞伎や映劇、講談の世界等でつまびらかであるものの、こじんまりとしたこの跡地からは想像もつかない。歴史の原点とはそんなものかも知れないと300年の時の経過に思いをはせた。

     そこから歩くこと約10分。野見宿禰神社も雨にけぶっていたが、二基ある歴代横綱碑に刻まれた銘は鮮やかに浮き出ていた。1基目には初代明石から46代朝潮までが、2基目には47代柏戸以降72代稀勢の里までが刻まれている。1基目では40代東富士以降は小生の記憶にあり、そこそこの歳になったことを思い知らされたが、明らかに、2基目以降は我が国の時代が変わったことに気付かされた。
    • 「二基目の歴代横綱碑」
      「二基目の歴代横綱碑」
       1961年に昇進した47代柏戸以降、我が国が高度経済成長の緒に就いた時代であり、高度経済を謳歌した後、失われた20年をもがき続けていた時代背景が透けて見える。そして、昨今2000年辺りから外国勢、とりわけモンゴル出身の横綱がこの碑を占めてきている。この2基目の碑には、これからどんな歴史が読み取れる横綱が刻まれるのか、興味津々の思いで柏手を打った。

       「すみだ北斎美術館」は、外国人が多く、北斎の国際的な人気の高まりを窺い知った。北斎は89歳の生涯を閉じるまでに30余の名前を名乗ったり、93回も引っ越したり、衣食などに頓着せず、奇行・破天荒な生き方をしながら、浮世絵師を極めたことをこの美術館で知った。『富嶽三十六景』など、北斎の作品は海を渡って、ゴッホやモネら印象派の画家に大きな影響を与えた事はつとに知られ、浮世絵における風景版画創始者の地位を確立したとの説明に、外国人に人気の高い理由が分かった。

       『富嶽三十六景』作品を前に印象派の画家がどう思ったのか、その場に立ってそんな想像が頭を巡った。実物の絵から迫ってくる波の描き方、その迫力は、内外国人を問わず心底を揺さぶるに違いない。周りからため息が漏れていたのは、その証かもしれない。こんな感想を独り占めにするのはもったいない限りです。ぜひ足を運ばれることをお勧めしたい。

       本日の締めは、予約を受け付けない、名の通った日本蕎麦屋を予定していたが、当日店に行って休日を知り、大いに当てを外してしまった。幹事としては面目も立たず狼狽えたが、北斎の美術に酔わされたせいか、こだわりを捨て駅真ん前のちゃんこ屋に入った。ビールを一杯飲むうちに、この店の店員の良さにほれ込んでしまい、腰を据えて飲むこととなった。気が付けば、外国人のツアー客が団体で押しかけてきて、店は国際色豊かな飲み屋に早変わり。当方のいつもの激論も雰囲気にのまれ、美術論に終始しインターナショナルでアカデミックな締めとなった。

       一大センセーショナルで、極めてドメスティックな事件が起こった町が、北斎によって世界から注目を集めるようになって、さらに、相撲が世界に門戸を広げてきたことによって、変貌し続け、由緒ある町に磨きがかかってきている気がした。それは、この街を訪ね、この店に腰を据えなければわからないに違いない。この店員のおもてなしは、それに拍車をかけているように見えた。


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  • ■ 「親子世代・デバイド」
    平成29年11月10日
  • 「親子世代・デバイド」
    「親子世代・デバイド」
     「ディジタル・デバイド」という言葉が使い始められてから久しくなったが、その起源を調べたところ、1996年にアメリカ・テネシー州ノックスビルで行われた演説で当時のアメリカ合衆国副大統領であるアル・ゴアの発言にあることが分かった。その意味は、「コンピューターやネットワークを利用できる人とできない人との間に生じる社会的な格差(デバイド)のこと」とされている。

     それから20年が過ぎて、その差が、我々世代の親と子どもとの間でますます拡大してきているように思えてならない。PCや、スマホなどの情報通信端末の使い方によって、情報の収集や応用に大きな差が生じていることを思い知らされ愕然とするが、その技術革新の速さや、それによってもたらされる(影響を受ける)裾野の広がりに、ますます拍車が掛かっている事に追い打ちを掛けられるともうお手上げである。

     結果、大げさに言えば、親は子供の行動や考え方も理解できなくなってしまうということになる。これらの機器が我々の生き方に影響をもたらすものは、知識や遊び・交友、ビジネス、趣味、等々相当に幅広いからである。そして、そのことによる事件、事故が多発し、社会問題にも発展している。産業革命以降、技術革新がもたらしてきたものに、使い方の習熟度合いによって多少の差は生じていたかもしれないが、親子でこれ程の格差を生じたものがかつてあったのだろうか。

     産業革命以前は、子どもの時代に経験してきたものは、親になってもそんなに変わらず、そのまた子供も、親が経験してきたものとはそれほど大きな変化はなかったに違いない。生きていくために必要とした経験を共有できたことで、親が子供の考えや、行動について理解できる範疇にあったのではないか。産業革命以降、乗り物や、ラジオ、電話、テレビと著しい技術革新に見舞われてきたが、その使い方や、恩恵の享受の仕方に乗り越えられないほどの差はなく(親と子供の世代ではある程度共有できた)、デバイドという言葉など生まれる余地はなかった。

     そう考えると、人類史上のここ20年に起こっていることは、とてつもない大変革期なのかもしれない。そしてこの分野の進展はこれからが本番で、これから起こることは想像もつかない。これからの親子の関係は、有史以来に限ってもその先人たちの経験したことのないことを、覚悟しなければならないのかもしれない。息子にスマホの操作を教えてもらいながら思った。


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  • ■ 「最後の収穫を待つ稲田」
    平成29年11月5日
  • 「最後の収穫を待つ稲田」
    「最後の収穫を待つ稲田」
     今年は、11月になっても収穫に至らない田んぼが散見される。毎年見慣れてきた者にとっては少々異常すぎると思い、今日散歩がてらに、知り合いの農家の方に聞いてみた。「11月、12月に収穫をすることもあるので、異常ではない」とのことだった。稲の種類(早生(早稲)中生(中稲)奥手(晩稲))によっても収穫時期は異なるし、田植えの時期によっても異なり収穫時期は8月から12月までと結構幅はあるが、9月が最盛期になっているとのことだった。

     この方の田んぼが、未だ未収穫のままなのは、敢て今年は晩稲を選んだからであって、素人が心配することではなかったようだ。それでも、今年は、中稲が2週間以上遅れたとのことで、農家泣かせの天候であったことが伺えた。意図的に稲刈りの時期をずらすのは、競争相手が少ない時に新米を売り出し、利益を上げることや、台風や冷害などの影響を想定したリスク分散を織り込んだ農家の高度な事業戦略なのだ。

     昨年まで見られなかった11月の未収穫の田んぼに、彼の今年の戦略が窺えた。今年の天候をどのように予想したのか、プロの農家の予報能力の神髄を見せられた気がする。農業の奥が深いことを思い知らされたが、彼らの能力の蓄積がその深さを支えているのであろう。この辺りももうすぐ収穫を終え冬支度に入るが、来年の田植えをどのように考えているのか興味津々である。


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  • ■ 「127年ぶりの雨天が続いた今年の10月」
    平成29年10月31日
  • 「127年ぶりの雨天が続いた今年の10月」
    「This is my urgent issue.」
     関東では、今年の10月は24日間雨天となった。中旬から2週間以上雨天が続いたのは何と127年ぶりだそうだ。それにしてもよく降った。これだけ続くと気分が滅入り精神衛生上も良くない。昔なら「ちょいと一杯」と帰りがけに立ち寄って、気分を晴らすことも出来たが、雨降りの中わざわざ飲みに出かける気も起こらず、イライラは内攻する。

     127年前はどうだったのだろうか、との思いに駆られつつ、毎日が日曜日になってしまった者たちの、家にいてもイライラせずに済む方法は、伴侶と無駄話でもすること以外にないのではないか、と言った友人の言葉を思い出した。ところがこれが当家ではどうしてもできないのだ。話し合いがバトルになってしまいかねず、イライラどころではなくなってしまうからである。

     まったくもって因果なことで、必然、今年は天候に当たるしかなかったが、これだけ長く続くと限界で、バトルも覚悟しなければならなかった。40年以上連れ添ってなお、無駄話をする入口にも立てない異常さを、皮肉にも127年ぶりの異常気象から思い知らされた。異常気象はこれからも続くであろう。それにつれて精神衛生上良くないことも頻発するであろう。であれば、無駄話をする関係を早急に構築しなければならない。This is my urgent issue. 小生の喫緊の課題である。


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  • ■ 「台風の爪痕」
    平成29年10月24日
  • 「台風の爪痕」
    「吹き倒されゴイサギの宿木になった桜」
     23日の未明に超大型の台風21号が、静岡県御前崎市付近に上陸し、関東から 東北の東海上へ抜け各地に甚大な被害をもたらした。この日、帰省を予定していたのだが、今回は天気予報を信じて帰省を1日遅らせたため、電車に缶詰めにされることなく順調に帰省することが出来た。

     台風一過となった24日は、天気も上々で、電車の窓から見る限り被害は見当たらず心配は幾分和らいだ。ところが、福井に着いて街中を歩いていると、屋根瓦が飛ばされた家々や、吹き飛ばされた駐車場の仕切りの壁や看板等が目に留まった。昨晩はものすごい風で、家にいるのが怖かったという話も耳にした。

     この地は、台風の通り道からは少しずれていたのにと思ったが、福井市の象徴である福井城址に植えられている桜の大木が吹き倒され、お堀の水面にまで垂れ下がった無残な姿を晒しているのを見て、この台風の猛威を思い知った。通り道に当たった地域の被害が、どれほど酷かったかことかと想像することさえきつい。

     異常気象による台風・水害の被害は、世界各地で起こっている。「このまま何にもしなくていいのか」と、倒された桜を宿木にしたゴイサギたちから責められている気がした。


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  • ■ 「ハープとフルートのコンサート」
    平成29年10月21日
  • 「ハープとフルートのコンサート」
    「ハープとフルートのコンサート」
     日本唯一のハープの専門メーカである青山ハープの東京営業所(千駄ヶ谷)で、グランドハープとフルートのコラボレーションを聴くコンサートに行った。このメーカの代表が高校の先輩で、この日はこの先輩のご招待を受け関東在住のOBが30名ほど聴きに駆けつけた。

     明治30年に創設して以来、幾多の困難を乗り越え今では世界でも屈指のハープメーカになった、と言われるだけに、展示されていたハープには、どれも目もくらむような荘厳さがあった。これまでに仕上げてきた社長の力量に敬意を表するとともに、先輩に戴く誇りを感じた。

     社長の挨拶に引き続き、立派なグランドハープが展示されている手作りのステージで、奏者 ハープ:新坂拡子さん(桐朋学園大学を経て同大学研究科を終了)、フルート:今井理恵子さん(オーストリア州立音楽院卒業)のもとでコンサートは始まった。

     荘厳な響きを奏でるハープと柔らかい音色で自己主張するフルートが、主旋律を交替させながらコラボレートする音は、まさに至福の極致であった。知っている曲が奏でられると、ハミングしたり体が自然にスウイングしたりして、久しぶりに心が揺さぶられるコンサートとなった。音楽芸術のなせるわざであろう、人はいい音楽の下にひざまずかせられることを実感した。

     当日は、この至福の極致に拍車をかける仕掛けが、1部と2部の間に施されていた。社長が設定されたワインタイムである。銘の通ったワインとシャンペンが振舞われ、名曲が醸した音色の余韻に拍車がかかり陶酔した。そしてその陶酔が、さらに第2部で増幅しコンサートを至福に導いていったのである。誠に心憎いご配慮というしかなく感謝するしかなかった。

     「いい音楽に、いいお酒。に、いい先輩」、こんなことを感じさせてくれる場は希少であろう、幸運なことに違いない。


         (参考)     当日のプログラム
         第1部
         愛の挨拶         エルガー
         歌の翼による幻想曲    シュテックメスト
         シチリアーノ       フォーレ
         アルルの女よりメヌエット ビゼー
         ダニーボーイ       アイルランド民謡
         チャールダーシュ     モンティ

         第2部
         グリーンスリーブス変奏曲
         歌謡メドレー 川の流れのように 〜愛燦燦
                〜上を向いて歩こう 〜君といつまでも
         赤とんぼ〜紅葉      山田耕作・岡野貞一
         リンゴ追分        米山正夫
         日本民謡ファンタジー   ヨセフ モルナール


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  • ■ 「巨大サツマイモ」
    平成29年10月11日
  • 「巨大サツマイモ」
    「結構いけてた巨大サツマイモ」
     今年5月にサツマイモの苗を2株植えた。収穫には大体4か月程度かかるので、いつもなら8月末から9月上旬までには収穫を終えている。ところが今年は8月に入ってから続いた長雨と低温のため、この辺りの農家は何処も収穫を延期し育成に時間をかけていた。農業知識に乏しい俄か農夫の我々が、それを見習うのは当然のことで、辺りの状況を見ながらじぃっと時を待った。

     10月に入り、さすがに待ちきれなくなったが、相棒の"松ちゃん”の「素人判断は良くない」のひと言でさらに待つことにした。5日を過ぎた頃から周辺は動き出し、今年の収穫が本格化したのを見て、この日収穫を断行した。ツルと葉っぱが異常に繁殖して収穫には難航したが、漸く第一苗の下にスコップを入れ取り上げたサツマイモを見て驚いた。余りにも巨大すぎていてサツマイモの体をなしていなかったからだ。

     この様子を見ていたお隣の先輩が、「そりゃー肥料のやり過ぎだよ!」「でかすぎて大味だよ、うまかぁない!」と切って捨てるようなご託宣をのたまわった。育成の時間が足りないとばかり思っていたが、肥料の問題だったとは。基本的なところを誤っていたようだが、肥料を与えた覚えは全くなかったのに、と反論しようとした矢先に、「あんたらの前の人が肥料を撒いたのではないか」「よく土を見て、植えんとなぁ」と、我々の腹の中を見透かしたような、止めの忠告が覆いかぶさった。

     農業を始めてからもう5年以上経つが、ちっとも進歩していないことが、この一言に象徴されている。その夜"松ちゃん"と一杯やりながら余りにもいい加減過ぎていることを大いに反省したのだが、でき損ないのサツマイモが結構いけてて(美味い)、いい加減さも捨てたもんではないんじゃないか、と反省もどこへやら。二人の生来のいい加減気質は当分治りそうもない。


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  • ■ 「咲き急ぐコスモスの意味するところ」
    平成29年10月8日
  • 「咲き急ぐコスモスの意味するところ」
    「咲き急ぐコスモスの意味するところ」
     昨年も急激に秋が訪れたため、ふるさと村の秋の草花や果実は咲き急いでいたが、今年のコスモスの満開は、昨年より2週間も早く、咲き急ぎに拍車がかかってきている気がした。それでか、長雨と低温が続く一瞬をついた晴れ間に、狂い始めた秋に急かされ、花びらを精一杯広げて咲いているこの花の健気さに、見惚れてしまった。

     ひ弱そうに見える花だが、生命力が強くて、あまり環境のよくない土地でもしっかり咲いてくれるらしく、芯はとても強いのだそうだ。可憐な花びらからはとても想像できない。「kosmos」はギリシア語。和訳すると「美貌」「ハーモニー」「コスモ(宇宙)」ということになるらしい。

     ちなみに花言葉は、「少女の誠実さ」「ハーモニー」「慎ましやか」。
    「慎ましやか」はコスモスの凛としたイメージから来ているようで、決して自己主張はしないが、自分の意見はしっかりと持っていると記されている。

     この秋一段と緊張が高まってきた隣国との間に、自己主張より、「ハーモニー」と「慎ましやか」に裏付けられた自分の意見を、しっかり通すことが何より重要になってきた。この花の咲き急いでいた意味が分かった気がした。


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  • ■ 「田んぼでアート」
    平成29年10月8日
  • 「加藤良次氏のインスタレーション作品」
    「田んぼでアート」
     このところ毎年この時期に、近間にある横浜美術大学の先生の作品が、刈り取りの終わった田んぼに出現する。今年は加藤良次氏のインスタレーション作品であった。作品の前に掲示されていた説明にはこう書かれていた。

                     加藤良次
     「寺家の近くにある横浜美術大学で専任教員として染色を指導し、研究製作をしています。自然豊かな寺家に田んぼをお借りしてインスタレーション作品を発表します。普段は捺染と日本茜の研究をしていますがインスタレーションという表現方法で茜や赤色をキーワードに製作予定です。刈り取りの終わった田んぼにどんな作品が出現するのでしょう。」
                横浜美術大学クラフトデザイン研究室
                   テキスタイルデザインコース

     秋が深まるふるさと村に、突如として出現した古来の田んぼと、現代アートの組み合わせによるインスタレーション作品が醸し出す不思議な空間に見入ってしまった。芸術とはそんなところから端を発しているのかもしれない。芸術の秋をまさかこんな身近なところ味わえるとは・・・。ふるさと村の将来に、秋の陽ざしのような明るさが見えた気がした。

     ※インスタレーションとは、お暇な折にどうぞ、ご参考までに。


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  • ■ 「今年の稲刈り」
    平成29年10月2日
  • 「オートメ化が進む稲刈り」
    「オートメ化が進む稲刈り」
     8月からの長雨で遅れに遅れていた、ここ横浜ふるさと村の稲刈りも本格化し、8割方が収穫を終えたようだ。まだ残っている田を見ると他人事(ひとこと)ながら気になる。いつもの年ならとっくに収穫を終え、秋の陽ざしを受けながら、一息ついた田んぼの風景が広がっていたはずだから。

     そんな感慨にふけながら刈り入れ風景を見ていると、刈り入れも大分オートメ化が進んできていることを知った。刈った瞬間から脱穀まで終わり袋にまで詰めてしまう。こういった大仰な機械を導入しないと、世界には通用しないのかもしれないが、もっと気になったのは、この周辺の農家でも高齢化が進み、跡を継ぐ者が減少してきているのではないかということだ。
  • 「セイタカアワダチソウに占拠された田んぼ」
    「セイタカアワダチソウだらけ」
     セイタカアワダチソウだらけの田んぼが、多くなってきているのは何よりの証左であろう。我が国の農業に思いを馳せる。翻れば、この問題は農業だけにはとどまらない、どのような手立てを講じていくのか。問題を象徴するセイタカアワダチソウの田んぼから問われている課題は重い。


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