□「平成29(2017)年ブログ」NO.3 平成29年7月1日〜9月30日  「BGMエンブレム」
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  • ■「郷土の匂い」
    平成29年9月28日
    「郷土の匂い」
     最近は、毎月姉の病気見舞いのため帰省しているので、駅周辺を散策し思い出の痕跡を辿っている。本日、久々に駅頭の県都の玄関口を象徴するビルの広場に顔を出したら、 ...続きを読む
  • ■「長月に想う」
    平成29年9月9日
    「長月に想う」
     暦によれば、9月は長月(正確には旧暦9月のこと)と呼ばれ、9月9日は五節句の最後になる「重陽(ちょうよう)の節句」別名「菊の節句」となっている。農事と深い関連をもって作られた暦には、 ...続きを読む
  • ■「(続)今年の夏」
    平成29年8月29日
    「(続)今年の夏」
     例年この時期は、8月中に十分な熱量を受けた作物が、収穫されるのに十分な実りを付けて育ち切っているはずなのに、今年は少し様子が異なって見える。...続きを読む
  • ■「今年の夏」
    平成29年8月29日
    「最近気づいたこと」
     今年の夏も酷暑を思わせる出だしとなったが、8月に入ってからは長雨が続き、例年にない日照の少ない夏となってしまった。久しぶりに雨が上がった隙に我がふるさと村を散策すると、...続きを読む
  • ■「進歩するデジカメの威力」
    平成29年8月10日
    「進歩するデジカメの威力」
    もう大分前のことになるが、知人から「デジカメの前で、ピースのポーズで写真を撮るとえらい目に合うようだよ」と云われたことがある。カメラの解像度が数千万画素を超えるものが出てきて、...続きを読む
  • ■「あざみ野こどもぎゃらりぃ2017」
    平成29年8月6日
    「謙虚に謙虚に共生していくこと」
     この展覧会は、今年12回目を迎えたようだが、子どもたちには、とても人気のあるイベントになっている。今年は、パラパラ漫画の原理(仮現運動を利用)を基にしたと思われる...続きを読む
  • ■「地域の特定健診からの警告」
    平成29年7月20日
    「ラグビートップリーグ会場でのWFP活動」
     定年退職後、毎年横浜市の「国民健康保険特定健診」を受診している。健康増進に気を付けながら生活してきている積りだが、この5年間のスコアは、LDLコレステロール、...続きを読む
  • ■「今年の夏祭り」
    平成29年7月16日
    「国際児童画展を支えるお仲間」
     昨年、我ら隠居の仲間と意気投合し、お付き合いを頂くようになった英国の女性が来日した。その折に、タンザニアの伝統的な衣類(ショール)をお土産に頂いた。...続きを読む
  • ■「休場ということ」
    平成29年7月10日
    「今年の年賀状から」
     大相撲の人気が復活し贔屓力士への思い入れも高まってきたようでご同慶の至りだが、トップ力士の休場も目立つようになった。休場で思い出したが、...続きを読む
  • ■「アガパンサス・紫君子蘭」
    平成29年7月5日
    「収穫の秋」
     この花は、南アフリカを原産地とするアガパンサスという花である(野草の図鑑を調べて初めて知った)。君子欄に似ていることから「紫君子蘭(ムラサキクンシラン)」という和名も付けられている。...続きを読む

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  • ■ 「郷土の匂い」
    平成29年9月28日
  • 「オシッサマのお渡り」
    「オシッサマのお渡り」
     最近は、毎月姉の病気見舞いのため帰省しているので、駅周辺を散策し思い出の痕跡を辿っている。本日、久々に県都の玄関口を象徴する駅頭ビルの広場に顔を出したら、電飾パネルに「オシッサマのお渡り」という福井市指定無形民族文化財の案内が目に入った。この行事は、毎年10月10日(以前は9月13日)の高雄神社の秋祭りに執り行われている神事で、今日は、その前触れ宣伝を行っているところであったが、住いとは大分離れていたので、小生の思い出にはなく痕跡を辿ることはできなかった。

  • 「獅子を被った宣伝隊員」
     ところが、宣伝隊の獅子を見ていたら、幼い頃、この周辺をも巻き込んだ神明神社のお祭りに、母に連れられてカーバイドランプで照らし出された夜店を巡った楽しい思い出と、郷土の匂いがよみがえった。恐らく、この神事のお祭りに出かける子どもたちも、故郷を離れて暮らすようになると、将来はきっと同じ思いをするに違ない。

     思い出が多いほど、思い出が深いほど郷里への愛着は断ち難くなるが、この愛着こそが、感受性に富む寛容な人を育むのではないかとの想像が巡った。故郷を持つ者の特権かもしれない。宣伝隊からもらったパンフレットとネットで この神事を見て、子どもたちが精一杯この祭りを楽しみ、思い出に焼き付けてくれることを願った。



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  • ■ 「長月に想う」
    平成29年9月9日
  • 「長月に想う」
    「長雨の1瞬をつく晴れ間に広がった鱗雲」
     暦によれば、9月は長月(正確には旧暦9月のこと)と呼ばれ、9月9日は五節句の最後になる「重陽(ちょうよう)の節句」別名「菊の節句」となっている。農事と深い関連をもって作られた暦には、自然との営みに関わる先人の知恵が凝縮している。ところで、なぜ長月と呼ばれるようになったのか、諸説ある中で有力な説は2つと言われている。

     1つ目は、旧暦のこの頃は、陽が短くなり夜が長くなったように感じられるため「夜長月」と呼び、省略されて「長月」となった説。2つ目は、秋から冬に変わる季節の変わり目で、雨が多い季節にあたるため「長雨月」と呼びそれが省略されたという説である。

     これらの呼称に、自然を崇め生かして頂くという、当時の生活基盤が自然と深く密着していたことが窺える。「秋の夜長」は、今に至っても変わらないが、産業革命以降工業化へ舵を切り、そして、ITが主流になった今日、暦の言葉がだんだんとすたれてきているように思う。

     生活基盤が農事と深い関連を持たなくなり、傲慢にも自然を崇めなくなってきたからであろう。そして、自然との営みに関わる先人の知恵を無にし始めたころから、手ひどいしっぺ返しを受けてきているのではないか。長雨が続く今年の長月の1瞬の晴れ間に広がった、この季節特有の雲を見ながらそう思った。

     ちなみに、暦の解説には、五節句の「節句(せっく)」は季節の変わり目(節目)に五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄などを祈り、神様へお供え物をしたり、邪気を祓ったりする行事のことで、もともとは唐の時代の中国から伝わってきたものである。 中国では、奇数は縁起の良い日、偶数はその逆で縁起が悪い日と考えられていたことから、 奇数の月と奇数の日は、奇数(陽)が重なって偶数(陰)になるということで、それを避けるために季節ごとの旬の食べ物を食べ、生命力をもらい、その力で邪気を祓う目的で避邪(ひじゃ・魔除けという意味)が行われていた。と記されている。

     中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、季節の花である菊を用いて厄祓いや、酒に菊花を浸して飲み健康長寿を祈願をしてきた。この日を、「菊の節句」とも呼ぶ所以である。今夜は、先人の知恵にあやかり「効く酒」を酌み交わし邪気を祓い、健康長寿を祈願する「効くの節句」としゃれ込もう。

    (参考)「五節句」についてはこちらを参考にしてください。



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  • ■ 「(続)今年の夏」
    平成29年8月29日
  • 「ゼラニウム」
    「我らの愚かさを象徴しているゼラニウム」
     例年この時期は、8月中に十分な熱量を受けた作物が、収穫されるのに十分な実りを付けて育ち切っているはずなのに、今年は少し様子が異なって見える。これらの実りが、残暑という特別なエネルギーによって仕上げられるのであれば、残暑が乏しすぎた今年の収穫時期が、少し異なって見えても不思議ではないのかもしれない。

     熱量不足に陥った作物の、十分に育ち切れないでいる不安な様子が、あちこちの田畑に垣間見える。その風景に残暑の厳しかったころに思いを馳せさせられ、四季の移ろいに微妙な狂いが生じていることを思い知らされた。そんな中、一気に移ろう秋への戸惑いをカムフラージュするように、道端に赤く妖艶に咲くゼラニウムの花を見つけた。この花の西洋の花言葉の中に「愚かさ」があった。赤い妖艶な花びらは、四季の移ろいに狂いを生じさせている我々の「愚かさ」を象徴しているのかも。

  • 「残暑のエネルギーが不足気味の稲田」
    「that is a question」
     残暑のエネルギーを受け損なった種類の異なる稲穂が、十分に育ち切れないでいる様子をお互いに競い合っているように見え、哀愁を誘う。例年ならとっくに刈り取られ、稲架(はさ)に掛けられ、実り具合を競っているのに・・・。

  • 「未熟のまま収穫時期を迎える栗」
    「that is a question」
     エネルギー不足のまま、一気に秋の収穫時期を迎えたので、慌てて実りの体裁を作ろうとしているように見えるが、成熟しきっていないイガの柔らかさに、自然に生きる植物の健気さを感じないわけにはいかなかった。

  • 「育ち切っていない柿のパフォーマンス」
    「that is a question」
     表情だけは赤くして、成熟したように装っているこの柿のパフォーマンスは、何ともいじらしい。恐らく、鳥でさえまだ食べてはいけないと思うに違いない。今年は、鳥さえ騙せないほど残暑のエネルギーが不足しているということであろう。



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  • ■ 「今年の夏」
    平成29年8月29日
  • 「一生をもっと謳歌したかった」
    「一生をもっと謳歌したかった」
     今年の夏も酷暑を思わせる出だしとなったが、8月に入ってからは長雨が続き、例年にない日照の少ない夏となってしまった。久しぶりに雨が上がった隙に我がふるさと村を散策すると、燃焼しきれなかった夏の印が、あちこちに見受けられた。まさかひまわりの群れがこんなに無残な姿を呈していようとは思いもしなかった。「一生をもっと謳歌したかった」と、ひまわりの嘆きが聞こえてくる気がした。

  • 「里芋も葉っぱは育ち切っておらず」
    「that is a question」
     また、この近くの畑では、この時期巨大な葉っぱを広げて夏を謳歌し、収穫へ向けての準備に余念のない里芋も、葉っぱは 育ち切っておらず青々としたまま。さらに、この辺一帯に広がっている田んぼでも、例年は借り入れが始まっている時期なのに、稲は青々としたまま。今年の夏の異常さを告げているように見える風景である。

  • 「田んぼの稲も青々としたまま」
    「that is a question」
     この状況は8月中旬に入った頃から目立ってきた。我ら俄か農夫たちの間では、「里芋も稲も収穫は2-3週間ほど遅れるのではないか」との観測が囁かれている。こんな囁きに、首を突っ込んで自然との関わりに敏感になってきたのは、趣味で始めた野菜作りに少々触れるようになったからかもしれない。

     ひまわりの無残な姿が、「一生をもっと謳歌したかった」との気持ちの裏返しに見えたのも、自然との関わりに敏感になり過ぎたせいかも知れないが、ひまわりの嘆きを理解できなければ、自然に多大な悪影響を及ぼす温暖化に歯止めをかけられないのではないか、と、出来損なったしし唐の実を採りながら思った。


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  • ■ 「進歩するデジカメの威力」
    平成29年8月10日
  • 「進歩するデジカメの威力」
     もう大分前のことになるが、知人から「デジカメの前で、ピースのポーズで写真を撮るとえらい目に合うようだよ」と云われたことがある。カメラの解像度が数千万画素を超えるものが出てきて、これらとパソコンのソフトを使えば、写真から指紋を精密に再現できるようになったからのようである。

     最近、これを裏付ける話をTVで知った。4-5m離れた場所から撮影した画像でも、先のソフトで処理すれば指紋を立体的に再現し、指紋認証に耐えるものを作り上げ、盗用がいとも簡単に実現してしまうらしい。全く恐れ入った話である。さらに、瞳に映った極小の画像を再現して、どこの場所にいたかや、目の前にいた相手さえ分かってしまうとの話を聞くにつけ、ディジタル技術のすごさに驚異を禁じ得ない。

     昔から、技術の進展は人に光と影をもたらしてきており、愚かしいイタチごっこを演じてきている。いつになったらこの負の連鎖を切ることが出来るのか。AIの進展も著しいと聞く。これをもっと進化させあらゆる機器に組み込み、その機器を操作しようとしたときに、その人の心を読み取り、「あなたは、邪悪な心をお持ちだから、この機器の操作はできません」とかいうようなものができないものか、と、スマホに鮮やかに映りだされた我が顔の、見事な皺を見ながらそう思った。

     ※参考記事:「盗撮」させない デジカメ解像度に対抗。お暇な折にどうぞ。


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  • ■ 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2017」
    平成29年8月6日
  • 「あざみ野こどもぎゃらりぃ2017」
    「あざみ野こどもぎゃらりぃ2017」
     この展覧会は、今年12回目を迎えたようだが、子どもたちには、とても人気のあるイベントになっている。今年は、パラパラ漫画の原理(仮現運動を利用)を基にしたと思われる回すと絵が動き出すアニメ―ションの仕組みを体験できる作品の展示と、ワークショップが組まれたイベントになっていた。そして最終日には、世界を旅する夫婦ユニット・usaginingen(ウサギニンゲン)による、映像と音楽による幻想的なパフォーマンス(あざみ野ナイト)が実施された。

     今年もボランティアでこのイベントに参加し、子供らと共に遊ぶ中で、アニメーション芸術とその仕組み・仕掛けを学び、今更ながら芸術の奥深さを実感した。そして、6日の最終日に一夜限りの公演として、実演されたusaginingen(ウサギニンゲン)ご夫婦の幻想的なパフォーマンスを観たときに、今年も芸術家の創造性にときめかされた。

     この歳になってと思うが、新たな発見をしたときの感動はたまらない。来年はどんな子どもらに出会い、どんな感動を得られるか、そして、芸術家たちの、どんな創造性にときめかされるか本当に楽しみである。

     一見たわいもなさそうな機材だが、人の気持ちを和ませ、官能の琴線を揺るがす威力に芸術家の魂が垣間見える。人を傷つけさせる機材の発明に余念のない輩に、このような芸術家の魂が宿ることを願わずにはいられない。毎年「こどもぎゃらりぃ」に参加して思うことである。
  • 「that is a question」
    「のぞき絵のワークショップ」
     ゾートロープ(回転のぞき絵)のワークショップをお仲間と支援。縦にスリットの入った円盤のその間に連続した模様を描かせ、この円盤を回転させ、スリットから反対側の鏡に映る像を見る。スリットを通すことで、模様が繋がり動いて見える。
  • 「that is a question」
    「ゾートロープ(のぞき絵装置)」
     回転のぞき絵(英: Zoetrope)とは、静止画を素早く入れ替えることで、あたかも動いているかのように見せる器具。ギリシア語の zoe(生命)と trope(回転)を組み合わせた言葉で、「生命の輪」あるいは「生きている輪」という意味がある。
  • 「that is a question」
    「フェナキスティスコープ」
     これは、軸に垂直に取り付けられた回転する円板である。円板にはアニメーションのコマに相当する絵が順に描かれており、コマとコマの間にスリットがある。円板を回転させ、絵を鏡に映し、動くスリットから見ると絵が動いているように見える。
  • 「that is a question」
    「プラキシノスコープ」
     これは、ゾートロープの進化したアニメーション機器の一種である。ゾートロープと同様、円筒の内側に少しずつ変化する絵を並べて描き円筒を回転させる。回転軸が鏡で囲われているので絵が次々に入れ替わりあたかも動いているかのように見える。
  • 「that is a question」
    「usaginingen(ウサギニンゲン)」
     世界を旅する夫婦ユニット・usaginingen(ウサギニンゲン)がエントランスの大きな空間を舞台に、映像と音楽による幻想的なパフォーマンスを繰り広げた。
  • 「that is a question」
    「usaginingen(ウサギニンゲン)」
     手作りの映像機によるリアルタイムな映像とオリジナル楽器を使った音楽のパフォーマンス。光と影で手作りのウサギが躍りだす幻想に、大人も子供も魅了された。アナログとデジタルを独特の手法で組み合わせたパフォーマンスは各国で高い評価を得ているとのこと。今年もまた、新たな芸術家に巡り会えたことがなによりうれしい。


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  • ■ 「地域の特定健診からの警告」
    平成29年7月20日
  • 「that is a question」
    「that is a question」
     定年退職後、毎年横浜市の「国民健康保険特定健診」を受診している。健康増進に気を付けながら生活してきている積りだが、この5年間のスコアは、LDLコレステロール、いわゆる悪玉コレステロールの値が130台と若干高く、節酒、低脂肪食、低カロリー食、適度な運動を心掛けることとの忠告を毎年頂いている。ジムに通うなどして、運動にも心掛けてきている積りなのにこの値が一向に落ちない。そして、あろうことか、今年は、その値が150を超えてしまい、3か月後再検査を受けてくださいとの忠告を受けてしまった。

     この6月に、大腸がん騒ぎで大いに気を揉まされたのに続き、またしても気を滅入らせるあり難くもない忠告にため息しか出ない。で、その原因をつらつら考えてみると、飲みすぎにあるのではないかという結論に達した。運動量と飲む量のバランスを著しく欠いていることに気付いたいうことだ。早速その対処方法を考えた。1日の歩行数が8千歩未満の日は禁酒、1万歩未満の日は缶ビール(500ml)1缶、1万歩以上の日は2缶+αと決め実行に移したところだ。

     飲み会がある日(これが結構多い)も、厳格にルールを守り切ろうと思っているが、全く自信が持てないところがこの計画の難である。昨晩も友人の誘いにのって、青葉台に繰り出し少々羽目を外してしまった。3か月後どんなスコアが出るのか、期待外れに終わりそうな予感もするが、とにかく実行あるのみ。酔郷に誘う囁きにひかれまいとの決意がいつまでもつか、"taht is a question" である。


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  • ■ 「今年の夏祭り」
    平成29年7月16日
  • 「タンザニアの伝統的ショールKANGAを纏って」
    「タンザニアの伝統的ショールKANGAを纏って」
     昨年12月に我ら隠居の仲間と意気投合し、お付き合いを頂くようになった英国の女性が来日した。その折に、タンザニアの伝統的な衣類(カンガ―)をお土産に頂いた。折角頂いたものなので、身に纏った写真を送ろうと思っていたが、お仲間との日程の調整がつかず延び延びになっていた。大分時間が過ぎてしまったが、16日に催された町内の夏祭りで着衣、披露目することにした。

     アフリカの雰囲気がむんむんと醸し出され、日本の夏祭りにとても合っていたと思う。モデルを変えればもっと映えたかも知れないが、この日披露目したことをお仲間と喜び、祭りを楽しんだ。早速この写真を彼女に送り、遅らせばせながらお礼の気持ちを伝えたところである。

     KANGA(カンガ―)には、1枚1枚ことわざやメッセージがスワヒリ語で書かれている。小生の纏ったカンガーには”MUNGU AWE MBELE YAKO KWA KILA KUSUDIO LAKO”と記されている。MUNGUが神の意味なので、神様からのメッセージのように受け取れる。隠居達の国際交流がほそぼそとしてきたので、タンザニアの神が気を利かしてくれたのかもしれない。

     夏祭りの太鼓の音に酔いしれ、纏ったカンガーのプリントされたメッセージをさすったとき、スワヒリ語で囁く神の声と、「交流を保つべし」と日本語に訳された氏神様の声が聞こえた気がした。

      昨年来日した折の記事はここから参照できます。
      最初の偶然の出会いの記事はここから参照できます。
      再会の横浜を案内した記事はここから参照できます。


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  • ■ 「休場ということ」
    平成29年7月10日
  • 「休場ということ」
     大相撲の人気が復活し贔屓力士への思い入れも高まってきたようでご同慶の至りだが、トップ力士の休場も目立つようになった。休場で思い出したが、中学校の頃もっとも尊敬していたN先生の言葉が忘れられない。2-3週間学校を休まれ、療養後初めて教壇に立たれて話されたことは、「こんなに調子が狂うとは思わなかった。解説の仕方、例示の仕方、授業の進め方、クラスの雰囲気の掴み方などなど、手慣れているはずなのに勘が戻らず微妙に狂いが生じて、思うような授業をするのには、少し時間が掛かりそうだ」ということだった。

     一流のプロは、どんなことに陥っても、求められている成果を出そうとする意識が強い。だから「一流のプロの野球選手や力士が怪我で休み、復活にもがき苦しんでいる彼らの心情は理解できる」とも付け加えられた。一流でなくても、長く休んだ後に再開する時は調子が狂うものだが、成果未達の言い訳に出来ないのが、プロの世界なのだと説く先生に教師の矜持が垣間見えた。

     休場はしない方が良いに決まっているが、強制的に休場を迫られ誰でも休場することを余儀なくされることもあるだろう。成果未達の言い訳をするかしないかは、自らの矜持に掛かっている。休場明けの力士や、怪我を直して復帰してきたアスリートを見ながら、先生の話を噛みしめた。


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  • ■ 「アガパンサス・紫君子蘭」
    平成29年7月5日
  • 「ムラサキクンシラン」
    「ムラサキクンシラン」
     この花は、南アフリカを原産地とするアガパンサスという花である(野草の図鑑を調べて初めて知った)。君子欄に似ていることから「紫君子蘭(ムラサキクンシラン)」という和名も付けられている。名前の由来を知って興味を掻き立てられた。

     ギリシャ語で愛を意味する「agape(アガペー)」と、花を意味する「anthos(アンサス)」が合わさって、アガパンサスと命名されたと言われている。だから、恋や愛にまつわる花言葉が付いており、ヨーロッパでは古くから愛の花として親しまれ、恋人に贈られていたと記載されている。

     淡青紫色の涼しげで繊細で「知的な装い」を漂わすこの花の姿に、「恋の訪れ」「ラブレター」の花言葉がつけられたとのこと。この花を通じて恋を語らいあった御仁の知性と気品が偲ばれるが、こんな世界とは遠くかけ離れた、全く似つかわしくない小生に、見つめられたこの花の気持ちを慮(おもんぱか)った。

     どうして雑草ですら嫌いそうなこんな道端に咲いているのか、花名の由来からは想像もつかない。種(しゅ)を繋いでいくには、劣悪な場所であろうが拘ってはいられないのであろう。そんなしたたかな生命力が、繊細で「知的な装い」の陰に隠れている気がした。小生の慮りに応えようとする気遣いに感じられた。

     ならば、それに応えんと、したたかな「ラブレター」でも、と筆を手にしたが、未だ、書き終えられないままになっている。せめてこの花が散るまでにと・・・。
     異常に熱い夏のとば口で、頭をひねる日を続けている。

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