志村英盛 黒字経営(マネジメント)実践 Biglobe
-The Practice of Positive Management
2013年2月 Hidemori Shimura
1.レーダー的情報収集力を強化する
2.マーケティング戦略を実践する
3.志村英盛撮影 空から見た日本各地
5.予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する
6.作文能力向上を軸とする情報化推進
7.英語を活用して社会貢献を!
−英語脳創りで情報力・発信力を高める
−毎日実践:@コピー英作文をする、A英語放送を聴く、B英語文章を音読する
8.咸臨丸(かんりんまる)の冒険を成功させたブルック大尉
9.ジョン万次郎の挑戦・感謝・貢献の生きざま
10.靖国神社A級戦犯分祀と遊就館移転を
11.シベリア不法虐待抑留犠牲者の慰霊を
−犠牲者の慰霊なくして北方領土問題の解決はあり得ない
12.松平容保(まつだいら かたもり)と会津藩の悲劇
11年3月11日午後2時46分、突如、東北地方太平洋岸全域を襲った
マグニチュード9.3の巨大地震と巨大津波、それに付随して起こった
福島第1原発の大事故は、日本経済に、永く続く、深い傷を負わせた。
企業経営にとって、今後、従来の発想、判断基準、ノウハウ、システム等が
通用しなくなる事態が数多く生じる。正確な情報を収集する重要性がさらに
高まる。
関連サイト:巨大津波・原発大事故20110311
このような状況にあって、企業が黒字経営(マネジメント)を実践していくことは容易なことではない。
まず何よりも、
情報感覚を鋭くしてレーダー的情報収集力を強化することが第1である。
迅速・正確な月次決算によって、企業経営者は、、毎月の企業実態を
的確に把握することが必要である。個人でいうならば、自分自身の
健康状態の的確な把握が必要ということである。極めて単純な事ながら、
毎月の実地棚卸の実施と、それに基づく、営業利益の把握という事が
企業の計数管理の根本である。
毎月、固定費生産性と労働分配率を的確に把握すると共に、
経費の徹底的見直し、経費の徹底的節減が欠かせない。
企業経営者は、信用差額と経常収支を毎月点検して資金体質を
改善しなければならない。
月次決算を迅速・正確にできない企業が生き残ることは難しい。
企業経営者は、これらの数字を正確に把握した上で、1か月先、3ヶ月先、
半年先の資金繰りについてシミュレーションを繰り返し行うことが
必要である。資金繰り予算を絶えずチェックするということである。
企業経営者は、数字を把握したうえで、企業の現状を文書に記述して、
企業実態把握に誤りはないかを冷静に考えなければならない。
これは、たとえていうならば、遠洋航海において、絶えず天体観測を行い、
自分の船の現在位置を確認し、航海日誌に記録しながら航行する
ということである。
企業経営者の【ひとりよがりの思い込み】によって判断を誤ってはならない。
次は、マーケティング戦略の実践である。
マーケティング戦略とは、顧客が気づいていないニーズやベネフィット
(顧客が満足感を持つ利点)を顧客に気づかせ、さらに新しいベネフィットを
開発し、絶えずプライスベネフィット(価格対満足感比)を向上させること
によって、顧客に新鮮な購入満足感を持ってもらう企業全体の活動である。
戦国時代、織田信長に仕えたた木下藤吉郎は、武技や格闘能力や学識は
特にすぐれてはいなかったが、高度のマーケティング実践力を身につけていた。
藤吉郎は足軽のときから、主人・信長の刻々変わる二ーズを的確に見ぬき、
タイムリーに問題解決のために自発的に行動し、実績を積み重ねることによって、
異例の大出世をとげた。
信長は、藤吉郎のような足軽に、自分の二ーズを教えることはなかった。
藤吉郎のほうも、信長が教えてくれるとは微塵も期待していなかった。
藤吉郎は常に情報感度を研ぎすまして、信長が直面している状況の変化を
レーダー的情報収集力で的確につかみ、信長の二ーズを見ぬき続けた。
企業経営者は、顧客を信長と考えなければならない。顧客が二ーズを
教えてくれることを期待してはならない。顧客二ーズは、藤吉郎のように、
企業経営者が自力で見ぬかなけばならない。
潜在顧客を発見して、隠れているニーズを見抜くためには、レーダーのように
自分の方から電波を発射して情報を収集しなければならない。
藤吉郎は、蜂須賀小六や、竹中半兵衞や、黒田官兵衞などの
優れたスタッフの知恵をフルに引き出し、把握した信長のニーズを
満足させる様々な創意工夫で信長の信頼を深めていった。
特筆すべきことは、藤吉郎は、これらの優れたスタッフを、権力、武力、
暴力、カネの力で部下にしたのではなく、理念、情報力、判断力、戦略、
方針等で部下にすることができたということである。
これからの時代の企業間競争において勝ちぬけるかどうかは、
企業経営者が、藤吉郎的マーケティング実践力を身につけているか
どうかにかかっている。
企業経営者が3番目になすべき事は、マネジメント・イノベーションに
よって企業の組織風土=職場空気を、よりポジテイブ変えていくことである。
企業経営者、及び経営コンサルタントは、「職場空気」を読み取らねば
ならない。そして、それをどう変えていくかを考え抜かねばならない。
風土とは土壌・地形・気候を全体としてとらえた自然環境のことである。
恵まれた日本の風土と大きく異なり、アフリカやシナイ半島の砂漠の風土では
種をまいても植物は育たない。
企業の組織風土とは、言葉を変えて表現するならば、各々の職場で
働く人々が、毎日、無意識に吸っている職場空気とも言えよう。
職場のリ−ダ−ちが企業の、経営理念を消化体得して、創りだしている
職場空気である。当然、他企業の組織風土とは異なる。
しかしながら、企業の組織風土=職場空気が見えない経営者も
少なくない。
企業の組織風土=職場空気とは、企業において人々が働くための、
組織、ルール、行動慣習、思考様式、価値観、意思決定を
全体としてとらえた企業環境のことである。
マネジメント・イノベーションとは、経営環境変化への適応が遅れて、
慢性赤字状態に陥った企業のネガティブな組織風土=職場空気を、
経営環境変化に適応できるように革新することである。
企業と、そこで働く人たちの、視野を広げ、視点や意識を変え、仕事の目的、
仕事の仕組み、仕事のプロセス、仕事のやり方を、経営環境変化に
適応できるように変えていくことである。
幕末の徳川幕府は、
幕府内部の組織風土=職場空気を変えることができなかった。
組織風土=職場空気を変えるためにはどうすべきか?
企業経営者、及び経営コンサルタントは、先ず、企業の組織風土=
職場空気の実態を、さまざまな視点で調べ、ポジティブか、ネガティブか、
現状認識しなければならない。
調べた実態を文書にしてマネージャーたちと共通認識することが必要である。
日本の経済成長を支えてきたトヨタ、松下、ホンダ等の企業の
ポジティブな組織風土=職場空気は、社会に貢献する人財を数多く育ててきた。
これらの企業においては、「感謝貢献-努力達成-成長進化」の経営理念が
定着して、日々実践されてきた。
Re:ポジティブな組織風土の企業の勉強会
これとは大きく異なり、一攫千金を至上とした米国の投資銀行・
リーマン・ブラザース等のマネー・ゲーム企業のネガティブな組織風土は
米国のビジネス・スクールを出た優秀な経営修士から、実に多数の
金融詐欺師を生み出した。社会に大きな惨禍をもたらした。
マネー・ゲーム企業は害虫・害獣集団であった。
第4は、変化する顧客ニーズに適応できる貢献意識の高い
予習挑戦型プロ人財の確保、特に予習挑戦型プロ・マネジャーの確保
である。黒字企業と赤字企業の大きな違いの一つは、予習挑戦型人財が
多数派であるか否かである。
予習挑戦型とは織田信長や藤吉郎時代の秀吉のように、絶えず自発的に
情報収集に努め、情報に基づいて状況変化に果敢に挑戦して、革新・改革・
創造に挑むタイプである。徳川家康は本能寺の変の「九死に一生を得た」
体験で、レーダー的情報収集の重要さを身に沁みて認識し、信長や秀吉を
超える予習挑戦型に脱皮した。
予習挑戦型に対比されるのが、復唱前例型と漫然先送り型である。
復唱前例型は指示されたことや前例を忠実に守り実行するタイプである。
指示待ち型と言い換えてもよいと思う。真面目で勤勉であるがレーダー的
情報収集力が弱く、変化に対応する迅速な行動力が弱い。
漫然先送り型は、毎日、漫然と、与えられた仕事を行って、問題はすべて
先送りして、状況の変化に対応する革新とか改革とか創造とかを考えない
タイプである。
豊臣秀吉と石田三成の死後、徳川家康の豊臣家に対するあからさまな
挑発行為に対して、深刻な危機感を持たないまま、新情報源の開拓も、
レーダー的情報収集力の強化も行わず、洞察力と創意工夫皆無で、
生き残るための、なんらの有効な手を打たず、なすことなく滅び去った
淀どの秀頼母子のように、環境の変化に対する危機感が弱い
アスタマニャーナ型とも言える。
これまで27の企業を赤字企業から黒字企業に転換させ、かつ、
黒字転換後も着実に企業成長させている日本電産の永守重信社長は、
復唱前例型人材や漫然先送り型人材を予習挑戦型人財に変える名人だと
思う。
復唱前例型と漫然先送り型が多数派である企業は、これからの時代、
生き残ることは難しいと思う。
入省庁時の資格で組織内での待遇が辞める時まで続く官公庁の
キャリア制度や、旧態依然の大企業の人事制度は、ノン・キャリアや高卒に
とっては、「努力しても報われない」制度である。極論すれば「人財殺し制度」
とすらいえる。抜本的制度改革が必要である。
正社員を極力減らし、ひたすら労働搾取型企業を志向している米国型・
中国型の企業には未来はない。
経営とは、企業規模・体質を自覚した上で、つまり、己を知った上で、
状況に応じて、つまり、状況・顧客・ライバルの動きを把握した上で、
多くの要素を組み合わせて戦略を練り、タイミングよく実行することだから、
企業経営者は、絶えず視野を広げ、視点・立場を変えて観察するとことを
怠ってはならない。
同時に、マネジャーにも同様の努力を求め続けなければならない。
第5は、社員の作文能力向上を軸とする情報化推進である。
IT化推進だけが情報化ではない。顧客ニーズにより良く適応するため、
社員の知恵と工夫を絞り出していく体制の強化こそが必要な情報化である。
社員の知恵と工夫を絞り出していくためには、社員一人ひとりの作文能力を
高めていくことが必要である。
筆者がかって勤務した(株)タナベ経営には、作文能力・表現力に優れた
経営コンサルタントが多数おられた。川名正晃、小野洋祐、小林正博、
竹原義郎、二見道夫、稲田太作、和田稔、笠巻勝利、牛尾稔、古谷達雄、
井上和弘、平岡和矩、松井健一 等の諸氏である。
その後、彼らは、いずれも、数十冊の著書を出版され、中堅中小企業の
マネジメントに大きく貢献されている。
第6は、資金調達による財務体質強化と設備更新等の先行投資である。
企業経営者は、絶えず、視野を広げ、視点を変えて観察し、立場を変えて
考えてみて、顧客ニーズの変化と分業構造の変化を見誤ってはならない。
景気後退や失業増大のみならず、消費の成熟化・多様化、情報化、
グローバル化、高齢化、車社会化、女性の社会進出の一般化、
結婚観・子供観の大変化、未婚率の大幅上昇、離婚率の上昇、
少子化、単身あるい二人世帯の増加、外国人の増加、低所得層の増加
などに伴って、顧客構成や個人ニーズが変わりつつある。
企業経営者は、絶えず資金、人財、時間、設備、立地などの経営資源の
最適配分を研究して、経営資源を競争力の強化に重点配分しなければ
ならない。企業経営者が環境変化に適応できなければ、企業は廃業、
倒産を余儀なくされる。
オバマ大統領年頭教書演説:2010年1月日27日
2010年1月日27日行われた米国のオバマ大統領の一般教書演説は、
冒頭でブッシュ政権の下で引き起こされた金融工学詐欺による
米国経済の景気後退と失業者増大の惨状を上記のように述べている。
2011年1月26日行われた一般教書演説でオバマ大統領は、
「最悪の不景気は終わった」と述べ、
「技術革新と教育に重点を置く」ことを強調した。
08年9月のリーマン・ショックを契機とする金融危機、それに続いた
世界的な景気後退と記録的な失業者の増大は、消費と設備投資の
大幅な減少を招いた。この痛手から回復途上にあった世界経済は、
10年5月、ギリシャの財政危機の表面化、ユーロの大幅な値下がり
によって、新たなる危機に直面した。
しかし2011年秋以降、ユーロ危機で、
さらに深刻な最悪の不景気必至の状況になっている。
深刻な失業問題が、いっこうに解決されないことが社会不安を増大させている。
ブッシュ米大統領の8年間に引き起こされた金融工学詐欺の後遺症が、
米欧のみならず世界中の資本主義国家に広がっており、国民を苦しめている。
さらに、ブッシュ米大統領が始めた戦争詐欺(イラク、アフガン)は、
米国の軍事費の異常な異常な膨張となった。この戦争詐欺被害が
どんな形で世界各国を苦しめるか現段階では明確ではないが、
さまざまな後遺症が尾を引くことは避けられないと思う。
日本においては、一般会計の税収は、90年/91年の60兆円をピークに対し、
2008年は44兆円とピークから16兆円、27%減少した。
失われた20年といわれる所以である。
2012年12月16日の衆議院総選挙で、原発推進で日本国に深い傷を負わせ、
平和憲法悪を叫ぶ自民党が圧勝した。
今回の衆院選で小選挙区において、自民党は、300選挙区の有効投票
総数の43%の票を得た。獲得議席数は300議席の79%にあたる
237議席を得た。自民党大勝利であるが、民意とは大きく乖離した結果である。
民意を大きく歪める小選挙区制は廃止すべきである。
ウソツキ・リーダーを担いで国民に深刻な政治不信感を刻みつけた
民主党は壊滅的敗北を喫した。日本維新の会は54議席を獲得した。
四面海なる無資源国の日本国において、平和憲法を改悪して、
専守防衛の枠を超えて、集団的自衛権とのスローガンで、
海外派兵をすると叫ぶ自民党が政権を獲得したことに戦慄する。
志村英盛 しむらひでもり
経営コンサルタント
経営理念:価値観多様化、情報化、グローバル化、分業構造変化、
高齢化、格差拡大、及び地球環境保全の時代における
企業と個人の黒字経営(マネジメント)実践に貢献する。
モットー:挑戦、感謝、貢献
視野を広げ、視点を変えて観察し、
立場を変えて考え、常に「変化」に挑む。
略歴:
1955年−1958年 横浜国大でマーケティング専攻。
1958年 「現代企業経営における広告の地位」で
学生広告論文電通賞を受賞。
1958年〜1977年 総合商社、経営コンサルティング会社に勤務。
1977年 経営コンサルタントとして独立。パソコン研究開始。
1981年 パソコン表計算ソフトPIPSを使い始める。
1985年 ピップスワールド社より
『PIPSによる経営計画のシミュレーション』等出版。
2003年 『不況に挑む黒字経営実践』を同友館より出版。
2003年 ホームページ『志村英盛「黒字経営(マネジメント)実践」』をオープン。
卸売業、製造業、サービス業、小売業の上場企業、中堅中小企業等
約300社の企業経営者に、
黒字経営(マネジメント)実践のためのアドバイスを行ってきた。
筆者は中堅中小企業の病気(赤字経営)を5つの視点で診断して
企業経営者に黒字経営(マネジメント)実践のためのアドバイスを行ってきた。
@情報収集力とコミュニケーション力
Aマーケティング戦略とそれを支える技術力・生産管理力
B計数管理システムと財務体質
C人財構成と企業の組織風土(ポジティブかネガティブか)
D経営者の経営理念と経営意欲 の5つである。
人間の病気と同じく企業の病気(赤字経営)も複雑多様である。
この5視点で診断できない病気(赤字経営)も数多い。
病気(赤字経営)の程度もさまざまである。
しかし、先ずこの5視点で診断していくと、
企業の現在の健康状態が浮かびあがってくる。
病気(赤字経営)の原因もかなりの程度探りだせる。
浮かびあがった企業の健康状態と病気(赤字経営)の原因と対策に
ついての診断結果を経営診断報告書という文書にして報告し、
企業経営者と共通認識する。
そのうえで、顧客ニーズについて企業経営者やマネジャーと
更に話し合っていくと、病気(赤字経営)を治す具体策が生まれる。
黒字経営(マネジメント)実践のための具体策を経営計画書という文書にする。
経営計画書の実践状況を毎月の経営会議で
企業経営者やマネジャーたちと検討する。
これが黒字経営(マネジメント)を実践するやり方の一つである。
『生きる場を広げるため学び続ける仕組みを創れ』
未経験のこと、すなわち、今までやったことのないことに挑戦すると、
失敗はつきものである。従って、うまくいかないことや、挑戦失敗を、
苦にしたり、悔やんだり、悩んだりすることはない。
しかし、挑戦失敗を教訓にして、学び続けることは必要である。
学び続けることによって新しく蓄積されていく知識・情報が生きる場を
広げる力(ちから)そのものなのである。
やればできる!
できれば自信がつく!!
自信がつけば世界が広がる!!!
北海道の空知(そらち)地方はかっては石炭の産地として有名であった。
石炭産業の最盛期の1950年代には大小80あまりの炭坑があった。
その空知地方の赤平(あかびら)市にある北海道光生舎は
19歳の時、電線工事で誤って高圧電線に触れ、両腕を無くされた
高江常男さんが、1956年に、身体障害者が自立するための職場を
創るという経営理念で創業された企業である。
長い闘病生活の後で、高江常男さんは、生きていくためには、
失われた身体能力を嘆くのではなく、残された自分の身体能力を
開発して自立するより他に道は無いのだと決心された。
食事は一切周りの人の助けを借りないで自分ひとりで食べる。
字はペンを口にくわえて書く。
碁を打つ時は足の指でつまんで打つということで、
日常生活のかなりの部分を自分ひとりでできるよう
身体能力を開発された。
両腕がないのに人の助けを借りないで食事をするということは
たいへんなことである。人目(ひとめ)を気にする人にはできないことである。
ペンを口にくわえて字を書く、あるいは足の指で碁石をつまむということも
たいへんなことである。ちょつと努力すればできるということではない。
おそらく高江常男さんは、できるようになるまで、あきらめずに、
繰り返し繰り返し、何万回も練習されたと思う。
しかし、やればできたという体験は、高江常男さんの
その後の人生において大きな自信になったと思う。
1953年に高江常男さんは、ペンを口にくわえて字を書くという
能力を活かして空知タイムスの記者になられた。
少年をつれて各地を取材のため廻られたと伺っている。
取材活動を通じて、多くの身体障害者が働く機会を与えられず
暗い人生を送っている現実を知るようになった高江常男さんは、
働く意志がありながら働く機会がなかった身体障害者が、
働いて身体能力を開発して、身体的にも、経済的にも、精神的にも
自立できる職場を創るという経営理念を掲げて、関係者の協力を得て
1956年、北海道光生舎を創業された。
高江常男さんの経営理念は、数々の障害を乗り越えて立派に達成された。
半世紀を超える期間の北海道光生舎の人たちの実績がそのことを証明している。
北海道赤平市の北海道光生舎の工場を見学させていただいたことがある。
同舎の舎員指導方針は明確である。
「やればできる。できれば自信がつく。自信がつけば生きる場が広がる」である。
参考サイト:北海道光生舎
高江常男さんが、何万回もの失敗を乗り越えて、あきらめずに、
学び続けた生き方に深い感銘を受けている。