靖国神社A級戦犯分祀
遊就館移転
  2018年3月

事実・現実の的確な把握と判断を怠るな!

A級戦犯(キチガイ詐欺師ども)の合祀を止めて、
遊就館の移転を行わないかぎり
靖国神社は、筆舌に尽くせぬ惨禍を
もたらした旧大日本帝国軍部の
戦争犯罪を正当化する
忌まわしい施設と非難されても
抗弁できない!


級戦犯をはじめとする旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たちや、中堅エリート軍人たちは、
「一旦始めた中国大陸での戦争を止めることは不可能だ」との
馬鹿気た、愚かな言い分で、文民内閣をことごとく倒閣させ、太平洋戦争に突入して、
旧大日本帝国を滅亡させた。

日本国民の中の、昭和戦争(日中戦争・太平洋戦争)
犠牲者、被害者、及び犠牲者・被害者の家族の圧倒的多数は
級戦犯」という言葉には強い抵抗感を持っているが、昭和の旧大日本帝国陸海軍の
最高指導者たちと、高級参謀・司令官といわれたエリート軍人たちの、
「一旦始めた中国大陸での戦争を止めることは不可能だ」との
馬鹿気た、愚かな意志決定と行為が、日中戦争を拡大させ、太平洋戦争に突入して、
国内・海外に筆舌に尽くせぬ惨禍をもたらし、旧大日本帝国を滅亡させたと思っている。

特報



今度は、国民全部(除く私)が、原爆死して・・・・ 【脳力】ゼロのキチガイどもが
日本国を占領して、国民(除く私)を塗炭の苦しみへ!





平和の毒、平和はセンチメント
出典:『文藝春秋』 平成23年8月号 第94頁~第103頁
石原慎太郎(作家・東京都知事)・藤原正彦(数学者・お茶の水女子大学名誉教授)
(キチガイ詐欺師どもは嘯く!)
対談語録抜粋:『今こそ「平和の毒」から脱し・・・・・』

石原慎太郎:
実は、いま日本人に誇れるものなんて、何一つないと僕は思っているんですよ。
日本人のアイデンティテイは「平和の毒」に侵されて、芯から腐ってしまった
のではないかと思うんです。
国民は金銭欲・物欲・性欲にまみれ・・・・みんな「我欲」のかたまりと化してしまった。

藤原正彦:
日本人の質は史上最低ですね。
日本人のモラルはとことん低下しました。
日本は十数年前から何もかもがうまくいかなくなっていますね。



藤原正彦:
日本は、教育から政治、経済、社会、と全面的な困難にぶっかっています。
こういう複雑に絡まりあった問題は、一つ一つ直そうとしてもダメで、
一挙にガラっと変えなければどうにもならない。

(真っ先に、徴兵制度を復活して、
ぶっ弛んでる若者たちを、軍隊にぶち込み、
戦前の旧大日本帝国陸軍と同様、リンチで、
奴等を、芯の底から、徹底的に、叩き直し、
軍部に絶対服従の人間にすることだな!)


石原慎太郎:
まったく同感です。日本も一気に困難な玉(ぎょく)を
バサっと切ることが必要なんですよ。
そうなるともう、軍事政権しかないんですが。絶対権力を以てしないと、
この末期的状況から脱却できない。日本は核開発をやったほうがいい。
      Re:
      マリアナ沖海戦
   嗚呼 ! 

侵盗蝋(shinta-roo),昌飛蝗(masahiko-mad)ら、右翼・軍国主義キチガイ詐欺師どもが唱える、
嘘の塊・騙しの名人であった旧大日本帝国陸海軍と特権階級が支配し、
軍部に絶対服従せよと、徹底的に洗脳されていた
貧しい「戦前の軍部奴隷日本に戻れ」という主張に惑わされてはならない。

芯から徹底的に腐って極悪臭を撒き散らしている
著名なお二方の底知れぬ無責任発言には呆れるばかりである!
  「侵盗蝋戦争は極悪犯罪・
私的制裁は奴隷化強制である」
という意識が欠けている!



昭和戦争敗戦前は、【徴兵制度】があり、国民は【はがき一枚の招集令状】で
否応なしに徴兵された。招集令状で徴兵された国民は、【軍隊】において
古参兵の【リンチ】で、徹底的にいじめ抜かれた。

陸海軍の最高指導者たちや、高級参謀たちは、兵士の【人命尊重】という考えは
ひとかけらもなく、【おまえたちは1銭5厘(徴兵令状の郵便葉書1枚の値段)
消耗品だ】
(高杉一郎著『シベリアに眠る日本人』第199頁)と言い続けていた。

筆者は、旧日本帝国陸海軍は徴兵令状1枚で徴兵された新参兵にとっては
【奴隷収容所】そのものであったと思っている。

日本経済新聞2004年9月8日第40面の『私の履歴書』で、エコノミストの
金森久雄氏は1944年陸軍に招集され、陸軍二等兵として8ヶ月過ごした体験を
「兵隊の思い出はあまり語りたくない。夜は私的制裁がはじまる。初年兵を並べて、
スリッパでほっぺたを殴るなどは日常茶飯事である」
と述べている。

読売新聞2004年9月28日第13面の『時代の証言者』の中で、漫画家の
水木しげる氏は「日本の軍隊じゃ、兵隊はいつも殴られてるんですから」と述べている。

日本経済新聞2005年5月4日第28面の『私の履歴書』で、
加藤寛千葉商科大学長は「(軍隊では)案の定、苛められっ放しだ。
軍人勅諭が暗唱できない、糧秣の米俵が担げない、あれができない、
これができない。で、【この国賊】と殴られる。口から流れる血の赤を見ると
興奮して凶暴になる上官もいて、本当に痛い目をみた」
と述べている。

読売新聞(朝刊)2006年9月26日第12面で、
山岸章連合初代会長は次のように述べている。
「海軍甲種予科練習生に志願しました。入隊する時に先任下士官が
【おまえたちは第1種消耗品】と言うんだ。第1種消耗品とは3年以内に
戦死する兵隊だな。軍隊は、食事は保障するけれども命を保障しない。
軍人精神注入棒で毎日のように殴られる。暴力と権威で押さえ込むだけ。
自主的な正義感、団結、闘争心などはない。死んだ方がましだと思うまで
追い込むんだ。」

日本経済新聞2006年12月5日第44面の『私の履歴書』で、
渡邉恒雄読売新聞主筆は旧日本帝国陸軍での軍隊生活に
ついて次のように述べている。
「古参兵によるびんたは当たり前。理性的な判断や合理的な思考が
存在する余地すらない。不条理な精神主義と陰湿な制裁が横行していた。
あるとき、一等兵の誰かが丸太を並べた上に何時間も正座させられていた。
江戸時代の拷問のようだった。私も毎日、【上靴(じようか)】と呼ぶ
皮のスリッパで頬を張られた。」

読売新聞(朝刊)2007年3月24日第1面『編集手帳』は
「志願して17歳で海軍に入った城山三郎さんは、朝から晩まで
殴られずくめの絶望を味わった」と述べている。

日本経済新聞2007年5月16日第40面の『私の履歴書』で、
映画監督・脚本家の新藤兼人氏は、「苛酷な私的制裁が待っていた。
隊の玄関には野球バットをひと回り大きくした【直心棒】が掲げてあった。
これで兵隊のケツを殴るのだ。暗闇の営庭で整列し、【軍人は忠誠を
尽くすを本分とすべし】と股を開いてケツを突き出すと上級水兵
(=上官)の【直心棒】が唸りをあげてとんでくる。踏ん張りが悪いと
吹っ飛ぶのである。5回殴られる。殴られたケツは紫色になる。
【直心棒】による私的制裁は毎夜続いた。
私たち海軍二等水兵は、アメリカと戦争するのではなく、
日本帝国海軍と戦争だと思っていた」と述べている。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

【戦陣訓】なるものがあった。日本陸海軍は、兵卒たちに対して、
「捕虜になることは絶対に認めない」、万一、捕虜になって生きて日本に帰って
きても、日本の社会や家族は、捕虜になったものを受け入れない。
だから、「降伏して捕虜になるより、いさぎよく死ね」と徹底的に洗脳した。

こうした事情を共通認識していたカウラ捕虜収容所にいた日本人捕虜たちは、
「戦争が終わり、万一、幸運にも、日本に帰国できたとしても、家族に迷惑をかけ、
社会からは迫害されるだろう。それよりも、いさぎよく死のう」という悲壮な絶望感から
「死ぬこと」を目的に集団脱走したのである。実に悲惨な事件であった。

筆者には、これが「穏やかで平等な社会」であったとは到底思えない。

東京裁判で「生きて虜囚の辱め」を受けた陸海軍の最高指導者は、
【戦陣訓】の産みの親である東条英機元首相兼陸相を筆頭に18人であった。
戦争被害受忍と同じく、「ただし、高級職業軍人は例外とする」ようである。

          
Re:
昭和戦争の惨禍の責任

ル-ズベルトと並ぶ戦争犯罪人の極悪非道なルメイ大将:

  


     
                  殺せ! コロセ!! ミナぶっ殺せ!!!

2021年8月発行





嘘の塊・騙しの名人(キチガイ詐欺師)

「絶対悪」が、背広をきてソファに座っている……著者が辻政信に初めて会った感慨である。

師団によっては76%という絶望的な損耗率のノモンハン事件を扇動しながら、狂いもせず、
戦後は国会議員となった男。

この戦いを可能にしてしまったのは、いったい何だったのか? 

参謀本部作戦課と関東軍作戦課、二つのエリート集団が齟齬をきたし、満蒙国境の悲劇が
はじまった。モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて
雄壮に描く、ノモンハン事件の決定版

出典:読売新聞(朝刊)2005年11月9日第16面&第17面『検証・戦争責任②』
ムカシムカシそのムカシ、【脳力】ゼロのキチガイどもが
日本国を占領して、国民を塗炭の苦しみへ陥れた!



1945年(昭和20年)7月・8月、昭和天皇が対米降伏の意思を明確にされた後においても、
級戦犯をはじめとする旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たちや、大本営の陸海軍の
高級参謀たちは、1億国民を道連れに無理心中すると、数多くの青年たちに、
特攻攻撃と称する自殺攻撃を命じて、数多くの青年たちを死に追いやった。

「一旦始めた対米戦争を止めることは不可能だ」と固く信じていた
級戦犯をはじめとする旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たちや、大本営の陸海軍の
高級参謀たちの馬鹿気た、愚かな考えが、特攻攻撃(自殺攻撃)のみならず、
ヒロシマ・ナガサキの原爆惨禍、満州の開拓団の惨禍、シベリアでの
日本人捕虜の奴隷労働惨禍を招いた
のである。





    

将軍・提督・将校には、延60兆円、現在、年約3000億円支給!
10年未満の、徴兵された兵士は、支給ゼロ!!

Re:
シベリア不法虐待抑留犠牲者の慰霊を
-犠牲者の慰霊なくして北方領土問題の解決はあり得ない

日本政府の5つの省庁の高級官僚たち、特に、日本外務省の
高級官僚たちには、「政府機関による事実隠蔽は明白な犯罪である」
という意識が欠けている。

Re:
満州開拓団の悲惨な結末

中国軍国防大学教官で、戦史研究家の徐焔(シュ・イェン)大佐は、
著書 『1945年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略』
(朱建栄(ツゥ・ジェンロン)訳 三五館1993年8月発行)第180頁
「土地を日本の「開拓団」に強奪された農民と、鉱山や工事現場で
強制労働に従事させられ地獄のような生活を強制された労働者は
憎しみが特に深く、関東軍の敗退後、彼らが最初にしたことは
こん棒、鍬などを手に、日本人に復讐することだった」と述べている。


日本の関東軍、中国農民の土地を強奪

日本の満州移民政策により、旧大日本帝国陸軍の関東軍は、
中国農民から、200万ヘクタール以上の農地を強奪した。
自作農地を奪われた中国農民は雇用労働者として低賃金で酷使された。

旧大日本帝国陸軍の関東軍が、
開拓用地として強奪した土地は1,000万ヘクタール以上といわれる。

土地を奪われた中国農民が匪賊となって関東軍に執拗に反抗した。

農地を関東軍に強奪され、匪賊化したり、賃金労働者として、鉱山、建設、
農作業等で、日本人企業、日本人の満州開拓団等で、奴隷的な強制労働に
服さざるを得なかった中国人農民たちの、

日本人に対する強い憎しみが、

日本敗戦後、鍬や棍棒により、開拓団の、老人、婦女子、小学生、幼乳児
ぶっ殺すという、あまりにもの残虐な行動に駆り立てたのである。

旧大日本帝国陸軍に、見捨てられて、
残酷死した
満蒙開拓団の老人、婦女子、小学生、幼乳児


出典:朝日新聞(朝刊)2015年11月24日12面『戦後70年』




2012年6月、下記の有力出版社XXX社の雑誌広告が、
日本を代表する大手新聞ZZZ紙に大きく掲載された。



「覆る昭和史」、「五族協和の志」、「満州建国の真実」、「曠野に賭けた夢」、
「明治維新の理想」、「東亜大同のため、ついに起つ」というフレーズの
おぞましさに、筆者は寒気がして、頭がクラクラした。

筆者は、この広告は、消費者基本法に違反する誇大虚偽広告に該当
すると思うのだが? このZZZ新聞社には広告内容を審査する機能はないようである。


日本の政治は軍部に乗っ取られた
渡部昇一上智大学名誉教授は、
著書『昭和史 松本清張と私 大正末期~二・二六事件』
(ビジネス社 2005年12月発行)の
第454頁で、
「大正2年(1913年)廃止された軍部大臣現役武官制が
昭和11年(1936年)、廣田内閣によって復活し、
これによって日本の政治は軍部に乗っ取られることになったのです」
と述べている。

渡部名誉教授は第459頁~第460頁で
「廣田内閣が残したものは、
①【軍部大臣現役武官制】の復活(昭和11年=1936年)
②【日独防共協定】調印(昭和11年=1936年)
③軍拡方針を決めた国策の基準設定
いずれも日本の命取りになるようなことばかりでした」
「この廣田内閣のときに
日本の議会制民主主義の可能性はすべてつぶされたのです。」

「廣田内閣が日本の立憲政治を葬り、
日本を軍国主義の方向に押しやったという事実

あまりにも重いといわざるをえません」と述べている。

ムカシムカシそのムカシ、【脳力】ゼロのキチガイどもが
日本国を占領して、国民を塗炭の苦しみへ陥れた!





 
        


米国海軍は
当時の日本海軍には無かった最新鋭のレーダーを持っていた。
空中の戦闘機に無線電話で作戦指令を行う空中戦闘システムと
それを動かすシステム要員を持っていた。

1941年に英国空軍はマイクロ波レーダーの開発に成功、ドイツ空軍の空襲に対する
迎撃戦闘で大々的に使用し、ドイツのイギリス侵攻の阻止に大いに役立った。
1942年には世界初の平面座標指示画面H2Sレーダー)の開発にも成功する。

また英国空軍は、ドイツ空軍による夜間爆撃に対抗するため、機上レーダーを搭載した
夜間戦闘機を1941年に世界に先駆けて実用化し、ドイツ空軍の夜間爆撃を封殺した。
海上戦闘でも、 サボ島沖海戦やビラ・スタンモーア夜戦で、米国海軍は英国空軍
からの技術供与で実用化したマイクロ波レーダーを活用して、日本海軍を相手に
勝利をおさめた。





43年に完成した米国の最新鋭戦闘機ヘルキャットの性能と
防護力は日本のゼロ戦をはるかに超えるものであった。

しかもVT信管と呼ばれる対空砲火の威力を飛躍的に高めた機能を
備えた防御兵器で、米国戦闘機の攻撃の網をくぐり抜けた
日本の艦隊攻撃機をことごとく撃墜した。


当時の【無知で愚か】であった旧大日本帝国海軍の最高指導者たちと、
高級参謀たちは、誰一人として、これらの米国海軍の最新装備・兵器に
ついての情報を持っていなかった。

第二次大戦中、
日本陸軍の主力である歩兵の訓練の

最重点
は、射撃・銃剣術・行軍の三つであった。
射撃は三八式単発歩兵銃をポツン、ポツンと撃つことであり、
銃剣術は、その小銃さえ撃たずに、小銃の先に付けた
小さな銃剣で敵を突き刺す白兵戦のためのものであり、
行軍は文字通りただただ歩くことである。

日露戦争どころか、
19世紀以前の軍隊、戦国時代の軍隊と基本的には変わらない。

日露戦争後、さらに第一次大戦後、旧日本陸軍の最高指導者たちと
高級参謀たちが必死に取り組まなければならなかったことは、
日露戦争時の白兵突撃によるおびただし戦死者を出さないように、
軍備・兵器を近代化することであったはずである。

無知で愚かであった旧日本帝国陸軍の最高指導者・高級参謀たちの
無能・無策・無責任を嘆かずにはいられない。

戦前、戦中の日本国民が『陸軍』という言葉から思い浮かべるのは
『歩兵部隊』であった。

スタ-リンのソ連国民にとっては『陸軍』とは『戦車部隊』以外の
何物でも無かった



You Tube:ノモンハン事件研究報告(タイトルはガダルカナル島戦④)

日露戦争の戦死者数25,331人中、15,400人が旅順要塞攻撃で戦死、
負傷者は44,000人にのぼったといわれる。もっとも犠牲者が多かったのが
二百三高地攻略戦での白兵突撃であった。






資料出所:古是三春(ふるぜ みつはる)著 『ノモンハンの真実-日ソ戦車戦の実相』



兵力量に表われた以外に、日本軍には大きな弱点があった。
それは火砲の射程が日本軍の方が短かいので、ソ連軍の砲兵は
日本軍の大砲の弾のとどかぬところから打ってきた。

さらに、もう一つの大きな弱点は輸送力であった。
日本軍の輸送力が貧弱なため弾薬の量に大差があった。

日本の砲兵が一発撃つと、ソ連軍からその何倍も返ってくるので、
歩兵は砲兵に「射撃をしないでくれ」と頼んだこともあったという。

防衛庁戦史室編纂のノモンハン事件の記述には、
「彼我の兵力、ことに火力差は著大で、ソ連軍の攻撃ぶりは
まさしく圧倒という表現がふさわしいものであった」、
「当時の日本砲兵は対砲兵戦において、ほとんど問題にならなかった」
とある。

ソ連軍とは、このような大きな兵力格差・補給力格差が存在していた
にもかかわらず、辻政信の「満ソ国境紛争処理要綱」は、
「敵の不法行為に対しては、断固徹底的に膺懲することによりてのみ
事件の頻発又は拡大を防止し得ることはソ連軍の特性と過去の実績とに徴し
極めて明瞭なる所以を部下に徹底し、特に第1線部隊においては、
国境付近に生起する戦闘の要領を教育し、いやしくも戦えば
兵力の多寡、理非の如何に拘わらず必勝を期す」との
滅茶苦茶な指令であった。

「めくら蛇におじず」という言葉がある。辻政信の心理と行動に
ぴったりあてはまる言葉である。


三八式歩兵銃
参考情報:栗原俊雄著『シベリア抑留』(岩波新書 09年9月発行)第8頁抜粋:

ソ連参戦の直前、1945年夏、極悪非道で、無知・無能・無責任の塊であった
関東軍司令部は、18歳から45歳までの在満成年男子約20万人を召集した。
【根こそぎ動員】である。

この結果、満州開拓団には、成年男子がいなくなり、かつ、武器も残されていなかった。
土地を奪われた匪賊と、侵攻確実のソ連軍に対して、満州開拓団の老人女子子供は、
まったく無防備の状態に置かれたのである。

数十万人の満州開拓団員・老人女子子供は、実質的には、極悪非道で、無知・無能・
無責任の塊であった関東軍司令部に、殺されたのである。


関東軍の
主な武器は明治38年(1905年)に制式化された旧式の三八式歩兵銃
あったが、この旧式歩兵銃すら召集兵士全員には行き渡らず、
銃がほとんどない部隊があった。

新京では召集令状に「各自、必ず、武器となる
出刃包丁、及びビール瓶2本
携行すべし」とあった。出刃包丁は槍の穂先にする。
中世の武器である。
ビール瓶は火炎瓶に転用する。出刃包丁より
【近代的】であった。
涙が出てくる。悲しい話である。





旧大日本帝国軍部の昭和戦争
(日中戦争・太平洋戦争)について
責任を負わなくてはならないA級戦犯を合祀したことは、
彼らを除く昭和戦争犠牲者
(246万人-14人)に対する
冒涜と思う。
注:冒涜(ぼうとく、冒瀆とも書く)は、崇高なものや神聖なものを貶める行為をいう。

付属設備である遊就館の昭和戦争(日中戦争・太平洋戦争)に関する展示は、
国内・海外の昭和戦争の被害者たちにとっては見るにたえないものである。
特に、米国国民にとつては瞥見するのも嫌な展示である。

遊就館は、親日的米国人を
反日的米国人に変えてしまう怖ろしい施設である。

遊就館は、日本に好意を持って来日した外国人を
反日に変えてしまう怖ろしい施設である。

日本国民と日本政府と、右翼以外の団体は、
遊就館がもたらす、
この怖ろしい現実を認識すべきである。

遊就館
の施設は、東京スカイツリーのある東京都墨田区に移転し、
名称を旧大日本帝国・大東亜戦争歴史記念館と改称すべきと思う。

併せて、移転地に
靖国神社分社を新設して、東条神社と改称して、
東条英機をはじめとするA級戦犯を靖国神社本体から移して主祭神としたら
よいのではないか。


山本五十六と東条英機は、あまりにも無謀な戦線拡大を行い、
海外国内で数千万人を死傷し、旧大日本帝国を破滅させた



  You Tube:ガダルカナル島戦の悲劇-3回も繰り返された
無謀・悲惨な白兵突撃①


You Tube:ガタルカナル島戦の悲劇-繰り返された
辻政信の無謀な犯罪的作戦指導③


大日本帝国陸軍の兵士たち、メシなしで(喰わずに)闘えと!
 








1965年製作の米映画『ドクトル・ジバゴ』第22章・ドイツとロシアとの戦争場面には
帝政ロシア軍の兵士達の半分は「武器なしで敵陣への突入を強いられた」と。

    
  帝政ロシア軍兵士、棍棒を手に敵陣へ! スゲ-!!







加害者と被害者を一緒に合祀
するという靖国神社の宮司の考えは
馬鹿気た、愚かな
ことである。
A級戦犯は加害者ではない」との靖国神社の宮司の信念に基いて
14人のA級戦犯が靖国神社に合祀されたのである。
このA級戦犯は加害者ではない」との靖国神社の宮司の信念が、
日本以外のすべての国々からきびしく批判・非難されていることなのである。

14人のA級戦犯が靖国神社に合祀されたことが、
昭和天皇が靖国神社参拝を取り止めた唯一の理由である。
昭和天皇の統治権を簒奪し、昭和天皇の意思をことごとく無視して、戦争を拡大し、さらには
本土決戦、1億総玉砕」と叫び、国を滅ぼし、日本民族を絶滅の淵にまで陥れた
旧大日本帝国陸海軍の無知で愚かな最高指導者たちに対する
昭和天皇の凄まじいお怒りに思いをはせなければならない。



靖国神社に堂々と参拝する無知で愚かな現役大臣たちや、現役国会議員たちも、
A級戦犯は加害者ではない」との強い信念に基づく参拝であると思う。
彼らのA級戦犯は加害者ではない」との強い信念が、
日本以外のすべての国々からきびしく批判・非難されていることなのである。

太平洋戦争で戦没した日本軍の軍人の総数は約230万人である。
戦没者総数の60%強140万人は食糧が補給されないために起きた
飢死(うえじに)てあった。
140万人は、米国軍に殺されたのではなくて、実質的には、
A級戦犯14人を含む旧大日本帝国陸海軍の最高指導者・
高級参謀たちに殺された
のである。
A級戦犯は、紛れもなく、加害者
である。

参考サイト:戦没者の60%強140万人は餓死であった



「分祀」は不可能だという、靖国神社の宮司の馬鹿気た、愚かな言い分
旧大日本帝国を滅亡させた。
一旦、合祀した以上、「分祀」は不可能だという靖国神社の宮司の
馬鹿気た、愚かな言い分は社会生活においては、まったく通用しない。
一旦、結婚した以上、離婚は絶対に認められない。
一旦、減税した以上、増税は絶対に認められない。
一旦、海外に出国したならば、二度と日本に戻ってくることは認められない。
     (江戸時代の日本)
一旦、憲法を制定した以上、憲法改正・改悪は絶対に認められない!?

この「分祀」は不可能という靖国神社の宮司の馬鹿気た、愚かな言い分を
正そうとせずに、
靖国神社参拝を繰り返す新藤義孝総務大臣、
古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行政改革担当大臣、
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の尾辻秀久元厚生労働大臣、
衛藤晟一首相補佐官、西川京子文部科学副大臣、高木毅国土交通副大臣、
自民党の高市早苗政調会長ら、自民党115人、民主党3人、日本維新の会22人、
みんなの党2人、結いの党2人、無所属2人の146人の国会議員たちと、
「伝統と創造の会」の自民党議員9人は、「英霊を慰霊するため」を
強調しているが、彼らの靖国神社参拝行為は、「英霊を冒涜する行為」であり、
「昭和天皇の判断を覆す不忠行為」である。強く非難したい。

「一旦始めた反日洗脳教育(愛国教育)
止めることは不可能だ」
暴力団・中国習近平
ウソつき・韓国朴槿恵は、国際平和をぶち壊すため、日夜、
口先だけの美辞麗句巧言を弄して、日中両国民、日韓両国民の
相互信頼感ぶち壊しに励んでいる。

A級戦犯合祀は
松平永芳
(キチガイ詐欺師)
詐欺犯罪
ムカシムカシそのムカシ、【脳力】ゼロのキチガイどもが
日本国を占領して、国民を塗炭の苦しみへ陥れた!




日本国民の洗脳に狂奔した旧大日本帝国陸軍

昭和天皇を傀儡化し、昭和天皇の意思をことごとく無視しておきながら、
不忠きわまる旧大日本帝国陸軍は、天皇崇拝、
「天皇陛下のために死ね」教育、神州不滅論、皇軍不敗スローガン、
暴支膺懲(ぼうしようちょう)主張(暴虐な支那=中国を懲らしめる)
「生きて虜囚の辱めを受けるな」、「神風が吹き勝利する」等々の
日本国民に対するさまざまな洗脳教育に狂奔した。

筆者は満州生まれ、満州育ち。敗戦時、在満日本人、特に開拓団を見棄て、
見殺しにして、最高幹部どもが、真っ先に逃げた『関東軍軍歌』や、
中国人を奴隷化して土地収奪した五族協和の『満州国国歌』を、今でも
良く憶えている。無意識に身体に染み込ませられた【洗脳】の威力は怖ろしい!



                   
                   嘘の塊・騙しの名人
                   (キチガイ詐欺師)
ノモンハンの夏 あらすじ・内容
「絶対悪」が、背広をきてソファに座っている……著者が辻政信に初めて会った感慨である。

師団によっては76%という絶望的な損耗率のノモンハン事件を扇動しながら、狂いもせず、
戦後は国会議員となった男。

この戦いを可能にしてしまったのは、いったい何だったのか? 

参謀本部作戦課と関東軍作戦課、二つのエリート集団が齟齬をきたし、満蒙国境の悲劇が
はじまった。モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて
雄壮に描く、ノモンハン事件の決定版

『ノモンハン戦争から学ぶべきこと』抜粋

全ての戦車・装甲車のガソリン・エンジンをディーゼル・エンジンに取り替え、ハルハ河に
12本の架橋を行った後、1939年8月20日、ジューコフが指揮したソ連軍は、
515機の航空機による爆撃、ハルハ河西岸の台地にあり東岸の日本軍陣地を見下ろす
コマツ台地からの重砲による約3時間にわたる砲撃の後、
戦車498両、装甲車385両、火砲・迫撃砲634門、機関銃2,255丁を中心に、
兵員5万7,000名
をもって、ハルハ河東岸のモンゴル領内の日本軍殲滅作戦を開始した。

この作戦のために、ジューコフが準備させた弾薬等の物資は、砲兵弾薬1万8000トン
(野砲弾薬換算約280万発)、空軍弾薬6500トン、各種燃料1万5000トン、各種糧食
4000トン、燃料7500トン、その他の資材1000トンで、合計5万2000トンであった。

銃剣による白兵突撃と火炎瓶による肉弾攻撃という戦国時代の原始的な戦術発想で、
装備とか補給など考えたこともないとすら思われる辻政信ら関東軍高級参謀たちや、
関東軍司令官、第六軍司令官、第23師団長などの関東軍の最高指導者たちには、
まったく想像できない圧倒的な量の戦闘物資をジューコフは日本軍殲滅作戦に投入した。

日本軍は兵員こそ2万数千人であったが、それまでの戦闘で戦車の大半を失い、
残った戦車も皆引き揚げており、この時は戦場には日本軍戦車は皆無であった。
火砲はわずか100門であった。

火炎瓶を手に、肉弾攻撃で必死に反撃したが、ディーゼル・エンジンの戦車・装甲車には
まったく効果なく、圧倒的に優勢なソ連軍の火力攻撃により日本軍は壊滅し、敗走した。
大敗北であった。
日本軍はモンゴルが主張する国境線の外へ完全に追い払われた。




資料出所:古是三春(ふるぜ みつはる)著 『ノモンハンの真実-日ソ戦車戦の実相』

シベリア鉄道から数百キロ離れたノモンハンに5万2000トンもの戦闘物資を
送り込むということは、元来、情報音痴の辻政信や、頭がついていたのかと
疑われる植田謙吉関東軍司令官らには想像もできないことであった。
このソ連の驚くべき輸送能力は、1945年8月の日ソ戦争(ソ連の対日参戦)時に
おいてもいかんなく発揮された。

これに対して、日本軍は、カイゼンも、新規補充もなかった。
戦闘にあたって、敵軍に倍加する戦闘物資を補給するという発想は皆無であった。
旧大日本帝国陸軍は、戦国時代のように、占領地の住民の食糧を強奪して自給自足
するということを本気で考えていたのである。
戦闘に当たっては、
戦闘物資や食糧を補給するという国際社会の常識が欠如していた。


戦没者の60%強140万人は餓死であった

日本国民の洗脳に狂奔した旧大日本帝国陸軍

昭和天皇を傀儡化し、昭和天皇の意思をことごとく無視しておきながら、
不忠きわまる旧大日本帝国陸軍は、天皇崇拝、
「天皇陛下のために死ね」教育、神州不滅論、皇軍不敗スローガン、
暴支膺懲(ぼうしようちょう)主張(暴虐な支那=中国を懲らしめる)
「生きて虜囚の辱めを受けるな」洗脳等、
日本国民に対するさまざまな洗脳教育に狂奔した。

「生きて虜囚の辱めを受けるな」洗脳の先頭に立っていた
東条英機など、旧大日本帝国陸海軍の最高指導者たち18人は、
昭和天皇の意思をことごとく無視して、
日中戦争を拡大
し、
日独伊三国同盟を締結し、
あまりにも無謀な対米開戦に踏み切り、
筆舌に尽くしがたい
昭和戦争の惨禍を引き起こし、
挙げ句の果て、敗戦した。

しかるに、切腹して無謀な意思決定の責任をとることもなく、
おめおめと米軍に捕らわれて、
東京裁判に引き出され、
「生きて虜囚の辱め受け」言行不一致、すなわち、
日本の最高指導者として日本国民に教え込んだことと、
実際に自分たちがやったこととは、
まったく異なることを実証して、恥を全世界に晒した。

【戦陣訓】なるものがあった。
旧大日本帝国陸海軍は、徴兵した召集兵士たちに対して、
「捕虜になることは絶対に認めない」
万一、捕虜になって、生きて日本に帰ってきても、
日本の社会や家族は、捕虜になったものを絶対に受け入れない。
だから、「降伏して捕虜になるより、いさぎよく死ね」
徹底的に洗脳した。

この洗脳教育が徹底していたカウラ捕虜収容所にいた
日本人捕虜たちは、「日本が勝利して、戦争が終わり、万一、
幸運にも、日本に帰国できたとしても、家族に迷惑をかけ、
社会からは迫害されるだろう。
それよりも、いさぎよく死のう」という絶望感から
「死ぬこと」を目的に集団脱走したのである。
実に悲惨な事件であった。

ムカシムカシそのムカシ、【脳力】ゼロのキチガイどもが
           日本国を占領して、国民を塗炭の苦しみへ陥れた!



昭和戦争の惨禍の責任

1945年初夏、陸海軍のKeychigai元帥・大将たちは、
こぞって対米降伏に強く反対した。

しかし無差別焼夷弾爆撃の惨状と米国海空軍の海上封鎖による
食糧輸入の途絶を明確に認識していた昭和天皇は
都市部の住民大量餓死が絵空事ではなく刻一刻、
差し迫った現実になりつつあり、陸海軍のキチガイ参謀どもが
本土決戦、昭和天皇の松代大本営幽閉、2,000万人カミカゼ特攻を
本気で考えていたことを憂慮して、
無条件降伏の決断したのである。

出典:読売新聞(朝刊)2005年11月9日第16面&第17面『検証・戦争責任②』


旧大日本帝国陸軍が、満州事変によって
昭和天皇から実質的な統治権・統帥権を簒奪した1931年以後、
1945年の敗戦まで、
旧大日本帝国陸軍は
神がかりの天皇制崇拝思想(国体思想)という詐欺手段を使って
日本国民を騙して、
日本国民を徴兵して、
日中戦争・太平洋戦争に駆り立てた。

旧大日本帝国陸軍は、
「日独伊三国同盟には反対」、
「支那事変はやりたくなかった」という
昭和天皇の【意思=統帥権】を無視して、

日中戦争拡大を推し進めた。
日中戦争の拡大が太平洋戦争に繋がった。

旧大日本帝国陸軍は、
昭和天皇の【意思=統帥権】を無視しておきながら
国民に対しては、
天皇制崇拝思想(国体思想)を強制して
大日本帝国陸軍は【天皇の軍隊である】と唱え続け、
国民を騙し続けた。

命令無視が引き起こした日中戦争泥沼化

旧大日本帝国陸軍と海軍の現地軍最高指揮官と高級参謀たちと、
大本営の陸海軍の高級参謀たちは
口先では「お国のため、天皇陛下のため」と唱え続けながら、
昭和天皇の意思や、日本政府の「支那事変不拡大方針」や、
陸軍上層部の「上海で停戦、制令線を越えて南京へ進撃してはならない」
という意思、方針、命令を徹底的に無視して南京へ進撃して
大事件
(=南京事件)を引き起こした。

この現地軍の方針命令徹底無視の南京進撃が日中戦争泥沼化と
太平洋戦争開戦に繋がった。

この時点における日中戦争の拡大は、昭和天皇の意思に反し、
A級戦犯の共同謀議も存在しなかった。従って、日中戦争に関しては
当時の現地軍の司令官・部隊指揮官たち・高級参謀たちと、
大本営の高級参謀たちが、当時の陸軍刑法によって、きびしく
軍紀違反の罪を問われるべきであったと思う。

しかし、現在の中国・韓国同様、「言論の自由」がまったくなくなり、
日本国民全部が旧大日本帝国陸軍によって徹底的に洗脳され、
旧大日本帝国陸軍を批判するものは徹底的に弾圧され、
日本中の新聞が「皇軍の赫々たる戦果(=戦争の惨禍)」を
賛美報道していた時代においてはあり得ないことではあるが。

本土決戦 1億総玉砕-国民を道連れに無理心中!

敗戦必至になった1945年(昭和20年)初頭の時点でも、
旧大日本帝国陸軍の高級参謀たち、最高指導者たち、中堅将校たちは、
おしなべて、【本土決戦 1億総玉砕】と本気で叫んでいた。
1億の日本国民を道連れに無理心中すると固く決心していた。




日本戦争経済の崩壊

ノモンハン戦争から学ぶべきこと


Re:
  スターリングラード攻防戦(前編)実写映像多数

  クルスク大戦車戦 独ソ精鋭史上最大の決戦



Re:
Battle of Khalkhin Gol 1939 - Soviet-Japanese War DOCUMENTARY


山本五十六(キチガイ詐欺師)
    
対米英 3大貢献



真珠湾奇襲攻撃の大成功で
米国は対独参戦ができた!


真珠湾奇襲攻撃は米国国民の戦争反対意識を粉砕した!
真珠湾奇襲攻撃は米国国民の日本に対する
強い怒りと憎しみを大きく燃え上がらせた!

真珠湾奇襲攻撃の成功は、山本五十六が主導した
10年あまりの
空母建造、零戦開発製造、航空魚雷改善、パイロット猛訓練の賜物ではあるが、

真珠湾奇襲攻撃の成功を願っていた
ルーズベルト大統領の真珠湾停泊の太平洋艦隊の将兵は見殺しにするという
冷酷な決意
がなければ、到底、成功しなかったと思う。

敗戦事実を徹底的に隠蔽した山本五十六は、
情報力欠如・観察力ゼロ・発想独りよがりであった。
敗戦前のあまりにも無知で愚かであった
旧大日本帝国軍部の最高指導者たちの典型だった!


真珠湾奇襲攻撃の成功は、
八百長(やおちょう)勝負であった。

You Tube:
ルーズベルト大統領の戦争宣言演説  7分38秒

この演説を聞くたびに、議員たちの拍手の
凄まじさに驚かされる。この演説にある通り、
奇襲攻撃は真珠湾だけではなく、太平洋の島々と、東南アジア全域て゜行われた。

日本の陸海軍の最高指導者たちは、奇襲攻撃に対する米国国民の怒りが、
彼らが想像できなかったほど、
凄まじいものになるとはまったく考えていなかった。

当時の日本政府においても、陸海軍においても、昭和天皇、山本五十六を含めて、
当時の日本の最高指導者たちは、
誰一人米国や、中国の国民感情について
意見を述べていない。旧大日本帝国陸軍の御用機関に成り下がっていた大新聞も
米国や、中国の国民感情について意見を述べていない。

日本の国全体が、相手国の国民感情について100%情報音痴であった。
1941年当時の
あまりにも無知で、あまりにも愚かであった
当時の日本政府、陸海軍の最高指導者たちは、
ある時点で、米国と和平ができると思って
対米開戦を決断したのである。

中国の蒋介石政権との和平すらできなかったのにである。



新井喜美夫著『転進瀬島龍三の「遺言」』(講談社 08年8月発行)第26頁には
「東条元首相は1944年6月のサイパン戦の直前までミッドウェイ海戦
(1942年6月5日~7日)で日本海軍が惨敗した実情を知らなかったと
瀬島龍三が語った」と書かれてある。

ミッドウェイ海戦で、日本海軍は、主力航空母艦4隻を撃沈、撃破され失い、
その全艦載機と多数の優秀なパイロットを失った。日本海軍が
中部太平洋における制空権、制海権を失ったこの大敗北の実情を
海軍は徹底的に隠ぺいしたのである。

上記のように岩田正孝・元陸軍省軍務局軍事課課員は「終戦まで
ミッドウェイ海戦惨敗の実情を知らなかった」と語っている。

当然、山本五十六の責任は不問に付された。米国であれば、
ここで山本五十六は連合艦隊司令長官を罷免されていたはずである。

総理大臣兼陸軍大臣であり、一時は陸軍参謀総長まで兼任していた
東条英機をはじめ、大本営陸軍部や陸軍省の幹部たちが
ミッドウェイ海戦の大敗北の実情を全く知らずに
数々の重要な軍事行動の意思決定を行った
という事実に戦慄せざるを得ない。

海軍が、ミッドウェイ海戦やマリアナ沖海戦の壊滅的敗北の事実を
昭和天皇や、首相ら閣僚たちや、陸軍に正確に報告せず、
そのために、その後、誤った判断・意思決定・軍事作戦で、
海外、国内で数百万人が戦争の惨禍で亡くなった。

艦隊派の海軍の最高指導者たちと高級参謀たちの罪は万死に値する。
まぎれもなく、彼らは、日本という国を滅ぼした【不忠の輩(やから)あり、
国民を騙し(だまし)続けた【無知で愚かで無責任な】指導者集団であつた。

米国海軍は当時の日本海軍には無かった最新鋭のレーダーを持っていた。
空中の戦闘機に無線電話で作戦指令を行う空中戦闘システムと
それを動かすシステム要員を持っていた。

1943年に完成した米国の最新鋭戦闘機ヘルキャットの性能と
防護力は日本のゼロ戦をはるかに超えるものであった。

しかもVT信管と呼ばれる対空砲火の威力を飛躍的に高めた機能を
備えた防御兵器で、米国戦闘機の攻撃の網をくぐり抜けた日本の
艦隊攻撃機をことごとく撃墜した。

Re:
  
マリアナ沖海戦

多くの日本機が撃墜された



山本五十六をはじめ、当時の【無知で愚か】であった旧日本帝国海軍の
最高指導者たちと、高級参謀たちは、誰一人として、これらの米国海軍の
最新装備についての情報を持っていなかった。


敗戦事実を徹底的に隠蔽したミッドウェー海戦

大敗北事実の隠蔽
をはじめ、
数々の
敗戦事実を
ことごとく隠蔽した山本五十六は
口では「天皇陛下のため」と嘯き
(うそぶき)ながら
           
数十万人の兵士を餓死させた!!
嘘の塊・騙し名人!
数多い敗戦事実の超徹底的隠蔽 ! ! !
極悪非道な大量殺人犯!

卑劣卑怯極まる旧大日本帝国海軍の最高権力者だった!

それが、国葬された! ????? !!!! ・・・・・・・・・


日本を滅ぼした旧大日本帝国陸海軍の将軍閣下と呼ばれた、高給職業軍人たちと
同様、世界一の歳費を得ながら、情報音痴・判断力ゼロで、無気力?



陸軍の石原莞爾が引き起こした満州事変泥沼化した日中戦争になった。
外交の松岡洋右が結んだ日独伊三国軍事同盟が日本を地獄へと導いた。
海軍の山本五十六が敢行した真珠湾奇襲攻撃が軍事国家・旧・大日本帝国の
完全破滅
決定的なものにした。

東条英機、石原莞爾、松岡洋右、山本五十六の4人は軍事国家・旧・大日本帝国を
完全にぶち壊した4大功労者
といっても賞めすぎではないと思う。
            悪者代表   バカ悪の象徴!
           中国人の土地を強奪し
                               奴隷として酷使、匪賊にした
                               極悪非道な張本人たちの代表・象徴!


ちなみに、戦前の、軍事国家・旧・大日本帝国男尊女卑(だんそんじょひ)
社会であった。女性には選挙権はなかった
結婚した男性の不倫は、法的にも、社会的にも咎められることはなかったが、
結婚した女性の不倫は、【姦通罪(かんつうざい)という犯罪であり、
法的に罰せられた。社会的にも許容されなかった。
赤線地帯の名称で知られる通り、売春業が公認されていた

無資源国・日本が、現在、平和通商国家として生きていけるのは、
海外・国内の数千万人の昭和戦争の犠牲者のおかげであることを
忘れてはならないと思う。

模範的国際平和貢献国家であり、
模範的民主主義国家である日本

国際平和主義民主主義
核兵器や侵略軍事力ではなく、
情報・知恵・工夫に基づく自衛戦略
守りぬかねばならないと思う。

Re:
  普天間爆音被害直撃墜落危険
普天間、埋め立て中止・訓練移転を

Re:
  陸自の海外派遣に反対

Re:
日本人捕虜のシベリア奴隷労働被害(シベリア抑留)