レーダー的情報収集力を強化する 
                                 13年2月 志村英盛
1.レーダー的情報収集力とは

関連サイト: 月次決算と資金繰り

レーダー的情報収集力とは、レーダーのように自分から電波を発射して
(自分の方から働きかけて)、ターゲットを発見し、情報を収集する力のことである。

高速で航空する航空機から地上を観察することは、
レーダー的情報収集力の強化に役立つ。たとえば、
視野が広がるということはどういうことか、
視点を変えるということはどういうことか、
物事を立体的に観察する(=一つの物事をいろいろな角度から、もれなく検討する)
ということはどういうことかを実感できる。

企業を取り巻く経営環境は、いくつもの事柄が重なり合って変化し
続けている。このような状況において、変化し続ける顧客のニーズを
見抜き、さらには潜在顧客を発見するためには、
レーダー的情報収集力(=さまざまな視点からのターゲット情報収集力)
絶えず強化しなければならない。

企業を取り巻く環境も顧客ニーズも重なり合って変化を続けている。
【独り善がりの思い込み】
によって判断を誤ってはならない。

販売努力とは、顧客ニーズを立体的に探り出す、
レーダー的情報収集努力である。


かっては優秀な企業であった堤・西武、伊藤・カネボウ、水島・そごう、
中内・ダイエー、井植・三洋など、いずれも、結果から判断すると、
レーダー的情報収集力が弱いため、環境の変化を見誤り破綻を招いた。

レーダー的情報収集力が弱ければ、意思決定に必要な情報は
何かすら分からない。必要な情報の存在すら知らない状況で行った
意思決定が、致命的な信用失墜と取り戻しできない損害を招いたのである。



2.中内ダイエー、堤セゾン、水島そごう 
  破綻の教訓

日本経済新聞(朝刊)2003年4月21日第44面【私の履歴書】の中で、
伊藤雅俊イトーヨーカ堂名誉会長は「中間決算の減益が確定した81年の
会議で、万年ペシミストの私は幹部を前に不吉な予感を披露した。
【我々が気付かぬうちに世の中が変わり、大変なことが起きているのでは
ないか】
 会議後、本社受付に【荒天に準備せよ】という海軍用語のパネルを
掲げさせ、全社員に危機感を訴えた」「問題は、顧客と市場のニーズが変化する
時代の流れに、ヨーカ堂が対応できなくなったことだ」と述べている。

ダイエーの中内功氏、セゾングループの堤清二氏、そごうの水島廣雄氏など、
いずれも流通新時代を切り開いた先進的な経営者であったが、経営環境の
大転換時に視点を変えた意見も取り上げて、的確な情報に基づいて経営戦略を
十分に検討するという姿勢が欠けていたのではないかと思う。

哲学を持って企業経営に当たる、優れた感性で経営を行う、包み込み地域
一番店経営を迷わずに実践するなど、これらの経営者の方々は優れた経営思想を
もって余人にはできなかった企業成長を実現された。

1988年、ダイエーの中内功社長(当時)はV革を成功させた河島博副社長
(当時)を事実上追放した。ダイエーの破たんの引き金であり流通業界の
歴史に残る中内功氏の大きな判断ミスである。本業の損益の赤字を顧みず、
過去の成功体験と夢と貢献意識に酔って、環境変化を無視した水ぶくれの
拡大経営を続けたことが、ダイエー、セゾン、そごうを破たんさせた。

1986年~1991年が土地や株式のバブルのピークであり、国の財政の
プライマリーバランス(=財政の基礎的収支)が黒字であった時期である。
1992年以降、借金を減らし続けてきた企業は体力消耗を免れたが、借金を
増やし続けてきた企業は、ほとんどがダメになっている。

参考サイト1:松平容保と会津藩の悲劇-指導者の情報収集責任

参考サイト2:ノモンハン戦争から学ぶべきこと

3.年齢ではなく、情報収集力が問題だ!
  変化に鈍感になってしまうことが問題だ!

2003年、政治の世界で、小泉首相が中曽根元首相と宮澤元首相に、
衆院選比例代表について73歳定年制の適用を要請したことが話題になった。
経済界でも老齢経営者の老害が話題になっている。30代、40代の経営者が多い
中国の企業と比べると日本の企業では老齢経営者が多すぎると言われている。

筆者は年齢が問題なのではなく、情報収集力が問題だと思っている。老齢の
ため、体力や気力が衰え、問題意識が無くなり、情報収集力が低下したり、
あるいは、情報収集力が全く無くなってしまうことが問題なのである。
現在、われわれがかって経験したことのない、いくつもの経営環境の大変化
が重なりあって起きている。老齢のため気力が衰え、変化に鈍感になってしまう
ことが問題なのである。毎日、最新情報をチェックする習慣が無くなり
「的確な現状認識」「的確な現状の問題点判断」ができなくなることが
問題なのである。

企業が大きく成長し、子会社や事業部門が数十数百と、あまりにも
増えすぎたため、グループ全体の正確な実態が把握できなくなることも
情報収集力の問題である。名経営者と謳われた「来島どっく」の
坪内寿夫氏が不遇な晩年を迎えた原因の一つは、170社余りにのぼった
「グループ全体の的確な実態把握」「的確な現状の問題点判断」が
できなかったためだと思う。カネボウ中興の祖といわれる伊藤淳二氏の
場合も、結果から判断すると、ある時点以後グループ全体の
「的確な現状認識」「的確な問題点判断」ができなくなったことが
「経営不在」→破たんに繋がったと言える。


パソコンの機能は信じられない位向上した。部門別損益計算ができる
超高機能のパソコン財務会計ソフトの値段も信じられない位安くなった。
現在は中堅企業・中小企業であっても、経理部門の実務担当者が部門別
仕訳の実務ノウハウを体得すれば、迅速・正確に、かなりの数の部門別
損益計算や個別原価計算が可能な時代になった。資金ぐり管理の基本
ある【毎日残高確認】が、やる気さえあれば、企業でも個人でも、
ムリなくできる時代になった。

先進的な企業においては数十の部門の日次決算を正確に行っている時代である。
企業の実態を迅速・正確に示す数字を毎日チェックしていれば、老齢になっても、
変化の実態についての判断を誤ることはない。しかし、残念なことながら、
失敗した経営者は、肝心・要(かなめ)な数字を毎日、見ていない。
数字を毎日見ていないから変化に鈍感になってしまうのである。

かつて事業を創業して成功させたという栄光を背景に、現在では変化に
鈍感になってしまった老齢創業者に口出しされては、経営責任を負う現在の
経営者はたまらない。豊臣秀吉や毛沢東のように、国家の統一という歴史的な
偉業をなし遂げた偉人でも、晩年、情報収集力が弱くなり、変化に鈍感になると
大きな判断ミスをしている。

半藤一利氏は、著書『昭和史 1926-1945』(平凡社2004年2月発行)の、
第40頁-第47頁で、東郷平八郎元帥が昭和5年「統帥権干犯」を唱えたてた
ため、多数の世界情勢に明るい良識ある優秀な海軍将官が指導的地位を失い、
昭和初期の日本が破滅へ暴走する一因を作ったと述べている。

筆者は、日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破った救国の英雄の
東郷元帥ですら、情報収集力が衰えると世界情勢の変化に鈍感になり
判断を誤ったものと理解している。

1978年文藝春秋から出版された松本清張氏の『空の城』は、
伊藤忠商事に救済吸収合併された当時の鉄鋼の名門商社・安宅産業を
モデルにした小説である。

権力欲は強いが変化に鈍感な実力者・社主・江坂要造が企業を破滅に
追いやる小説である。今、読み直してみて、改めて変化に鈍感な者は
現在の経営に口出しすべきでないと感じる。

日本経済新聞(朝刊)2006年11月15日~19日の【私の履歴書】欄で
【事件機に長老支配排除 創業家の感謝に安堵する】との見出しで、
江頭邦雄味の素会長は次の通り述べている。(抜粋)

「1987年私は取締役に選出された。取締役会は私にとって驚きだった。
社長以下、末席の私まで27人の取締役がいたが、退任して顧問、相談役に
なった長老たちが何人も出席していた。長老が何か言うと全員そろって
「は、はー」。長老が声を荒らげようなら震え上がるありさまだった。
当時は創業者から続くオーナー一族、鈴木家の影響力が絶大であった。

1997年3月総会屋に利益を供与した商法違反容疑で総務部長と
総務課長が逮捕された。創業以来初の不祥事であつた。社内の空気や
会社の古い体質が事件を引き起こし最大の要因であった。

1997年6月の取締役会で私は第十代社長に就任した。
私は【総会屋との絶縁】【古い体質からの脱却】の二つの方針を示した。
味の素が規模を大するにつれて創業家の持ち株比率は低下したが、
創業家の一族が長老として頂点に君臨する構図は変わらなかった。
創業家に対する尊敬の念が社内に定着していたことが背景にあった。

問題はそれが長老支配という形で意思決定に少なからぬ影響を及ぼして
いたことだ。長老たちは取締役会にもオブザーバーの名目で出席していた
ので、取締役会は長老への説明の場と化し、異論を唱えられるのを恐れて
役員たちは事前の根回しに奔走するのが常だった。もとは先輩を大事にする
美風だった。しかし、時代が変わり、会社の規模が拡大すると次第に
弊害の方が大きくなった。
みんなが分かっていたが変えられなかった。

私は長老たちに本社ビルから別館に移ってもらつた。
取締役会への出席を遠慮してもらった。

ただ私としては長老たちの心情が気にならなかったわけではない。
恐らく腹の内は煮えたぎっていると思っていた。

その年の終わり、四代鈴木三郎助さんにご馳走になり、
【ありがとう】と思いがけない言葉をかけてもらった。
私は驚いた。そして安堵した。」

4.価値観、結婚観、生活習慣、行動様式が
  大きく変わりつつある


日本経済新聞(夕刊)09年5月14日第16面より抜粋転載
欧米の婚外子 40%以上に急増 日本は2%

米疾病対策センターは13日、06年と07年に生まれた子どもの中、
母親が結婚していない子ども(婚外子)の割合が、欧米の多くの国で
40%以上になるとの報告書を発表した。
婚外子の割合は、米国40%、アイスランド66%、英国44%、
スウェーデン55%、フランス50%、ドイツ30%、カナダ30%、
スペイン28%、イタリア21%、オランダ40%である。
日本は2%である。

読売新聞(朝刊)2005年1月13日第3面は「東アジアは【非婚の時代】 
男も子供もいらない 超少子化 」という見出しで、「台湾、韓国、
シンガポールの出生率は日本を下回る」と大きく報じている。

日経ビジネス誌2003年10月27日号第184頁に、米国のBusiness
Week 誌 2003 Oct.20の記事として「『「非婚国家」と化す米国』
父親と専業主婦の母親で構成する家庭は今、全世帯の10分の1にすぎない」
と述べられている。読売新聞(朝刊)2005年1月8日第1面は「米国の
シングルマザーは1997年には1000万人に達した。米欧先進国では
1970年代から家族の形が多様化した。同棲は市民権を獲得して定着し、
婚外子も法的社会的差別を受けない国がほとんどになった」と報じている。

日本経済新聞(朝刊)2004年12月12日第1面は「デンマークでは
婚外子の比率がほぼ5割、子持ち世帯の4軒に1軒は父母の違う
兄弟姉妹がいる。パッチワーク・ファミ-リエ、離婚や再婚を経た家族を
ドイツではこう呼ぶ。シュレーダードイツ首相は3度離婚。現在、4人目の
妻、連れ子、今年養子に迎えたロシア人の女児と暮らす。フランスでは
カップルのかたちも多様だ。

結婚しなくても、税や社会保障などで結婚に準じる法的地位を手にできる。
夫婦や親子の定義さえ、複雑であいまいになる現実。戸惑いや反発も強まる。
『かくあるべし』というモデルはもはや存在しない」と報じている。

読売新聞(夕刊)2005年1月14日第1面は「新生児の相当数が父親の
本当の子ではない(=妻が浮気して生まれた子)と言われるドイツで、
女性の法相が、DNA鑑定で父親が実子かどうかを確認するのを
法律で禁じる意向を表明し、波紋が広がっている。男性や保守派
知識人は【女性の浮気を助長するだけ】と反発している」と報じている。

読売新聞(朝刊)2006年3月4日第1面より転載
読売新聞(朝刊)2006年3月4日第1面より転載

日本経済新聞(夕刊)2006年10月31日第2面より転載
2005年国勢調査
20代後半女性
未婚率6割


将来の人口動向に大きな影響を与える20-30代の未婚率は、
男女とも大きく上昇した。特に、他の世代に比べて母数が大きい
団塊ジュニア(1971-74年生まれ)を含む30-34歳の女性の
未婚率は、2000年の前回調査時の同年齢層と比べ5.4%も
高まり、32%に達した。

出産適齢期にある25-29歳の女性の未婚率は59%で
前回調査時より5%も上昇した。

日本では出産は結婚を前提とする風潮が根強く残っており、
未婚率の上昇は少子化に直結する。未婚率は1990年代以降、
ほぼ同じペースで伸びており、歯止めがかかっていない。

30代前半の男性の未婚率、東京では54%

過去に例のない少子化が進む背景には女性の側の変化だけではなく、男性の側が
結婚を遅らせたり、躊躇したりする現象がある。2000年の国勢調査によると、
全国平均の男性の未婚率は32%で女性の未婚率24%に比べてはるかに高い。

30代前半の男性の未婚率は43%にも達し、10年間で10%高くなった。
世界各国より抜きん出た水準だ。未婚率を都道府県別にみると男女とも東京都が高い。
東京都の30歳-34歳の男性の未婚率は54%である。
25歳-29歳の女性の未婚率は65%である。


家族像をめぐる考え方に、男と女で微妙な食い違いが生じている。
日本の人口構造を変える要因の一つである男性の未婚化非婚化の源流は、
現実と、現実の変化に追いつかない意識とのギャップにあるのかもしれない。


日本経済新聞(朝刊)2004年(平成16年)12月7日 
       第9面より抜粋
晩婚化、米でも加速 
30代前半女性、未婚が23%
30代前半男性、未婚が33%
 

米統計局が発表した2003年の人口調査で、30-34歳の米国女性のうち
一度も結婚の経験のない人が23%、男性では33%に上がることが分かった。
1970年(女性6%、男性9%)に比べいずれも4倍近くに増えており、米社会
の晩婚化がさらに進んでいることを裏付けた。

日本経済新聞2008年10月18日(PLUS1版)第13面は
「ここ10年で結婚式の風景は様変わりした。婚礼の際に仲人(なかうど)を
立てる比率は1994年には64%であったが、2004年以降は、
なんと1%以下である。結婚式から仲人が姿を消した」と報じている。

日本経済新聞(夕刊)2004年10月17日第15面は
「直葬(ちょくそう)が増えてきている。直葬とは、通夜や葬式を行わず、
少人数が火葬場で故人に別れを告げる弔い方のことである。
近親者がいない一人暮らし世帯が多い都市部で増えている」と報じている。
日本においても、学校を出ても、定職につけない人、定職につかない
人、結婚しない人が、中高年層には理解できないほど増えている。

都会の30代前半の男が結婚していないのはもはや普通とすら言われて
いる。都会の結婚した女性が男の両親とは同居しないことは常識となって
しまった。

2002年の日本の離婚件数は28万9838組である。
これは婚姻件数75万7331組の約38%になる。
離婚件数は過去最高であると共に、
子供が自立した後の熟年離婚が増えている。
厚生年金制度の見直しでは離婚した場合はどうするかが大きな問題と
なっている。

実の子が実の親を虐待する、実の親が実の子を虐待する
ことが起きている。実の孫が実の祖父母を殺害するという血も凍るような
おそろしいことが起きている。表面上は正常と思われていた初老の
男性が妻の留守中に、実の母、実の子、実の乳幼児の孫、愛犬を殺害
するという血も凍るようなおそろしいことも起きた。

日本経済新聞(朝刊)2004年8月23日第1面は「【標準世帯が消える】
という見出しで、現在、「夫婦と子供からなる世帯」は全世帯の32%。
3年後の2007年には一人暮らしの「単独世帯」に追い越される」と
報じている。日本経済新聞(朝刊)2004年8月24日第1面は「東京都
では4人以上いる世帯は2割に満たない。【家族】が消費の単位では
なくなりつつある」とも報じている。

セックス・モラルの崩壊も、従来型の家庭・家族を大きく変えつつある。
それに伴ってもはや老人を家庭で介護することができなくなったと思う。
家庭・家族が変わることは家族一人ひとりの意思決定や行動が
変わることであり、社会全体が大きく変わることであると思う。

5.人口減少は経済と社会構造をどう変化させるか?
子供の人口 28年連続減


6.世界の国々

社会経済生産性本部が毎年発行している『労働生産性の国際比較』の2003年版
に、世界206か国の人口統計が載せられている。その中で、人口355万人以上
の国は168か国である。(横浜市の2004年11月1日現在の人口が355万である。)
これらの国々のなかで、日本の生活水準はトップクラスであり、いちばん貧富の差が
少ない国ではなかろうか。教育水準も知的能力レベルも全体的に見た場合は、
日本はトップレベルである。知的能力格差も日本がいちばん少ないと思う。従って、
日本の文化や生活レベルや、日本の社会の安定状態で、世界の多くの国々の状態を
考えると大きく判断を誤ると思う。日本よりはるかに貧しい国、社会状態がきわめて
不安定な国が数多い。

日本財団会長を務められている、作家の曽野綾子さんが『週刊ポスト』2004年
4月9日号の第182頁-第183頁の『昼寝するお化け-世界電力地図』で述べて
いる「夜の闇の中に灯りを灯した世界地図」がANAが機内に備えている『翼の王国』
平成16年3月号の第104頁-第105頁に紹介されている。経済産業省資源
エネルギー庁の原子力発電についての広報記事である。曽野綾子さんは「当人・
当国が何と言っても、この地図ほど世界各国の経済力を如実に示しているものはない。
一際明るいのはアメリカの東部である。日本全体はぎらぎらと輝いている。ヨーロッパも
明るい。バングラデッシュ、パキスタン、アフガニスタンは闇に沈んでいてほとんど
その存在を感じさせない。北朝鮮の暗さはボルネオの中央部の密林と同じである。
アフリカは未だに暗黒アフリカと言う他はない。・・・・・」と述べている。

曽野綾子さんは『週刊ポスト』2004年11月5日号の第88頁~第89頁においては
「世界を覆っている最大の問題は貧困である。テロも犯罪も貧困の解消なくしては
解決しない。武力でテロをなくすなどと言っているブッシュのような人を大統領に持つ
アメリカの運命も危うい。しかし貧困をなくすことほどむずかしいことはない。
日本の進歩的なヒューマニストたちは、植民地時代の、主に白人の圧政によって、
アフリカは貧しくなった、という。しかしそんな単純なものでもない。独立以来半世紀
前後の時間がすぎれば、その国家の現状の責任のほとんどは、その国民のものだ」
「1964年に日本中で高速道路はまだ東京で2キロしかなかった。今は海岸の砂浜の
手前まで舗装されている」と述べている。

参考資料:日本経済新聞朝刊2004年4月24日第9面より抜粋転載。
世界銀行は23日、年次報告書を発表した。極貧人口に関する記述は次の通りである。
①世界の全人口のうち、
1日1ドル未満で生活する極貧人口は、1981年の
 14億5100万人から、2001年には11億100万人に減った。
②特に中国では1人当たりのGDP(国内総生産)が5倍に増え、極貧人口は
 6億600万人から 2億1200万人へと大幅に減少した。
③サハラ砂漠以南のアフリカでは、極貧人口は1981年の1億6400万人から、
 2001年には3億1400万人とほぼ倍増した。
④インドを中心とする南アジアでは極貧人口の割合は51.5%から31.1%に
 減っている。
⑤南米、東欧、中央アジアなどの多くの国々では、貧困は改善されておらず
 極貧人口は増加している。