作文能力向上を軸とする情報化推進
2013年12月 志村英盛
Re:咸臨丸の冒険を成功させたブルック大尉
咸臨丸(かんりんまる)の冒険を成功させたのは米国人のブルック大尉であった。
往路、船長・勝海舟は、病気のため、船室に閉じこもりきりで、操艦指揮は
まったくできない状態だった。さらに、往路、日本人士官たち・日本人水夫たちは
ほぼ全滅状態で、ジョン万次郎と数人を除いて、船室で寝たきりであった。
ブルック大尉が、ジョン万次郎と米国人水夫10人を指揮して、冬の北太平洋横断
という大冒険を成功させたのである。
木村摂津守の従者として同乗した福沢諭吉は元気溌剌であった。帰国後、率直に、
この勝海舟の大失態を語っている。
しかし、勝海舟は、この大失態になんらめげることなく、その後、前進を続け、
日本の歴史に特記される数々の偉業を成し遂げた。
IT化推進だけが情報化ではない。顧客ニーズにより良く適応するため、
社員の知恵と工夫を絞り出していく体制の強化こそが必要な情報化である。
社員の知恵と工夫を絞り出していくためには、社員一人ひとりの作文能力を
高めていくことが必要である。
1970年代までにおいては、字が下手なものが作文能力を高めることは難しかった。
作文能力を向上させるためには、一般的には、毎日、約2000字程度の量を
1年間以上書き続けなければならない。しかし、字が下手なものは、どうしても、
書き続けることができないからである。
1980年代以降、パソコンも、ワープロソフトも、年々、飛躍的に性能が高まるのと
反比例して、価格が大幅に下がり、今や誰でも利用できる状況になった。
パソコンのワープロソフトを使って、毎日、2000字(40字×50行−A4判1枚分)
程度の作文を続けることは、今では容易である。
社員一人ひとりの作文能力の向上が実現すると、企業が収集できる情報の質が
向上し、情報量は飛躍的に増大する。事前に情報を文書で提出させることによって、
会議の生産性も飛躍的に高まる。部門間、個人間のコミュニケーション密度を高める
こともできる。業務・商品・サービス等についての改善提案は、質・量共に飛躍的に
増える。収集した情報の有効性を検証することも可能となる。予実差異分析を、
より早く、より的確に行えるようになる。企業経営に多くのベネフィツトをもたらす。
ビジネスマンにとって欠かすことのできない作文能力は、3,000回を目標に、
毎日1回文章を書き続け、3年間続けることで身につけることができる。
すらすらと文章を書けるようになりたかったら、毎日1回、必ず何かについて
書くことである。営業担当であれば、毎日、パソコンを使って提案書を5件書く。
年間に約1000件の提案書を書くことになる。3年間で約3,000件の提案書を
書くことになる。確実に作文能力が身につく。
小学館発行の『週刊ポスト』2004年8月20・27日号の第106頁で、作家の
曽野綾子さんは、「私は50年間、書き続けてきた。作文能力は、どんなに
下手でも年に2000枚ずつ書けばうまくなるものです。どんな下手でも、凡庸な
才能でも、とにかく続けていればなんとかなる」と述べている。
年に2000枚ということは、1日平均、約5.5枚ということである。字数で
約2200字ということである。字の下手な人が手書きするとすればたいへんだと
思う。しかし、パソコンを使って書くならば、A4判用紙で、1行40字、1頁55行に
設定した場合、A4判用紙1枚分ということである(=このホームページ1頁分)。
決して多い量ではない。慣れれば楽々書ける量である。
齋藤孝明治大学文学部教授は、日本経済新聞(夕刊)2005年2月8日特別A頁で
「キーボードで文章を書くことは、脳を活性化させます。ITは思考のスピード向上と
意識の活性化に大きな役割をはたしましたね」と語っている。
2004年9月21日、NHK総合テレビの『クローズアップ現代』で
『あなたの【強み】は何ですか〜中高年・再就職セミナー〜』という番組が放送
された。その中でこれまで千人を超える中高年の再就職の支援をされた埼玉県
の主任職業訓練指導員の小島貴子さんは再就職の壁は次の二つであると
語っている。
@
今まで、ことがらの「言語化」をやってきていないため、体得した職業能力
(=成果を生み出してきた自分の能力=自分の強み)を再就職先に訴える
「言語化能力」が低いこと。
A
視野が狭いこと。
小島さんの言われる「言語化能力」とは作文能力のことである。小島さんが
言われる通り「【自分の考え】を【自分のことば】で相手に伝える」能力を身に
つけることは人生のさまざまな場面において大きく役立つと思う。
『週刊ポスト』誌2006年9月8日号第83頁で、大前研一ビジネス・ブレーク
スルー代表取締役は「重要なのは自分の【市場価値】を高める【誰もが
考えつかなかったことを考える力=発想力】【誰もが無理だといっていたことを
実行に移して成功する力=実行力】【何が何でも結果を出す力=結果力】の
実績を、数字だけでなく、文章で表現することだ」「ところが日本の場合は
自分の経営力を口語体の文章で書ける人はほとんどいない」と述べている。
作文能力強化の必要を説いた極めて重要な指摘である。
筆者が商社に入社して2年目の時のことである。筆者はあるメーカーに
対するクレームの手紙を3時間かけて作成した。課長に見せると、即座に
「こんな手紙は出せないよ」と言われた。課長はその場で、10分ほどで
全面的に書き直した。作文能力格差の大きさを痛感した。いわゆる
ホワイト・カラーの仕事においては、作文能力格差は時間生産性格差に
繋がる。この場合、課長は筆者の18倍の時間生産性であったわけである。
毎日作文するということは、毎日、見たり、聞いたり、読んだり、体験したりする
ことから得られる膨大な(ぼうだいな)情報を、整理・分類・蓄積していくことになる。
短い期間に400字詰原稿用紙300枚程度(=字数12万字程度=一般的な
1冊の本の字数)を書くということは、作家の浅田次郎さんのような天才は
別にして、普通の人にはできない。書くだけの情報が頭の中に整理・分類・
蓄積されていないからである。しかし、毎日2枚書いていれば、原稿用紙
300枚も150日、約5か月で書き上げることができるわけである。
作文能力を体得することは、自動車の運転技術を体得するより易しい。
役員やマネジャーが作文能力を体得していれば、会議や研修において、
事前にA4判1枚の文書で意見を事前提出する習慣を企業に定着させることが
できる。会議や研修の事前準備・事前情報確認のレベルを飛躍的に上げる
ことができる。会議の時間生産性を大きく高めることができる。
Plan−Do−Seeが経営の基本動作である。
Planとは、組織全体や、各部門において、目標を設定して、どのようなやり方で
目標達成行動を行うかを文書化して、組織のメンバーに周知させることである。
Doとは、組織の各部門の、毎日の目標達成行動の状況を、当日中に文書化して、
組織のメンバーに周知させることである。
Seeとは、Plan文書とDo文書を比較検討した結果を文書化して、
会議で検討することである。
以上
関連サイト:予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する
企業内研修で行うべきこと:
『自信を持って勧めることが出来る商品を創るための
学び続ける仕組みを、どう創り、どう育てていくか?』
作文力の徹底的向上のための企業内経営能力開発トレーニングの一例:
−作文力ゼロか低レベル作文力では、実際問題として、実行不可能−
@現場調査報告書作成
A経営改善に関する著作についての感想文作成
B経営理念徹底度についての意見書作成
C全社月次決算書の経営分析
D全社月次資金収支報告書の分析
E全社月次資金繰り表についての意見書作成
F部門月次決算書の経営分析
G経営幹部の意見の文書化
H全社教育トレーニング実施状況報告書作成
I他社の朝礼見学報告書の作成
J情報管理及び社内コミュニケーション状況についての報告書作成
K商品別地域別販売実績分析
Lマ−ケティング戦略検討会議事録作成
M商品開発会議議事録作成
Nクレーム記録検討報告書作成
Oクレーム対策実施記録集約書作成
P退職者についての記録書及び退職理由分析書の作成
Q全社経営計画書改善検討会議事録作成
R部門計画書改善検討会議事録作成
S全社経営会議議事録作成
以上
やればできる!
できれば自信がつく!!
自信がつけば世界が広がる!!!
北海道の空知(そらち)地方はかっては石炭の産地として有名であった。
石炭産業の最盛期の1950年代には大小80あまりの炭坑があった。
その空知地方の赤平(あかびら)市にある北海道光生舎は
19歳の時、電線工事で誤って高圧電線に触れ、両腕を無くされた
高江常男さんが、1956年に、身体障害者が自立するための職場を
創るという経営理念で創業された企業である。
長い闘病生活の後で、高江常男さんは、生きていくためには、
失われた身体能力を嘆くのではなく、残された自分の身体能力を
開発して自立するより他に道は無いのだと決心された。
食事は一切周りの人の助けを借りないで自分ひとりで食べる。
字はペンを口にくわえて書く。
碁を打つ時は足の指でつまんで打つということで、
日常生活のかなりの部分を自分ひとりでできるよう
身体能力を開発された。
両腕がないのに人の助けを借りないで食事をするということは
たいへんなことである。人目(ひとめ)を気にする人にはできないことである。
ペンを口にくわえて字を書く、あるいは足の指で碁石をつまむということも
たいへんなことである。ちょつと努力すればできるということではない。
おそらく高江常男さんは、できるようになるまで、あきらめずに、
繰り返し繰り返し、何万回も練習されたと思う。
しかし、やればできたという体験は、高江常男さんの
その後の人生において大きな自信になったと思う。
1953年に高江常男さんは、ペンを口にくわえて字を書くという
能力を活かして空知タイムスの記者になられた。
少年をつれて各地を取材のため廻られたと伺っている。
取材活動を通じて、多くの身体障害者が働く機会を与えられず
暗い人生を送っている現実を知るようになった高江常男さんは、
働く意志がありながら働く機会がなかった身体障害者が、
働いて身体能力を開発して、身体的にも、経済的にも、精神的にも
自立できる職場を創るという経営理念を掲げて、関係者の協力を得て
1956年、北海道光生舎を創業された。
高江常男さんの経営理念は、数々の障害を乗り越えて立派に達成された。
半世紀を超える期間の北海道光生舎の人たちの実績がそのことを証明している。
北海道赤平市の北海道光生舎の工場を見学させていただいたことがある。
同舎の舎員指導方針は明確である。
「やればできる。できれば自信がつく。自信がつけば生きる場が広がる」である。
参考サイト:北海道光生舎
参考サイト:
82歳国際派診断士のチャレンジ「学習時間は自分で捻出するもの」 2017年5月
『生きる場を広げるため学び続ける仕組みを創れ』
未経験のこと、すなわち、今までやったことのないことに挑戦すると、
失敗はつきものである。従って、うまくいかないことや、挑戦失敗を、
苦にしたり、悔やんだり、悩んだりすることはない。
しかし、挑戦失敗を教訓にして、学び続けることは必要である。
学び続けることによって新しく蓄積されていく知識・情報が生きる場を
広げる力(ちから)そのものなのである。
高江常男さんが、何万回もの失敗を乗り越えて、あきらめずに、
学び続けた生き方に深い感銘を受けている。
学び続けることは最高の幸福です。
意識も頭も身体も、使わないと、どんどん錆びつく!
学び続けることは
廃用性萎縮を防ぐ最良の健康法です。
2015年12月 文化出版局 発行
志村冨美子・横浜レース教室、八王子レース教室、本郷台レース教室
TEL:045−352−7184