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●慶長6年(1601)
●慶長13年(1608)
●慶長19年(1614)
●慶長5年(1600)
3月16日−オランダ船リーフデ号、臼杵荘佐志生(さしゅう)沖に漂着。徳川家康、ウイリアム・アダムス
と大坂城で対面。
関ケ原の戦。大友吉統は大阪方につき、石垣原(いしがきばる)にて黒田孝高と戦い大敗。
岡城主中川秀成、臼杵城に太田一吉を攻め降す。
徳川家康、稲葉貞通に臼杵を与える。
西軍に味方した小西行長が処刑され、翌年加藤清正に天草・球磨をのぞく肥後一国と豊後三郡
が与えられる。
徳川家康、来島(久留島)康親に豊後森を、竹中重利に府内を、毛利高政に佐伯(さいき)を、
木下延俊に日出(ひじ)をを与える。
肥後国の加藤清正、天草郡の替地として、豊後国大分郡・海部郡・直入郡の内に領地を与えられる。
小川光氏、日田・玖珠の内二万石を与えられ、日田月隈山上に丸山城を築く。
細川忠興、豊後領の検地を行う。
大野郡(南海部郡)木浦鉱山が発見される。
キリシタンの迫害があり、ベネディクチノが拷問で死亡、六人が長崎に追放、ペトロ=カスイ口=
岐部がマニラに追放。