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●寛永11年(1634)
●寛永13年(1636)
●寛永15年(1638)
●寛永16年(1639)
●寛永19年(1642)
●寛永20年(1643)
●寛永9年(1632)
幕府、幕府領に巡見使を派遣。幕府、小笠原長次に豊前国中津を、弟忠知に豊後国木付を、
松平重直に豊前国龍王を与える。
細川忠利、肥後国を与えられ、豊後国内にも飛地領を持つ。
2月22日−幕府が前長崎奉行で豊後府内藩主竹中重義を改易,江戸・浅草海禅寺で自害させる。
日根野吉明(よしあきら)、由原放生会(ゆすはらほうじょうえ)に市を復興、浜の市と名づける。
前年発生の天草・島原の乱で板倉重昌戦死を聞き、府内藩日根野氏、肥前国有馬に出陣。二豊(豊前・豊後)
諸藩もそれぞれ出陣。
豊前国龍王城主松平重直、自領の豊後国高田城に移る。
日出藩藤木下延俊没し、遺領二万五千石を長男俊治に、五千石を二男延次に与える(立石領)。
高田松平重直没し、遺領を長男英親に、三千石を二男重長に、二千石を三男直政に与える。