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●延享2年(1745)
●延享3年(1746)
●宝暦5年(1755)
●宝暦6年(1756)
●宝暦9年(1759)
●宝暦10年(1760)
●延享元年(1744)
9月−岡藩が中沢三郎左衛門を総奉行とし藩政改革に着手する。
幕府領日田の代官岡田俊惟(としただ)が農民の相互扶助を目的とする助合石代銀
(たすけあいこくだいぎん)制を行う。
2月24日−日田郡の幕府領農民700人余が浮羽(うきは)郡吉井町に逃散する。
日田郡馬原村元庄屋穴井六郎右衛門、日田代官を幕府に直訴(逃散も含め「日出・玖珠郡一揆」)。
7月8日−幕府が,追放者や欠落者が長崎に入って悪事を働くとして,彼らの長崎立入禁止を
九州などの諸大名に命じる。
三浦梅園が杵築(きつき)藩領で飢饉にそなえて慈悲無尽講をつくる。
2月−九州の幕府領を管轄する西国郡代が創設される。
玖珠(くす)郡の渡辺綱任(つなとう)が農書「農業日用集」を著す。