●嘉永2年(1849) 臼杵藩、「海岸深浅図」を幕府に提出。 ●嘉永3年(1850) 豊後国北東部に大風雨。杵築藩では飢人20,000人。 府内藩領駄原(だのはる)村重兵衛、大筒の鋳造により1人扶持を給与される。 ●嘉永6年(1853)賀来惟熊(かくこれたけ)、島原藩領宇佐郡佐田村で大砲を鋳造。
●嘉永3年(1850) 豊後国北東部に大風雨。杵築藩では飢人20,000人。 府内藩領駄原(だのはる)村重兵衛、大筒の鋳造により1人扶持を給与される。
●嘉永6年(1853)賀来惟熊(かくこれたけ)、島原藩領宇佐郡佐田村で大砲を鋳造。