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●文化元年(1804)
●文化2年(1805)
●文化3年(1806)
●文化8年(1811)
●文化9年(1812)
●文化10年(1813)
●文化14年(1817)
●文政4年(1821)
●文政8年(1825)
杵築藩領両子(ふたご)手永の農民298人、島原藩領に逃散。
杵築藩、大庄屋制を廃止し、年番庄屋制を採用。
儒者広瀬淡窓が私塾成章舎を開く。
杵築藩、郷中諸法度16カ条・郷中制禁条々24カ条を命令。
臼杵藩、中西右兵衛を「勘定方惣(総)元〆」とし、増税策を実施。
佐伯藩の関谷隼人、財政改革を行う。
11月18日−岡藩四原地方の農民が、専売制などの新法に反対して強訴し、付近の諸藩領・
幕府領に波及する(党民騒動。翌年3月まで続く)。
12月20日−臼杵藩の農民が、運上(雑税)の軽滅などを要求して庄屋・問屋などを打ちこわす。
1月−前年11月岡藩の一揆が豊後国内一円に波及し、豊前にも続発する。
3月13日−文人画家・岡藩士田能村竹田が、由学館(ゆうがっかん)総裁となる。
2月−儒者広頼淡窓が私塾を移転し、咸宜園と改称する。
5月14日−府内藩で、庄屋の内作使役制を不満として強訴がおこり,不正庄屋は処分される。
6月8日−府内藩が領内藩札を凍結させ、正金銀・他国藩札の通用を命じる。