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●寛永4年(1627)
●寛永11年(1634)
●寛永14年(1637)
雑太(さわた)・羽茂(はもち)両郡幕府領の農民総代が公定収穫高の斗代(とだい)改正に反対し,
越訴する。
味方孫大夫は、幕府から銀675貫余りを借入れ、水貫樋260艘をつくり衰えかけた銀山を復興する。
水上輪(みずあげわ)による排水法を取り入れ、数万トンの水で埋まった割間歩(わりまぶ=相川鉱山最大
の鉱帯の名称。)の水の汲み上げを可能にした。