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●宝永2年(1705)
●宝永4年(1707)
●宝永5年(1708)
●正徳2年(1712)
●正徳3年(1713)
●正徳4年(1714)
江戸商人飛騨国山林の十カ年伐木を請け負う。これに反対して元伐場(もときりば)人夫が強訴する。
美濃・飛田両国で大地震。美濃の被害は潰家400余軒。飛騨の平湯(ひらゆ)鉱山が廃坑となる。
高山の俳人江げき、『久羅井山集』を著す。その派を雲橋庵(うんきょうあん)という。
伊奈忠逵(ただみち)飛騨代官、飛騨三郡(吉城・大野・益田郡)の鉱山調査書をつくらせる。
益田(ました)郡の幕府領内阿多野(あたの)小坂(おさか)郷48か村の農民が,江
戸町人との材木伐採請負の継続をめぐって江戸に越訴する。
飛騨茂住(もずみ)銀山不振となる。鉱夫の多くは増谷間歩(ますやまぶ=鉱脈)、鉛山(なまりやま)
へ転じたり、焼畑の耕作をする。