東アジア 1910年
1895年
日露戦争に勝利した日本は、ロシアが勢力を伸ばしていた満州に進出するとともに、日清戦争当時から軍隊を駐留させていた大韓を併合した。
義和団事件以後の列強の租界、鉄道敷設などによる権益争いが激しさを増す中、清朝政府の改革や民主化運動、排外運動も起きるが、混沌としてまとまりがつかず、武力を背景とした袁世凱などの軍閥が力を持つようになる。
日露戦争により、極東南下政策が挫折し、ドイツ、イタリアなどと協議し、バルカン、中近東での南下政策を進めることとなる。
イギリスは中国で広大な権益を手に入れ、清朝に対しても強い交渉権を持っていた。 フランスはインドシナ(ヴェトナム)を足がかりに出遅れた中国に進出しようとしていた。植民地活動では完全に出遅れていたアメリカも、1898年にフィリピンを植民地化し、1899年には中国に対し、門戸開放を訴え、権益確保に動き出した。
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