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THE SEVENTH EMIGRANT |
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沖縄を考える 沖縄で考える |
『うるま新報』 「社説」1951年2月2日 「沖縄は国連の信託たるべし」 対日講和条約が次第に現実の問題になって来るにつれて、沖縄処理問題が日本においても熱心に議論されるようになった。日本政党もそれぞれの立場と見解から日本帰属を説き或は米国租借を唱えているが、これらの日本的見解はけっしてそのままわれわれの見解にならないことは当然である。 日本的見解は琉球の歴史的或は国民感情的なところから説き起しているが、われわれ現地にある琉球人そして沖縄人のこの問題に対する見解は遥かに形而下的な日常生活の見地から立論せねばならぬ。そこに当然の差異が生じて来るはずである。 われわれはアメリカにコビる必要もなければ、同様に日本に感傷を送る必要もない。あくまで現実に琉球或は沖縄に住む全人民の生活の再建を脚下の目標におかねばならぬところにわれわれの人間としての生々しい叫びがあるのである。 第二次大戦によって生活をゼロにされた沖縄の人たちがその生活を元通り取り返すことは4、5、6年で簡単に出来るものではない。1952年末には沖縄経済が自立出来るようにいろいろと考慮が払われているが、この目標が達成し得るか否かについては、沖縄群島政府首脳部においても否定的である。 沖縄の破壊は日本国民の責任であるから、その復興は日本に帰属して日本国民のせき任において為さしめればよい、と言ってみたって、無い袖は振れぬ。結局は豊かなアメリカの援助によってなされているが、これも最後までアメリカにせき任があるわけのものでもない。 第二次大戦が誰のせき任であったから、その方に破壊された沖縄再建の責任を負わせろと主張してみたって、今更どうにもならないことである。 そこで筆者がここで提唱したいことは、破壊された沖縄の再建は第二次大戦に参加した諸国の責任において遂行して貰うことにし、沖縄を国連信託とし、国連に沖縄復興のせき任をとらしめることを実現するよう努力すべしということである。そして国連信託となったその後において国連においてアメリカの単独統治とするか否かは、国連における決定にまつ外はない。 遠き将来において沖縄或は琉球が独立し得れば独立でもよし、或は日本帰属するかアメリカに帰属するかは、その時における情勢によって全人民の意志によって決定すればよい。 沖縄住民が現在のみじめな生活から如何にすれば1日も早く抜け出し得るか、その方法をけつ定しようという重大問題に立ってわれわれは、近き将来に対する国際情勢の見通しと、目下の沖縄の状態についての認識から、あくまで現実的な結論を得なければならぬ。そしてそのためには虚心たんかいに意見をたたかわすべきである。 『沖縄タイムス』 「社説」1951年2月3日 「琉球の帰属」 ダレス特使の日本訪問が日本との講和条約締結を急速に実現するための準備であることと、戦勝国たるアメリカが敗戦国たる日本に対し条約案の無条件受諾を押しつけるような態度を避けて対等の立場に於て日本側の希望に耳を傾けるという態度をとって居ることは日本国民に好印象を與えて居るようである。 勿論アメリカがそういう態度をとって居るからというて日本の言い分を全部受け入れるはずはない。アメリカの国策の線にそい得るもの又アメリカとして為し得る範囲のものしか容にんしないであろう。 日本の朝野は挙げて講和後の経済援助と国連による安全保障の確にんと琉球、小笠原、千島の返還等を要望し、吉田首相からダレス特使に希望を述べたと伝えられて居る。その中で琉球住民にとって最大の関心事となっているのはわが琉球諸島の帰属問題である。 自分らの政治的運命が決定されるのに無関心で居れるものは一人として居ないはずである。今まで沈黙して語らないだけのことであって意志表示を求められたら必ずやこうありたいと希望する独自の考えが示されるに違いない。しからば日本に帰るのを希望するか或はアメリカの信託統治を希望するか、を直に数字的に表明することが出来るかという段になると未だあえて民族の問題として取り上げて論議されたことがないので明確に示すことは今のところ不可能であり、必要とするなら人民投票を行なう外はないであろう。 日本帰属を希望するものは郷愁といったような感傷から出ただけのものでないことは明らかである。琉球人が日本人とは人種言語風俗慣習を異にする異民族であると思って居るものは琉球人の中には恐らく一人も居ないと思う。 もし異民族であると考えて居るならば同じく異みん族であるアメリカの統治下に入ろうが日本統治下に属しようが、異みん族の支配をうけることには何ら変りはないのであるから、特に日本に帰ればアメリカ以上の経済援助が受けられる見通しがない限り日本帰属の希望は戦前日本の領土であり、日本国みんの一部であったという感傷から出たものに過ぎないという見方も誤っては居ないであろうが、琉球人が日本人と同一みん族であるという所謂血のつながりと、政治的自主心をもちたいという民族の政治意識は前途に如何なる苦難が積って居ても敢然として乗り越えて行こうとする精神を湧起せしめる。これが日本に帰りたい願望となってくるのではないか。 アメリカの経済援助は琉球の復興に絶大なる恩恵を與えて居ることは言うまでもないが、琉球が日本に帰った場合、日本には琉球の復興を助ける力はないという考え方からアメリカに帰属した方が琉球のためには利益であるとして信託統治を希望するものも居るはずである。人は顔貌が異ると同様にものの考え方も違ってくるのは当然であり其処に衆民討議の必要も生じてくる。が、琉球が日本に帰った場合には経済的援助は望まれないという見方は僅か独断の嫌いがありはしないかと思う。というのは日本の朝野が琉球の返還を要望して居る事実から推して将来その希望が幸いに容れられた場合、琉球の復興は日本政府および日本国民の責任となってくるし、殊に1945年の沖縄戦が日本のための一大犠牲であった事実に対する国民的良心を喚起せずにはおかないと思う。 それで現実の経済的援助の問題だけでアメリカの統治を希望し或は日本帰属を希望するという態度であってはならないと思う。民族の政治的自主性という違い慮りによって冷静に考えなければ吾々自らは勿論子孫のためにも賢明とは言えない。 吾々は経済的自立を要請されて居る。これはいうまでもなく自分の力で自分を養って行くことである。人間として民族として当然のことであり、何時までも外国の援助を仰ぐことばかり考えると知らず識らずのうちに乞食みん族に堕してしまう。吾々は経済的自立を念願するがそれは必然的に政治的独立への願望ともなってくる。 琉球帰属はどうなるかは一にアメリカの意志によって決定される。日本の政党方面では琉球の主権及び領土権は日本に帰して貰いアメリカの必要とする軍事基地は租借の形式をとるという希望も出て居るようであるが、アメリカのアジアに於ける国防第一線がアリューシャン、日本、琉球、台湾、比律賓の線におかれて居るという冷厳なる事実と国際情勢とを吾々は正観し、如何に運命づけられるかを自らの判断でにん識してこれに対処する心構えを整えておかなければならぬ。希望と現実とは同一ではない。 琉球新報1969年10月1日<広告> 沖縄は沖縄人のものだ!われわれは日本復帰を急がない 沖縄の日本返還を求める日米交渉は目前に迫っている。けれどもそれと共に、近頃かえって「復帰不安」という言葉を耳にするようになったのは、どういう訳だろうか。 復帰不安ということは、日本復帰に際して経済の変動からくる生活の不安と、住民の一人一人が、経済混乱の波に巻き込まれる恐怖を言っているのであるが、日本復帰をすれば、とうぜんわれわれ沖縄人が戦後二十数年もかかって、灰爐のなかから営々と築きあげてきた政治と経済の機構が、その場でひっくりかえる訳であるから、住民のすべてが、そのあおりを喰うであろうことは言うまでもない。そして、その経済変動はやがて混乱し、住民の中から破産、倒産者が続出し、失業者はちまたにあふれ、お互の生活が苦しくなることは想像に難くない。 ところが、現在の沖縄の政治家は日本復帰を叫ぶに急いで、それに伴なう経済混乱をどう切りぬけるかという具体案を示したものは一人もいない。まるで「日本復帰をすれば、沖縄人はその日から幸福になれるのだ」と言わんばかりである。沖縄の帰属を決定するという日米会談ですら、基地問題に終始して、かんじんな沖縄の経済や、沖縄人の生活不安の解消については、なに一つ話し合われていないのである。−それから考えると、沖縄人の生活は、沖縄人自身の手で守らなければならないということが、はっきりわかる。 沖縄は沖縄人のものでありながら、われわれは何故、この場になって、外部からの都合のために、お互が生活不安のおびえなければならないのであろうか。−われわれは間違っていたのではないだろうか。 もし、そうだとすれば、われわれはここで日本復帰によって一人の犠牲者も出さないために、いま一度とっくり考えてみる必要がありはしないか。−いたずらに復帰を急いで、生活の破綻と、多くの犠牲者を出すより、一歩しりぞいて適当な時期を待つべきではないだろうか。−だから日本復帰は、すべての沖縄人が日本本土と同等、あるいは本土以上に、ひとりひとりが自分の立っている経済基盤を、がっちりと固めたのち考慮されるべきであり、その時期は10年後、あるいは20年後になっても構わないのである。 人間にとって、生活はすべての欲求に優先する。生活あっての人間である。もし、その生活を、日本復帰のために失うものがひとりでもあるとしたら、われわれは同じ沖縄人として、ただ腕をこまぬいて傍観してよいものだろうか。――その為にもわれわれは、お互同士、準備のない日本復帰を避けなければならない。 ことに現在の沖縄の経済は、おそらく有史以来ではないかと思われるくらいな繁栄の途上にある。この繁栄は、われわれ沖縄人が自らの手によって築いたものである。おそらく今後10年、あるいは20年もすれば、沖縄は東南アジアの一角に、特殊な文化と経済をもつ楽土を建設するだろう。われわれは今、その光明に向かってまい進しつつあり、沖縄の現在の政治経済の制度は、すなわち、その発展の可能性を保障するものである。 したがって、さらに繰りかえすが、日本復帰を急いではならない。――1972年は復帰の年だとされている。しかし、われわれは1972年こそ、「日本復帰を急がない」というわれわれの要望に世界を示し、かつ貫徹する為の「住民投票」の年にすべきである。 沖縄人の生活と、沖縄の繁栄、そしてお互の幸福は、われわれ自身の手によって守り、築き、つかむほかはない。われわれはそのために、沖縄人同士ともに手をとって決起し、適切な方法により、日米両政府をはじめ関係者に対して、具体的行動をおこそうではないか。 右の意見に同感の方は、発起人か、または左記事務所までご連絡下さい。 1969年10月1日 沖縄人の沖縄をつくる会(責任者 崎間敏勝) 沖縄人の沖縄をつくる会(仮称) (発起人)当間重剛 山里永吉 宮城仁四郎 仲泊良夫 長嶺春景 宮里春行 照屋朝敏 屋比久孟吉 宮城能造 吉浜照調 久場長文 瀬田米三 東 常雄 謝花建徳 儀間優卓 島袋永徳 中村朝喜 知花親明 当山正輝 平良雄一 中村亀助 宮城嗣吉 照屋敏子 荒垣政二 牧 武次 湖城雲峰 坂井 律 仲本清智 城間盛徳 下里恵良 玉城要介 中村 勉 池原茂男 新垣安盛 松本完正 伊江朝陽 宮平守秀 比嘉正義 儀武息茂 親里栄通 金城唯仁 石原昌英 知念正輝 我那覇生英 山本宗盛 儀間真栄 柴喜与秋 上原亀助 崎間敏勝 |
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【沖縄からの提言2011】 脱「沖縄依存」の安全保障へ 国際環境の激変と3・11を受けて 新崎盛暉/我部政明/桜井国俊/佐藤 学/星野英一/松元 剛/宮里政玄(あらさき・もりてる1936年生まれ、沖縄大学名誉教授・現代沖縄史/がべ・まさあき1955年生まれ、琉球大学国際沖縄研究所所長・国際政治/さくらい・くにとし1943年生まれ、沖縄大学教授・環境学/さとう・まなぶ1958生まれ、沖縄国際大学教授・米国政治/ほしの・えいいち1953年生まれ、琉球大学教授・国際政治経済/まつもと・つよし1965年生まれ、琉球新報編集局政治部部長/みやざと・せいげん1931年生まれ、沖縄対外問題研究会代表・国際政治) 日本社会は、原発が安全で安価だとの神話に基づく思考停止から、いま必死で脱却しようとしている。3・11は、あらゆる面で思考停止からの覚醒を求めている。日本の安全保障は、東北への原発の押しつけと同様に、沖縄に過大な犠牲を強いてきた。米国に依存していれば安全だという思考停止からいまこそ覚醒し、平和で安定するアジア太平洋の秩序構想を追求すべきだ。 はじめに−分水嶺に立つ日本へ 東日本大震災から6ヶ月を迎えるなか、その収束への筋道が見えない。一部で復興の兆しはあるものの、3・11以前へ戻ることはない。多くの人命とともに、人々の暮らしを育んできた町や村が一瞬にして失われた。そして、生き残った人たちの土地への記憶すらも奪われようとしている。 66年前、沖縄戦は、緑の陰影に富んでいた沖縄島の風景を眼を刺す光が乱反射する埃と泥の荒景へと変貌させた。日米両軍の衝突の合間で、20万人以上の死者を出し、沖縄県民の4人に1人が亡くなった。66年という長い年月が過ぎたにも拘わらず、沖縄の人々は沖縄戦の悲劇から解き放たれてはいない。沖縄戦の過程で建設された米軍基地が今なお存在し、現代の沖縄を戦争へ縛りつけているからだ。 過去の出来事によって失われたものが戻らないとすれば、復旧・復興ではなく、人々の繋がりを基礎にした新たな地域づくり、そして国づくりをめざさなければならない。再生というよりも新たな日本づくりである。その方向を見つけ出し、行動へと動きだし、成果を出すには、中長期的見通しが必要だ。過去へ戻るのではなく、新たな日本社会を築く方向への決断が、今、求められている。3・11は、東北だけでなく日本全体の転換を促しているのだ。 3・11は、地震と津波という自然の力によって引き起こされた。しかし沖縄の米軍基地の集中は、人為の結果である。そして、沖縄の人々が望んだ結果として米軍基地が存続しているのではない。後述するように、原発建設への人々の対応とその結末は、沖縄における基地問題への人々の対応とその結末とは異なるところがある。 しかし、今回の事故を機に注目を集めるようになった福島をはじめとする原発立地地域の犠牲への対応と、沖縄の米軍基地を前提とした日本の安全保障政策の犠牲への対応には、共通点がある。生き残った者が今までに何を為し、これから何を為そうとしているのか、つまり、3・11以後の新たな日本社会の構想こそが問われているのである。 以下では、戦後アジア太平洋秩序のなかで形成され、展開されてきた安全保障政策を沖縄から再検討し、あらたな視点を提供したい。 1.戦後国際秩序への新たな挑戦 アジア太平洋地域の戦後秩序は、米英ソの軍事力を前に敗北したドイツ・イタリアとその周辺諸国を巻き込んでできあがった戦後ヨーロッパ秩序形成とは異なる道を歩むことになった。2つの多国間安保体制の対峙しあうヨーロッパ秩序に対し、この地域では米国を軸とした同盟国との間のハブ・アンド・スポーク体制(米国が東アジアの親米政権との間で個々に2国間同盟を結び、アジアの各国同士の安全保障が欠如した秩序を、車輪になぞられてそう呼ぶ)と、協力と対立をくり返してきた中国とソ連の対抗勢力との間で織りなす冷戦秩序が進行した。 (1)沖縄の犠牲に依拠した戦後秩序 冷戦の終焉以前から、この地域は秩序変動に見舞われ始めた。とりわけ社会主義経済の行き詰まりを経験しつつあった中国やソ連は、資本主義の国々との経済的、政治的な関係改善を推し進めていた。その結果、冷戦の対抗軸からは脱落したものの、両国は現在、新たな存在感を示しつつある。中国は市場経済を導入し、世界中に工業製品や加工製品を供給する「世界の工場」となり、13億の人口が巨大市場へと成長しつつある。社会主義ソ連は、崩壊後15ヵ国へと分離しながらも、軍事的には「大国」を自認するロシアが国際秩序の維持勢力の一翼を担っている。 アジア太平洋地域の米国の同盟国は、冷戦終焉後も自らの国家体制をほとんど変更せずに世界経済との結びつきを深めていき、グローバル化の恩恵を受け、同時に激変する貿易・通貨による脆弱性をさらけ出した。とりわけこの間、米国との2国間安全保障に依存するアジア諸国と同盟国へ軍事的関与を提供する米国との間で秩序が維持され続けてきた。そして、覇権を提供する米国への依存を深めてきたため、これらの国々は自らの地域の秩序の構築や安定への主体的行動の素地を持たないままである。 同盟国への米国の軍事的関与は米軍プレゼンスである。アジア太平洋における米軍プレゼンスはこれまでも、今もなお、沖縄の基地に象徴されている。そのことが意味するのは、沖縄に米軍が存続する限り、アジア太平洋地域の安全保障について、地域の各国が自ら考える機会が失われているということである。つまり、この地域にある各国の安全保障政策は、沖縄に甘えることで、自らの負担と危険を回避することが可能となった。米国の覇権は、アジア太平洋地域では米軍プレゼンスに支えられ、それが沖縄の犠牲の上に成立したのだ。米国の同盟国は、米国覇権へフリーライド(ただ乗り)するために、沖縄を踏み台に使い続けてきた。 (2)中国の台頭と新たなる国際秩序構築 こうした戦後国際秩序は、今、挑戦を受けている。それは中国の台頭によって起きたものだ。中国の軍事力強化に対し、各国は米国の軍事関与の安定化と強化を求める方向にある。南シナ海における中国の関わる領有・領海問題において、この傾向は顕著に見て取れる。短期的にみて、中国以外の他の紛争当事国が優位になることは困難であり、米国関与によって現状が維持されるだけで、不安定性さは改善されない。むしろ、紛争当事国の間での武力衝突の可能性が高まっている。中長期的にこの地域内の秩序を安定化させ、変化に対応できる協調メカニズムを構築しなければならない。これらの国々は、自らの地域において米国にどのように関与してもらいたいのか自ら構想し、米国の関与のあり方をめぐってさまざまな協議を進めるべきだ。こうした挑戦に対する私たちの答えは、以下の3つである。 第1の答えは、多国間の安全保障体制の構築への行動である。一つのアジアという歴史的経験の欠如や東アジアへ向かう地域規範の希薄さが、米国を軸とするハブ・アンド・スポーク体制をこれまで後押ししてきた。現実には、経済やエネルギーの相互依存が深まる中で、アジア太平洋地域における共通の利益は増大している。共通の利益を見つけ出せるのは、利益をめぐる交渉が行われる多国間での協議の場(フォーラム)である。その場を通じて、各国の利益に基づく主張がなされ、なんらかの合意を得るための駆け引きが行われる中で、共通の利益が浮かび上がる。このようなフォーラムでの交渉過程こそが、多国間安全保障体制の構築の行動そのものなのである。とはいえ、アジア太平洋地域における多くの国々は、フォーラムを効果的に使いこなせるほど多国間交渉に習熟してはいない。交渉をファシリテイト(促す、手助け)する知識と技術が必要なのである。 これまでの2国間で行われるハブ・アンド・スポークの場合では、こうした技術は不要とされ、米国の妥協を引き出すための言い訳だけを懸命に探し出してきた。米国の関与のあり方そのものが、多国間のフォーラム形成の障害となってきたのだ。平和の可能性をこれまで以上に高める安定的な国際秩序の形成にむけた政治的意志が不可欠だ。 第2の答えは、アジア太平洋諸国が地域の安全保障に責任を負うという当事者意識を持つことだ。この地域の安全保障を論じるとき、各国の安全保障は軍事力を増強してセルフ・ヘルプ(自助)を高める方法か、同盟を進めて大国による関与を招き入れる方法の2つの方法で論じられてきた。こうした考えは、主権国家が構成する主体であるとの前提に立つ。そこでは、主権国家が一枚岩として想定され、国家間の経済力や軍事力の比較を通じて各国の安全保障が論じられている。人々の周辺諸国への理解が変化しても、国家間の安全保障上の関係は変わらないとする立場だ。われわれの人間社会とは異なる考え方である。 相手国やその国民をどのように理解するのかによって、関係は変化する。アジア太平洋の秩序形成と維持に対し、当事者としてどのように表現にし、行動するのかが重要である。当事者としての言葉と行動の相互作用の中から、共通の利益と規範を創出できる。経済のグローバル化は、通貨、通商、通信(インターネットを含む)などの空間に浸透している。アジア太平洋の一体感は高まることはあっても、弱まることはないだろう。これらの地域を包み込み、ときには地域を越えるさまざまなレベルにおいて、地域の一員、地球の一員としてのアイデンティティと規範を生み出すことが可能となっている。 第3の答えは、軍事力によるバランスを重視した場合でも、アジア太平洋地域を安定化する方法があるということだ。それは、いわば「地域」大国として、たとえば中国と米国が均衡するときである。米国が「世界」大国として行動するとしても、アジア太平洋における「地域」大国がいれば、ある種の均衡を実現できる。もっとも危険なのは、力の均衡が予想を超えて動き出すときだ。それを回避するには、各国の軍事力の透明性を高めることが不可欠だまた、各国の軍事力についての適切な評価が、戦略的思考のボトム・ラインになければならない。さらには、各国の安全保障を考えるとき、軍事力による解決がそのコストに見合うのかどうかについて合理的な判断を求め合うことが重要だ。そのための軍事交流は重視されるべきだろう。それでも、出口がないと思ってしまうとき、今しか勝利はつかめないと思って武力行使へ突き進む事態があるかもしれない。もう戦争しかないと思い込む愚かな判断から、生き残ることを最優先する賢さが安全保障の基本となるべきだ。 2.米国の変容 G・Wブッシュ政権末期以来、米国政治は、予想せぬ速度で変容を続けている。今後の日米関係を、より健全にするためには、米国で起きている事態をきちんと把握することが必要である。 (1)米国責務上限引き上げをめぐる混乱が示すもの 2008年大統領選挙で、オバマは、米国の救世主であるかのような期待を担って当選した。しかし、2010年の議会選挙で、共和党が下院多数派の地位に返り咲き、また上院でも議席を増やした。米国有権者は、オバマに2年間の猶予すら与えなかった。この共和党勝利の原動力は「茶会」運動であった。反税、反ワシントン、そして極端な「小さな政府」主義者の連合である「茶会」運動は、共和党の財政政策の座標軸を保守へと動かしただけでなく、米国全体の政策議論の基調を変えた。 茶会運動に直接支援された共和党議員は、党内で圧倒的少数である。しかし、彼らの掲げる「小さな政府」原理主義は、共和党主流派が軽んじることのできない、党にとっての「錦の御旗」であり、その反税思想は、今年8月の債務上限引きあげ合意の枠組みを強く規定した。 今回の合意は、実質的な削滅を、11月までに結論を出す超党派特別委員会決定に先送りした、債務不履行を防ぐだけの一時凌ぎ策に過ぎない。この委員会で消滅案が合意できないと、一律消滅がなされ、その場合、軍事予算消滅額は、向う10年間で、国防総省が想定している4000億ドルの2・5倍、1兆ドルに上る。 従来、共和党は軍事予算を維持するタカ派が主流であった。しかし、「茶会」は、軍事・外交よりも財政均衡、赤字消滅を重視する。ブッシュ時代の軍拡への国民的反発もあり、共和党ベイナー下院議長の軍事予算維持を目指した案が、党内の支持を得られなかった状況が、「茶会」を超えた流れの強さの証である。 一方、民主党は、医療・福祉予算死守を、存在意義を賭けた闘いとする。こうした米国政治の情勢から、軍事予算の大幅消滅なしには、11月の合意は不可能である。 長期的な赤字解消策が実現しなければ、究極的には、米ドルの共通通貨としての地位喪失に繋がる。ただ、ユーロが極度に弱体化し、円が今後ドルに代わりうるわけもなく、人民元は到底共通通貨足り得ない状況は、米ドルが弱体化しても、なおかつ消去法により現在の地位に留まることを暗示する。また、米国には、1970年代から増加し、レーガン政権下で深刻化した財政赤字問題に関して、クリントン政権最後の2年間に単年度赤字を解消した実績がある。米国には、経済成長の実現と、民主党大統領すら福祉予算消滅を行う、現実的な、あるいは無慈悲な政策転換が可能である。米国経済も政府財政も、このまま没落はしないであろう。しかし、その下での財政・予算構想は、大きく変わる。 (2)グアム移設関連予算削除の意味するところ 今年7月に、米国上院は、2012会計年度軍事予算案から海兵隊普天間基地のグアム移転関連予算を削減した。本稿執筆時点で、最終の予算がどのようになるか未定であるが、政府財政赤字消滅が最大の争点となった現在、米国議会に、グアム・辺野古移転への明瞭な反対の声が出たことは間違いない。 金融危機時にしきりに説かれた米国資本主義の終焉、というような事態は起きなかった。しかし、ゲームは確実に変わった。現在、米国議会が取り組んでいる歳出削減は、新たなゲームにおいても米国が優位を保ち続けるためである。だからこそ、軍事予算も消滅対象となり、優先順位の付け替えが行われる。グアム関連予算の削減は、米国軍事政策における、海兵隊新基地建設の優先順位が大きく下がったことを意味する。 現在の財政赤字問題は、ヴェトナム戦争以来の傾向を踏襲するならば、今後10年間は続く。米国政策の基軸は動いたのである。日本がその現実に眼を瞑って、ひたすら現状維持を望んでも相手は立ち止まっていてはくれない。 米国の後押しで、中国と軍事的に対峙する、そのために沖縄の基地を米国に提供するという考え方は、中国が米国籍発行総額の4分の1、日本の1・5倍を保有し、また米ドルの保有額でも、中国が日本の3倍で、世界最大である現実を踏まえていない。一方、中国は米国の貿易相手国として、1位カナダ、3位メキシコという、北米自由貿易協定加盟国に挟まれた2位でしかないのに対し、米国は、中国の輸出先として、2位香港の1・5倍、3位日本の2倍という、圧倒的な市場である現実もある。両国の経済は、典型的な相互依存関係なのである。 日本が、米国、中国との関係を、この現実に即した政策に転換しなければ、米国の「本音」が表に出た時に、「ニクソン訪中」のような、青天の霹靂に見舞われかねない。 3.日本の変化:政権交代と3・11 日本における2つの大きな変化として、2009年9月の政権交代と3・11以降の一連の出来事を取り上げる。 (1)政権交代後も変わらぬ課題 まず、現在の日本は政権交代以前と同様の課題をかかえていることを確認しておきたい。 バブル経済崩壊以降の失われた10年とその後の日本経済の低調にもかかわらず、大企業の業績は悪くなく、しかし労働分配率は低いままだった。平均的な国民の苦しい暮らしとは裏腹に、官僚の天下りが目に余るものと映り、官僚支配からの脱皮が必要だと思われていた。国民が2009年の総選挙を政権交代の選挙と考え、そう投票したのは、官僚主導に代わって政治主導で改革を進めることを民主党が掲げていたからであった。ドブ坂選挙や利益誘導に代わってマニフェストに基づく政策論争で選挙を戦い、二大政党制を定着させること。密室政治に代わって情報公開を進め、国民に開かれた民主主義を実現すること。長年の自民党政治に限界を感じ、民主党の可能性にかけた有権者の思いが、政権交代の原動力であった。 政権交代後、普天間の県外・国外移設という公約を実現しようとした鳩山首相の問題提起は評価できる。しかし、鳩山首相は自らの公約を完全に覆して、辺野古に新基地を建設する日米共同声明に合意し、辞任した。鳩山首相が批判されるべきは、「県外・国外」を公約として挙げた点ではなく、それを実現する準備も覚悟も全くないまま、既定路線を推進する官僚の思うままになった点である。鳩山首相がマニフェスト実現に向けて努力していたように見えたのに対し、後継の菅政権は国民が政権交代に期待していたものを次々と手放していった。消費税増税論、官僚依存、情報公開後退など、国民の政治不信を政権交代以前よりも深めてしまい、政権の政策遂行能力を劣化させた。 対米関係では伝統的な交渉スタイルを維持し、米国内に既定路線変更の議論が出てきているにも拘らず、そして沖縄県内では県内移設に対する反対の世論が明確にあるにも拘わらず、既定路線にしがみつこうとしている。日本が期待するものをアメリカが常に提供し続けてくれるとは限らないのに。 (2)3・11が明らかにしたパワーの低下 私達は、3・11の地震、津波、原発事故を経験して、沖縄と福島の類似性、政策遂行能力の劣化、そして日本のパワー(国際社会における存在感)の低下が明らかになったと考える。 沖縄と福島の類似性を指摘する言説が目に付くようになった。この国の政治は、平和の問題も安全の問題も、特定の、それも所得水準の低い地域に地域に押しつけ、補助金や交付金という名の税金を使って「納得」させることで、根本的問題に取り組むことを避けてきた。国民が平等に負うべき社会的負担や危険を、こうしたやり方で「解決」することは改めなければならない。 以前から明らかになっていた政権の政策遂行能力の劣化は、3・11以降の復興の遅れ、放射能汚染から国民を守ることの失敗によって、より明確になった。官僚主導から政治主導への移行がうまくいかず、エネルギー政策においても明確な見取り図を示せず、政府の政策決定能力が損なわれていることが露呈した。 そして、日本のパワーの低下。世界は日本の政治の政策遂行能力の劣化に気付き、日本の技術の先進性の神話にも疑いを持ち始めている。それは、社会の高齢化と産業空洞化の危機を前に、日本経済の先行きへの不安に拍車をかけている。安全保障問題でアメリカに依存し、地方を犠牲にする姿勢に「持続可能性」がないという見方も含めて、これらは日本のパワーの低下を意味している。パワーの低下が避けられないとしたら、中ぐらいの国家としての日本に、どのような対外関係が適切だろうか。 4.中ぐらいの日本へ 震災救援にあたり、米軍は、トモダチ作戦と称して、被災地への物資輸送や復旧作業に携わった。防衛省から割り当てられた地域への輸送の他に米軍は、自衛隊との共同指揮のもとで災害救援活動を展開した。この作戦では、日本のメディアを狙い撃ちした米軍との共同活動の意義を広め、多くの国民に米軍の有用性を確認させようとした。同時に、トモダチ作戦に動員された米海兵隊と普天間基地と結びつけて、沖縄への米軍駐留の正当化を狙った。この理屈は、従来と変わらない沖縄利用の再現であった。沖縄では災害救援と米軍基地による負担とは別なことだと冷静に捉えられ、日本のメディアの報道振りとは対照的であった。 (1)支援を受ける国、日本 ここで見過ごせないのは、トモダチ作戦がショウアップされる中で、アジア諸国からの支援が見えにくくなってしまったことである。震災救援の活動は、周辺のアジア諸国が派遣した救援隊にも担われ、そして義捐金も寄せられていた。日本人の多くは、救援やお金などの支援を日本が受ける側になるとは想像もしなかったであろう。先進国・日本は支援を送る側に立つと、長い間、多くの日本人はそう考えてきた。日本を取り巻く国際環境の変化は、3・11以前にも顕在化していた。たとえば、経済大国を象徴する世界第2位を誇った日本の経済規模(GNPあるいはGDP)は中国に抜かれ、1人あたり国民所得ではシンガポールにそれ以前に抜かれていた。特殊な分野以外では、日本の技術力は激しい国際競争に晒され、周辺のアジア諸国だけでなく欧米の技術新興国にマーケットを奪われてきた。 (2)新秩序の担い手としての中国 日本は、冷戦期とポスト冷戦期そして今日なお、米国を唯一の親密な同盟国として米国の側に付いてきた。米国が世界の秩序を担う限り、米国の覇権のもとで経済的繁栄と政治的安定を享受できると考えてきた。9・11以後の米国「一極体制」は、アフガン、イラクでの戦争における躓きと同時に崩壊し始めた。イラクからの撤退を主張して政権についたオバマ大統領にとって、一極後の新たなる国際秩序の構築、そのための米国の位置づけが最大の課題である。 東アジアにおいては、経済的台頭に伴って、中国の政治的、そして軍事的拡張が目立ってきた。とくに安全保障の観点から、中国の軍事力増強による地域の不安定化を懸念する声が、中国周辺の国々において高まってきた。現行秩序の変更を求める挑戦者として中国、秩序を維持する勢力の中核に米国をおき、その側に位置するのが日本だととらえるのが大多数の理解であった。 2011年の東アジアにおける中国の行動は、従来の拡張的な姿勢に加えて、秩序維持の立場を強めつつある。経済的にみれば中国は、グローバル経済に深く組み込まれつつも、貿易、投資、資源の各領域において存在感を高めているのは紛れもない。そして、ゼロサム・ゲーム的に捉えられる領土問題をめぐって中国は、東シナ海で日本と韓国、南シナ海でベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイなどとの間で対立してきた。 つまり、中国の出方によって、地域の緊張が高まる構造が作られてきた。確かに、2010年に中国はこれらの国々との対立を一気に緊張へと高め、そしてオバマ政権の米国との間で厳しい対立姿勢を世界中に見せつけた。しかし、南シナ海をめぐる領土問題では、中国の軍事的存在を前提にした秩序ができあがりつつある。西沙諸島はいうまでもなく、南沙諸島においても、中国は海軍力と航空機をもって2つの大きな島を除く環礁や岩石周辺の実効支配を確実にしてきた。この秩序の中に船舶の自由航行を求める国際法の適用を米国が求めている。中国は米国の主張する航行自由が実現している事実を指摘し、ASEANとの行動規範(CoC)の作成に向けて一致している。中国は、南シナ海でみると、挑戦者から秩序維持勢力の中核的担い手へと変化しつつあるのだ。 こうした中国の変化を捉えることなく、民主党政権の日本は、自民党政権時代に続き今なお秩序変更を狙う挑戦者として中国を敵視し、日米の軍事的補完関係を強化する姿勢を続けている。米国は、1971年の米中国交正常化から40年を迎える中、存在感を急増させた中国との新たな関係構築を求めている。安全保障と経済の観点から、オバマ政権は中国との対立と協調を織り交ぜながらの外交を展開する。同時に、日本、韓国、豪州などの旧来の同盟国と連携し、ASEAN諸国やインド、パキスタンなどとの多国間枠組みを構想しつつある。 3・11後の日本のパワー低下は、物理的なパワーの変化がもたらした現象ではない。前述のような国際環境の変化にも拘らず、対米関係が深まればすべて良しと旧い外交にしがみついてきたため、日本が東アジアでの存在感を自ら薄めてきたことの帰結だ。当事者意識を持ち、多国間フォーラムを効果的に使いこなして、地域を安定化させる新しい外交を創り出さねばならない。近代日本がめざしてきた「大国」意識から脱して、周辺国としなやかな関係を築ける成熟した「国づくり」意識こそ、これからの日本にふさわしい。 5.沖縄の立場 (1)3・11を日本転換の契機に 3・11、とりわけ福島の原発事故は、沖縄に大きな衝撃を広げている。沖縄では、辺境沖縄に在日米軍基地の圧倒的多数を押し付け、日本(国民)は、「偽りの平和」を享受している。と認識していた。ところが、福島の原発事故は、辺境に危険な原発を押し付け、そこから得られるエネルギーで、日本(国民)は、「偽りの豊かさ」を享受していたという、もう1つの構造的差別をも浮き彫りにしたのである。 ただ、両者の間には、押し付けられたものと、受け入れさせられたもの、という差が存在する。もとより現在原発が立地しているすべての地域において、原発誘致反対運動があったと聞く。しかし、甘言、策略、そして電源立地交付金等の力によって、反対運動は押しつぶされ、全国18カ所、54基の原発が林立し、増設決議を行う地方議会までが現れている。 にもかかわらず、ついに原発を拒否した地域もある。住民投票の結果、原発を退けた新潟県巻町がその一例である。沖縄で巻町がよく知られているのは、ちょうど同じ時期、普天間代替施設と称する新基地建設問題に対して、名護市民の意志を党名護市民投票が行われたからである。そしていずれも、反対派が勝利した。だが、巻町の原発建設計画は撤回されたが、名護市辺野古の新基地建設計画は、撤回されなかった。それどころか、現在もなお、名護市民、そして沖縄県民に圧力をかけ続けている。それは日本が、日米関係に関する限り、米側の意向を忖度することなしに自立的意思決定をすることができないからだ。 沖縄は、3・11を、民主的で自立的な日本に転換する契機とすることを願っている。3月下旬、沖縄県庁前で、「思いやり予算を被災地へ」という横断幕を掲げて署名運動を始めた人々がいた。同じころ、3・11を踏まえたパラダイムシフトとして、「自衛隊を国際緊急援助隊へ」という発想もあるべきだ、という新聞投稿もあった。「思いやり予算」は、日米地位協定上は在日米軍が負担することになっている駐留経費を、特別協定によって日本が肩代わりし、今後毎年1881億円を5年間保障するというものである。こうした他の同盟国に例を見ない過剰サービスが、米軍の居心地を良くし、ひいては構造的沖縄差別を続けている。 民主党は、前回はこの特別協定に反対したにもかかわらず、今回北澤俊美防衛相は、「日米同盟は国の根幹で、予算を消滅すれば防衛政策に食い違いが生じる。震災は突発的なもので一緒に論じるのはいかがなものか」と述べ、衆参両院ともわずか一日の審議で民主、自民、公明などの圧倒的多数で承認された。また、7月中旬沖縄を訪問した「新世紀の安全保障体制を確立する議員の会」の前原誠司(民主)、中谷元(自民)、佐藤俊樹(公明)らは、「日米で合意した米軍普天間飛行場の辺野古移設を超党派で推進していく」と強調した。これだけの大災害に直面しながらも、これを転機に新しい日本の在り方を追求するのではなく、既定路線を惰性的に踏襲し続けようとしているのである。 (2)名護から始まる自治追求の街づくり 「沖縄」を論じる言説の中には、特定の意図をもって発信されるものが少なくない。特に中央メディアが発する沖縄観には、基地の島・沖縄を意のままに支配し続けようとする政府の国民向けの印象操作を無批判に下支えしているものがある。その最たるものが、「沖縄社会、経済の基地依存」論であろう。 沖縄に米軍基地を置き続ける「構造的差別」を助長してきた大きな要因の1つに、「沖縄は基地がないとやっていけない」という見方が根深く存在する。全国に流布された誤った常識である。基地関連の経済指標と、基地受け入れと経済振興を取引材料にすることを疑問視する沖縄県民の意識の地殻変動からすると、基地依存からの脱却の流れは押しとどめられるものではない。 米軍統治下、そして本土復帰後も、日米両政府は、米軍基地を安定的に維持するため、基地を受け入れざるを得ない沖縄の社会経済構造を政策的につくり出してきた。日本政府は中央への財政依存が深まるほど、沖縄での米軍基地維持がたやすくなる政策を推進した。 沖縄経済が基地に大きく依存していた時期はあった。1950年代には基地関連収入が県民総生産の50%を超えていた。本土復帰時点では15・5%となり、その割合は減り続け、今では5%前後にまで低下した。 米軍基地が県土全体に占める割合は10・2%、沖縄本島では18・4%を占める。にもかかわらず、基地は5%程度の経済効果しか生み出さない。米軍基地の土地利用の非効率さが歴然としてきた。 普天間飛行場の基地関係収入と、基地外の宜野湾市域の純生産を比べると、基地外が2・5倍に上る。浦添市の牧港補給地区(キャンプ・キンザー)も同様だ。基地を維持するよりも、返還・跡地利用した方がはるかに経済効果が大きくなることは返還跡地の実例が証明している。那覇市の新都心地区は返還前の20倍近い生産誘発額があり、約100人だった基地従業員が4000人近い雇用を生み出す街に変貌を遂げた。北谷町の美浜・ハンビー飛行場跡地の生産誘発額は約300倍に上る。 在日米軍の再編によって、普天間飛行場を含む嘉手納基地より南の6基地が返還されることになっている。戦中戦後に米軍が組み敷いた県内で最も肥沃で平坦な優良地郡である。過大評価を避けるため、沖縄県が厳しいデータに基づいてはじき出した経済誘発予測は、1兆1000億円余に上る。 こうした数値を積み重ねていけば、「悪貨(米軍基地)」が「良貨(民間経済)」を駆逐している実情がくっきり照らし出されてくる。 政府が繰り出す基地絡みの「振興策」は地域を後戻りさせた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の見返りとして投じられた北部振興策は市町村財政をさらなる国依存型に仕向け、名護市の失業率はこの10年で悪化の一途をたどってきた。 こうした中、「海にも陸にも基地は造らせない」と公約した稲嶺進氏が2010年1月に名護市長選挙で当選を果たした。政府が普天間飛行場の沖縄県内移設を推進する上で錦の御旗だった「地元自治体の同意」は崩れた。そして、仲井真弘多知事が同年11月の県知事選挙で、普天間飛行場の県外移設を求める公約に舵を切る。仲井真氏の方針転換の土台には、党派を超えてかつてなく高まった県内移設反対の県内世論と、基地絡みの振興策の「幻想性」を深く認識した沖縄の民意が横たわる。アメとムチを振りかざす「補償型の基地維持政策」の限界とそれを忌み嫌う沖縄の民意が鮮明になりつつある。 米軍普天間飛行場の移設先とされて以来、名護市は、国策と地方自治が鋭く交錯する宿命を抱え込んできた。基地受け入れの代償として獲得する振興策が、主体性ある地域づくりに結びつく否かという根源的な問いを常に突き付けられてきた。稲嶺市長は、原発立地を促す電源三法をモデルとしてつくられた「米軍再編推進法」に基づく基地移設の進展に応じて出来高払いされる米軍再編交付金に縛られない、名護の自治を追及する街づくりを掲げている。 稲嶺市長の当選後、政府は市の公共事業に充てる米軍再編交付金を凍結するなど、露骨な揺さぶりをかけてきた。だが、稲嶺市長は2011年度に再編交付金を計上せず、代替財源で対処する決断を下した。アメとムチに翻弄されず、他人任せでない名護市全体の活性化に向け、街づくりの理想を追求する動きが目立つようになっている。「『誰かが何とかする』ではなく、『自分達でやろう』という意識が必要」という名護市の街作りのリーダーの1人が発した言葉は、沖縄の未来を拓く気既にふさわしい。 沖縄の施政権返還後、四次にわたった「沖縄振興計画」が2012年3月に終わりを告げる。27年間の米軍統治で立ち後れた社会資本整備に政府が責任を負い、道路や空港、港の整備など、一定の役割を果たしてきたが、近年は弊害ばかりが浮かび上がるようになった。都道府県の長期振興計画で、当該自治体に決定権がないのは沖縄だけだ。国直轄から抜け出せない公共事業費は、県民生活に近い教育や福祉には充てられない。全国平均のほぼ倍で高止まりする失業率、全国の5分の1に甘んずる「製造業」比率など、財政投資が民間経済の誘発に結びつかない悪循環を断ち切るべき時を迎えている。 沖縄は、地域の将来を自ら定める「自己決定権」が奪われてきた。だが、ようやく、国の呪縛から解かれ、2012年度から沖縄県が策定する次期振興計画が立案される。沖縄振興の姿は、地域主権と自己決定権を両輪にして様変わりする。厳しくも希望を書かせる沖縄の自治再生の営みは、押し付けられた沖縄観、日本と沖縄の関係性を改める試金石となるであろう。 まとめ 政権交代と3・11を経て、私達は、政治家頼み、政党頼みでは、行政官僚依存の国内政策と米国依存の対外政策という行き詰まりから抜け出すことが出来そうもないことがわかった。政治不信の裏返しとして、政治家が世論調査を利用して政策選択をするかもしれないが、政治家のイメージやパフォーマンスに一喜一憂しても事態は好転しない。 人々の平和と安全を手に入れるためには、地域の社会関係資本(ソーシャルキャピタル)に支えられた地域主権の確立が必要である。地方分権によって「与えられた」予算や権限だけでは不十分なのだ。国民が平等に行うべき社会的コストやリスクを、従来のやり方で「解決」することは改めなければならない。まずは、地域社会と政府の努力によって負担・危険を減らす事、それでも残る負担・危険を地域社会が公平に分担する事が求められている。 沖縄に即して言うならば、旧い安全保障政策を捨て、東アジアの安定と平和に寄写する安全保障政策を打ち立てることだ。旧い安全保障政策とは、沖縄の人々に負担を押しつける日本の安全のあり方である。3・11を契機に日本のエネルギー政策を見直すのと同様に、沖縄に依存してきた日本の安全保障を俎上に載せ、沖縄の人々も日本本土の人々と等しく安全で安心に暮らせるようにしなければならない。原発による電力需給関係でいえば、福島の負担の上で東京が繁栄する構造から決別しなければならない。 東日本大震災からの復興が日本全体の課題であるのと同様に、戦後60年以上にわたり沖縄に甘え、依存してきた安全保障政策からの決別が、日本の課題なのだ。 |
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(『世界』2011年10月号) | ||
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教科書問題 隠ぺいされた八重山史 大田静男(おおた・しずお1948年石垣市生まれ。元石垣市文化財審議院。著書に『八重山戦後史』『八重山の芸能』『八重山の戦争』) 巧妙な手段で歴史否曲 国の責任問わず住民に転嫁 教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)が「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社の公民教科書を選定するまでの手法は、「つくる会」系教科書が採択された横浜市など他地域と同じである。この巧妙な手段がいずれ沖縄にも波及するのは必定だと思っていた。 県内での右傾化は急に起こったことではない。戦争体験者は高齢化し、米軍占領下の基地建設のための土地強奪、人権無視の歴史はかなたに追いやられた。県平和祈念資料館の「住民虐殺」の軍関与を薄めるような展示変更や、慶良間列島での「集団自決(強制集団死)」の軍関与を否定する大江・岩波裁判提起があった。 八重山では与那国町や石垣市の保守首長誕生によって、自衛隊、米軍のヘリコプターが物顔で飛来を繰り返している。 与那国町は積極的に自衛隊誘致を図り、石垣市では市議が市長と連絡をとりあいながら尖閣に上陸した。防衛協会も前面に出て、日の丸を振って自衛隊を歓迎するまでになった。国境の島には国防意識、愛国心、憲法改正を訴える横断幕やポスターがあちらこちらに貼られ、ハトの島はいまやタカの島に大変貌を遂げようとしている。 そのようななかで、教育が狙い撃ちにされたのである。 ■付け入る隙間 育鵬社の歴史教科書「新しい日本の歴史」は、今回選定されなかったものの、琉球(沖縄)の重要な歴史など、国家責任に及ぶものは意図的に隠蔽している。 琉球併合の例を挙げれば、脱清人たちの抵抗や、明治政府が軍隊を派遣して首里城を開城させ、反対運動を弾圧したことなど全くない。 コラム「蛍の光りの歌詞4番」には、「千島のおきなわも やしまのうちのまもりなり…」と沖縄も領土だと紹介しているが、明治政府が琉球処分の翌年、日清修好条規で最恵国待遇得るために沖縄県を解体し、八重山・宮古を清国に割譲しようとした、いわゆる分島案には全く触れていない。 八重山地区の教育委員は果たして、このような歴史を知りながら、育鵬社の教科書を評価したのだろうか。 育鵬社版歴史教科書の隠蔽と狡猾は沖縄記述にも如実に表れている。 日本軍が住民や朝鮮人を殺害したり、銃口を向けたことは一切記述されていない。「米軍の猛攻撃で逃げ場を失い、集団自決をする人もいました」とし、日本軍はまったく関与していないのである。つまり「自決」の責任は住民にあるということである。 八重山の戦争マラリアは、軍が住民を汚染地域に強制的に退去させたことによって起きたが、かつて八重山戦争マラリア特性者慰霊之碑の式典で、沖縄開発庁長官は「戦禍を逃れた数の住民が避難を余儀なくされ…」と弔辞を述べた。 また2006年までの内閣府マラリア慰藉事業のホームページにも「先の大戦時に沖縄県八重山地域において住民の方々がマラリア有病地帯への避難を余儀なくされ、衛生状態も悪く食糧も十分でない過酷な生活の中マラリアが集中的に発生し、多数の方がなくなられました」とあった。 育鵬社の教科書には戦争マラリアの記述さえないが、軍の強制という主語が意図的に消され、住民に責任を転嫁する文脈は以前からあったのだ。こういう重大な問題を根底から批判することなくやりすごしたことが歴史を歪曲し、日本国憲法を敵視する勢力に八重山(沖縄)がつけ入る隙を与えたことを考えなくてはならない。 ■教育の隷従 沖縄戦、それに引き続く米軍占領支配下でどれだけの沖縄県民が虐殺され、財産を破壊され奪われたか。沖縄施政権返還については何故アメリカ施政権を持ち、その下で何が行われ、どういう理由で沖縄の人々が本土復帰をめざしたか。記述はない。 この教科書は、日本国家の国益のためには沖縄を他国へ譲渡もしくは占領支配を容認してきたという歴史を、言葉のあやで巧妙に隠蔽しているのである。 そのような史観を持った人たち(著作関係者13人中7人が歴史の執筆者と同じ人物である)が公民とは言わずと知れたものだ。 育鵬社の「新しいみんなの公民」は憲法敵視、天皇賛美、軍隊(自衛隊)容認、日米同盟の必要性を強調している。国民が「国のためになにができるか」を考えることをねらいとしている。 沖縄県民の意思よりも米国の国益を優先させ、基地被害をないがしろにし、核持ち込み(密約)で国民を欺いた政府。それには一切触れずに「国のために何ができますか」はない。この教科書を採択することはすなわち、教育の国への隷従である。 風穴は開けられた。風はやがて沖縄中に吹き荒れる可能性が強い。ひとりひとりが問われている。 |
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(沖縄タイムス20110914) | ||
『沖縄社会大衆党史』 目次 発刊に際して(党史編纂委員長 仲本安一) 第1部 通史編 第1章 社大党の結成(1945年〜1950年頃) 第1節 結党前の沖縄政界 第2節 結成の萌芽 第3節 群島知事選挙 第4節 結党大会 第2章 初期の復帰運動(1951年〜1953年頃) 第1節 社会情勢 第2節 復帰運動の胎動 第3節 任命主席と党の分裂 第4節 植民地化反対闘争 第3章 軍用地接収反対闘争(1953年〜1958年) 第1節 軍用地問題の発端 第2節 4原則貫徹闘争 第3節 民連ブームと党の分裂 第4節 第1党進出と一括払い廃止 第4章 自治権拡大闘争(1959年〜1967年) 第1節 自治権拡大と主席公選 第2節 復帰協の結成 第3節 第1党方式と新情勢 第4節 自治権拡大と大衆運動 第5章 反戦復帰闘争(1968年〜1972年頃) 第1節 反核・反基地闘争 第2節 屋良革新主席の誕生 第3節 国政参加選挙の勝利 第4節 5・15復帰の意味 第6章 完全復帰闘争(1972年〜1980年頃) 第1節 新たな闘いへの出発 第2節 復帰後の諸問題 第3節 平良知事の誕生 第4節 80年代の展望 第2部 資料編 第1章 年表(党30年の歩み) 1、党活動日誌 第2章 記録(党関係の文章) |
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1、政党に就テ(布告) 2、各群島政府の知事及び民政議員選挙(布告) 3、立候補挨拶(沖縄群島知事候補者 平良辰雄) 4、沖縄群島知事選挙政策(松岡、平良、瀬長の各候補) 5、群島知事及び群島議員の選挙調(定数及び得票) 6、沖縄群島政府首脳部(名簿) 7、宣言(結党大会) 8、綱領(結党の頃) 9、政策(結党の頃) 10、社会大衆党結成届書 11、初代党役職員名簿(本部及び支部) 12、社会大衆党月報第1号 13、琉球社会大衆党の性格(委員長 平良辰雄) 14、社会大衆党実践経過 15、馨明書(1951年) 16、日本復帰促進期成会趣意書 17、日本復帰促進期成会会則 18、琉球政府の設立(布告) 19、馨明書(1953年) 20、アメリカの琉球統治に関する見解 21、米国の沖縄統治の決算(政治編) 22、米国の沖縄統治の決算(財政編) 23、沖縄社会大衆党への理解 24、大会挨拶(委員長 安里積千代) 25、施政権返還折衝に対する基本態度と要求 26、沖縄返還折衝に関する声明 27、復帰後の党組織路線について(試案) 28、復帰後の諸問題処理に関する要請書(第1次) 29、復帰後の諸問題処理に関する要請書(第2次) 30、沖縄県戦後・政党(政治団体)一覧 31、歴代党3役 32、1980年度党執行体制 |
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編纂後記(編纂委員 比嘉良彦) 1981年4月8日 沖縄社会大衆党史編纂委員会 |
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差別の構図「メア発言」を穿つ〈4〉 知念 ウシ 見える支配の構造/自尊心深める議論必要 地震、津波、放射能で紙面もチブルも埋め尽くされ、そういえば、米国国務省日本に本部長を更迭されたメア氏はその後どうなったか、と思っていたら、震災支援の調整担当になっていた。当初国務省を退職する意向だったが、震災が発生したため、在日米軍や原発に詳しいとポストが与えられた(asahi.com3月16日)。これを知って、沖縄人の名誉と被災者の生命、安全とが天秤にかけられているような複雑な気持ちになった。震災支援は大切な仕事である。しかし、沖縄人のみならず、日本人、日本文化への差別発言をした彼は、それについて説明も謝罪も撤回もしていない。米国国務省には優秀な人材が他にたくさんいるはずだ。沖縄人と被災者双方の名誉と尊厳を重んじ、氏の処遇について米政府は筋を通すべきだ。オバマ大統領の任命責任が問われる。 明白な論理破綻 さて、メア氏の件の発言だが、その内容の論理破綻ぶりが興味深い。例えば、彼は「日本政府は『金がほしければサインしろ』と沖縄知事に言う必要がある」と言うが、それはそもそも効果のないことだ。なにしろ、彼が言う「日本政府を巧みに操りゆする名人」である沖縄人なら、そんな脅かしなど巧みに切り抜けられる。また彼の言うとおり、そもそも沖縄人の「3分の1が、軍隊がいなくなれば、より平和になれると信じていて」「対話不可能」、すなわち、説得不可能な人々である。その上、名護市長選、県知事選をへて、今や県内移設を拒否し県外移設をつきつける県民の意志は強固になるばかりだ。そして、今回の発言が公になったために、今後知事が方針を変えて県内移設をのめば「金がほしくてサインした」ことになる。 彼は「沖縄の主要産業は観光業だ」「沖縄人は怠け者だからゴーヤーを栽培できない」「沖縄は離婚率、出生率(特に非嫡出子)、飲酒運転率が最も高い。これは度数の高い酒を飲む沖縄文化に由来する」と述べる。ゴーヤーの部分は、うちの近所の小学生でも「はー?ゴーヤー、つくってるやし」というぐらいの嘘である。その他、米でも観光業は一大産業だし、離婚率、出生率(特に婚外子)、飲酒運転率は高い。ブッシュ前米大統領には飲酒運転の逮捕歴がある。バーボンなど度数の強い酒を好む人も多い。このように、米社会にもあることを、沖縄社会の特色のように差異として捏造して侮辱することを、差別という。 不当性露見恐れ 彼が沖縄研修旅行に行く米の学生たちにこんな話をしたのは、学生たちに自分と同じまなざしで沖縄を見てほしかったからだろう。そうでなければ、学生たちは、軍事基地に抵抗する沖縄人に気高さ、威厳、勤勉さ、忍耐強さを見いだしてしまうからでなはいか。そうなれば、沖縄への基地押しつけの不当性が自国の若い世代にもばれてしまう。そして実際そうなった。 彼の侮蔑の言葉に潜むのは、「未開、野蛮、劣等、頑迷、固陋、不衛生、怠惰、放縦、強欲、享楽的、不誠実」という沖縄人への勝手な評価の押しつけだ。これは、「琉球処分」以来、日本人が沖縄人に強要したレッテルと同じである。そして、日本人やアメリカ人のみならず、世界中の植民地主義者が被植民者をこのようなやり方で貶めてきた。 彼らは自らの侵略、植民地支配を正当化するために、「文明が野蛮を支配する」「優れた者が劣った者を支配する」という論理をでっち上げた。そして、自らを「文明」「優れた者」と高めて偽装するために、支配したい者を侮辱し、低めようとする。琉球においては、このような日本人の差別が沖縄人を同化に向かわせ、沖縄戦において「立派な日本人として戦い死ぬ」(目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』)までに追いつめた。そして日米の差別は基地押しつけという具体的な形で今も続く。 ヤレーヌーヤガ 今回、自国の差別と闘う米学生とつながって沖縄人がメア氏更迭を勝ち取ったのは、特に沖縄の次世代への大きなプレゼントだ。「私たちは差別を受け入れないし、許さない」という姿を沖縄社会が示せたからだ。そして、大事なことは、このような「評価の押しつけ」に、反論や事情説明で理解を請うというより、「ヤレーヌーヤガ(だから何だ)」と言うことである。私たちは私たちのままでいい。 「野蛮人」と呼ぶなら呼べばいい。(植民地支配に不都合な)「野蛮人」は正しい。私たちは「野蛮人」を徹底して生きるのである。 ただ、そう言えるようになるのには一人では難しい。沖縄人同士で話し合うことが必須だ。それぞれの傷、怒り、悲しみ、恐怖とは何か。心と体のどこがどのように反応するのか。そうすれば、差別による支配のメカニズムやその弱点が見えてくる。互いの知恵を学び合い、自己肯定感、自尊心を深めることで、他の沖縄人やより弱い者への差別の転化・植民地支配への共犯をやめられる。 沖縄人だけで集まるのは「排他的」と非難されると怖いかもしれない。その非難に対しても「ヤレーヌーヤガ」なのだが、あえて言い換えればつまり、「沖縄人が『排他的』になることが必要な時には必要だ」。恐れることはない。(ちにん・うしぃ1966年那覇市生まれ。むぬかちゃー(ライター)。沖縄国際大学非常勤講師。著書に「ウシがゆく」など。沖縄タイムス2011.03.21) 差別の構図「メア発言」を穿つ〈5〉 新城 郁夫 同盟 無意味さ明確/軍隊の災害支援は無力 東日本大震災の災害と原発危機の報道に直面して言葉を失いながら、いま実感しているのは、脅威からの防衛を存在理由とする軍隊の、現実の脅威を前にした無力さである。米軍であろうと自衛隊であろうと、これら軍隊は、国家と軍組織を守ることのみを目的とする純然たる暴力装置であって、災害時に国民を守るという主目的を初めから有していない。核兵器や戦略爆撃機をはじめとするあらゆる兵器は国民生活を守るために存在するのでは全くないし、沖縄戦が証明するように、非常時においては国民こそが軍隊の標的となる。 その意味で、今回の大震災に当たって、米軍と自衛隊が後手後手にまわりほとんど無力と見えるのは、それが軍隊である限り当然と言えば当然で、これが災害支援を本務とする組織であれば、現在の軍事費の数千分の一で現状と比較にならない有効的な支援が展開できたはずである。 中国や北朝鮮が脅威だと虚言を言い募って沖縄周辺で日米共同軍事演習を拡大強行しながら、現実に起こる脅威に対してはほとんど為すすべがない。一方、脅威と言われてきた中国は援助隊を早急に送り、北朝鮮に敵対的行動はみられない。いったい、日米両政府が喧伝してきた脅威などどこに存在するのか。むしろ、原発や生活支援体制の驚くべき脆弱さこそが、私たちがさらされている脅威の本質ではないか。脅威は、この国家体制そのものというほうが、より正確であるように思える。 占領者の愚劣さ 今回の震災で、日本政府は異様ともいえる早さで米軍へ支援要請し、オバマ政権は米軍イメージ回復を急ぎ「日米同盟の重要性」というプロパガンダを謳いあげて、よりにもよって原子力空母を三陸沖合に派遣したが、これも放射能汚染を恐れ沖合遠くに退避する始末。そのうえ、アメリカが打開策として示したのが、この米軍プロパガンダ作戦の調整役に、沖縄差別発言で更迭したばかりのケビン・メア氏を任命するという事態である。 この差別主義者が、大震災で被災した人たちの支援の要請を「ゆすり」と見なさないと誰が明言できるだろうか。沖縄の人間に対して、常軌を逸した人種差別発言をして憚らない官僚を、この危機において対日調整役にまたも着任させるアメリカという国もまた常軌を逸している。ここに至って、日米軍事同盟を解消していく道筋も見えてきたと言えるだろう。 そもそも、私たち沖縄に生きる人間に、日米軍事同盟というものの無意味さと恐ろしさを明確に認識させてくれたのがケビン・メア氏にほかならない。メア氏の唯一の功績は、身をもって占領者というものの愚劣さを私たちに示してくれた点に尽きる。沖縄が集約的にその構造的暴力にさらされている日米軍事同盟とは、対等な同盟国の絆などでは全くない。その内実は、日本のアメリカへの全面的かつ自発的な属国化であり、この支配関係の最下層に押し込められている沖縄の人間は、生存権を主張し軍事植民地化を批判する正当な声をあげただけで、「ゆすりの名人」と侮蔑される仕組みになっている。この仕組みこそが日米同盟と呼ばれるものの本質であり、人種主義的な差別を基盤とする日米同盟とは、そもそも同盟などではなく、対米隷属というほうが実情に近い。 対米隷属が根本 アメリカという占領者にとって占領されている沖縄の人間は、ただの未開人であり、対等な人間などであろうはずがない。米軍車両に轢き殺されようが、米兵にレイプされようが、米軍は占領者なのだから被占領者である沖縄の人間によって米兵や米軍が裁かれるいわれは無い。それが日米地位協定を死守するアメリカと日本政府の論理である。在日米軍の犯罪に対して日本側が裁判権を放棄する密約を含むこの日米地位協定において、沖縄の人間は、頻発する米兵の犯罪を犯罪として訴える道さえ閉ざされているのである。 そしてこうして手厚く治外法権で保護された米軍は、さらには、年間約6500億円にも上るおもいやり関連予算を私たちの税金のなかから日本政府によってあてがわれている。つまりは、日米同盟という名の対米隷属が、メア氏のような愚劣な占領者を育成するのであり、こうした占領者の愚劣を通じて、沖縄は日米軍事同盟の構造的暴力のなかに監禁されてしまうのである。この占領的な構造を根本的に変えるには、基地県外移設などでは決してなく、日米軍事同盟の解消しかないのはもはや明白である。 「抑止力」は妄想 日本の安全保障政策にしろ、日米軍事同盟にしろ、それらは沖縄への在日米軍基地の集中という差別政策によって辛うじて構成されている砂上の楼閣に過ぎない。そして、日本国内で数万の死者・不明者と数十万の避難者が出るという現実の脅威を前にして、日米軍事同盟の軍隊は、膨大な軍事予算をつぎ込みながらほとんど何もできていない。私たちは、いまこそ、「国民の安全」が軍隊という「抑止力」によって防衛されているという妄想から解き放たれなければならない。 そのためにも、なんらの留保もなく、米軍基地完全撤去と日米軍事同盟解消の声が私たち沖縄に生きる者からあげられていく必要がある。求められているのは、日米同盟と呼ばれる支配関係の解消と日米安保条約の破棄である。そうでなければ、メア氏が語る「沖縄の人間はゆすりの名人」という言葉を、沖縄に生きる私たちが証明してしまうことになる。 メア氏の差別発言によって明らかとなった日米軍事同盟の根幹に作動する対米隷属的な人種主義的差別を解体していくためにも、米軍基地撤去と日米軍事同盟の解消にむけた多様な実践が、他ならぬ差別を受けている私たち沖縄に生きる人間によってこそ、すみやかに展開されていく必要がある。いま求められているのは、あらゆる軍事覇権を退け、未曾有の困難のなかを生きている私たちが、他の人々と共に生き延びていく繋がりへの無条件の信頼以外ではない。(しんじょう・いくお1967年旧平良市生まれ。琉球大学教授(沖縄・日本文学、戦後思想専攻)。近著に「沖縄を聞く」。沖縄タイムス2011.03.22) |
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