Toppage Critic 談話室(BBS) 図書室 リンク Emigrant

独断的「沖縄の魅力」

島豚


[03.07.29] 久しぶりに(笑)島豚ネタです。
 『別冊 環 E−琉球文化圏とは何か』に金城須美子さんという方が「琉球の食生活と文化−異文化接触は食文化形成にいかに影響したか」という論文を載せてる。
 琉球では、日本と異なり仏教の殺生戒・肉食禁止が浸透せず、「古くから獣肉の食習が定着して、肉食タブーのない食生活が営まれてきた。…もっぱら牛や山羊を食用としていたようで…」あったが、「17世紀半ば、牛馬屠畜禁止令が公布され、牛馬肉の食用も禁止されたので料理も衰退した。この禁止令は勧農政策の一環で労役に必要な牛馬だから屠畜してはならない、とする理由で殺生戒による肉食禁忌ではなかった。」とある。それ以降、王府も「豚肉食を勧め、庶民の行事食も豚肉が主になっていく。」中国からの冊封使接待にも豚肉は欠かせないことから、養豚を奨励し、「18世紀初頭にはかなり繁殖し」た、と言う。
 まぁ、牛は乳・肉・役と用途が広いのは事実だが、こう書かれてあると、なんだか食べられるためだけの豚が、ちょっぴり可哀そうになりましたね。

[01.03.01] 3月1日の沖縄タイムス朝刊によれば、琉大の川島由次農学部教授(家畜比較解剖学)は28日、北谷町桑江の町役場一角にある後兼久原遺跡の14世紀前半の層から出土した獣骨に豚の前足骨があった、と発表。「県内で確認されたものでは最古。当時の豚はイノシシとほぼ同じ大きさ」と話している。ただし「DNA分析で弥生時代(3世紀以前)には既にいた」とする遺伝子学研究もあるそうな。

[01.02.17] 沖縄での豚肉消費量がヤマト各県と較べてダントツであることは当然だが、面白いことにハムは最下位で、ソーセージは平均、ベーコンは全国平均の2倍という訳の分からない偏りを見せ、それ以外の加工肉が3倍だそうである。(総務庁『家計調査年報』)さて、この加工肉だが、戦後米軍がもたらした野戦食の「ランチョンミート・ポーク缶」が有名である。私は「コーンビーフ」大好き人間なのだが(馬肉混ぜ物いりの「ニュー・コンビーフ」も可)、この「ポーク」も捨てがたい。但し、食堂に「ポークたまご」なるメニューがあったが、これまた「みそ汁」と同様、いわゆる定食で、「ご飯とみそ汁付き」で、ポークの厚切りの両面を焼いたもの3〜4枚と卵焼きである。さすがの私も、「これが料理か!」と、唸ったものだ。ちなみに日本に輸入されるポーク缶の90%は沖縄で消費されると言う。その中でもアメリカ産より、デンマーク産の方が多く、また、デンマークではポーク缶などは自国では食せず、単なる輸出の為だけ(ということは沖縄のため?)に生産しているという。

[01.02.07] 今月号の「うるま」は、な、なんと「島豚」特集。(「新・今月の沖縄料理−豚肉百菜」というのが特集テーマでした。)「豚バラの炭火焼き」なんてのは料理のウチには入らない、なんて口の悪い奴は言うが、安くて簡単で美味い。ただ「うるま」はあろうことか、「焼き鳥にまったく劣らない」なんて、ほめてるんだかけなしてるんだかわからないコメントを付けてる。情けない!「インターネットウルマ」へどうぞ。

[01.01.20] 今から数十年前、ちょうど日本に併合された直後、主に那覇でプータローをやっていた。(当時は、「ルンプロやってます」なんて言ってたが)そのころ「100円弁当」なるものがあり、いろんな種類があったが必ず「ラフテー」の薄切りがあった。あの甘辛く柔らかい三枚肉ラフテーは「100円弁当の宝石」だった。もともと食い物には執着しないので、肉は「豚」の方が好きだったが、沖縄の豚は格別だった。

 沖縄と言えば「豚」。沖縄の豚肉料理は、とことん、私の嗜好にあったのだ。食堂(「コーヒーシャープ」という店がやたら多かった。ここは飯屋でもある。)での「おかず」と言う名の、まあ、「野菜炒め定食」を二日に一度は食ってた。「豚入りチャンプル」というところだろうが、メニューには「おかず」としか書いていない。そしてそのメニューには「みそ汁」とも書かれている。笑築過劇団の玉城満のネタに「ご飯とみそ汁とおかずを注文したら、ご飯が三つ、みそ汁が二つ、おかずが一つ出てきた!」というのがあったが、まったくその通り、この場合の「みそ汁」というメニューは、ヤマトで言う「豚汁定食」のようなものだ。と、昔話をしているが、食いモンが体に合うというのは、その土地になじめる基本だと思う。(まあ、悪酔い・二日酔いしない「泡盛」も…これはまた別の話。)

 『豚の報い』という又吉栄喜の小説(芥川賞をとったので読んだ人も多いと思うが)に出てくる豚一匹まるまる使った料理も良い。牧志の公設市場(マチグァー)で、はじめて頭を見たときはちょっとひるんだが、ミミガーにしろ、アシテビチにしろ初手から口にあった。話しは変わるがヤギは駄目。こればっかりは八重山の友人が、ヤギ汁を「一番のごちそう」と言って勧めてくれたが半分も食べられなかった。「さしみ」はまあまあだったが。(コザ・中の町の民謡クラブ「なんた浜」の隣にヤギ料理の店「ふるさと」?がある。)

 又吉栄喜で思い出したが、「士族の集落」(『果報は海から』所収)の読後感最高!何故か、この作者は女性の描き方がうまい。街、村、島、そして潮の匂いが懐かしく思い出される。

 もう一つ、島豚について。つい最近まで、どの家でも豚の一匹や二匹飼っていたが、これはハワイなどへ移民したウチナーンチュが戦後のシマの生活苦・食糧難を見かねて贈ってくれたものが多かったそうだ。それに下嶋哲朗の『豚と沖縄独立』(未来社)なんて本もある。

 話は変わるが、今年2001年の11月に第3回世界のウチナーンチュ大会が開催される予定だそうだ。前回は95年11月で、折からの米海兵隊員による少女性暴力事件を糾弾する県民総決大会への85.000人参加という全島的闘いの昂揚に世界のウチナンチューの怒りが噴出、改めて「平和」への希求を誓い合った。


THE SEVENTH EMIGRANT に戻る

風游ページにもどる