祖 山 龍 華 山 妙 覚 寺 2014/01/04追加: ★日蓮宗不受不施派祖山妙覚寺歴代: 31世久遠院日然聖人、32世応智院日縁聖人、33世本妙院日珠聖人の事蹟について、
→不受不施派の分裂と動向 及び 不受不施禁制後の動向 を参照 ●2024/04/11撮影: 明治15年宣妙院日正、医師難波抱節の宅跡を入手、本堂などを建立、妙覚寺が創建される。 平成15年住職の寝タバコの不始末を原因とする火災により、本堂などが焼失、住職は焼死する。本堂などはその後の再建。 「岡山県の地名」では,本堂・鐘楼・講堂・客殿・書院・庫裡・長屋門・宝蔵などを具備する。書院は難波抱節が思誠塾講堂として建立したもので、文政5年の建築という。 備前金川祖山妙覚寺11 備前金川祖山妙覚寺12 備前金川祖山妙覚寺13 備前金川祖山妙覚寺14 備前金川祖山妙覚寺15 備前金川祖山妙覚寺16 備前金川祖山妙覚寺17 備前金川祖山妙覚寺18 備前金川祖山妙覚寺19 祖山妙覚寺鐘楼1 祖山妙覚寺鐘楼2 梵鐘 祖山妙覚寺梵鐘:県文、由来は下に掲載の通りであるが、現在鐘楼に架かるのは昭和46年鋳造のものであろう。 梵鐘の変遷 京都法勝寺末寺備前金剛寺梵鐘(建長4年鋳造)→応永34年(1427)備前肩背郷徳王寺に移る→天正10年豊臣秀吉高松城水攻めに使用→高松城跡の田から耕作中に発見される→備中高松妙玄寺に納められる→領主花房氏が保有→明治38年妙覺寺の所有となる。 祖山妙覚寺慈恩堂 慈恩堂横題目塔 金川妙國寺関係墓塔 金川妙國寺関係供養塔:下記の2基が並ぶ。 妙國寺開基日精・十世日航供養塔 妙法/妙國寺開基日精聖人/十世華光院日航聖人 →備前金川妙國寺跡 妙法■■院日■供養塔:おそらく妙國寺関係の聖人と思われるも、判読できない。 祖山妙覺寺ご見解:法号についてであるが、刻銘は摩耗して読み取れず、不明である。 おそらくこの墓塔は妙國寺跡から遷されたもので、つまり直接的には現在の妙覺寺とは無関係のもので、妙覺寺掃苔録にも記載がない。 従って、妙覺寺では今となってはお答えすることが出来ない。 ただし、妙覺寺としては、妙國寺関係の墓塔としてお祀し、大切に管理をさせて頂いている。 祖山妙覺寺先師墓塔・供養塔は向かって左から次のように並ぶ。 不受不施派法中供養塔(覺位/法師)、不受不施派法中供養塔(徳位)、不受不施派法中供養塔(聖人)、十妙院日徳聖人墓塔、殉教先聖五輪塔、前六後六聖人五輪塔、日蓮大士五輪塔、日奥大聖人五輪塔、日正大聖人五輪塔、日解聖人五輪塔、日壽聖人五輪塔、日高聖人五輪塔、日學聖人五輪塔、日成聖人五輪塔、日行聖人五輪塔 祖山妙覚寺先師供養塔1:ほぼ全容である。 祖山妙覚寺先師供養塔2 祖山妙覚寺先師供養塔3 祖山妙覚寺先師供養塔4 祖山妙覚寺先師供養塔5 祖山妙覚寺先師供養塔6 不受不施派法中供養塔:2基あるが、向かって左が覺位/法師、右は徳位の供養塔である。 不受不施派法中供養塔(覺位/法師):刻銘は下に掲載 不受不施派法中供養塔(徳位):刻銘は下に掲載 不受不施派法中供養塔(聖人)1 不受不施派法中供養塔(聖人)2:刻銘は下に掲載 十妙院日徳聖人墓塔1 十妙院日徳聖人墓塔2 十妙院日徳:宣妙院日正弟子、唯紫庵12世、祖山妙覺寺21世。 文久3年(1863)江戸(老中板倉勝静)に出訴するも、 取り上げられず、しかし直ちに入牢とはならず、時代の変換点を象徴する出訴となる。 →備前法華の系譜>不受不施派の再興中に記事あり。 ※拙「備前津島妙善寺のページ」から転載 唯紫庵12世 十妙院日徳 明治31年(1898)化/妙善寺21世/北長瀬不受不施派祖師堂に日正・日徳題目碑あり ※北長瀬不受不施派祖師堂は<備前御野郡高柳・野田・北長瀬村中>にあり ※平井村に接する妙覚寺墓地:不受不施派先師墓所(備前上道郡網浜村・湊村・平井村中)に日徳の墓碑あり。 殉教先聖五輪塔 前六後六聖人五輪塔1 前六後六聖人五輪塔2:正面上段に前六、下段に後六聖人、両側面には示寂年月を刻す。 日蓮大士五輪塔 日奥大聖人五輪塔 日正大聖人五輪塔 日解聖人五輪塔:祖山妙覺寺36世、遠成院日解、寛孝 大正13年4月6日 年73。 日壽聖人五輪塔:祖山妙覺寺37世、詮量院日壽 了哲 昭和12年8月3日 年81。津島妙善寺24世。 日高聖人五輪塔:祖山妙覺寺39世、真正院日高 日學・日成・日行聖人五輪塔: 宣正院日学は祖山妙覺寺40世、正行院日成は祖山妙覺寺41世、一樹院日行、祖山妙覺寺42世、平成二十年五月十三日遷化 妙覺寺歴代墓所石灯籠 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆金川妙覚寺梵鐘: 〇「御津町史」 より 建長4年(1152)高さ93cm 初銘:敬白法勝寺御備州金剛寺鐘一口/右志者為御本家並法界衆/生平等利益/建長二二年歳次/壬子十二月日沙弥蓮佛 追銘には応永34年(1427)十月八日備州肩背郷徳王寺に移った時のものもある。 この鐘は天正10年(1582)秀吉方の高松城攻めの陣鐘として使用された事は有名である。 その後、備中高松妙玄寺に納められるも、領主花房氏の所有する所になり、明治38年妙覺寺に納められる。 以上のことから「六遷の鐘」と云われる。 〇「岡山県教育庁文化財課」文章: より 梵鐘は和気金剛寺(下注)の鐘として建長4年(1252)に鋳造され、後に肩背郷徳王寺(下注)に移り、さらに天正10年(1582)備中高松城水攻めの陣鐘に使用されたという。合戦後、備中高松の妙玄寺から領主花房家の所有となり、明治38年(1905)に妙覚寺に納められた。別に「六遷の鐘」と呼ばれる。総高93.9cm、口径50.0cm、青銅製。 (下注) 備州金剛寺: 和気郡藤野村神ノ上山にあったという。現在は廃寺。 (下注) 肩背郷徳王寺 〇「日本歴史地名大系」 より 肩背郷:岡山県赤磐郡瀬戸町肩背郷、現瀬戸町肩背を遺称地とし、一帯に比定される。 応永34年10月もと備州金剛寺にあった建長4年12月鋳造の梵鐘が、当郷徳王寺の所有に帰している(「徳王寺古鐘銘」妙覚寺蔵)。 ○国文学研究資料館>国書データベース より 備前州肩脊郷コ王寺鐘銘 〇「岡山市電子町内会」>旭ヶ丘沿革 より ※旭ヶ丘は瀬戸町肩背(旧肩背郷の想定地)にあり、次に紹介する「陣場山」を造成して造られた新興住宅地である。 陣場山の名称由来: 羽柴秀吉が、天正10年(1582)、備中高松城攻略の為西下した時、ここに一時陣を布いたという伝承がある。 秀吉の行動は次のように伝わる。秀吉二万を引き連れ天正10年3月15日姫路出発、同日三石泊、16日に福岡(現瀬戸内市福岡)泊、19日に沼城(岡山市沼)に入り、4月4日岡山城に入るという。 福岡から岡山城に入るまで約2週間以上を要しているから、その間沼城が望めるこの陣場山や築地山常楽寺に布陣したであろうし、沼城(亀山城) 到着後は沼城を中心に周辺一帯で逗留したはずと思われる。 この間、秀吉軍は東隣の肩脊徳王寺から小ぶりの梵鐘(備前州肩背郷徳王寺鐘と刻印してある)を徴発して行き陣鐘として使用、その後高松城跡の田から耕作中に発見され御津町金川の妙覚寺の所蔵となったが、現在は県立博物館にある。 ○肩背徳王寺 縁起 より 西方山徳王寺(赤磐郡瀬戸町肩背53)の縁起では次のようにいう。 一度廃寺となるも、土人によって小宇として再興される。そして近年のことと思われるが、寺主である僧侶によって本堂が改築されたようである。 徳王寺縁起: 高野山真言宗、本尊 薬師如来 西方山徳王寺本堂は元山頂にあり。(中略) 羽柴秀吉中国征伐の折此の寺も戦火に合いて荒廃しそのまま廃寺となったのであるが、土地の人々かかる由諸ある廃寺となるを惜しんで小堂一宇を建立し、本尊薬師如来を安置して護持する事今日に及べり。 しかるに此の寺今だ小堂の一間で参詣者の方々にも不便なる事此の上なし。・・・茲に寺主上原光俊弘園発願して新に改築工事の架設を企一。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■不受不施派法中供養塔(覺位/法師)刻銘 是觀院日全覺位 圓教院日然覺位 幽玄院日就覺位:大樹庵、宣妙院日正弟子、明治5.9.1 眞如院日是覺位:大樹庵、宣妙院日正弟子、元治元.10.2 法眞院日遥覺位 智境院日合覺位 智妙院日暢覺位:大樹庵、宣妙院日正弟子、文久3.7.3 智誠院日悟覺位:明治12年建部教会を再興か、建部市場浄源寺に墓塔あり。 智勝院日運覺位 恵光院日乗覺位 是好院日良覺位 是眞院日禧覺位 ----- 智觀院日悦覺位 慈圓院日榮覺位 智運院日啓覺位 智賢院日教覺位 可迎院日光覺位 英音院日事覺位 常眼院日玄覺位 休周院日詮覺位 慈航院日完覺位 智明院日具覺位 慈光 日照法師 玄眞 日實法師 ----- 玄詮 日晃法師 恵暁 日忍法師 恵三院日省法師 恵光院日明法師 自性院日圓法師 微妙院日浄法師:大樹庵、宣妙院日正弟子、安政7.2.4 随聞院日淵法師:大樹庵、宣妙院日正弟子、慶應2.8.28 本立院日廣法師:大樹庵、宣妙院日正弟子、慶應2.9.16 智因院日縁法師 智寛院日等法師:大樹庵、宣妙院日正弟子、安政3.8.23 慈念院日久法師 体達 日到法師 眞静 日良法師 可善 日實法師 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■不受不施派法中供養塔(徳位)刻銘 智勝院日意徳位 妙覺院日事徳位 圓妙院日亮徳位:大樹庵、宣妙院日正弟子、慶應3.8.11 寶乗院日勇徳位 圓満院日深大徳位 清淳院日圓徳位 善妙院日眞徳位:大樹庵25世、宣妙院日正弟子、明治4.10.8 ----- 智光院日慈徳位 智順院日随徳位 随順院日念徳位 順理院日孝徳位 覺玄院日如徳位:生前庵14世、文久3.7.26。大樹庵24世・生前庵13世宣妙院日正弟子、松壽庵13世・生前庵12世・唯紫庵11世晃光院日恵弟子でもある。 本城院日理徳位 自覺院日量徳位 是勝院日輝徳位 正覺院日源徳位 ----- 玄實院日随徳位 智憲院日賀徳位 智照院日従徳位 好堅院日孝徳位 鷲山院日晃徳位 順徳院日普徳位 玄了院日須徳位 恵光院妙教日操徳位 要眞院日仁徳位 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■不受不施派法中供養塔(聖人)刻銘 學行院日秀聖人:備前津島妙善寺25世 正妙院日寂聖人:備前福田詮量寺(→備前福田村中:)開基、大正五年十月十六日寂 教妙院日耀聖人 妙行院日淳聖人 ----- 本浄院日香聖人 本覺院日暉聖人 顯正院日眞聖人 壽量院日義聖人 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ○大黒日奥 大黒日奥像(日奥を大黒に偽装した像)が3体現存する。 一つは祖山妙覚寺、二つは丹波小泉好堅寺、三つは下総香取郡栗源町の石橋家に秘蔵される。 →祖山妙覚寺大黒日奥:「岡山の宗教」岡山文庫51、昭和48年 より →光純好堅寺像は未見 →石橋家所蔵大黒日奥 →石橋家(矢田部28人衆の後裔か)については「備前法華の系譜」に記載、 「備前法華の系譜」のページを検索語=大黒日奥で検索ください。 ◆祖山妙覚寺所属寺院 上総一乗山妙松寺(千葉県いすみ市正立寺、旧妙昌庵) 〇下総成等山正覚寺(千葉県香取郡多古町島) →下総島正覚寺 ○下総龍華寺(千葉県香取郡多古町南玉造) →総常盤村>南玉造(玉宝山)龍華寺 〇下総佐野教会(千葉県香取郡多古町佐野) →下総大原・東台・中佐野・東佐野・染井>東台妙見前墓地>「中佐野喜多教会の設立」中にあり 〇下総水戸教会(千葉県香取郡多古町水戸) →下総正覚寺水戸教会 〇下総沢教会(千葉県香取市沢) →下総沢真浄寺 の下に掲載 ○武蔵龍華山若松寺(東京都港区南麻布、旧自証庵) →武蔵麻布自證寺中にあり 摂津龍華山妙蓮寺(大阪市生野区林寺2-12-5) 〇備前大樹山法泉寺(岡山県和気郡和気町益原、旧大樹庵) →和気大樹山法泉寺 〇備前富榮山妙泉寺(岡山県和気郡和気町佐伯、旧妙泉庵) 〇備前福田山詮量寺(岡山県赤磐市福田) →備前福田村中 〇備前龍華山正妙寺(岡山県赤磐市稗田) →備前稗田村中 〇備前清涼山浄源寺(岡山県岡山市北区建部町市場) →備前建部市場浄源寺 〇備前鷲峰山常在寺(岡山県岡山市北区御津紙工、旧常在庵) →備前紙工常在寺: ○備前鷲林山妙善寺(岡山県岡山市北区津島本町、旧唯紫庵) →備前津島妙善寺 ○備前春雄山宣妙寺(岡山県岡山市北区西古松) →備前大供村・内田村・岡村・東古松村・西古松村中 ○奥聖寺(岡山県岡山市中区平井、旧松寿庵) →備前上道郡網浜村・湊村・平井村中 讃岐無量山正行寺(香川県三豊市豊中町岡本2331) 肥前龍華山妙高寺(長崎県島原市広馬場町) 2010/09/21作成:2024/10/15更新:ホームページ、日本の塔婆、日蓮の正系
|