臨床余録
2025年5月25日
Long Goodbye

(NEJM Perspective May 24 2025より)

 もし私の妻、イングリッドが最もかかりたくない病気を選ぶなら、それは認知症であろう。彼女はそれがどのように人を歪め(distort)壊す(destroy)のかを知っていた、特に彼女のように知的な場合に。2024年彼女は79歳で亡くなった。

 イングリッドと私は55年以上一緒に暮らしてきた。まだ女性が医師になるのが珍しかった頃医学部で私達は出会った。すばらしい妻であり母であるのと同様に、寛容で感受性に富み親切でもあった彼女は尊敬すべき精神分析医になった。

 しかし認知症は彼女から言葉を奪い、子供たちが分からなくなり、彼女の夢であったおばあちゃんになれたこともわからなかった。さいごまで私のことは覚えていた、それは私が毎日彼女と一緒にいて、おしゃべりし、散歩に連れ出し、うまみたっぷりの料理を作るからだろう、ある日彼女が食べること飲むことをやめるまで、そしてその時彼女のさいごが近いことが私にはわかった。

 多くの追悼文を読むと長期の闘病、勇敢なさいごと言った言葉がみられるが、アルツハイマー病にはそれはあてはまらない。一度診断がくだされると闘いはそこで終わる。患者の勇気やレジリエンスは残されたパーソナリティとともに消えていく。認知症の人は連続しがちなトラブルに気づかない、車の免許証が取り上げられると激怒する。

 私達の家庭医はアルツハイマー病は患者のパートナーにとって最悪の病気だと言った。私は同意する。それでも私は彼女を自宅でケアすることにこだわった。メモリーケアユニットの陰気な閉鎖空間あるいは終末期の病院での拘束などではなく。彼女が亡くなる2週間前、24時間ヘルパーを頼み、介護用ベッドを入れ、ホスピスケアの体制で夜間も彼女のそばに私が寄り添った。

 ある時、ホスピスナースが私に言った。アルツハイマー病ってlong goodbyeのよう。その喩え(metaphor)は何かを呼び起こす(evocative)ようであり、また詩的(poetic)でもあった。その通りであってほしかった。私にとって悲劇的につらいのはアルツハイマー病がlong goodbyeではなくて、まだ生きているがやがて居なくなるひとへのgoodbyeの連続(succession of goodbyes)であること。

 物忘れはアルツハイマー病の目印だが一番大変な症状ではない。認知症の経過のなかで日常を乱すこわい症状が突然あらわれ、まったく異なる人物に向きあい、ついでまた違う人があらわれ、その行動はそれまでみたこともない脅かすようなものなのだ。人に向かって叫んだり、人のいる外で服を脱いでしまったり、入浴を拒否したり、ざっと目を通した認知症ケアのガイドブックによればそういうこともあるらしいが、詳しく読むのは意気阻喪させられて無理だ。しかし、私がノートをとったのは“four A’s”(4つのA):anxiety不安 ・anger怒り・ agitation焦燥・ aggression攻撃の4つである。イングリッドが調子よいときは、これらは全くあてはまられないが、病とともに彼女はとても不安になる。私達がドライブにでかけると彼女は赤信号が待てず、止まるな、突き進めと私に迫るのだ。幸い、彼女はそれ以外の“A”を出すことはなかった。怒りと焦燥にかられるのは私のほうだった。

 不安に向き合うのに彼女は絶えず歩くことをはじめた。(彼女はいつもハイキングを楽しんでいた)彼女の長距離歩行の旅は有名になった、町のあちこちで友人たちが彼女を見かけた、メトロノームのような歩行とトレードマークの白い麦わらビーニー帽がまぎれもない彼女だった。イングリッドがウオーキングに出る時、私はFindMe appで彼女を追いかけた。私達の町、North Carolina Durhamは治安の良くない近隣の一部であり、時々地図を眺めイングリッドを助けるため狂ったように車を走らせた。すると彼女が無関心で飽きたような表情でのんびりと歩いているのだった。そんな時私は怒りとフラストレーションで震え、レイプされ殺されたかもしれない彼女を思い、怖くなり涙が出そうになった。こんなエピソードを繰り返し、私はイングリッドの散歩についてくれる極めて有能なコンパニオンを雇うことにした。しかし彼女もイングリッドの行先を巡る頑固な(headstrong)主張にたじたじになるのだった。

 イングリッドは愛らしい女性でいつもシンプルな装いを好んだ。アルツハイマーになる前、彼女の好みの身支度は単彩でエレガント、カシミアかクレープ、ラベンダーかダスキーローズ。病んでからは彼女をよく遊歩道に連れ出し、歩いて飲食街に行き、エイジアンレストランで彼女はいつも甘酢のチキンを注文した。(彼女は料理を私にシェアするように言ってくれたが私には味があわなかった)外出の終わりに私達はMacyの在庫処分の値下げ衣類のいくつかを買った。せっかちな彼女は試着せずに買い、サイズが違い、スタイルも派手で、ひらひらするレースやリボンなどがついていた。終末に近く、イングリッドは毎朝自ら着がえするのだが、朝食時最近の起床の様子にたじろぐことがある、ピンクトップと対になった緑、赤、パープルの大きな花柄のポリエステルのパンツ。

 イングリッドの病の進行は容赦なかった。変化は激しい上下動と痙攣とともにやってきた。別れがたたずむ様子はなかった。私はそばにいてさいごの日々の恐怖をなだめ、何かあればすぐに応えられるようにする必要があった。私は全力を使い果たした。私は彼女を愛しその存在に慰められる。次なる変化はもっとも破壊的な(devastating)ものになるだろうと知っている。彼女のいない生(life without her)である。

 寒い1月の夕方、イングリッドは暗くした私たちの寝室で亡くなった。私の名前が彼女の言った最後の言葉だった。その慈愛の瞬間、愛のまなざしを私に向けて、永久に消え去ってしまってからもなおも  常に私を支えてくれる記憶だ。

 患者が重篤な病気で亡くなる時が終わりではないことを私は学んだ。生きている者のなかに生き続ける、とくにケアギバーのなかに。イングリッドの世界が鏡うつしのように私にもあらわれる。物をホテルに置き忘れる、オンラインの支払いを邪魔される、ダイニングテーブルに未開封の手紙が山積み。これらが認知障害のはじまりとは思わない。悲嘆が私の心をかき乱すのだ(grief unsettles my mind)。

 依然悲しみは消えないにしても多くの素晴らしい瞬間があった。私達の結婚時の喜びを思い起すとき、そして子や孫の顔にイングリッドを見つけるとき特に幸福感に満たされる。今、私の中にたくさんのイングリッドがいる。どんな未来が待ち受けようとももっと多くのイングリッドを。

 私にはわかるようになった。ひとつのgoodbyeは、ひとつの生涯の単なる終わりではない。それはまたもうひとつのはじまりなのだ。

以上が拙訳である。

附記
*このエッセイの原文タイトルはThe Meaning of Goodbye(グッドバイの意味)である。Goodbyeは語源的には「God be with you」の縮約形と思われる。神のご加護を、といった意味らしい。文中に出て来る「long goodbye」は認知症でゆっくりと記憶を喪っていく過程を言うのだろう。より平和的なお別れというニュアンスである。しかし、現に生活を共にしている妻が認知症に侵されていく様子をそばで見ている夫からするとそれは、ゆったり流れる川のようなロンググッドバイではなくて、荒々しい海の波の波状攻撃のようにみえる。そんな現実がよくわかるエッセイである。リアルな描写であり読む者の感情に訴えてくる。

*日本語の「さようなら」は、もとはと言えば、「左様ならば」「然らば」から来ている。「そうならば」「さようであるならば」という接続詞がやがて別れの言葉として使われるようになったらしい。別れのなかでも特別な死別に際して使われるときの「さようなら」は、「そうならねばならないならば」という意味、つまり死という事態の確認と受容の意味があるのであろう。

*認知症の人を巡る物語は一人ひとり皆違う。例えば、アメリカの精神科医アーサー・クラインマンは妻がアルツハイマー病になりその最期までの苦しいケアの経験を『The Soul of Care』のなかで詳述した。認知症のひとをケアすることは、より人間らしくなっていくための苦難に満ちた旅のようなもの、と語っている。一人ひとりの物語がかけがえのないものとして尊重されなければならない。


2025年5月11日
認知症とレカネマブ


 アルツハイマー型認知症の新薬として話題のレカネマブについての記事が朝日新聞に載った。以下その概要である。

 80代Aさんは日付や曜日を認識できず、買物や料理ができなくなり食器を仕舞う場所がわからなくなった。かかりつけ医からアルツハイマー型認知症と診断され投薬されたが効き目を実感できずのむのをやめた。K総合病院の物忘れ外来を受診、主治医となったB医師から軽度認知症と診断され、認知機能が回復する可能性は十分あるとされた。Aさんの夫が新薬レカネマブについて知り、B医師がK病院の第一例としてAさんに新薬を使いはじめた。しばらくするとあまり喋らなくなっていたAさんが野球中継をみてコメントするようになった。表情も明るくなり洗濯など簡単な家事ができるようになり、ひとりで散歩にでるようになった。主治医のB医師はレカネマブによって家事の一部ができるようになり、うつ状態も改善されたと考えられると話した。

 この記事を読み驚いた。というのも、レカネマブを投与するときに、その価格の高価なことや副作用のリスクとともに、強調されるのは、この薬が病気の症状を改善することはなく、病気の進行を遅らせるだけであることだ。Aさんご夫妻が生活上でよくなった点をレカネマブの影響と考えたのは無理もないかもしれない。ただ主治医がそれをレカネマブの効果としたこと、それを記事にした朝日新聞には問題があると思う。以下は朝日新聞担当記者への僕のメールである。

朝日新聞 担当記者様
2025年4月25日朝刊、くらし面、患者を生きる欄、「認知症とレカネマブ4」を読みました。
レカネマブは基本的にアルツハイマー型認知症の脳病理の進行を遅らせる薬であり、症状を改善することはないと理解しています。
A様の家事能力の改善、うつの改善、MMSEの点数改善などはレカネマブ投与に際してのケアによるものではないでしょうか。
いわゆるperson-centered careにより症状が改善することは日ごろの臨床で実感しています。
記事はmisleadingな内容でありMCIや軽度認知症の患者さん、ご家族が混乱する懸念があります。

 それに対して、朝日新聞取材班から「メールの内容を取材班で共有し今後の紙面作りに生かしたい」と返事のメールをいただいた。

 レカネマブ投与により脳のアミロイドが取り除かれアルツハイマー型認知症の症状が改善するなら素晴らしいことである。ところが治験での結果は病気の進行を遅らせる点において、統計学的な有意差はあるものの臨床的な有意差があるとは言い難いとされている。レカネマブのグループもプラセーボのグループもどちらも症状が悪化しているのである。レカネマブグループの悪化の度合いが0.45点分小さかったために「改善」とされたのだ。

 カール・へラップは、『アルツハイマー病研究、失敗の構造』(梶山あゆみ訳)でアミロイド・カスケード仮説への疑念とともにアルツハイマー病とは何かという原点に戻ることを提唱している。この本の英語のタイトルは“How Not to Study a Disease The Story of Alzheimer’s”である。




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