臨床余録
2025年8月31日
戦争をやめよ

 戦争が続いている。

 3年半前、ロシアがウクライナに侵攻したとき私達はこのホームページに声明(statement)をだした。 「ロシアよ、今すぐ戦争をやめよ!」「ウクライナの市民、子どもたちの命を無意味に奪うことをやめよ!」と訴えた。

 ウクライナと同時に現在ガザでは6万人を超す市民や子どもの命が攻撃による虐殺と意図的飢餓により殺されている。

 人の命を守るというミッションを持つ医療者としてこの現状に声をあげないわけにはいかない。何をするべきか。

 私達日本人は、今ロシアがウクライナに行っている侵攻と同じことをアジアの国々に対して行った暗い過去を持っている。その結果、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下に連なる悲惨な歴史を持つことになった。戦争を批判することは己れの加害の歴史を反省する位置からしかできない。

 戦争を繰り返してはならない。軍医として片目を失いながらもニューギニアのジャングルを生き延びた父の過酷な生を引き継いだ医師として、僕は戦争というものを考え続けなければならない。

 ジョゼ・ジョルゼ・レトリアとアンドレ・レトリアの絵本『戦争は、』は戦争の恐ろしさを短い言葉とシンプルだが象徴的な絵で僕たちの感性と想像力に訴えかける書物である。その凝縮された言葉を紹介する。

戦争は、日常をずたずたにする。「進行していますね」と耳元でささやかれる病気のように。
戦争は、何も聞かない、何も見ない、何も感じない。
戦争は、自分がどこで恐れられ、歓迎されるのかを、よくわかっている。
戦争は、ありとあらゆる恐怖が集まって、残忍な姿に化けたものだ。
戦争は、憎しみ、野心、恨みを糧とする。
戦争は、何も知らない人たちの柔らかな夢に入りこむ。
戦争は、凶悪な顔をいくつも持つ。
戦争は、物語を語れたことがない。
戦争は、人びとを悲しませ、押しつぶし、黙らせる。
戦争は、痛みの機械だ。あらゆる怒りを生み出す、邪悪な工場だ。
戦争は、鋼(はがね)と影の子どもたちを生み出す。
戦争は、すべてを焼きつくす 栄光の夢をみる。
戦争は、私たちの不安が まっすぐにめざすところだ。
戦争は、廃墟の町を支配するのが好きだ。
戦争は、死の最後の隠れ場だ。
戦争は、轟音とカオスだ。
戦争は、沈黙だ。

 これらは戦争の詩的定義集といってもよいだろう。この中でもとりわけ「何も知らない人たちの柔らかな夢に入りこむ」という言葉はこわい。例えばロシアの大地と向き合って生きている素朴な人々の平和で柔らかい夢を思う。絵では山や谷を越えて無数の毒虫が静かに責めこんでくるさまが描かれている。また「鋼と影の子どもたちを生み出す」という言葉も子どもたちの未来を暗示しおそろしい。このページの絵ではロシア軍隊のパレードのあの一糸乱れぬ姿、人間の顔をした鋼の人形の姿を表現している。戦争は、人間を壊すのだ。人間性のメルトダウン・・。終わりに近いページいっぱいに夥しい数の小さな人間のうごめき苦しむ影絵が描かれる。そして最後の「沈黙だ。」この沈黙は冷たく、暗く、限りなく深い。ページを暗闇が支配し見分けがたい何かが描かれている。広島に原爆が落とされたあとの世界の終わりを告げるような沈黙を想像せよ。これが戦争だ。戦争をやめよ。


2025年8月10日
『私はがんで死にたい』(小野寺時夫)を読んで

 元消化器外科医から緩和ケア医に転じた医師による一冊。心臓病や脳卒中のように突然発症する病気、あるいは認知症のように生活能力が落ちてから長い間不自由が続く病気、これらの病気と違いがんは発症してから死ぬまで準備の期間がある。その間に死後の整理をしたり周囲のひとに別れの挨拶するなどができる。従って「がん死は心、魂、感情をもつ人間に最も相応しい死に方」と述べる。

 安らかな死を迎えるために必要なことは、

   高度進行がん*になったら手術は受けないこと、
 抗がん剤治療も受けないこと、
 体力のある間に自分のやりたいことをする、
 在宅看取り不可能ならホスピス、
 痛みなど苦痛は極力なくしてもらう、
 食べられなくても点滴は受けない、
 認知症になる前に事を済ませる、
 臨終に近づいたらそっとしておいてほしい、
 安らかな死を妨げるのは最終的には心の痛み。


 がんの本態をよく考えると、がんは人があまり長生きしないための自然の摂理の一現象とも考えられるとする考えは興味深いが、これは超高齢者の場合に限るのではないか。

 ホスピスは死ぬための施設と考える誤解があるという。確かにホスピスを苦痛を和らげ善く死ぬため(good death)の施設と考えがちである。ホスピスでの著者の経験からそうではなくホスピスは終末期を善く生きるための施設と考えるべきであるという。なるほどそうなのだろう。

 担当医から抗ガン剤をすすめられたら自分のがんの状態で何人に1人の割合で効果があるのか、効果があれば治療しないよりもどれくらい長生きできるのかと訊くべきであるという。このアドバイスは役に立つと思う。また思い切って「先生ご自身あるいはご家族だったら抗ガン剤を選択しますか」ときいてもよいかもしれない。

認知症になったときの小野寺医師の3つの希望。
①食事を低カロリー低たんぱくにする、
②不眠、不穏のときは薬を十分だしてほしい
③寝たきりになったら「鎮静」をしてほしい。
この提案も面白い、わかるような気がする。


 がんの治療に関しては 近藤誠の『患者よ、がんと闘うな』の考え(抗がん剤は固形がんには効かないなど)とほゞ同じのように思った。

附記
*高度進行がんとは、がんが周囲の臓器組織に浸潤していたり、他の臓器に転移したりしている状態を指す。

*僕の訪問診療中の患者さんで高度進行がんで手術せず、抗がん剤も投与せず10年以上(近藤誠のいう放置療法で)比較的元気に生活している方がいる。





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