3月は別れの季節なのか、4人の患者さんを在宅で見送ることになった。
その中のひとりを振り返る。長く精神病院に入院していた男性。中卒後38歳まで板金会社で製造業に従事した。そこのクラブでマンドリンを習い音楽が好きだった。49歳時幻覚妄想状態で発病し精神病院に入院。14年以上入院したのちグループホームおきな草に入所した。
入所時見るからにからだは虚弱で車椅子で移動。病院では約1年前から足が弱く頻回に転倒するようになり医師の指示で食事以外はベッドに拘束されることもあったという。
車椅子にすわっている彼を診た。やせて手足は拘縮が目立ち皮膚は乾き足の指はあちこちただれていた。おとなしくて自分からは喋らないが話しかけると「お風呂はいった。さっぱりした」と短いがきっぱりとした言葉が返ってきた。足の指先の小潰瘍は皮膚科医の往診をお願いした。
ホームに慣れてきたころ「今日のおやつはなんですか」と聞いたりするようになった。ホームでは栄養士が自家製プリンを皆のために作ってくれることもあり、僕もごちそうになることもある。弟さんが面会に来て、「自分は兄を精神病院に入院させて罪悪感をもっていたが、ここに来て本当によかった」と述べた。本人は「ずっとここがいい。ごはんおいしい、おふろもはいった」と語った。
そんな彼だったが入所1年を過ぎて時どき食事を誤嚥するようになった。食欲が低下し起きるのも困難になった。うとうとしいていることが多くなった。熱が時々出た。殆ど食べなくなった。
そしてさらに熱が続き呼吸状態も悪化した。「よくなってほしいけれど今回はむつかしいかもしれません」と話すと弟さんは「もう、病院はいいです。病院にいて口もきかない時も多かったけれどおきな草にきて口をきくようになった。さいごまでここでお願いします」と述べた。
旅立ちが近づいていた。ホームのスタッフが彼に、「何かしてほしいこと、ほしいものはないですか」と尋ねた。「サザンオールスターズとビートルズが聴きたい」と答えた。スタッフがすぐにCDを買ってきた。
亡くなる日の朝入浴した。「気持ちよかった」とつぶやいた。彼が好きだといっていた握り寿司を弟さんが買ってきた。「お寿司を買ってきたよ」と告げると一瞬にっこりした。しかし一口くちをつけただけだった。弟さんが「元気になったら桜をみにいこう」と語りかけた。しかし、もう反応がなかった。
僕が呼ばれてさいごの診察をしたとき枕元では『いとしのエリー』がかかっていた。彼の顔には静かな笑みが浮かんでいるようにみえた。
西区の高齢・障害支援課の「認知症の早期対応にむけて」という発表を聞いた。令和元年度から「横浜市もの忘れ検診」が始まった。これは認知症の簡易検査を決められた医療機関で無料で年1回受けられる。認知症の早期発見、早期対応を進めるためとされる。年々受診率は増加し令和4年度の認知症発見率は23.2%だったという。
この検診をする医療機関として渡邊醫院は登録しなかった。認知症と診断された人の気持ちを深く考えることなく、とにかく認知症を早期に簡易検査で“発見”するという考え方に賛成できなかった。横浜市はもの忘れ検診や認知症予防ではなく、認知症の人が安心して暮らせる地域を作っていく共生社会実現へのモデル事業をするべきであると思った。
物忘れのある人を診るとき自分が気を付けていることをふりかえってみよう。まず丁寧に問診をし、ついで身体の診察をしながら、語られる言葉に耳を傾け、日々その人がどのような生活を送っているか(家族からの情報も参考にして)知ること、それが診断への第一歩である。その際、その人の人生へのリスペクトが診る側にあることが何より大切である。この診断プロセスは同時にその人へのケアのはじまりでもある。認知症検査は十分信頼関係ができたときに参考程度にすることはある。大事なのは検査の点数ではなく、その人の生活のありようである。簡単な検査をして診断を告げるだけでは不安と絶望を与えることに終わりかねない。
次に、脳の健康度を表わすとされる「ブレインパフォーマンスチェック『のうKNOW』」の実施状況が報告された。ブレインパフォーマンス(ブレパと略すらしい)は、脳の反応速度、注意力、視覚学習、記憶、の4項目からなる。横浜市と協定を結ぶエーザイが開発したもので脳の健康度をセルフチェックできるとされる。測定結果はブレインパフォーマンスインデックスとして、脳年齢、集中力スコア、記憶力スコアの3項目が表示される。あなたの脳年齢は何歳ですと出る、Aは正常、Bはボーダーライン、Cは維持向上のための活動を提案される。定期的にチェックし自分の脳の健康度を知ることが大事とされる。
年齢を重ねるにつれて(個人差はあるものの)脳の反応速度、注意力、視覚学習、記憶いずれも低下していく。それが自然である。それをスコア化して正常、非正常に分けるのは何のためだろうか。
知能とは、買物をする、料理する、銀行でATMを利用する、旅行を計画する、家族の相談にのる、などの日常生活を支える知的な能力である。環境に適応し新しい問題状況に対処する能力ともいえる。
知能には流動性知能と結晶性知能がある(Horn&Cattell)。流動性知能(認知能力)には環境に適応するため新しい情報を獲得し、処理し操作する知能、処理のスピード、直観力、などが含まれる。それに対し、結晶性知能(非認知能力)は長年の経験、学習などから獲得する能力であり、語彙などの言語能力、理解力、洞察力、内省力、コミュニケーション力、など社会的スキルを含む。
健康長寿ネット(Horn&Cattellの研究)によると、結晶性知能は20歳以降も上昇し高齢になっても安定している、一方流動性知能は20歳前後にピークを迎えたのちは低下していくとされる。
「のうKNOW」でチェックする項目は流動性知能が主であり、結晶性知能は測定されないと思われる。
Salthouseは、20歳すぎから多くの知能項目が低下するにもかかわらず多くの人でその影響が壮年期の社会生活や日常生活に及んでいないとしてその理由を次のように述べる。
① 私たちが日常生活で行っていることの多くは、過去の行為に若干変更を加えるだけのものである。従って、過去に蓄積した経験や知識(結晶性知能)は、新しい問題を解決する能力(流動性知能)のニーズを低下させる。
② 知能のみが生活行動の成功を決める唯一の要素ではない。ある種の要因(誠実さや人との関わりにおける調和性など)が加齢とともに増加して知能の年齢による衰えを補っている可能性がある。
③ 多くの人は行動パタンを加齢による機能の低下にふさわしいものに変化させている。その調整、適応により知能低下の影響が目立たないのである。
上記①~③のコメントは示唆富む。日常生活は大きな問題なく送れている人で「のうKNOW」をするとスコアが正常と出ない人がいるとするとそれで不安になる人はでないだろうか。上記②は人への共感能力に触れたもので、いわゆる知能(IQ)ではなくEQ(emotional intelligence quotient:情緒的IQ)に関係する。「のうKNOW」でスコアが悪くてもEQが高い高齢者は自分も家族も幸福にするだろう。
以上を考えると、認知症を心配するならあえて「のうKNOW」を受けなくても(検査にふりまわされるのでなく)、その人自身、あるいは家族がその日常生活をふりかえり、生活機能をチェックすることで足りるのではないかと思う。普通に生活している人が、脳年齢が何歳だったとかスコアがAだのBだのと人と比べたり一喜一憂したりするとしたら、それこそ不健康ではないか。
ところで、エーザイは高齢社会での自動車運転の安全性のための認知機能チェックに「のうKNOW」を使用することを計画しているようである。それならば現在行われている運転免許認知機能検査(僕自身去年受けたが)よりもすぐれていると思う。
また多発性硬化症などの神経難病や脳血管障害などの脳の器質的疾患に伴う認知機能低下の検査にも役立つと思われる。
しかし、普通の人の脳の健康度(認知症のチェック)のために使用するのはどうだろう。ブレパで正常に出なかった人は脳が健康でないということになるのだろうか。認知症の人は脳が不健康なのか。知的障害の人はどうなのか。正常とされず“健康”でないとされた人への偏見や差別は起きないであろうか。何かとげとげしい社会作りに貢献するのではないかと危惧する。
附記1
「脳の健康度」という言葉は危うい。ブレパで測れるのは流動性知能であり、“その人らしさ”を表わす結晶性知能ではないことを銘記しよう。
附記2
2023年6月認知症基本法(正式名:共生社会の実現を推進するための認知症基本法)が制定された。その基本理念は、認知症の人の尊厳を保持し、国民全体が支え合いながら認知症の人が安心して暮らす「共生」社会を実現することにある。この文脈でいくと、今回の西区の発表は認知症にならないために早期の検査を呼びかけるもので、認知症になっても共に生きていく社会の実現という時代の主な流れからはずれていると思う。人生100年時代、90歳を越えれば2人に1人は認知症になるという時代である。認知症と仲よくやっていく智恵を身につけたいものだ。
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